第63話 【夏合宿編⑪】夏合宿終幕


 薄れゆく意識の中、最後に見たのは白河のくしゃくしゃに崩れた泣き顔だった。


 俺の名前を必死に呼ぶ彼女を見て、無事だったことに安心した。


 安心すると、段々と体の力が抜けていって、大丈夫だって言いたかったけど口も動かなかった。


 俺の中に残る最後の記憶はそれだ。


「……」


 死に際には走馬灯が見えるというが、俺は見えなかった。その話が嘘っぱちだったのか、あるいはまだ死に際じゃなかったのか。


 まあ、こうして生きているわけだから、多分後者なのだろう。


 ゆっくりと目を開いた時、最初に視界に入ってきたのは見慣れない白い天井だった。


 頭が働かず、俺は暫しその天井をぼーっと眺めていた。

 俺の部屋じゃないな。誰かの家の天井でもない。見慣れないだけで、でも俺はこの天井を知っている。


「……ここ、は」


 その場所特有のにおいに、俺はようやく意識をハッキリさせる。


 ここは、病院だ。


 何がどうなって、今この状況に陥ったんだろうか。分からないことだらけで、俺は混乱していた。


 説明を求めようにも、周りには誰もいないし。


「……」


 こういうときってどうしたらいいの?

 初めてなので勝手が分からない。


 次の行動に悩み、体を起こしてぼーっとしていると部屋の扉が開いた。


「あ、目が覚めましたか?」


 知らない人だ。

 ナース服を着た知らない女性。普通にこの病院の看護師さんだろう。


「あの、俺は」


「海で溺れて気を失って、ここに運ばれました。搬送までの措置が良く、命の心配はなかったですけどね」


「はあ」


「聞いた話では、一緒にいた彼女さんが冷静な判断をしていたようですね」


 一緒にいた彼女さん、と聞いて誰かと思ったけど多分白河のことだな。

 彼女じゃないですけど、と訂正する気にもならなかった。


 しかし、最後に残っている記憶では取り乱していたように思うが、あの後冷静な判断をしたのか?


「もう少し安静にしていてくださいね。先生を呼んできますので」


「あ、はい」


 白河のおかげで一命を取り留めた、ということなのだろうか?

