第132話 白河明日香の宣戦布告


 一二月二二日。

 白河明日香は一人、放課後の昇降口で憂鬱な様子で溜息をついていた。

 人の気配がする度に俯いていた顔を上げて、廊下を歩く生徒の顔を確認してはホッとしたように息を吐き、再び溜息と一緒に俯く。


 もう何度目かも分からないが、その様子を見るだけでも彼女が何かを待っていて、それが彼女にとって良くないことであるというのは、何となく予想がつく。


「……帰りたいわ」


 明日香は先日、八神幸太郎をクリスマスデートに誘った。予定がないということもあり、一緒に出掛けることになったのだ。


 クリスマスに。

 二人きりで。


 幸太郎自身がどう思っているかはともかく、普通に考えればどんな口実を並べていたとしても、特別であることは確かだ。


 現に、明日香はその日を特別に思っている。好きな人とクリスマスという一日を過ごすことができるのだ。普通であっていいはずがない。


 楽しみなことは間違いない。

 しかし。

 その前にやるべきことが一つだけある。やるべきことというか、やらなければいけないことというか、明日香自身がやっておきたいこと。


 自分からそれをするにも関わらず、彼女は酷くそれを憂鬱に感じているのだ。


「おまたせ、明日香ちゃん」


 待っていた相手が現れる。

 自分の名前を呼びながら、こちらに駆け寄ってきている。


 黒く長い髪。

 制服の上からコートを羽織り、手袋にマフラーと防寒もばっちりだ。


 それを言うならば、明日香も似たようなものだが。


「もしかして、結構待った?」


 月島結は申し訳無さそうに尋ねてきた。待ったは待ったが、それもたかが一〇分程度だ。突然呼び出した側としてはそれくらいの待ち時間は何とも思わない。


 どころか、このまま来なければいいのにと心密かに思っていたほどだ。


 とはいえ。

 来てしまった以上は前に進むしかない。今日、やらなければならないことを終わらせる。


「いや、私もさっき来たところよ。全然待ってないわ」


「ほんとに?」


「ええ」


 もはや確認するまでもなく、月島結は八神幸太郎のことが好きだ。

 今年の春に転校してきてからずっと見てきたが、疑う余地はない。逆にこんなに可愛い女の子から熱烈アプローチを受けて、どうして受け入れないのか疑問に思うほどだ。


 それは分かりきった事実だ。


 だと言うのに。

 明日香は八神幸太郎に恋をした。

 そして、あろうことかクリスマスにデートに誘ったのだ。了承をもらい、遊びに行くことは確定した。


 結からすれば、それは何とも受け入れ難いことだろう。ずっと自分を見てきた友達が同じ人を好きになったと言うのだから、怒られても仕方ない。



 そう。


 今日、明日香は結にそのことを告白する。


「ちょっと場所を変えてもいいかしら?」


「うん。全然大丈夫だよ。喫茶店かどこか入る?」


 考えてみるが、店内で話す内容でもないような気がする。他の人には聞かれたくもない話だ。


「あまり、人に聞かれたい話でもないの。寒いけど、外でもいい?」


「うん。わたしは何でもオッケーだよ」


 ぱちりとウインクを見せながら、結は親指を立ててそう答える。その姿を見て、明日香は小さく溜息をついた。


 優しくて、可愛くて、気遣い上手で。

 彼女のどこに欠点などあるのだろうか。学園のアイドルだとか言われているが、自分が結に勝てる要素が見当たらない。

 そんなことを考えると、ついつい溜息が漏れてしまった。


 何より。


 自分はこれから、そんな相手と向き合わなければならない。戦わなければならないのだ。


 学校から出ることも考えたが、結局二人は校内のベンチに座ることにした。

 グラウンドが一望できる場所に置かれたいくつかのベンチ。もう少し暖かければ利用する生徒はいるが、今は冬だ。

 この寒さの中、わざわざベンチに座って雑談をする奴はいない。結果、ここならば人に聞かれる心配はない。


 グラウンドからは野球部やサッカー部の活動音が聞こえる。キィン、という金属バットの音は、自分が振ったわけでもないのに不思議と気持ちいい気分になる。


「何か飲む?」


「え、いいよ。わたし自分で買うよ」


「これくらい出させてよ。付き合ってもらってるんだから」


 そう言われると断りづらいと思ったのか、結はホットのレモンティーを頼む。

 明日香はホットのカフェラテを購入した。手に持つと程よい温かさが心地よかった。


「えっと、それで、なんだったかな?」


 明日香の雰囲気がいつもと違うことに気づいてか、何か真面目な話なんだということは何となく察している様子の結は、どう切り出そうか悩んでいるようだ。


「……どうしても、話しておかないといけないことがあって。コータローのことで」


「こーくん?」


 幸太郎の名前が出てくるとは思っていなかったのか、結は驚いた顔をしている。


 しかし。

 いつもクールで澄ました表情の明日香が、顔を赤くして言いづらそうにしている。

 寒さのせいかもしれないけれど、不思議と結はそうとは思わなかった。


