1章26話 満ち足りる

 図書室の扉は閉まっていた。

 変わらず掛けられた『許可者以外入室禁止』と書かれたプラカードが、風もないのにユラユラと揺れている。ここまで来てなんだけどノックするか悩んでしまう。許可者に含まれるのは俺だけだ。だから、フィラに伊藤さんを認めてもらわなければいけない。


 でも、百パーセントいるとは限らないんだよね。

 手を取って連れてきてしまった手前、フィラが出てこなかったらと不安に思ってしまうんだ。まぁ、それで行動しないっていう訳にはいかないんだけどさ。少しだけドキドキしてしまう。やはり相手はお婆さん、耳が遠いだろうからグランと同じように強く叩いた方がいいのかもしれない。


「……いるかな」


 少し馬鹿なことを考えて気を逸らす。

 軽いノックを二回してみた……が、物音がする気配すらない。最悪は俺一人で入ってフィラがいるか探すしかないかな。まさか、フィラからの信頼を無碍にして伊藤さんを無断で入れる訳にはいかないからね。次はグラン並に強くノックしてみた。


「ノックは一回でいいさね」

「すいません、物音がしなかったので」


 今度はすぐに出てきた。

 やっぱりフィラの耳は悪いらしい。それを踏まえればグランが扉を壊す勢いでノックしていたのも頷けるな。……いや、一回でいいって言ったよな。ということは聞こえているということ……なら、グランのノックは……これ以上はやめておこう。


「んで、何の用かい。大方、予想はつくが」

「ええ、俺と同じパーティの子と一緒に異世界の勉強でもしようかな、と」

「……男女を二人っきりにするのは嫌なんだがねぇ」


 そういや、そうだったな。

 図書室への行き来を制限した理由が口には出来ないことを室内でしたせいだし。グランからの推薦はあっても、俺と伊藤さんがそういうことをしないとは言い切れないかぁ。別にするなら部屋でするから……というか、まずもって俺と伊藤さんはそういう関係ではない。純粋な白だからな。


「フィラさんは暇ですか」

「二人のイチャつきを見ている時間はないさね」

「……そう言われるとどうしようもないです」


 要は二人一緒は認めないってことだ。

 暇と答えてくれたら「監視してください」って言っていたけど、それを見越しての発言だろうからね。そうでもなきゃ、こんな言い方はしてこないだろう。となると……どうすればいいかな。幸運が何とかしてくれると思ってあんまり考えていなかった。


「まぁ、使うなとは言っていないさね。見た感じ、そっちの子が図書室で変なことをするとは思えない。だったら、勝手に利用してくれて構わないさね」

「え……」


 特に気にした様子もなく言ってきた。

 勝手に使えばいい……って、本気で言っているのか。だったら、何であんなことを言ってきたんだよ。……ニヤニヤしているところからして反応を見たかっただけだったんだろうな。本当にこの人は性格がひん曲がっている。


「いいんですか」

「今までのショウの姿も鑑みて言っているさね。これで本を読むと口だけで済ませていたのなら許さなかったよ。真面目なショウを信じて見逃すことにするさね」

「ありがとうございます」


 一応は感謝しておく。

 内心、べーって舌を出してやりたいけどね。いつか仕返ししてやろう。何がいいかな、この年寄りを出し抜ける方法ってかなり限られてくるからね。後々、考えついたらすぐに実行だな。だから、今は表向き感謝をして会釈だけしておくことにしよう。


 そのまま伊藤さんを連れて中に入った。

 ここ三日間のうちに図書室は何度も立ち寄ったからね。ある日はダンジョン終わりに来て本を読んでフィラの話し相手をして、ある日はダンジョン終わりに本を読んでフィラの話し相手をして、ある日はダンジョン終わりに本を読んでフィラの話し相手をしたからさ。図書室の何処に何の関連の本があるかは熟知している。


 って、あれ……?

