第66話 元最強騎士とセブンスカジキフェア
「……ブリギットさんは、変なことはしないよな?」
ティムはそう言うと、ブリギットではなく、そのすこし後ろへ視線を移した。
そこには自身の腹をさすりながら、肩を落としているガレイトがいる。
「えと、小麦粉で雪だるま作り……ですか?」
「いや、そういう初歩的なミスを言っているわけじゃ……ん? 初歩的とかいう問題なのか? あー……ともかく、だ。そういう事を言ってるわけじゃなく、包丁の握り方とか、鍋の使い方とか、そういうのは教えなくてもいいんだよな?」
「は、はい……でも、作れって言われたら、その……作れますけど、雪だるま」
「作らなくていいです」
ティムがきっぱりと断る。
「じゃ、じゃあ……さっそく、やってみますね」
「じゃあ、まずは塩を──」
ティムが指示をするよりも早く、ブリギットの手が動く。
ブリギットはカジキの切り身にパラパラと塩を軽くまぶすと、清潔な布巾で余分な水分を拭き取り、次に、アルミのトレイに薄く敷かれている小麦粉をカジキ肉の表と裏につけた。
ぽんぽんと肉を軽くたたき、表面の小麦粉を落としたら、今度はフライパンに植物油、そして厚く切ったバターを入れる。
フライパンの取っ手を握り、軽く、全体に馴染むように鍋をゆする。
ブリギットは、十分に油が混ざり、熱されているのを確認したら、ゆっくりとその中へカジキの肉を入れた。
ジュウジュウ。
パチパチ。
厨房内にバターの弾ける音と、魚が焼ける音が反響する。
一連の動作を見ていたティムは、感心するようにブリギットの顔を見た。
「なかなかいい手際じゃないか」
「あ、ありがとうございます……」
褒められて嬉しかったのか、恥ずかしそうに頬を赤らめて返事をするブリギット。
しかしその視線は、意識は、手元のカジキ肉のみに注がれている。
「普段からムニエルは作っているのか?」
「いえ、お肉に触れるようになったのは最近で……」
「最近!? どういうことだ?」
「は、はい。前までは……その、色々あって、お肉に触るのが、苦手だったんです」
「そ、そうだったのか……それなのに……」
腕組みをし、急に押し黙るティム。
「あ、でも、何もしていなかったわけじゃなくて、レイチェルさんの……従業員さんにはきちんと、わかりやすいように勉強はしてました……」
ブリギットはそこで会話を中断させると、フライ返しを使い──
じゅわわわぁぁ……!
鍋をすこし振動させながら、慣れた手つきで肉を裏返した。
パチパチパチ……!
ほんの少し弱くなっていた油の勢いが、ここに来てまた強くなる。
そして、今までフライパンに面していた箇所には、綺麗な薄茶色の焦げ目がついていた。
「いや、タイミングも完璧だな……どこで判断しているんだ?」
「耳、です……」
「耳……?」
「はい。あ、目でもちゃんと見てるんですけど、お魚に限らず、お肉って中まで火が通ると、まわりで跳ねている油の音が変わる気がするんです」
「油の音……か」
「はい。パチパチ……から、じゅわじゅわ……みたいな……高い音から、一段下がった音……ちょっと、変かもしれませんけど」
「いいや、確かに聞いたことがある」
「え?」
「一度……どこだったか、ど忘れしたが、揚げ物をやってる人と話したことがあるんだ。もちろん、その人もプロなんだが、やはり、その人も耳で、音で判断していると言っていた」
ティムは顎に手を当てると、独り言のように小さく呟く。
「ただ、その人が言うには一朝一夕では身に付かないとも言っていた……そして、ブリギットさんが肉を触れるようになったのは最近。なのに、その音を判断出来ているという事は……やはり──」
「ティムさん?」
「え? ああ、すまん。ボーっとしてた。……で、なんだ?」
「お皿、取ってもらえますか?」
「おっと、そうだな、悪い」
ティムはそう言うと、清潔な皿を
ブリギットの近くへ置いた。
ブリギットはそれを確認すると、丁寧に、身が崩れないように、皿の上に盛り付け、素早く塩胡椒で味付けをした。
「あとは──」
ブリギットはもう一度バターを、今度は、先ほどより薄く切ると、それをフライパンの上に滑らせた。
「お、今度は……ソースを作る気か?」
「は、はい。出来れば、お魚が冷めないうちに……」
「まあ、このままで十分に美味そうではあるが……ムニエルには必要だわな」
「はい。それで、あの、爽やかな香りの香草か、レモンみたいな果物は……?」
「すまん。ない。味の濃いソースやケチャップなら腐るほどあるんだが……」
「あ、だったら……でも……うーん、ケチャップ……どうしよう……味が変わるけど、ないよりは──」
「なにやら、いい匂いがするでござるな……」
ふらふらと、まるで明かりに集まってくる虫のように、サキガケが厨房に入ってくる。
「なんか来た……誰だ? 知り合いか?」
サキガケはティムの事は見えていない様子で、そのまま、ブリギットの近くまで行き、手元を覗き込んだ。
「おお、これはこれは……ぶりぎっと殿。なにか、良い魚でも釣れたでござるか?」
「さ、サキガケさん、丁度いいところに……!」
パン、と満面の笑みで手を合わせるブリギット。
「ニン?」
「サキガケさん、こっちに来るとき、ミソとショウユを大量に持ってきてたって言ってたよね?」
「うむ。持ってきているでござるよ」
「それって、いまありますか……?」
「無論、持ってきているでござる」
「ま、マジか……!? ショウユを……!?」
話を聞いていたティムが、目を大きく見開いて狼狽える。
「ま、まあ、あれがあれば、雑草でも食べられるでござるからな」
「いや、それはさすがにねえけど……、そうか、あんた見ない顔のやつだと思ったが、千都の人間か……」
「いかにも」
「あのね、サキガケさん、そのショウユなんだけど、借りることって出来ないかな?」
「ニン? 全然構わないでござるが……むしろ、大量に持ってきているゆえ、消費してくれたほうが助かるというか……」
サキガケはそう言うと、調理台に置かれている皿の上の肉を注視した。
「ははあ。魚に醤油。鉄板でござるな。ちなみに、どういった調理法を……?」
「それは、出来てからのお楽しみ……かな」
「うむ。了解したでござる。肉が冷めないうちに、急ぎ取りに行くゆえ、しばし待たれよ」
◇
じゅわじゅわ~……!
