第56話 【夏合宿編④】明日香の疑問


 海の家の開店準備を済ませた俺は部屋でゆっくりしようと思い帰ろうとしたところで、どこかから戻ってきた栄達に呼び止められる。


「は、撮影? 今から?」


「うむ。シーン毎のロケーションはおおかた目星がついたからな。撮れるところから撮っておいた方がいいだろう」


「明日からでもよくない? 疲れてるしさ、主に俺が」


「明日はもっと疲れていると思うぞ? 心配しないでも、そこまでがっつりではない。試運転程度だと思ってくれればよい」


「……仕方ないな」


 何をどう言おうとやらなければいけない。だったら早くに終わらせておいた方がいいという意見も最もだ。

 上手くいけば最終日とか撮影ないパターンだってありえるわけだしな。


「撮影って俺だけ?」


「いや、白河も」


「呼びに行かなくてもいいの?」


「問題ない。そちらには既に刺客を送り込んでいる」


「刺客?」


 俺が栄達の言葉に疑問を抱いていると、その答えとも言える人物が白河を連れてやって来る。

 案の定、白河も「今日はもういいでしょ」という顔をしている。


「小樽先輩、連れてきました」


 李依がぴしっと敬礼しながら可愛らしく言う。それに栄達が同じような仕草で返す。


「ご苦労、小日向君」


 栄達の言う刺客というのは李依のことだったらしい。

 映研部内では仮面を被らない白河だが、歳下の前では先輩としての見栄があるのだろう。

 栄達め、ナイス采配だ。


「それじゃあ行こうか」


「お供しますっ」


 ノリノリの栄達と李依の後ろを数歩遅れてついて行く俺と白河。

 夕方ではあるが、日は落ちていないのでまだまだ明るい。ということもあって海で遊ぶ人の数は減ってない。


「あんまり大勢の前で演技とか嫌だぞ? ただでさえ大根なんだから」


「安心しろ。その辺はしっかり考慮している」


 それならいいけど、と俺は黙って栄達について行く。


 今回の映画の脚本は栄達が担当した。

 もともと話作りには興味があったらしく、昨年は先輩によく教えてもらっていたのを覚えている。


 その甲斐あってか今回持ってきた脚本はなかなかのものだった。もちろんプロや、それなりに経験を積んだ人に比べればまだまだだが初心者にしては十分な出来だったと俺は思う。


 栄達がこの映画に向けてしてきた苦労は知っている。だから、俺も出来る限りの協力はしたいと思った。


 だから主演も受け入れたけど、俺には重役であることは事実。どれだけ上手くやれるか、不安しかない。


「緊張してるの?」


 俺の隣を歩く白河がからかうように聞いてくる。


「緊張してないように見えるか?」


「見えないわ」


 くすり、と笑う白河はどこか余裕そうだ。

 こいつは去年も主演を務めている。

 しかも白河明日香を主演にするために脚本が作られたほどだ。それだけのプレッシャーを乗り越えたのだから、今年は気が楽なのかも。


「お前は平気そうだな」


「まあ、そうね。幸か不幸か注目されることには慣れてるから。それと、期待されることにもね」


「……かっくいー」


 彼女はその容姿の良さから人に見られることが多い。中には嫉妬のような視線があるかもしれないが、ほとんどはプラスの意味の視線だ。

 それに加えて外面がいいのでいろいろと要求されることが多くて、それに応えようと努力し、結果応えることができているから、彼女に向けられる期待は大きくなる一方なのだろう。


