第19話

「どうしたの、何か私、悪いこと言った?」

 黙り込んだリリンカの顔をアンシェマが覗き込む。

「……いや。おまえはなかなか、的確な質問をしたと思う。私は初めから悩んではいなかった。決断する覚悟ができなくてぐずぐずしていただけなんだ」

「それって、悩むのと何が違うの?」

「答えは既に決まっている。だがおまえのおかげで、実行に移すのを引き延ばすなんて無意味だと気づいた」

 そういうわけで、と妹に向き直り、リリンカは背筋を伸ばした。

「私は明日、結婚を申し込みに行く。家族が増えるぞ。素敵な人だから、皆きっと仲良くなれるだろう」

「えっ?えぇ?」


◇◇◇


 翌朝一番で、花束を手にアグレシン子爵の屋敷を訪れたリリンカは、丁重に居間に案内された。

 この屋敷の他の部屋同様、重厚な配色の家具と織物ファブリックで統一された男性らしい空間だ。

「おはようございます、レディ・リリンカ」

 立ち上がって一礼する子爵は笑顔で、挨拶を返したリリンカに、無言で小首を傾げてみせる。

「……訪問の理由を、お尋ねにならないのですか」

「おれから言えるのは一つだけ。ユランナなら朝食のあとの散歩で庭にいますよ」


 前日の夕方以来の庭は、日暮れとはまた違う趣だ。日がのぼってからさほど時間のたっていない、少しひんやりした空気と、朝靄の名残りがあたりを満たしている。

 視線を巡らせると、ユランナは池の対岸の小道にいた。

「ミス・ユランナ!」

 呼ばわると、ユランナはびくりと体をすくめてこちらを見て、それから逃げ道を探すように左右に視線を向けた。

「そこにいて。でないと、私は淑女にあるまじき疾走を披露しなくてはならない」

 まあ、ユランナのためならばそれもやぶさかでないのだが。

 ユランナが居心地悪そうに身じろぎながらも、その場に立ち止まっているのに笑いかけ、リリンカはきびきびとした足取りで池を回った。

「ありがとう。私は本当は、足もとても速いのですが、この衣装でそういうことをするのは良くないと、先日侍女に叱られたもので」

 リリンカの今日の服装は午前の外出に相応しい、薄い紫がかった爽やかな白の短い上着と、共布のスカートだ。ヤーラは訪問の目的を告げたわけでもないのに、この素晴らしく良い出来のドレスを出し、帽子ボンネットも最新流行の装飾に付け替えたものを用意してくれた。

「……おはようございます、レディ・リリンカ」

 二人は向かい合い、お互い軽く膝を曲げて挨拶をした。

「どうぞ、あなたに」

 八重咲きの白いラナンキュラスの可憐な花束を差し出すと、ユランナは恐る恐る受け取り、香るように顔を近づける。

「ありがとうございます……」

 ユランナの衣装は、屋敷の敷地内の気軽な散歩のためであろう、着慣れた様子のある、深い青の上着と、白くて軽い、木の葉柄のモスリンのスカートだった。

「ミス・ユランナ」

 リリンカがもしも男性であれば膝をつく場面であるが、女性のドレスでそれをするのは障りがある。なのでお辞儀をするときと同じく再び膝を曲げ、今日もしっかりレースで覆われている顔を見上げた。

「私と結婚してください」

 リリンカのいくさの信条は「速く、鋭く、正確に」である。これはもちろん私生活でも極めて有用だと思っている。そんなわけで、相手に身構える間を与えず、素早く、はっきりと、そして真剣に告げた。

 ユランナはおそらくある程度予想していたのだろう、肩を強張らせはしたが、取り乱す様子はない。

「……よく考えると、仰ったではありませんか」

 感情を抑えるためか、普段よりいっそう低く、掠れた声で囁く。

「考えました。もともと私は諸々の理由で、利益のためだけの結婚をするつもりだった。それがせねばならないことだと思っていたから」

 花束を握ったまま震える手に、リリンカも自分の手を添える。

「でも、あなたはしたいことをしていいと言ってくれた。だから、こうして来たのです」

「そ……それでは、逆ではありませんか!」

 もちろん、昨日のユランナが逆の意味で言っていたことくらい気づいていた。リリンカはなんだか愉快になってきて、にやりと微笑む。

「おや、そうですか?でも私はそういう風に受け取ったものですから」

 ユランナは言葉にならない鬱憤をこらえるように片方の手で拳を作り、肩を震わせている。

「私は自身の結婚について、ろくでもないことを企てて、それに計算尽くで乗ってくれる女性を探しもした。だけれど昨日、私とあなたの使用人、それから子爵までが結託して、本来のお目当ての女性ではなく、あなたと出会うように仕向けたのです」

