第45話 ねずみと、羽ペンと、手紙
ふわふわと、羽ペンが宙を舞う。
名前のまま、大きな鳥の羽である。コインを空中に浮かばせる力を持つねずみにとって、羽を一枚、空中でおどらせるなど、造作もないこと。
腕の見せ所は、これからなのだ。
「ちゅぅ~………」
ねずみは、片腕で筆ペンを空中に浮かせながら、もう片方の腕で、ちぎれた紙くずを呼び寄せる。
ゴミ箱から、捨てられていた紙くずを頂戴するなら、問題はなかろう。数枚であるが、ちょっとした練習には、ちょうどよい。
なお、羽ペンは
念のために、せせらぎで清潔にし、太陽の熱の力を借りて、消毒する徹底振りである。魔法の力で、乾燥に殺菌まで施しているのだ。
まぁ、保存場所が屋根裏部屋であるため、ドを過ぎた清潔といえなくもないが、これが、ネズリーと言うねずみである。
時折顔を見せるお客様としては、たくましく屋敷の人々の目をかいくぐって生きている、我が隣人『G』くらいである。
「ちゅ………」
ねずみは、筆を置いた。
インクの代わりに、食べることの出来ない、小さな木の実を用いた。やや、鮮やかな赤色は、シーツにつけば、取れない汚れとなるだろう。
ちょっと注意をしつつ、羽ペンの練習は、終わった。
ねずみは、くず紙を空中に浮かべた。
生前の名前を、記したのだ。どこか感じるものがある、しばらく見つめていた。
ネズリーと、記されていた。
よれよれの汚い字で書かれているが、読めなくはない。くず紙の大きさからも、せいぜい、伝書鳩に運ばせるサイズだ。文字数も、わずかしか望めない。
それでも、一言なりとも、誰かに伝えることは出来る。
では、いったい誰に伝えよう。
それは、すでに決めていた。この街は、ネズリーと言う少年だった当時、住まっていた町と同じであるのだ。
ふらふらと、町を歩いていて気付いたのだ。
基本的に、下水のせせらぎを横目に移動しているが、所々、道端の排水溝から顔を出して、確認済みだ。
自分の部屋に、戻るのか。
もしかすれば、仲間たちと鉢合わせをするかもしれない。もしかしたら、仲間たちが訪れた時に、ねずみの置手紙に気付くかもしれない。
そのあとは、どうするのか。
ただ、ねずみになって暮らしていると伝えて、それだけでいいのか。
「ちゅううううぅ」
ねずみは、迷った。
人としての人生が終わったのだ。ねずみ生活に、生前の友人達を巻き込んでいいのだろうか。
仲間思いだった、互いに迷惑を掛け合って、魔法の実験の成果を自慢して、失敗にも巻き込まれて………
「ちゅぅ」
ねずみは、果実を新たにつぶしてから、名前を書いた紙を裏返した。
迷ってもしかたがないと、一文だけ、書いた。
――ねずみ生活、始めました。
読めなくはない。
ねずみは、この手紙をどうしようかと迷っていると、声がした。
床下からの、このお屋敷の、主からの呼びかけであった。
「ちゅぅ~っ」
大声で、ねずみは、返事をした。
ねずみは、主の
ねずみは、即座に天井裏の隙間から、顔を出した。主の目には、まだ見えないだろう。この隙間はとても狭く、ねずみでもようやく通り抜けがかなう隙間である。
通気口の、隙間である。
壁の柱からするすると降りると、主がたたずむ机まで、一気に
「呼び出して、すまない」
お屋敷の主は、ねずみが、ただのねずみではないと知っている。それは、今やお屋敷メンバーの全員の認識であるが、一番頼ってくれるのは、主様だ。
ねずみにとっては、どれほどの栄誉であろうか。
ちゅ~――っと、ねずみは鳴いた。
お任せくださいと。
言葉が通じないもどかしさなど、この二人の間には存在しない。主には、ねずみが、確かにそのように答えたと、通じているのだ。
かつての奥様が見れば、お医者を呼ばれたに違いない。お嬢様方が見れば、武器を手にするために、テラスのある部屋に向かったに違いない。
幸いである、カーネナイ事件解決の功績と、ねずみらしからぬ紳士な振る舞いが、認められたのだ。
「件の、パーティーの招待状のことだ。君も気付いたと思うが、落ち目の商家が、突然パーティーを開くとは、少し気になってな」
主は言いながら、書類を見つめる。
ねずみは、見てもよろしいでしょうかと、机の上に駆け上った。そして、改めて、主を見上げて、鳴いた。
「ちゅ~?」
拝見してもよろしいでしょうか?――
ねずみの声が、やはり主には通じているようだ。ゆっくりとうなずくと、ねずみが立つ位置に、わざわざ書類を傾けてくれた。
本来は、関係者以外に見せてはいけない類だと、ねずみにはすぐに分かった。
調査報告書——と、書かれていた。
ちょっとした調べものであるが、ねずみは驚いた。
個人的なことに、権力を使う人物ではない。多少、気になることを調べるにしても、それを、第三者に見せるような人物でもないと。
ご家族が相手でも、公私を分けるはずだと。
ねずみに見せた理由は、何か。
「どうだね………」
まだ、最後まで読んでいないながら、ねずみは応えた。
「ちゅ~………ちゅ、ちゅちゅ、ちゅ~………」
確かに、怪しいですね。まだ、調査が必要ですが、おそらくは………――
ねずみは口にしながら、横目で、同じ文面を繰り返し、読み返す。
あの、腰の低い金融業者ガーネックの名前が、いくつも並んでいる。借金の履歴であった。
カーネナイ事件が、脳裏をよぎる。
金貸しのガーネックが借金という弱みを握り、追い詰めた果てに、何かを企んでいる。そんな推理が、経験が、嫌な予感を訴える。
ネズリーは、続きの文面で、目を見開いた。
「ちゅ………ちゅちゅぅ?」
これは、まさか………――
ねずみは、主にもはっきりと伝わるように、その文面を、指差した。
「………そうだ、賭博ゲームのための、コインの素材………それ事態は、違法性はない。だが、君が解決してくれた、ニセガネと素材は同じだ」
関係がない。
そのように考えることなど、二人に出来ようか。
あのニセガネ事件はまだ、終わっていないようだ。
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