第23話 【幸せ結び編⑦】そこにある温もり
「……一緒に寝てもいい、かな?」
確かに、結はそう言った。
別の解釈など不可能と言えるほどに直球そのままな言葉。そこにどんな意味が含まれておくかはさておくとしても、つまりその後行われることは一つだ。
一緒に寝る?
寝たことがないわけではない。子供の頃なんて何度もそういうことはあった。
母さんが仕事で遅くなり結の家に泊まることもあった。別に布団は用意されていたが、結が否応なしに潜り込んでくるのだ。
でもそれは、あくまで子供の頃の話。
大人と呼ぶにはまだ中途半端だが、しかし子供と言うには俺達は大きくなりすぎている。
そして、これくらいの年齢になってくると一緒に寝るという行為そのものに別の意味が含まれてくるのだが。
「こーくん?」
名前を呼ばれる。
ぐるぐると考え事をしてしまっていたせいで、体の動きが止まっていたようだ。
俺は数歩前に出てふすまに手をかける。そして、ゆっくりと開くと目の前に結が立っていた。
今にも泣き出しそうな、悲しそうな困ったような、複雑な表情を浮かべている。
「どうした?」
「あのね、一緒に寝ちゃダメかな?」
「ダメでしょ」
俺は即答した。
普通に考えて、それは良くない。
結は俺のことが好きらしい。子供の頃はもちろんだが、今でもそうだと直接言われた。
そんな結と同じ布団で寝てしまうと、俺は自分の理性に打ち勝てるかどうか分からない。
誰もが結を見て可愛いと言う。それは事実だ。容姿に関して言えば非の打ち所がないと言っていい。
俺が襲いかかっても、結は受け入れるのかもしれない。でも、それはやっぱりいけないことだ。
俺は彼女の気持ちにまだ向き合っていない。だというのに、都合よくそういう行為だけをするわけにはいかない。
そう分かっていても、彼女の魅力は俺の理性を狂わせるだろう。
「ダメ?」
「ダメだ」
俺が断ると、むーっとふくれっ面を見せてきた。それでもダメなものはダメだ。
この家に泊めることになって、どうなることかと思ったがここまで上手くやってきたのだ。
最後の最後でバカやって、今までの全てをぶち壊すようなことはしたくない。
「そもそも、何で急に一緒に寝ようとか言い出したんだ?」
俺が聞くと、結は唇を尖らせてぼそぼそと何かを話す。上手く聞き取れなかったのでもう一度聞いてみる。
「……怖くて」
「怖い?」
いつも寝るときは一人だろうに。何なら昨日だって一人で寝ていただろ、と心の中で思っているとその心中を読まれたのか、結は申し訳無さそうに視線を逸らす。
「さっきの映画で……」
「ああ」
そういうことか。
確かにそれなりに怖かったし、一人になって部屋が暗くなれば思い出してしまうかもしれない。
俺は慣れているからそういうことにはならないが、結はホラー慣れしてないしな。
仕方ないと言えば仕方ない。
「……」
映画鑑賞に付き合ってもらったのは俺だしな。悪くはないが、責任がないとは言い切れない。
それもあるが、この状態の結を突き放すことはできそうにない。
「仕方ないな」
俺が諦めたように溜め息混じりに言うと、途端に結の表情がぱあっと明るくなった。
そしてズンズンと部屋の中に入っていった結は俺の枕の横に自分の枕を置く。
「いやちょっと待て! 一緒に寝てやるとは言ったけど、同じ布団で寝るとは言ってねえぞ!?」
「ええっ!?」
なぜそこまで驚けるんだ。
「布団を敷いてそこで寝るんだ。同じ部屋で寝ることは許可してやる」
「けち。こーくんいじわるだ」
ぶうーっとブーイングをしながら結は布団を取りに行く。一人だと大変だろうから、それは俺も手伝った。
俺は掛け布団を持ち、結には下の布団を任せる。よっこいせと気合いを入れて持ち上げて部屋を移動すると、結は俺の布団にぴったりとくっつくように布団を敷いていた。
「いや、近いよ!」
「ええーっ!?」
だからどうしてその顔ができるんだ。
「もうちょっと距離を空けろ」
「なんで?」