 まったく、考えれば考えるほどとんでもない話だった。とくに子爵だ、自分の養女むすめをこんな妙な事態に巻き込むなんて。

 だが皆、リリンカが無意識に頭の外に追いやっていた、リリンカ自身の幸福を考えろと言うのだ。ユランナに至っては、それを選べば当事者になってしまうというのに。

「好いた相手と結ばれてほしいと、昨日あなたは仰った」

 だから来たのです、ともう一度繰り返す。

「それではまるで」

 そこで言葉を詰まらせたのを、辛抱強くリリンカは待った。しかし続く気配がないので、俯くユランナのレースに覆われた顔に額を寄せる。

「観念なさい、ユランナ。私は結婚は目的のための手段としか考えていなかった。でもあなたが伴侶ならば、たぶん人生は楽しい。それを選べと言ったのは、あなた自身ですよ」

 リリンカにとってひどく長い時間が――あるいは数秒か、数十秒だったのかもしれないが――流れた。拳を作っていたユランナの手のひらが解けて、反対の手に添えられている、リリンカの手を包む。

 大きな手だ、とリリンカは手袋越しにしっかりした存在を感じた。

「……お受けします。あなたと結婚します、リリンカさま」

 根負けしたように、ユランナは苦笑混じりのため息とともに、優しく囁いたのだった。


◇◇◇


 さてそれから。

 アグレシン屋敷の住人たち――子爵にケンデル少年、オルリーン――は、どうやら窓から様子を見ていたようで、二人が腕を組んで屋敷に入ったところを待ち構えて、口々に祝いの言葉を述べた。

 そこから使用人皆に話が伝わっていくのを見てユランナは恥ずかしげにしてはいたものの、明日はリリンカの実家を訪問して欲しいという要請には応じてくれた。

 そう、何はなくとも、まずは家族への紹介だ。

 リリンカとしても、5年も帰らなかったことや、戻ったと思ったら婚約を破棄し、しかも別の結婚相手を今年の社交期シーズンの間に見つけなくてはならない、といったように次々と家族に心配をかける出来事が続いた点は、一応反省しているのだ。

 少々俗っぽい部分はあれど、両親を愛しているし、きょうだいたちも同様だ。安心させてやりたいに決まっている。


 昼近くなり実家に帰ると、アンシェマから話を聞いていたのか、全員勢揃いでこれまた待ち構えていて、矢継ぎ早の質問攻めにあう始末である。

「ああもう。全て順に説明しますから、皆座って」

 蜂の巣をつついたような騒ぎの居間の真ん中で、リリンカが手を打ち鳴らして言うと、ようやく我に返ったとみえて、まず伯爵が咳払いしながら腰を下ろした。

「では聞こう。そもそもリリンカよ、一体誰に結婚を申し込んだのだ?」

 思わせぶりや焦らされるのは御免とばかり、核心に切り込んでくる。

「アグレシン子爵の養女であるお嬢さま、ユランナ・メリエッド嬢です」

 胸を張り、どうだとばかり微笑んで告げたリリンカは、次の瞬間、おさめたはずの大騒ぎに再び襲われた。

「お、お嬢さま、だと?!」

「女性と結婚するというのか!」

「後継は、相続人をどうするつもりなの!」

「……なるほどねえ」

「お嬢さま!お嬢さま!」

 父、兄、母、妹、弟。家族を順に見回し、まあ予想の範囲の反応だな、とリリンカはうなずく。

「父上は王宮での茶会で、お姿を見かけたはずです。同性との結婚は数はまだ少ないですが、王太子殿下のご成婚以来、正式に認められていますから、私がそうしたければ、何の障害もありません」

 まずは父と兄の、質問というよりはいささか悲鳴に寄った発言に回答した。

「それから相続人についてですが、私はヴァンスイール伯爵位を賜っても、その財産はいずれ先代伯爵の残されたご家族に返すつもりでいます。そのためにも、自分の子どもは持たない方が都合がいい」

 母親のナラルはこれに対して、絶句し、隣のアンシェマによろめきかかった。

「アンシェマ、ゆうべはありがとう。私の決断を早めてくれた礼を言う。それからキャルスン、お相手のお嬢さまには、おまえと歳の近い義理の甥ごさんがおられるぞ。そのうち紹介してやろう」

 アンシェマはただ肩をすくめ、キャルスンはなんとなく嬉しいことがあるのだとはわかったようで、歓声を上げた。

「ほ、本当に、アグレシン子爵ではなく、彼の養女むすめさんに求婚したのか?」

 これは伯爵。

「おかしいと思っていたのだ、相手からではなく、なぜリリンカ、おまえの方が申し込むのかと」

 これは兄テオセン。確かに、今の社会において一般的に求婚は男性が女性に対して行う。中には、男性から女性の父親を通じて申し込む場合もあるが、逆など聞いたことがない。

 しかしながら言われて初めて、リリンカはそうした世間の常識を思い出した。

 なにしろどちらも女性である、そして結婚を望んでいたのはリリンカの方だ。なんだ、やはり何も間違っていない。

 頭の中での整理が終わり、自信を持って頷いた。

「ユランナ嬢は求婚を受けてくださいました。相応の婚約期間ののち、社交期シーズンの終わる前に式を挙げるつもりでいます。明日、実家ここを訪ねてくださる約束をしたので――」

「リリンカ!!」

 耐えかねた様子で声をあげたのは、アンシェマの肩に縋りついたままだったナラルだった。

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