第21話 『視察』の目的

 目的地に着いたのは、当初の見立て通りの聖人祭の四日前。

 リアムは、遠くに見え始めたナイード領を見据えて、隣を歩む鬼に恐る恐る話しかけた。

「ところで、団長…そろそろ、視察の目的を話してもらえませんかね」

「…なんだ。何も聞いてこないから、わかっているものだと思っていた」

「いやいや…貴方のぶっとんだ思考回路に、凡人がついていけると思わないでください」

 リアムがげんなりと呻くと、カルヴァンは仕方がないな、という顔で口を開いた。

「まず、大前提として――ここ何年も、魔物の侵攻はもちろんのこと、領民からの目撃情報すらないというのは、何かからくりがあるはずだと睨んでいる」

「あぁ…そういえば前もおっしゃってましたね。領地のもう一回り先くらいの大きさまでを覆う、強力な結界が張られているんじゃないか…って」

 記憶をたどりながら確認すると、カルヴァンは小さくうなずいた。

「当然の帰結だろう。――侵攻されたという事実がないなら、それを防ぐ術があるはずだ」

「でも、オーム司祭には不可能という話をした記憶がありますが――」

「司祭が張るとは限らない。他に記録されているという二人の光魔法使いのうちのどちらかがそれを担っているかもしれないし――前例がある以上、「魔法は使えない」と世間を欺いている光魔法使いがいたところで、俺は驚かないぞ」

「ぅ…そ、それはそう…ですけど」

「その場合、少なくとも、王都への申告不備だ。優秀な光魔法使いの存在を隠匿しているなら、それなりの処罰対象になりうる」

 ささやかな罰金と、反省文程度の処罰だろうが。

「でも、それなら――すみません、団長の考えに異を唱えるつもりではないんですが――正直、これといった実害はないですよね」

「そうだな」

「少人数とはいえ討伐隊を組んで、情報開示範囲を制限したうえで遠回りしてまで視察する必要があるとは思えないんですけど――」

 控えめに意見するリアムに、カルヴァンは心の中で苦笑する。優秀な補佐官は、今日もしっかりと頭が冴えているらしい。

「言っただろう。――『侵攻されたという事実がないなら』、と」

「――――――――え――?」

 言葉の意味を図りかねてカルヴァンを振り返ると――そこには、鬼と呼ぶにふさわしい、厳しく鋭いまなざしをナイード領に注ぐ男がいた。

 ざわりっ…と胸が騒ぐ。

「正直、申告漏れの優秀な光魔法使いがいたところで、どうということはない。それが仮に聖女だろうが聖人だろうが、そんなことはどうでもいい」

 ごくり、と生唾を飲んで言葉の続きを待つ。

「俺たちが警戒すべきは――侵攻された事実があるのに、王都まで報告が上がらない事態が起きていた時、だ」

「――――――――」

 いつもはくるくると表情を変えるリアムも、さすがにぐっと表情を引き締める。

「さて、優秀な補佐官。――この場合、どんな事態が考えられる?」

「そ、それは――あまり、考えたくないお題ですね…」

 言いながら、じっとりと額ににじんだ嫌な汗をぬぐって、恐る恐る考えを口にする。

「まず、楽観的な事態予測から。――領主の一存で、報告を怠っている。ただの怠慢なのか、自領に騎士団の介入を嫌がってなのかはわかりませんが」

「…なるほど?」

「でも、これはほぼありえません。民なくして領主無し。自領の民に危険が及んでいてそれを怠慢だのちんけなプライドだので報告を怠るなど、よほどの愚君でもない限りありえないでしょう。――そもそも、そんなことをすれば、命の危機を感じた領民によって、反乱がおきるか、周辺領地への逃亡が相次ぐはずで、そうなれば報告が入ってこないのはおかしい」

「そうだな。そんな可能性は低い」

 あっさりと考えを肯定されて、リアムはぐっと愛馬の手綱を握った。

「単純にすぐに思いつく悲観的予測は――すでに、ナイードは魔物の侵攻によって壊滅している」

「……」

「そこに人が住んでいなければ、当然ですが報告など上げられようもありません。――ですが、これも可能性は低いでしょう」

「なぜだ?」

「いくら片田舎の小さく辺鄙な領地とはいえ、物流すら止まっているわけではありません。商人や旅人、郵便などは、数は多くないながらも今日まで絶えずナイードを訪れているはずですから…領地が人っ子一人いないほどに壊滅させられていた場合、さすがに報告が上がります」

「そうだな。さすがにその予想は荒唐無稽すぎるだろう」

「はい。…と、なると、残った選択肢は――」

 言ってから、ごくり、と生唾を飲み――そのまま、言葉も一緒に飲み込んでしまった。

「何だ。はっきり言え」

「い、いえ…その…我ながら、とてつもなく嫌な予想を思いついてしまいまして…できればこれは思いつかなかったことにしたいなって、現実逃避したかったのですが――」

「お前が聞いたんだろう。俺の考えを知りたい、と。――当ててみろ」

「ぅ…で、では、申し上げますが――」

 この国では、口にするのもはばかられる、そんな単語を、リアムは勇気をもって音に載せた。

「何者かの陰謀で、領民全員が操られていて、報告を上げられないでいる。たとえば――――――闇の魔法使い、とかに、よって」

「――――――」

 カルヴァンは、ちらり、と視線だけをリアムに投げてよこした。リアムは、これ以上ないほど苦い顔で何かを呻いている。

「まぁ…そうでないことを祈るばかりだな。闇の魔法が相手となると、正直手の内がよくわからん。人の心を操り、行動すらも操るというが――一説では、契約した魔物とその眷属を使役することもできるとか」