「いや、近いのはいろいろとよくないだろ」
「こーくん、わたしのこと嫌い?」
うるうるとすがるような顔で俺に訴えかけてくる。必殺泣き落としというやつだ。
「嫌いじゃないからこうしてるんだよ」
「……わたしは、できれば近い方がいいんだけど」
俯き、ぼそぼそと言葉を吐き捨てる。
ちらちらと俺の方を見てくるが、俺の考えが変わらないことを察したのか、残念そうに布団を引きずる。
その姿が見ていられなかった。
「……分かったよ。隣で寝ればいいだろ」
あんな顔されてはこちらが折れるしかないじゃないか。俺は結のあんな顔を見たくはない。
「ありがと」
しおらしく、結は短くそう言って布団を元に戻す。このタイミングでそんなテンションでこられたらドキドキしてしまうのでやめてほしい。
ということで。
俺と結は布団二つ並べて仲良く寝ることとなった。
別に同じ布団で寝るわけでもないので、隣にいてもそこまで意識することはなく問題なく寝れそうだった。
「ねえこーくん」
「……なんだ?」
修学旅行の夜か、とツッコみたくなるような雰囲気だった。俺の返事を聞いた結は少しだけ間を置いた。
この空気の中でこれ以上何を言ってくるというのだろう。まさかとは思うが、このまま俺の許可など無視して布団に侵入してきたり……ないな。
「手、繋いでもいいかな?」
「……なんで?」
「……だめ?」
理由を聞いたのにそれを答えないとは、この女やりおるな。おおかた理由と言える理由が思いつかなかったのだろう。
そもそも。
そんなことを言ってくる理由はだいたい想像がつく。それをわざわざ聞いてしまう俺の方が悪いのかもしれない。
「……今日だけだぞ」
「……うん」
ただし、と俺は言葉を繋げる。それに結は一瞬だけ緊張したような空気を発した。
「お前は二度と夜にホラー映画を観るんじゃねえぞ。何なら昼間でも観ることを禁ずる」
「どうして?」
「……こうなるからだ」
怖くて眠れないなんて、小学生かと言いたくなる。俺も結も、もう高校生だ。決して距離感を間違えてはいけない。
俺は、彼女の気持ちに応えてあげれる保証はないのだ。今はまだ、期待させてはいけない。
「その時はまた、こーくんが一緒に寝てくれれば」
「それがダメだと言ってるんだよ」
いくら幼馴染とはいえ、この状況は間違えている。まあ、家に泊まることを提案したのは俺だけれど。
距離感を間違えなければ、何も起こることなく終わるのだ。
「……わかった。約束する」
「本当だろうな?」
「わたし、こーくんとの約束破ったことないよ?」
言われて思い返してみるが記憶にない。約束を破られた記憶はないが、そもそも何の約束をしただろうかというレベル。
日頃の些細な約束なんていちいち覚えてないからな。
「ま、それならいいよ」
「……うん」
すると。
左手につんと何かが当たる感じがした。一瞬で離れていったそれは、再び存在を確認するように当たってくる。
そして、結の手がするりと俺の指と指の間へと絡まるように入り込んでくる。
こっちの握り方をされると思っていなかった俺は、驚いて結の方を見る。
「……あったかいね」
えへへ、と照れ隠しのように笑う結がこちらを向いていた。照れるなら最初からしなきゃいいのに。
安心したように表情を柔らかくした結は、俺の方をじっと見てくる。
「なんだよ?」
「んーん。わがまま聞いてくれてありがとうと思って」
「思ってるなら言えよ……」
俺が軽いツッコミを入れると、結はあははと誤魔化すように笑う。その後に真面目な顔をこちらに向けてくるので、俺の方もついつい構えてしまう。
「嫌だとか面倒くさいとか言ってるけど、でも絶対に最後には優しくしてくれるこーくんが、わたしはやっぱり好き」
こちらを捉える瞳が揺れていた。
恥ずかしくて顔を背けてやりたいが、まるで彼女の瞳に引き寄せられているように、俺は視線を逸らせなかった。
「なんだよ、急に」
多分、今の俺の顔は中々に赤いだろう。自分でも分かるくらいに顔が暑いのだ。
