第120話 フルーツの王様


「味覚狩りに行きたい!」


 朝っぱらから呼び出され、眠たい中目をこすりながら渋々会うと突然そんなことを言い出したのはもちろん我が幼馴染みである結だ。


「突然なに。朝っぱらから言うことじゃないだろ」


「朝だから言えることだよ? そんなあからさまに面倒くさそうな顔しなくてもよくない?」


「朝突然呼び出されて味覚狩り行きたいって言われたらだいたいの奴はこういうリアクションすると思うぞ。しかも今何時だと思ってんだよ」


「八時」


「土曜の朝八時は活動時間じゃないの。わかる?」


「わからない」


 まあ。

 そうだよね。分かる子はこんな朝早くに人を呼び出したりしないよね。


「ねえ、行こうよ!」


「家族で行けばいいだろ。おじさん今日休みじゃないの?」


「こーくんと行きたいの」


 だというのならもう少し事前に伝えておいてほしいものだ。それならこっちも、それなりに気持ちを作っておいたのに。


「文化祭の劇頑張ったわたしへのご褒美、まだ貰ってないんですけど」


「なっ」


 言われて思い出す。

 文化祭の演劇本番前、頑張るからご褒美をくれと言ってきた結に俺はやすやすとオッケーした。

 確かに約束した。


 忘れてたけど。


「忘れていたって顔してる」


「すまん」


 文化祭はもう二週間近く前の話だ。

 そりゃ忘れるだろ。

 とはいえ、約束したにも関わらず忘れていたでは終わらない。それではさすがに結が可哀想だ。


「……じゃあ、行くか。味覚狩り」


 俺は腹を括る。


「ほんと?」


「うん。約束忘れてた埋め合わせも兼ねてな。今日一日付き合うよ」


「わーい! やったー!」


 結はおもちゃを与えられた子供のように大げさに喜ぶ。ここまで喜ばれるとこちらとしてもやりがいがある。

 これもしかして父親的な心理だろうか。


「で、どこ行くの?」


「ん?」


「いや、だから、場所だよ」


「決めてないよ」


 そんなノープランで人を誘わないでほしい。


「ああ言うのって予約とかいるんじゃないの?」


「飛び入り参加できないの?」


「飛び入り参加って言葉はちょっと違うような気もするけど」


 言いながら、俺はスマホをシュッシュッといじる。調べてみると意外とそういうところもあるらしい。


「当日の混み具合次第では行けるみたいだな。でも今日土曜だし、厳しいんじゃないか?」


「大丈夫でしょ。そんなにみんな味覚狩りたいと思ってないよ」


「……何狩りに行きたいんだ?」


「何でもいいよ」


「この場合に限ってはそのコメントが最も困るんだけど。言い出しっぺお前だろ」


「何があるの?」


 言われて俺はスマホを見せる。そもそも種類はそんなにない。

 ていうか、特に行きたいところもないのに、どうして突発的に味覚狩りたくなったんだ?


 一狩り行こうぜ! のノリで行く場所じゃないだろ。


「じゃあぶどう狩り」


「ぶどう狩りな」


 施設に電話し、行っても問題ないことを確認して、俺達は電車に乗り込む。

 まさかぶどう狩りに行くことになるとは昨日の夜は考えもしなかった。世の中何が起こるか分からんな。


 小一時間電車に揺られて到着した味覚狩りの施設に入る。名前を名乗るとスムーズに案内してくれた。


 朝ご飯を食べていなかったこともあって、俺のお腹は食べ物を欲している。

 実際にぶどうを見ると、ぎゅるぎゅると空腹を主張してきた。


「結ってぶどう好きだっけ?」


 案内されてからはあとは好きにせえよと言わんばかりに放置される。時間になったら呼ばれるのだろう。


 それにしても、土曜日だと言うのに混んでないなあ。ちらほらと人はいるが家族連れというよりは友達同士やカップル。

 今の子供は味覚狩りに興味示さないのかね。


「んー、特別好きってことはないけどよく食べるよ?」


「あんまり食べてたイメージはないな」


 思い返してみても、結とぶどうはイメージが結びつかない。


「フルーツの中なら結局みかんが一番だよね。味と食べやすさを考えてみかんに勝るフルーツはないよ」


「それで言えばぶどうだっていい勝負するだろ」


 確かにみかんは食べやすく美味しい。

 包丁を必要とするわけでもなく、手間がかかるわけでもない。手にとって五秒後には食べ始めれるお手軽さ。

 サイズが小さいのでついついもう一個と手が伸びてしまう。俺も正月になると延々とみかんを頬張っていた。


「ぶどうはちょっと味がなあ」


「ぶどう狩りに来てその発言はNGだろ」


「不味いとは言ってないよ? ただ、中毒性がないというか。ぶどうにはもういっかっていうタイミングがあるんだよね」


 結の言いたいことが分かってしまうだけに反論できない。

 みかんは無限に手が伸びるが、ぶどうはある程度のところで満足感を得れる。確かにその点を考えればみかんに軍配が上がる。


 ていうか、何で俺こんなにぶどうを庇ってるんだろ。俺だって特別好きというわけでもないのに。


「りんごとかは? 皮だって剥かなきゃ食えないってわけじゃないだろ?」


「そのままかじりつくの? ちょっと品がなくない?」


 そんなことないだろ、と言おうとしたけど確かに品はない。男が豪快にかぶりつくのはまだいいが、女がそんなことをした暁には申し訳ないがちょっと引く。


「つまりみかんはフルーツの王様ということだよ」


「ぶどう狩り来てんだからぶどうの良さをアピールしてくれよ」


「えー、だってほら」


 不満げな声を上げた結はぶら下がるぶどうを手に取り、小さな粒を一口食べる。


「ぶどうは、食べれば良さが分かるでしょ?」


 口をもごもごさせながら結が言う。

 俺も彼女に習ってぶどうを手にして口に入れた。


「確かにな」


 久しくぶどうなんて食べていなかったからさらに美味しく感じる。この一粒目を食べた今ならば、みかんよりも美味しいとさえ思えてしまう。


 錯覚だ。

 でも、美味しいのは確かだ。


「この後どうする?」


「この後? え、帰るんじゃないの?」


「え、こーくん一日付き合ってくれるって言ったじゃん。あの言葉は嘘? こーくんはわたしに嘘つくの?」


 確かに言ったけど。

 それは言葉の綾というか、双方の解釈違いというか、別にそういう意味で言ったわけではないのだけれど。


「……分かったよ。時間が許す限り何にでも付き合う」


「それでこそ、こーくんだよ!」


 結局。

 その日は一日の終わりのぎりぎりまで付き合うことになった。朝から晩まで、ずっと遊ぶとは思ってなかったので、さすがに疲れた。


 その日は布団に倒れ込み、気絶するように眠りについた俺だった。

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