「ひ、ひぃっ…!」

 まさかの『正解』を引き当ててしまったことを察し、リアムが喉の奥で小さく悲鳴を上げる。

「闇の魔法に対抗するには、心を強く持て、エルム神を信仰せよ――だったか?…もしこれが事実なら、悪いが俺は真っ先に敵の手に落ちる。その時は、お前が責任をもって容赦なく叩き斬れよ」

「やややややめてください!縁起でもない!っていうか、絶対無理です!団長に勝てるわけない!」

 血の気が引いて真っ青な顔でリアムが叫ぶ。

「い、いいいい今からでも、エルム様を信じましょう、団長!祈りの捧げ方から教えてあげますから、お願いですから敵の術中なんかに落ちないでください!」

「神なんぞを信じるくらいなら、敵の手に落ちるほうがましだな」

「団長ぉおおおおお」

 いつも通り飄々と嘯くカルヴァンに涙目で悲痛な声を上げるリアム。やれやれ、と心の中で嘆息を漏らし、カルヴァンは再び視線をナイードに向けた。

「そういうわけだ。領地に入っても全員気を抜くなよ。魔物を使役できるなんて噂が本当なら、街角からいきなり魔物が飛び出してきてもおかしくない」

 ごくっ…と部隊全員の喉が鳴る。

「事の真偽を確かめるため、一日、二日は滞在するつもりだ。優秀な光魔法使いがいないかを探るのと同時に――闇の魔法使いとやらが潜んでいないかも調査する。あぁ、ほとんどあり得ないが、領主の怠慢の可能性も零ではないから、領主の話も聞け。――リアム、お前が指揮を執って調査班を分けろ。もちろん、領民には悟られないよう取り計らえよ」

「は、はいっ…!」

 カルヴァンは、左手で耳を軽く掻くと、小さく息を吐いた。

「二日探っても何もでなければ、それ以上の調査は意味をなさないだろう。そのときは、予定通りブリアに向けて進軍する。いいな」

「「「はっっ!」」」

 こうして、史上最高に神経をとがらせた一団が、ナイード領に入領する運びとなったのだった――


(鬱陶しいな…)

 カルヴァンは、周囲の人ごみを眺め――というか、ほとんど睨み――心の中で独り言つ。

 入領した瞬間、領民が総出で取り囲んできて、あっという間に進路を阻害された。まっすぐ領主の下に赴こうとしてたのだが。

「団長、抑えてください、ほんのり殺気が漏れてます」

「…さっさと領主を呼び出せ」

 小さな声で忠告するリアムに、苛立った声音を隠しもせず低くささやく。リアムはひっと背筋を伸ばした。

 少なくとも、カルヴァンが騎士団長に就任してからの十五年間、一度もこの領地は訪れていない。騎士団が訪れることなど、彼らにとってはお祭り騒ぎに近しかった。見世物にされている気配をひしひしと感じ、カルヴァンの不機嫌メーターが振り切れていく。

「りょ、領主様に話を伺いたいのですが――」

「はっ、はいっ、わ、私です!」

 リアムが上げた声にこたえるようにして、人ごみの奥から、小太りの男がもみくちゃにされながら出て来る。

 じっと領主の顔を観察する。

 血色の良い肌。でっぷりと太った腹。脂ぎった額。

 この領地の中では裕福なのだろうと推察はできるが、童顔で人当たりがよさそうなリアムの声にすら恐縮しきって体を縮まらせるその男は、怠惰や己の小さな尊厳のために故意に報告を上げないような人間には見えなかった。周囲の領民の様子を見ると、尊敬のまなざしを集めているとはお世辞にも言えなさそうだが、温かい目線が注いでいる。これでいて、それなりに親しみやすい領主ではあるのだろう。

 可能性の一つを頭の中で冷静につぶして、カルヴァンはぐるりと周囲を見渡す。

 もしこの瞬間、魔物が襲ってくるとしたら、どこからやってくるか――そんなことを考えながら視界をめぐらしていると、ふと遠くに見慣れた形の屋根が見えた。この国に暮らす者ならだれでも知っている、教会の形。

「……リアム」

「あ、はい、なんですか?」

「俺は教会に行く。荷物と後始末は頼んだ」

「へっ!?い、いきなりですか!?ちょ――団長!?」

 リアムが止める声も聞かず、カルヴァンは人ごみに向かって声を上げた。

「ここに司祭はいるか!教会に案内してもらいたい!」

 ざわざわっと人混みがざわめく。英雄の美声に聞きほれたあちこちの女性たちから黄色い声が上がったが、カルヴァンは気にも留めずに人ごみに鋭い視線を走らせた。

(潰せる可能性はさっさと潰すに限る)

 そして、ゆっくりと歩み出てきた眼鏡の司祭服を着た男性に向かって、カルヴァンは胸の内などおくびにも出さぬまま、教会への案内を頼んだのだった。

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