 水泳の訓練もその一環と言える。


「普段ぼーっとしているコータローがそんな顔をするなんてね。笑えてくるわ」


「今回はお前に勝てそうにないから言い返さないでおく」


 緊張しているのは事実だし、多分めちゃくちゃ失敗するだろうからフォローしてもらわないといけない。

 ここは下手に出ておこう。


「そんな緊張しなくても大丈夫よ。さっと終わらせて帰りましょ」


「すげえな、その余裕」


 そんな話をしながら歩いていると、撮影スポットに到着したらしい。栄達が準備を進める間に俺は改めて台本を読み返す。


「コータローは試験前にノートとかぎりぎりまで見ているタイプかしら?」


「……急になに」


 俺が台本とにらめっこしていると、隣に座った白河がそんなことを言ってくる。


「直前にノートを見直すのは不安の現れ。少しでもその不安を消そうとしてるんだろうけど、その行動が逆に緊張や不安を大きくしてるのよ」


「……そういうもんか?」


「できるだけのことはやってきたんだから、堂々と構えていればいいのよ」


 大した意味がないことはわかってる。

 台本は一応何度も読み返した。セリフも流れもおおかた理解はしたし覚えたつもりだ。

 それでもこうして台本を睨むのは、確かに白河の言うように不安な気持ちを少しでも消したいからなのかもしれない。


 消えていないのも事実だ。


「ふふ、余裕のないコータロー、可愛いね」


「……からかうな」


 その後、栄達の指示の下、俺達は撮影に取り掛かる。演技に関してどうこう言われることはなかったけど、緊張からか何度も噛んでしまった。


 度重なるリテイクの末、本日分の撮影は問題なく終わる。


 時間にして三〇分程度のショートストーリーなので撮影もそこまで時間がかかるわけではない。


 改めて彼女の演技を見てみると思うが、文句なしの振る舞いだった。常日頃から猫を被っている白河的には余裕なのだろう。


 なので俺がへまさえしなければ撮影はスムーズに進み、終わるだろう。もちろん、そんなに上手くはいかないが。


 現に今日のリテイクはほぼ俺が原因だ。白河にミスはなく、あとは撮影側の……主に李依のミスが目立った。


 明日は撮影に加えて、海の家の方もある。俺はその光景を想像して憂鬱な気持ちになった。


 旅館に戻った時には日が沈み始めており、辺りは暗くなっていた。

 海で遊んでいた人達もさすがに帰ったようで、昼間の騒がしさとは真逆の静かさがそこにはあった。


 夕食まであと少し時間があるらしく、部屋に戻って寝るには中途半端だったので俺は塀に座って海をぼーっと眺めていた。


 地元じゃこんな景色見ることはないので新鮮である。そんなことを考えていると、肩をとんとんと叩かれた。


 ふにっ。


 誰だろうと振り返ると、指が俺の頬に当たる。こんな原始的なトラップを仕掛けてくるのは結しかいない。

 そう思いながら、改めて振り返る。


「なに黄昏れてんのよ」


「……白河かよ」


 思いもよらない人物に俺は思わず心の声を漏らしてしまう。案の定、そのセリフが気になった白河はムッと表情を歪めた。


「私じゃ不服なのかしら?」


「あ、いや、そういうわけじゃ」


「じゃあどういう意味よ?」


 いつにも増してお怒りなのはどうしてだろうか。そんな気がするだけかな? そうだよね、きっとそう。


「そんなくだらないことしてくるのはどうせ結だろうと思ってたから驚いたんだ」


「すいませんねえ、くだらないことしてしまって」


「あ、いや、そうじゃなくて」


 もう同じリアクションしかできてない。

 今度は拗ねたように言う。どうやら本気で怒っていたわけじゃないらしい。


 俺がおろおろとしていると白河がぷぷっとこみ上げてくる笑いを漏らした。


「冗談よ。そんな本気で困らないでよ」


「……お前の冗談はたまに冗談と思えないんだよ」


 演技なのか知らんけど迫真なんだよなあ。そりゃあれだけの演技できちゃうよ。


「これからは気をつけるわ」


 気をつけるつもりなど微塵もない様子で白河は言う。

 きっと誰の意見にも流されないのだと思う。そこに白河の強さがある。


 譲れないもの、守りたいものがあるからこそ、外面を作っても大事な部分はブレない。


