第21話

 アグレシン子爵に手を引かれて居間に現れたユランナは、リリンカの予想していた通り、皆を圧倒した。

 本人の名誉のために付け加えるならば、何も無礼を働いたわけでも、突飛な行動をとったわけでもない。

 しかしながら、今日は背筋をすっと伸ばして立つユランナは、際立った長身であることに加え、仕立ての良い衣装が堂々たる体躯を強調していた。

 地紋の入った深い紫色の上着と、それより淡い色合いのスカート、小さな帽子についた霞のような銀色のレース。やや厚着には見えるが、流行に照らしても問題のない範囲だ。

 雲間から高嶺が姿を現すが如く、重々しくもゆっくりと完璧な姿勢でお辞儀をするのに、皆が見入っている。

「ようこそ、アグレシン子爵、そしてユランナ。私の家族を紹介させてください」

 リリンカはこの素晴らしい人が自分の婚約者であるという誇らしさで、胸がいっぱいになった。


 一通りの紹介が済み、それぞれが椅子に落ち着いたところで、ゼアドゥ家の家長たるルブリック伯爵が口を開いた。

「このたびは……我が娘の求婚を受けてくださったこと、お礼申し上げます、お二人とも」

 ついこの間まで、リリンカが子爵と結婚するものとすっかり決め込んでいた伯爵である。おそらくまだ複雑な内心なのは間違いないが、さすがに表情や態度からそんなことはまったく読み取れない。

「ありがとうございます。……私のような者には、リリンカさまはもったいないお方です。こちらこそ、大変な光栄に感謝しております」

 今日もユランナは、低く、ゆっくりと話した。

「私の方こそ光栄です、ユランナ。あなたが良ければ、婚約期間を置いてから、社交期シーズンの終わる頃に正式に、と思っていますが」

 リリンカは婚約者とは対照的に前のめりである。ルブリック伯爵とテオセンは、その様子に毒気を抜かれたような顔だ。

「そうね、いくら結婚は今シーズン中という条件があったとしても、そのくらいが妥当だと思うわ。お披露目の夜会だって開かなければならないんですから。ぜひ我が家の、この屋敷で執り行いたいと思うのだけれど……子爵はどうお考えかしら」

 ナラルが、今日はユランナの付き添いに徹している子爵に尋ねた。

「こちらとしては、願ってもないお申し出です。お恥ずかしい話ですが、私の屋敷はこちらに比べて広さが劣るのもそうですけれど、なにしろ使用人が少ないもので」

 子爵の、おかしな見栄を張らない素直な態度は、リリンカには好ましく思えた。

 ユランナと結婚すれば彼は義父となる。家族になる相手にも好感を抱けるのは、じっさい幸運なことだった。婚家とうまくゆかずに居心地の悪い思いをして暮らす話は、数多耳にしている。

 ここへ来て、リリンカは結婚とはなかなか良いものである気がし始めている。

 以前はさして興味がなく、厄介な、そして自分には過ぎた贅沢であるように考えていた。最初の婚約者、バルオン・ソローは父親の決めてきた相手であったし、幾度も会わないうちにリリンカは出征してしまった。

 だが相手がユランナに変わった途端、何もかもが違って感じるのだ。

 ご機嫌のリリンカは、ナラルがあれこれとお披露目の計画を話すのに口を挟む様子もない。

 そんな娘を、伯爵はじっと観察していた。


 今日は両家の顔合わせであったので、今後の話があらかたまとまったところで、メリエッド家の二人は辞去する旨を述べた。

 勢揃いで馬車に乗るところまで見送ろうというあたり、少なくとも家族の感触は悪くなかったのだろう、とリリンカは内心安堵の思いである。

 婚約した以上は、特に用事がなくても会って構わないはずなのだが、それでも別れがたく、どうでもいいような話をしてユランナを引き止めているところだ。

「ミス・ユランナ」

 ルブリック伯爵がリリンカの隣に進み出て、静かにユランナを呼ぶ。

「はい、伯爵さま」

 ユランナはやや緊張したような声で応えた。

「再度申し上げますが、求婚を受けてくれて本当にありがとう。今日のリリンカの様子を見て、あなたならばこの子に幸せをもたらしてくれると確信しました。どうか、私の娘を頼みます」

「父上、そんな重い責任を感じさせるような言い方をしては、ユランナに悪いですよ」

 リリンカは呆れた口調だ。

「重たいとも。だが、おまえも同じだけ、この方に尽くすのだぞ。よもやそれをわかっていないとは言うまい」

 父の言葉を受けて考える。

 リリンカにとって身近に知っている夫婦というと、自分の両親だけだ。

 彼らは睦まじく、上手に関係を保って暮らしている。時に意見のぶつかることがあったとしても、対話で解決し、最終的には理解し合っているように思える。

 そんな風に、お互いの関係を保つ努力をし、相手に尽くすことができるだろうか?

