第22話 エルム様の『思し召し』①
「ぅぁ~~~~…目…すごい腫れてる…これ、魔法で治るのかな…」
自室に戻ったイリッツァは、鏡の前で鼻をすすって情けない声を出していた。
ひとしきり泣き終わった後、はたと、いつダニエルが戻ってくるかわからないのだということに思い至り、慌てて自室に引き上げた。そこで、鏡を見て、自分の顔に驚愕したのだった。
何せ、こんな風に泣いたことなんて一度もなかったのだ。知識として、泣けば目が赤く腫れあがるということは知っていても、自分の身にそれが起きるとは驚いた。まして、それが魔法で治るかどうかなど、やってみたことがないのでわからない。
「でも、こんな顔のまま誰にも会えないし…」
とりあえず、ダメ元で光をまとう手を両目に押し付けてじっと集中してみる。
そっ…と手を外すと、目の前の鏡には、薄青の瞳に光の聖印を浮かび上がらせた、いつも通りの自分の顔が映っていた。
「お、よかった。治るんだな、これ」
ほっと一息をつくと、ふっと魔力の残滓が消え去る気配とともに、瞳の聖印も消え去る。ぱちぱち、と瞬きをして、ゆっくりと深呼吸をしてから、イリッツァはボスっと自分のベッドに倒れ込んだ。
「とりあえず…状況整理だ」
呻くようにつぶやき、現状を冷静に一つ一つ考えてみる。
理由まではわからないが、なぜか、カルヴァン率いる騎士団がナイードにやってきた。戦うための装備をばっちりと馬に積んでいたから、きっと討伐遠征だ。ただ、ナイード領内で魔物が出るわけがないから、領外のどこか近隣で報告が上がったのかもしれない。
「ホントに騎士団長になってやんの…」
一団の中で、カルヴァンは一人、騎士団長にだけ許されるマントを羽織っていた。記憶の中の父と全く同じ装いのそれを見て、なんとなく懐かしさを覚える。
とはいえ、領内に魔物がいない以上、おそらく滞在期間は短いだろう。長くて一晩――早ければ、泊まることなく通り過ぎていくはずだ。
(それでも――ひと目、会えた)
ふ、とこらえきれず、口の端が綻ぶ。ごろ、と寝返りを打って、イリッツァは静かに喜びをかみしめた。明日首を討たれようと、悔いはない。
ただ、ふと――先ほど鏡に映った自分を思い出した。ゆっくりと身を起こし、改めて鏡の前に立つ。
青みがかった白銀の長い髪。小柄だった前世よりもさらに小さく華奢になった体。女性らしいふくらみを主張する胸。勿忘草と同じ、薄青色の瞳だけは前世から変わらない色だが、前世よりも睫が長くて、女らしい顔つきになっている気がする。――前世もまた、女顔だと散々揶揄されたわけだが、そんな苦い記憶はいったん頭の片隅に追いやった。
「会って、話――は、無理だよな、やっぱり…」
少しだけ寂寥感をにじませて、つぶやく。鏡の中の自分の瞳は、声音とともに切なく眇められていた。
あまりにも、当時と外見が変わってしまっている。――外見どころか、性別が変わっているのだ。
第一、自分はあの世をにぎわす『稀代の聖人』の生まれ変わりである――などと言って、信じてもらえるわけがない。生まれ変わりという事象自体もだが、そもそも聖人の生まれ変わりなんぞを名乗るのは、とんでもない不敬であり、即刻投獄対象だ。
言葉を交わす奇跡が得られたとしても――それは、もう、『イリッツァ・オーム』としてしか無理なのだろう。
(まぁ…でも、十分か)
話したいことが、たくさんあった。会えなかった十五年、募りに募った話題。
どれにも触れることは出来ないかもしれないけれど――それでも、記憶の中にしかない彼の声を聴く奇跡を得られたら、それだけで満足だ。
(いや、もう、遠くから眺められた今日の一瞬だけで、本当に満足だ。ありがとう、神様)
すっと聖印を切って神に感謝を告げていると――コンコン、と控えめに扉がノックされる音が響いた。
「イリッツァ。戻っていますか?」
「司祭様!は、はい、戻っています!」
響いた声にあわてて返事をする。寝転んだために乱れた髪をさっと撫でつけて軽く身支度を整えてから、イリッツァは自室の軽い木製の扉を開けた。
「――――――――――――――――――え…」
現れた人影を見て、ひくっ…と頬が変な形で固まるのが分かった。
「貴女とお話がしたいそうですので、お連れ致しました。くれぐれも、失礼のないようにするのですよ」
「――失礼する」
長身を窮屈そうに屈めて扉をくぐり――十五年ぶりの、数奇な運命による再会が実現したのだった――
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