 よく分からんけど、だとしたら感謝せねばならんな。


 その後、医者にいろいろと診られて問題ないと判断された俺は無事退院? することに。


 病院を出ると、成瀬先生が待っていてくれていた。

 ここは旅館から近い病院のようで、とりあえずみんなのいる場所に戻ることになった。


「今回は謝罪する以外に言葉がありません」


「はい?」


 車を運転し始めると、成瀬先生がそんなことを言う。


「顧問である私の怠慢のせいで八神君を危険な目に合わせてしまいました」


「いや、怠慢とかじゃないでしょ。あんなこと起こるなんて誰も想像できないし、誰も悪くないですよ」


「……八神君なら、そう言うと思っていましたけど、謝らせてください」


「はあ」


 顧問ってのも、いろいろと大変なんだな。


 外を見ると日が沈み始めていた。

 予定ではそろそろ帰るはずだった時間だ。

 他のみんなは旅館で待たせてもらっているらしい。そこでみんなと合流してそのまま帰る流れだろう。


 病院から旅館まではそこまで遠くなかったので、そんな話をしていると到着した。


 さっきまでいた場所だったのに、なぜか懐かしく思えてしまう。とりあえず車から下りることにした。


「こーくん!」


 その時だ。

 勢いよく抱きつかれて、俺は倒れそうなところをぎりぎり耐える。不意打ちは卑怯だろ。


「おい、結……」


 結は俺の服に顔を押し付けていた。顔を上げないところを見るに、多分泣き顔を見られたくないとかだろう。

 結のこの行動には見覚えがあるから何となく分かる。


「先輩!」


 次の瞬間、さらなる衝撃に俺は再びよろけてしまう。しかし、病み上がりのわりには体が反応してくれて、何とか耐えた。


 涼凪ちゃんも心配してくれていたようで、普段の大人しい部分からは想像できない大胆な抱きつきだった。


「心配かけてごめ――ン」


 さすがの俺も三発目には耐えられなかった。

 思いっきり倒れてから誰だと思い見てみると、意外にも李依だった。


「おい、李依……」


「八神先輩はもう少し李依のお気に入りである自覚を持ってください。李依、小樽先輩のことは大好きですけど、八神先輩のことだって好きなんですから」


「そっか。ごめんな、心配かけて」


 俺は李依の意外な言葉に驚きながらも、そう思われることは素直に嬉しかった。


「……僕も抱きついといた方がいい?」


「いや、それは勘弁してくれ」


 三人に押し倒された俺をじーっと見下ろしていた栄達が言うが、俺は丁重にお断りしておいた。


 潰れるし、そもそも絵面が汚い。


 そう返されることも分かっていたであろう栄達は特にショックを受けるでもなく笑っていた。


「まあ、無事で安心したよ」


「ああ、この通りだ……白河は?」


 見当たらないので聞いてみる。

 いつもならこの辺で余計な一言を浴びせてくるくらいはしてくるのに。

 さすがに今回はないか。


「あっち」


 栄達は旅館の方を指差す。

 白河は入口のところから、おずおずとこちらの様子を伺っていた。しかし、俺がそっちを向くと慌てて隠れて姿を消した。


「なにあれ。新種の白河?」


「んー、まあ違うとも言えんかな。責任とか感じてるんでしょ。ちょっと話してきたら?」


 まあそうだな。

 この後もあんな感じだとこっちがどうしていいか分かんないし。


「ちょっと白河と話してくるから離れてくれるか?」


 抱きついたままの三人の肩を叩く。

 最初に離れてくれたのは涼凪ちゃんだった。瞳は少し濡れているが、それだけだ。


 結と李依となれば少し強引にいってもいいだろうと引き剥がす。


「ごーぐん゛」


「ぜんばい゛」


「あ、お前らめちゃくちゃ鼻水ついてんじゃねえか!」


 涙だけならともかく。

 汚えなあ。


「だから、顔上げたくなかった、のに」


「ほんどですよ。ぐうぎ読んでくだざい」


 未だ涙声の二人をなだめてから、後は涼凪ちゃんと栄達に任せて俺は旅館の方へ向かう。


 俺が近づいていることに気づいた白河はびくっとして、小屋に逃げる子犬のように奥に引っ込んでいく。


「あ、おい!」


 旅館の中に入ると少し離れたところに隠れている。

 なんだこれ、新手のゲームかなにか?


「どうしたんだよ、白河」


 これ以上近づくと逃げそうなのでこの距離を保ったまま声をかける。


「……私、コータローに合わせる顔がないわ」


 いつになくしおらしい白河の態度に俺は溜め息をつく。


「責任感じてんのか知らねえけど、別にお前のせいじゃないんだから気にすんなよ。ていうか、ここじゃ迷惑だからこっち来いよ」


「……」


 白河はちらとフロントの方を見る。

 人はいないが中には聞こえてそうだ。それを思ってか、渋々こちらへやって来る。


「先にコータローが出て。これ以上近づけないわ」


「……何でだよ」


 しかし、そうでもしないと着てくれないなら従うしかない。俺はその距離を保ったまま場所を移動した。


 他のみんなは空気を読んでか車のところで待ってくれている。もし俺がいないときでも白河がこの状態だったのなら、さぞ扱いに困っただろうな。


 俺は浜辺の塀のところに腰掛ける。

 隣に来いよという意味で白河の方に視線を向けてみる。

 何となく意図は察してくれたようで座りはしたけど、少し距離を空けられた。


「この通り、元気だからお前が気にすることじゃないんだぞ?」


 ちらと横目で白河の様子を見ながら話す。白河はたまにこちらの様子を見ようと顔を向けているが基本的には前を向いている。


 ここまで弱々しい白河明日香を初めて見ただけに、俺もどう接したらいいのか分からない。


「でも、私のせいでコータローは死にかけたのよ。元気っていうのは結果論でしょ……」


「結果論でも今がそうなんだからいいじゃん。そんな態度だとこっちが調子狂うんだけど」


「そんなこと言われても、私どうしたらいいか」


「いつものお前なら、『私のおかげで助かったんだから今度ご飯奢りなさいよね』とか言うじゃん」


 俺は場の空気を和まそうと冗談混じりに言ってみる。すると白河はさらに肩を落とす。


「コータローの中の私って、そこまで非常識女だったのね。さすがに凹むわ……」


「冗談だよ! なんで今日に限って素直に受け取るんだよ!?」


 本当に調子狂うな。


「本当に、あの時コータローが死んじゃうんじゃないかって不安で不安でしょうがなかったのよ……」


「悪かったよ。心配かけて」


「そうじゃない。あの時、私が落っこちなければ何もなかったのに」


 白河の声は少し震えていた。

 聞いたことのない弱々しい声に俺は言葉をかけることを躊躇ってしまう。


「……あれは事故だし。何もかも運が悪かったってだけだよ。そして、助かった俺は運がよかった」


「……」


「それに、聞いたけど俺が気を失っていたときにいろいろと頑張ってくれたんだろ?」


「そ、それは、まあ……」


 どうにも歯切れが悪いな。

 様子を見てみると、顔を赤くして俯いているし。今日の白河は喜怒哀楽がわかりやすいな。


 こいつも、普通の女の子なんだよな。


「なら、お前のおかげで助かったわけだし、お互い様だろ?」


「……コータローは、私を許してくれるの?」


 恐る恐る、こちらを見ながら白河が聞いてくるので、俺は盛大に溜め息をついてしまう。


「許すも許さないもないよ。そもそも恨んでたりしないし。何なら、そのままいられる方が恨めしいぜ」


 はは、と笑ってみると白河は少しだけ口元を綻ばせた。どうやら罪悪感は少しは消えてくれたようだ。


「元気出たなら戻ろうぜ。そろそろ帰らないと夜になっちまうし」


「ええ、そうね」


 それでも。

 やっぱりいつも通りというには少しどころか、まだまだ元気が足りないようだ。


 でも、少しでもマシになってくれたのならよかった。


「どうしても何か償いがしたいっていうなら、今度何か奢ってくれよ。それで全部チャラってことにしようぜ」


「……コータローってば、欲張りなのね」


 そう言って、彼女は笑って見せた。

 それが精一杯のから元気であることは分かっていたけれど、そう振る舞えるくらいには前を向いてもらえたということで良しとするか。


「まあな」

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