 明日香が結と幸太郎を見ていたように、また結も、明日香と幸太郎を近くで見てきたから。


 だから、明日香の言おうとしていることが何となく分かった。分かった上で、彼女は正面から受け止めようとする。

 彼女の口からその言葉を聞こうと、ただひたすらに待つ。


「……結が、コータローのこと好きだって分かってた。ずっと近くで見てきたから。でも、でもね……その……」


 明日香は自分の中にある気持ちを言葉にしようと必死に考えている。だから、結は何も言わなかった。

 誤魔化すことも、茶化すこともしない。まっすぐに明日香の顔を見て、彼女が言葉にするのを待っている。


 ちらと、明日香は結の顔を見た。

 待ってくれていることが容易に分かる結の表情に、明日香は覚悟を決める。


「ごめんなさい。私も、コータローのこと、好きになったの!」


 深々と頭を下げる。

 一秒か、五秒か、あるいはもっと長かったかもしれない。二人の間に沈黙が起こる。


 聞こえてくるのはグラウンドの部活に励む生徒の元気な声と、校内のどこかから聞こえてくるブラスバンドの音だけだ。


「顔上げてよ、明日香ちゃん」


 結に言われて、明日香はゆっくりと顔を上げる。

 結の顔を見るのが怖かった。

 自分のしたことを考えると、何を言われても仕方ないことだし、嫌われたっておかしくない。


 どんな顔をしているのか、そう考えるだけで本能が見たくないと脳に信号を送ってくる。

 でも、見ないわけにはいかないのだ。向き合うと決めたから。だから、明日香は顔を上げて結の顔を見る。


「……言ってくれてありがと」


 結は、笑っていた。


「結?」


「ん?」


 怯えるように結の名前を呼ぶと、結は不思議そうに首を傾げる。


「どうしたの?」


「あ、いや、なんかもっと、責められるのかなと思っていたから」


「責める? わたしが明日香ちゃんを?」


 なんで? と言っているのが分かる。


「だって、結がずっと好きだった男の子を、それをわかってて好きになっちゃった、から」


「んー、どうなんだろ。怒りとかは、特にないよ? 嬉しいなあとは思うけど」


「嬉しい?」


 予想だにしなかった結の言葉に、明日香はぽかんとした顔をする。


「うん。だって、明日香ちゃんもこーくんの良さに気づいたってことでしょ? いや、そもそもね、あれだけイイ男がこれまで見向きもされていなかったことが驚きなんだよ? みんな見る目ないなーって思ってたくらいだし」


「……結」


 眉間にしわを寄せながら、心底おかしいと訴えるように言う結を見ていると、なんだか笑いがこみ上げてきた。

 明日香はふふっと笑う。


「私達がおかしいのよ」


「えー、そうなのかな?」


 おかしいなあ、とぶつぶつ呟いていた結だったが、ハッとして明日香の顔を見上げる。


「ということは、わたしと明日香ちゃんはライバルということになるのか!」


「……気づいてなかったのね」


「同じ人を好きになった喜びが勝っちゃった。でもそうか、それはつまりそういうことなのか」


 むむむ、と難しい顔になる結を見て、明日香は小さく肩を落とす。


「わたし、負けないよ」


 明日香と向き合うように、結も立ち上がった。

 まっすぐ明日香の瞳を見つめる結の目はきれいで、ありもしない引力によって引き寄せられているようだ。目が逸らせない。

 いや、そもそも。

 逸らすつもりもなかったが。


「私も、負けない」


 その後も、二人は言葉をぶつけ合った。

 喧嘩とか言い合いとかそういうものではなく、互いに思いの丈をぶつけるような、そんな会話だ。

 空が暗くなるまで、寒さも忘れて話し合った。笑いながら、ときに真剣に。


 さすがにそろそろ帰らないと、と思ったのはグラウンドの生徒の声やブラスバンドの音がなくなり、辺りが静まり返った頃だった。


「最後に一つだけ、言わないといけないの。これを言うために、この話を結にした」


「な、なにかな?」


 改まって話そうとする明日香に、結は僅かな緊張感を覚えた。


「今度のクリスマス。私、コータローに気持ちを伝えるつもりだから」


 まずはスタートラインに立つところから始める。でなければ、結に追いつくことはできない。

 彼女の持つ圧倒的なアドバンテージを覆すためには、もう恥ずかしいとか悔しいとか、そんなことは言ってられない。


「そっか。うん、頑張ってね」


「頑張れってなによ……幼馴染みの余裕ってやつ?」


「ち、ちがうよ? そんなんじゃなくて!」


 からかうように言うと、結は焦りながら訂正する。もちろん、そんなこと思ってもなかったので狼狽える姿を見て、明日香は笑い出す。

 結もそれで冗談だと気づいて、同じように笑う。



 そして。

 やってくる一二月二四日。

 その日は、全国一斉クリスマスイヴ。

 家族と、恋人と、あるいは友達と、誰もが楽しい時間を過ごせることを祈る、年に一度の聖なるイベント。


 それぞれが思いを胸に抱きながら、そんな一日が幕を開ける。

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