第31話 【体育祭編①】体育祭開幕


 夏の訪れを感じる暑さを体に浴びながら、その日はやって来た。

 そう。

 体育祭である。


 卵が先か、鶏が先か。

 そんな言葉があるが、それは今あるものの始まりはどちらなのか、ということだ。


 我が大幕高校の生徒で例えるならば、お祭り好きだから大幕生となったのか、あるいは大幕生だからお祭り好きとなったのか。

 これはいずれにしてもお祭り好きであることに変わりはないのだから、この始まりがどちらかなんて大したことではないと思う。


 そんなお祭り好きが集まるのだから、イベントごとはこれでもかというくらいに盛り上がる。

 うちの学校って陰キャいねえのかなっていうくらい全校生徒が盛り上がる。

 あの運動嫌いの栄達でさえ、場の雰囲気に感化されて盛り上がるのだから、イベントの空気感というのは恐ろしい。


 そんなことを考える俺も、別にイベントごとは嫌いじゃない。

 授業がないという利点を抜きにしても、この浮ついた雰囲気はいいものだと思う。


「……はぁ、はぁ」


 だが。

 今回に限っては、この体育祭を楽しいとは心の底から思えてはいない。

 なぜなら、体育祭実行委員だから。

 実行委員という名の雑用係だから。


「おい八神、次はあっちの頼むぞ」


「あ゛あ゛い」


 こっちの体力考えてものを頼めよあの教師。見て分かんだろ、俺は文化系男子なんだよ。

 体力に自信ありなその辺の脳筋とは違うんだ。頼むならその辺の脳筋に言えばいいのに。


「その辺の脳筋はどこに行きやがったッ!?」


「わわっ」


 俺の悲痛なる叫びがついに爆発して声となったその時、後ろでそれに驚いて一歩下がる女子がいた。


 倉瀬佳乃だ。

 いつものサイドテールがバッチリ決まったスタイルで登場した倉瀬だが、半袖の体操服はさらに折り曲げられノースリーブ状態になっていた。

 たまにああしてる人いるけど、そんなに意味ないだろ、と思っているのであれをしている人は筋肉見せびらかしたい男か肌見せたい女子か、いずれにしても露出したいだけの露出狂だ。


「どうしたの、そんなわけのわかんないことを叫んで。私じゃなかったら引かれてたよ?」


「いや、お前もしっかり引いてんじゃねえか」


「あはは、ばれちゃった? それで、どうしたの?」


「体育祭実行委員の脳筋共はどこへ行ったのかと思っていただけだ」


「よくもまあそんな誰もを敵に回すような発言を躊躇いなくできるね」


「誰にも聞かれてないからな」


「私が聞いてるんですけど」


「つまり、この事を他の誰かが知ってたらお前がチクったってことになるわけだよ」


「もしかして私試されてる!?」


 ガーン! と倉瀬は頭を抱えて笑っていた。

 体育祭実行委員で一緒になるまで全くといっていいほどに関わらなかった倉瀬とここまで話せるようになったのは、やはり彼女の持つ『普通オーラ』あってのことだろう。


 なんて。

 確かに高嶺の花などと感じさせない普通さは彼女の取り柄というか、持ち味の一つだろうが、それ以上にこの取っ付きやすさが自然と彼女の周りに人を集めるのだろう。


「それで、他の実行委員の人達がどこへ行ったかという話だけど」


「知ってんの? もしかして俺以外でサボってるとかじゃないだろうな。そんな新手のイジメ許さねえぞ」


「違うよ。そんなひどいことする人達じゃない」


 ぶんぶん、と手を振って倉瀬は否定する。そりゃ冗談だけど。だとしたら皆はどこへ行っているというのか。


「みんな競技に参加してるんだと思うよ。実行委員ってほら、八神のいうところの運動神経いい人達でしょ? そんな人達が積極的に参加しないわけないじゃん?」


「つまり……あまり競技に参加してない俺はいいように使われてるということか!?」


「言いようによれば、そう言えなくもないかもね」


 むふふ、といたずらっ子な笑みを浮かべる倉瀬。まさか、俺の知らないところで俺に仕事が集中していたとは。


「……まあうだうだ言っても終わらねえし、さっさと終わらせようぜ」


「ん?」


「いや、だから仕事終わらせようぜって……ん?」


 なんで倉瀬さんはそんなきょとん顔なの? この状況でそんな不思議そうな顔できるとかアホなの?