 それもある意味では、頑固者とも言うのかもしれないが。


「それで、何してるの? もうすぐ晩ご飯の時間よ?」


「ああ、もう戻るよ。ちょっとぼーっとしてただけだから」


「ほんとに黄昏れてたのね」


 別に黄昏れてたわけじゃないけど。

 沈む夕陽と重なる海を眺めていると、そう見えるのか。

 黄昏れてるとか言われると途端に恥ずかしくなる。これからはしないようにしよう。


「お前こそどうしたんだよ?」


「……何となく、部屋に居づらくなって」


 苦いものでも食べたような顔をしながら白河は言う。


「何かあったの?」


 うちの女子達に限って、女特有のギスギスドロドロな展開があるとは思えないけど。

 俺の知らないところではそういうのも起こってるのかな。


「……李依の恋愛トークに火がついてね」


「なにそれ」


 栄達についてを李依が語ったとか、そういう話か? 面倒だけど別に居づらくなるほどではないように思えるけど。


「小樽の話から発展して、恋人が欲しいかどうかみたいな話になったのよ」


「ああ、そうなんだ」


「あんたは結に愛されてていいわね」


「……結ってば、いったい何を話したのかしら」


 さすがに話していいこと悪いことは判断してくれてると思うけど。ていうか、そもそも人前で愛を語らないでほしい。


「それで、私に飛び火が来る前に逃げてきたというわけ」


「そーいうこと」


 俺が納得の言葉を吐くと、白河が俺の隣に座る。そのことに少し驚いていると、白河は不服そうにこちらを睨んでくる。


「なによ?」


「いや、戻らねえのかなって」


「あとちょっと時間あるでしょ。部屋に戻ってもだし、もう少し付き合いなさいよ」


「はあ」


 それは別にいいんだけど。


「コータローは、結にあそこまで思われてて、なんで付き合わないの?」


「そこ掘り下げるの? 恋バナから逃げてきたのに恋バナするってどうなのよ」


「私に関してじゃなければいいの。それより、答えなさいよ」


「つってもなあ」


「結のこと好きじゃないの?」


「いや、そりゃ好きは好きだよ。それが恋愛感情かどうかは置いておくとしても、好意的なのは確かだ」


「じゃあ何よ、他に好きな人でもいるってこと?」


「好きな人というか……んー、まあいろいろあったんだけど、そいつとの気持ちにケジメつけないと恋人とかは作れないと思ってるだけ」


「過去の女ね」


「そうじゃねえよ。まあ、言葉だけなら間違いでもないけどさ。今はまだ、彼女とかそういうことは考えてないんだ」


 じゃあ、いつならいいんだ?

 ふとそんなことを考える。でもその疑問に答えは出ない。俺自身、どうしていいのか分かっていないから。


 多分この先、俺が宮乃湊と会うことはない。連絡先も知らなければ今どこにいるかも分からないから。


 だから彼女には会えない。

 まあ会ったところで今更何を話せばいいんだって話だけど。


 いつか向き合わなければならない問題なんだ。


 俺はそのきっかけを見失ってしまっている。

 だから、その事実に甘えて、今は考えないでいるのだ。それが結にとって残酷なことだと理解していながら。


 彼女の優しさに甘えている。


「何よそれ」


 白河はそれ以上聞いてくることはなかった。気を遣ってくれたのか、それともシンプルに興味を失ったのか、どっちでもいいんだけれど。


「それより、そろそろ戻ろうぜ。もしかしたらもう準備できてるかも」


「……そうね」


 一瞬、表情を曇らせていた白河だったが立ち上がった時にはいつもの澄ました顔に戻っていた。


 何を考えていたのだろう。

 何を思っていたのだろう。


 それを聞こうとして、止めた。

 いつからか、人の本質に触れることを恐れるようになったから。


「晩飯なんだろな」


「海が近いから海鮮とかじゃない?」


 白河は言いたいことを言えず、俺は聞きたいことを聞けないまま、他愛のない話をしながら旅館に戻る。


 またゆっくり話す機会があったら、もうちょっとしっかり話せるといいな。

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