 思い返してみると図書室に入れるようになってからの俺って、同じことしかしていないじゃないか。戦って本を読んでフィラの相手をするだけの生活って……少しだけ悲しいな。嫌な気持ちが湧かなかったことだけが幸いか。結構、本やフィラとの話で勉強になる異世界の知識があったし。


 まぁ、そんなことはどうでもいいか。


「伊藤さんはどういう本が読みたい?」

「えっと……オススメとかありますか」


 なるほど、オススメか。

 オススメを聞かれても好きで本を読んでいるわけじゃないからなぁ。どちらかというと、生き残るために必要だったってだけでしなくて済むんだったら多分、寝ているかな。まぁ、これで本の中身にユーモアがあったり、簡単な言葉を選んで書いていたりしたのなら楽しんでいたかもしれない。


 まぁ、その中でというのなら……。

 行くならダンジョンや魔物について書かれた本が多くある場所くらいかな。観光とかの周辺諸国について書かれた本何かが置かれた場所も近くにあるけど、今のうちに読まないといけないって理由はないからね。伊藤さんは頭が良いから知識をつけておいて問題はないと思う。まぁ、問題はゴブリン種やオーク種に関した本を読んでしまうことくらいかな。


「今、読んだ方がいいと思うのはダンジョンとか魔物について書かれた本かな。楽しんで読むってことは出来ないかもしれないけど読んでおいて損はないない」

「ショウさんが読んだ方がいいと言うのならそれにします。この世界に私が望むような小説などは無さそうですし」


 小説の類か……あるにはある。

 けど、内容はどちらかというと大人向けだ。読み始めはラブコメに近い物語なんだけど、読んでいくうちに日本にいた人なら違和感を覚えてしまうと思う。だって、作品の中で喘ぎ声とか性描写が多くて違うジャンルの小説を連想させてくるからね。そういうのを伊藤さんが求めているとは思えない。


「本を読むって言っても少し時間を潰すだけだし楽しみたいからね。読みやすい本を持ってくるから一緒に読もうよ」


 元より本を読むのは暇潰しだ。

 俺と伊藤さんにとって会いたくない新島や池田などのピックアップされた人達、彼等が部屋に帰るのを待つ多少の時間で違うことをしようとしているだけ。だというのに、それこそ大学の専門書みたいな中身の本を読む人はいないだろう。これは一種のデートみたいなものだ。選択一つで好感度が大きく変化する。


「はい、お任せしますね」

「うん、任せて」


 伊藤さんを置いて数冊取りに行く。

 読んだ本の中で読みやすくて話題になる、それでいて勉強にもなるものは限られているからね。本当に貴族の子供が読むような簡易的な魔物の本やダンジョンの本だ。一言で言うと初級魔物図鑑って感じかな。本来のタイトルは『F〜D級魔物大全』だけど……まぁ、魔物図鑑で十分だね。内容的には大全と呼ぶには薄過ぎる。


 後、もう一冊は……これかな。

 初級魔法完全理解、ってタイトルの本だ。これは読みやすくて何より安い。これだけ「貸してもいい」って言っていたくらいには安価だ。とはいえ、この世界での紙は貴重品みたいで安いとは言っても一冊金貨二枚はするけどね。一般市民の二年分の収入って話を聞いたよ。まぁ、今の俺なら買える程度の値段ではあるけどな。


「持ってきたよ」

「えっと……ありがとうございます」

「気にしないで」


 俺からすれば笑ってくれたらそれでいい。

 見返りを求めて何かをするのは優しさでも何でもないからね。俺からすれば伊藤さんは守りたい、助けたいって思える存在だ。その人が一緒にいて楽しそうにしてくれたらそれでいい。……あ、これも一種の見返りか。なら、俺は伊藤さんみたいに優しくなんて無いな。


 伊藤さんの席の隣に腰かける。

 慣れていないようで少しだけビクッとしていたけど距離を取られることなく済んだ。他に本を読む人もいないんだから伊藤さんの前に座れば良かったと今更になって思うよ。ここは……距離が近すぎるから伊藤さんの良い匂いが鼻に届いてしまって……体に毒だ。そんな考えを振り払うために軽く深呼吸をして伊藤さんの方を見る。


「それで、どの本を読む」

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