「私はたまたま通りがかっただけで手伝いにきたわけじゃないよ?」


「なんだと?」


「私次の競技に参加するから集合場所に行く途中だったんだ」


「そんなばかな」


「そういうわけだから、ごめんね八神。もし手が空いたら手伝ってあげるから今回は許してねー!」


 早口に言った倉瀬はそのまま俺が止める間もなく走り去って行った。走るの速いな……。

 て、そうじゃなくて。


「結局、俺一人でこれやるのか」


 うだうだ言っても仕方ない。終わらせなければ終わらない。

 俺はぶつぶつと愚痴りながら与えられた仕事を終わらせるのだった。


 そして全ての仕事を終わらせ、ようやく一時の安息を得た俺は実行委員専用のテントへと戻ってきた。

 他の生徒は炎天下の下にいる中、こうしてテントの下に避難できる点だけは、実行委員でよかったと思える。


「随分お疲れね、コータロー」


「ああ、大変だったよ。次から次へと仕事が流れてきて」


「こんなことなら自分も競技に参加しとくんだった?」


「いや、ほんとそれ。よく俺の思ってること分かったな?」


 隣に座った白河に感心しながら視線を向ける。

 すると、白河は白河でげっそりとした顔をしていた。それを見て、俺は全てを察した。


「私も同じことを思ったからよ」


 ご愁傷様です。

 あんまり体が強くなさそうなお嬢様タイプの白河でさえ、無条件に仕事を振られるのか。

 鬼だな、教師陣は。


「お疲れさん」


「ええ」


 座った白河はぐびぐびとスポーツドリンクを飲む。それを見ていると俺も喉が渇いてきた。

 そもそもこの炎天下で働いていたのだから喉が渇くのは普通か。多分渇きすぎて感覚が死んでいたんだ。


「……」


 しかし生憎、俺のドリンクはクラスの席にある。こっちに持ってきておけばよかったと今更気づく。

 俺が羨ましそうに白河を見ていたところ、その視線に気づいた白河はやりづらそうな表情を作る。


「はあ」


 全てを察したのか、白河は飲み終えたスポーツドリンクをそのまま俺の方へ差し出した。

 俺の方は見ずに、まっすぐ前を見たまま横顔だけで俺に施しを与えようという意図を汲み取る。


「え、なにお前天使か何か?」


「ふざけるならあげないわよ」


「あ、すいません貰いますありがとうございます」


 いつもなら間接キスがどうとか気にしちゃうところだけど、今はそれよりも喉を潤す方が先決だった。

 人のものだということを忘れ、俺はぐびぐびと勢いよく飲んでしまう。

 ああ、これは止まらない。白河には後で新しいものを返そう。


「生き返るぜッ!」


「CMか」


「元気一〇〇倍!」


「……まあいいけど」


 やれやれ、と白河は小さく溜め息をつく。

 そんな白河を改めて見ると、いつもなら拝めないポニーテールだった。運動するから動きやすい髪型にしたのだろう。

 それにクラスも違うから白河の体操着姿を拝むのはこれが初めてだ。

 白の上に、紺色のショートパンツ。男子に比べて丈が短いのが不思議だ。


 男子は膝丈、女子は太もも辺りの丈で別れている。まあ男子が太もも丈なのは気持ち悪いからよかったけど、じゃあ女子も膝丈にすればよかったのに。

 いや、目の保養になるからいいんだけどね?


「なによ?」


「いや、普段見ない格好だから珍しくて」


「視線がいやらしいのよ」


「別にそんなことはない。これくらいの視線は男子なら普通にするぞ」


「常時いやらしいのね。全く、気持ち悪いことだこと」


「これくらいでそんなこと言ってたら、本気で見られたときどん引きすることになるぞ」


「……そんな目で見てくる輩がいたら目潰しするから心配ないわ」


「怖いな」


 そんな白河が、むっとした表情で俺の方を睨んでくる。俺は別に悪いことしてないし失礼なことも言ってない気がするが。

 なぜそんな顔?


「何か言うことはないのかしら?」


「へ?」


「普段見ることのない、この白河明日香様の体操着姿を拝んでおいて、何も言うことがないのかと言ってるのよ。普通の男子生徒なら原稿用紙一枚分の感想をつらつらと並べるわよ」


「それはキモいだろ」


 しかし。

 そうか。

 言うべきことを言ってなかったから怒ってたのか。いらないことを言えば怒られるが、いること言わんでも怒られるのか。

 一歩間違えれば、褒め言葉って気持ち悪くなるから苦手なんだけど。

 求められているなら仕方ない、どうにか言ってみるとしよう。


 俺は足先のスニーカーから、ショートパンツから伸びる太ももから足、くるぶし、そして白の体操着が包む白い肌、じとりとこちらを睨む半眼、じっとりと汗で濡れる首元、はりつく髪、そして揺れるポニーテール。

 改めて全てを見て、俺は口を開く。


「いいポニーテールだな」


「ふんっ」


 何故かデコピンされた。

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