「んー? いや、思ってることは言えってこーくんが言うから、言ってみた」
「……そういうことは言わんでいい」
「あはは。恥ずかしいもんね」
そう言って笑う結の顔も赤い。
その朱色の頬が、彼女の心中を表している。結の気持ちが本気であることを、俺に伝えてくる。
「でも、ちゃんと言う。言わなきゃ伝わらないもん。わたしがどれだけこーくんを好きか、分かってもらえないだろうから」
「結……」
俺の手を握る結の手に力が込められる。
「子供の頃の言葉とか関係ない。約束なんてなくても、わたしはちゃんとこーくんのことを好きになったよ。こうして再会して、いろんなところを見て、知って、それでもちゃんと好きになる。これから先も、明日のわたしは今日のわたしより、もっともっとこーくんを好きになるよ」
雰囲気に呑まれそうになった。
思わず心が揺らぎそうになった。
全く、俺はどれだけ意志の弱いばか野郎なのかと、我ながら呆れてしまう。
俺は結の手を握り返した。
だが、あと一歩のところで何とか踏み止まる。
「……寝るぞ」
短く言って、俺は顔を逆方向に向けた。これ以上向き合っていると、どうなるか分からない。
「……はぁい」
結は残念そうに答えた。その時の彼女がどんな顔をしていたのかは見ていないので分からない。
結は、どんな顔をしているのだろう。
自分のしていることがいかに残酷なことなのか、それを分かっていても尚、今の俺はこうするしかなかった。
「ねえ、こーくん。さっきは約束なんてなくてもって言ったけど、あの約束が嬉しかったのは本当だよ。だからわたしは、こーくんのことを思い続けれたし、今もこうして思っていられる。わたし、こーくんとの約束は絶対に破らないから。待ってるね、いつかちゃんと答えをくれるのを」
俺は結の言葉に返事をしなかった。
なんて返せばいいのか、悩んでいると時間が経ってしまったのだ。少しの間は結も俺の言葉を待っていたのかもしれない。
「……寝ちゃったかな」
その一言の後、静かな寝息が隣から聞こえてきた。
気づけば俺も、眠りについていた。
その翌日。
目覚ましをかけていたわけはなく、かといって何か物音がしたわけでもなく、ただ何となくだが目が覚めた。
昨日までは温かい感触のあった右手には何も感じなくなっていた。
横を見ると、既に結の姿はなかった。
こういうときは、横向くと可愛い女の子の寝顔があったみたいなパターンが待ってるもんじゃないの?
時間を確認すると、昼前だった。昨日寝る時間が遅かったので、そう考えると早起きと言えなくもない。いや、言えないな。そんなの関係ないもんな。
二度寝するような気分でもないので起き上がる。とりあえず目を覚ますがてらトイレにでも行こうとふすまを開ける。
と。
「……ぁ」
声が漏れた。
俺のではなく、結のものだが。
「あ、えっと、これは」
人間ってテンパると本当に声が出ないんだな。頭が変に回っているせいで正しい言葉が吐けない。
リビングにいた結は今まさに着替えようとしている、というか着替えている真っ最中だった。
つまり彼女は服を着ておらず、水色のリボンのついたパンツと、フリルのついた可愛らしいブラが丸見えだった。
驚きのあまり目を見開いていた結だったが、段々と状況を理解してきたのか頬を朱色に染める。
じとり、と恨めしそうにこちらを睨みつけながら、持っていた服で前を隠す。
そんな彼女にかけるべき言葉はなんだ?
考えろ。
その言葉次第でこの先の未来が大きく変わる。まさしくデッド・オア・アライブだ。
いくら幼馴染といえど、女の子の着替えを覗いてしまうという大罪を犯してしまった俺に本来平和的未来はないのかもしれない。
だが相手は結だ。
選択次第では、情状酌量の余地はあるかもしれない。
さあッ、選べ幸太郎!
「……結も、大人になったのね?」
思いっきりクッションを投げられた。
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