すっかりと溶けて液状になったバターに、ちゅーっと、適量の醤油が注がれる。
その瞬間、煙とともに香りも拡散され、ドタバタと厨房内に
皆、一様に目を輝かせながら、何が出来るか今か今かと待ちわびていた。
「ふむ。さすがはバター醤油。これだけでも人を魅了するには十分でござろうな」
その人たちを見て、なぜか感慨に耽るサキガケ。
ブリギットは十分にソースが温まったのを確認すると、未だあつあつのカジキ肉へとかけていった。
パチ……パチパチパチパチ……!
じゅうぅぅぅ……!
ソースは
「……セブンスカジキのムニエル、バターショウユ風味完成……かな……?」
「おいおい、ブリギットさん、そこは言い切らねえと」
隣にいたティムがこっそりとブリギットに耳打ちをする。
「か、完成……しました!」
ブリギットがそう言い直すや否や、今まで固唾をのんで見守っていたギャラリーから、歓声が上がった。
「うおおおおおおおおお!」
「うまそおおおおおおお!」
「なあ、おい、嬢ちゃん! 俺のぶんも作ってくれるんだよな!?」
「いくらだ!? 言い値で買おう!」
「お、オレはこいつの倍払う! だから、先に食べさせてくれ!!」
多くのギャラリーに圧倒されながらも、ブリギットは勇気を振り絞り、口を開く。
「ご、ごめんなさい。……皆さんの分は作るので、まずは──」
ブリギットはそう言うと、完成した料理をティムに所まで持って行った。
「ど、どう……でしょうか?」
「お、俺……?」
ティムは不意を突かれたような顔をする。
「は、はい……よろしくお願いいたします……!」
ティムはブリギットの顔を見ると、「フッと」少し笑い、手近にあったフォークでムニエルを食べた。
もぐもぐもぐ……。
ティムが口を動かすたび、顎を上下させるたびに、ギャラリーも物欲しそうな視線を注ぐ。
そして──
「ああ、うまい……」
その言葉は、
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。いますぐ、次の一口を頬張りたいくらいだ」
「あ、ありがとうございます……!」
ブリギットは嬉しそうな顔で、何度もティムにお辞儀をすると、ティムもまた、それに返すようにブリギットに頭を下げた。
「礼を言うのはこちらのほうだ」
「え、ティムさん……?」
「ありがとう。こんなにうまい料理を食えたのは、久しぶりだ。最高の食材に、それを最大限に活かす腕を持った、最高の料理人……どうやら、俺の心配は杞憂だったようだな」
「ということは……?」
すっかり顔色がよくなっているガレイトが訊き返す。
「……ダグザさんが言っていた通り、いや、それ以上だ。ブリギットさんは、俺が思っていたよりも、ずっと素晴らしい料理人だったんだな。俺から教えることなんてないよ」
ティムは優しいまなざしで、口調で、丁寧に言った。
「あ、ありがとうございます!」
そう言って、何度も頭を下げるブリギットに、ティムが口を開く。
「よし、ここにいるやつらももう限界だろうから──やるか、ブリギットさん」
「へ? やるって何を……?」
「そりゃ、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの名物だろ。良い食材が手に入ったら、皆と分かち合う。おそらくだが、今でもまだこの習慣はあるんだろ?」
「あ、それって……もしかして……」
「セブンスカジキフェアの開催だ!」
──わあああああああああああ!!
船全体が揺れるほどの歓声が響く。
「わ……!? で、でも……大丈夫かな……私一人で……」
「ブリギットさんなら問題ないさ。……俺も微力ながら手伝わせてもらうしな」
「は、はい……! よろしくお願いいたします……!」
その日──
セブンスカジキフェアは、夜通し続いた。
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