「……できます」

 あっさりと断言したリリンカに視線が集まった。

「軽率に聞こえるかもしれませんが、決して考えなしに言ったわけではありませんよ。そうあろうと努力する、という意味です」

 他の皆が反応を返すよりも早く、ユランナが、ふふ、とかすかに笑ったような息を漏らして、リリンカの手を取った。

「ありがとうございます、リリンカさま……あなたを信じます」


◇◇◇


 ユランナが公に顔を見せられない以上、婚約のお披露目をどういったものにするかは、慎重に検討された。

 まず晩餐会のような飲食が主となるものは避けねばならないし、舞踏会もダンスの最中に帽子がずれたりしては一大事だ。

 そういったわけで、婚約お披露目の催しとしてはやや異例ではあるが、あまり動き回らず、飲み物を摂らなくてもさほど問題ないという理由から、音楽会に決定した。

 顔合わせの翌日の新聞には、ルブリック伯爵令嬢レディ・リリンカ・ゼアドゥと、アグレシン子爵令嬢ミス・ユランナ・メリエッドの婚約の記事が掲載されて、社交界の話題をさらった。

 さらに翌日、ゼアドゥ家主催の音楽会の招待状が配られたものだから、噂の盛り上がりは最高潮に達している。

 世間からはもっぱら好奇の目を向けられていたのだが、当事者たるリリンカは、音楽会の準備を全面的に引き受けると言って譲らなかったナラルに任せて、それなりに忙しく過ごしていた。

 具体的にはユランナに会いに行き交流を深めたり、アコーレに情報収集を任せているいくつかの案件――ユランナの父と目されるアッセルバロット公爵に関する調査に、ヴァンスイール伯爵家の遺族問題だの、ソロー夫人エディアへの支援だの――について指示を出したり、婚約を報告するため魔法連隊本部へ出向いたりなどだ。

 リリンカとしては、ユランナの母親ロッテを捜索する件にも協力したい気持ちがあったが、こちらは子爵が準備を始めたとのことで、いまのところ手出しは遠慮している。


 ……こういった事情がどれほどのになるかは置いておくとして、事実だけを述べれば、リリンカは招待客のリストに目を通していないことに気づかぬまま音楽会当日を迎えた。


◇◇◇


 ルブリック伯爵家の王都の屋敷タウンハウスは、その財力と権勢に相応しい規模である。

 今夜の音楽会の会場となる広間には、中央奥に演者のために一段高くなった舞台が設けられた。それをぎっしりと囲む客席、飲み物を用意した一角、どこを見ても、今期いちばんの注目株であるレディ・リリンカの風変わりな婚約に興味津々の人々で溢れている。

 あちらもこちらも美しい季節の花で飾られ、いくつも吊るされたシャンデリアには夥しい数の蝋燭が灯してあって、さんざめく人々をきらきらと照らしている。

 主役であるリリンカとユランナは続々と到着する招待客の出迎えに大忙しであったが、もちろん会場内でもひときわ目を引いていた。

 今宵の二人はどちらも白を基調にした上品なドレスに身を包んでいる。

 装飾はむしろ控えめなくらいであるのだが、差し色の青が対になるようなデザインで、透かし模様の入った上等な布地で仕立ててある。

 ヤーラと断髪の侍女オルリーンによる渾身の衣装は、ともに長身の二人を素晴らしく引き立てるものだった。

 

 文字通り両家の家族総出で(この場合、もちろん子供であるキャルスンとケンデルは含まないのだが)来客の相手をしているところ、催しの始まりまでもうすぐという時刻のこと。

 あらかた主だった招待客は入場し、人の出入りが落ち着いた頃合いに、広間の入り口がふいにざわつく。

 そして続いて、召使いが新しい来客の到着を告げる声をあげた。


「アッセルバロット公爵夫人オッテーシャさま、並びにレディ・サーミラ・アッセルバロット、レディ・ミリアル・アッセルバロットのご到着!」


 人混みが割れて、見目麗しい三人の女性が現れたところだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る