第75話

 それはあまりにも突然の申し出だった。


俄が無事に終了し、あの忌々しい鬼どもをようやくこの園の外へと追い出せたと思っていたらあの鬼め……白々しくも俄での騒動の詫びの品を持って行きたいと正式な家紋付きの書状で寄越しやがった。


これが正式な書状でなければ一蹴してもよかったのだが、俄で正式に協定を結んだ手前公文書で寄越されると知らん顔はできない。


月天は昨晩の出来事を思い出し、眉間に皺を寄るがここで機嫌を損ねていても何も変わらないと短く息を吐き来訪者の為の指示を屋敷のもの達へ飛ばす。


いつもであれば腹心の部下である双子にこのような客の出迎えは任せているのだが、双子は生憎謹慎中だ。


代わりに来訪者の出迎えとなるとそれなりの地位のある者を選ばなければならない。


月天がどうしたものかと思案していると、部屋の外から今最も会いたくなかった人物の声がかけられる。


「月天様、よろしいでしょうか?」


声の主は黒子だ。


紫苑の顔見せの際に余計な事を言い出した、月天にとっては目の上のコブのような目障りな人物だ。


黒子は月天の返事も待たぬまま障子を開けると遠慮もせずにずかずかと月天の前までやってくる。


「いやあね、本日の来客の御出迎え私めにお任せいただけないかと思いまして」


いつもと変わらぬにこにこと細められた糸のような目を更に細めて上機嫌そうに話し出す。


「もしかしたら我が御当主とこれから深い縁になるやも知れぬお方。配下のものとしては一度お話してみたいと思うのも仕方がない……」


黒子がペラペラと言葉を並べるのを止めたのは鋭い五本の爪だった。


ついほんの先ほどまで黒子の前で気怠そうに資料に目を通していた月天がいつの間にか黒子の背後に回り込みその鋭く尖った五爪をゆっくりと一本ずつ首に突き立てる。


「誰と誰が深い縁になると?お前は本当に面白い。私をおちょくってそんなに楽しいか?」


背後に感じる気配はいつものような気軽なものではなく、それは禍々しく少しでも動けばそのまま深い闇の底に引きづり込まれてしまいそうな錯覚になるほどの恐怖を黒子に感じさせる。


(あの月天様がこれほどまでに本性を出すとは……やはりこのま放っておくのは危険か……)


あまりの圧倒的な力の前に身じろぎすら出来ずにいると、首に突き立てられた爪が皮膚に食い込み一筋赤いものが首筋を伝う。


「あぁ、久々に同胞の血を見た。やはり同じ血族の血は私の気持ちを昂らせる……黒子、私に血を見せるような事をしない方がお前のためではないか?」


「……えぇ。全くその通りのようですね」


張り詰めた糸がぷつりと切れたように黒子がひゅっと息を始めるのと同時に、いつの間にか月天は障子のすぐ側に立っており黒子に背を向けたまま一言告げた。


「迎えは任す。意にそぐわぬ事をすればお前ごと滅ぼす」


それだけ言うと月天は黒子を残し姿を消した。


◇◇◇


 不本意ながらも黒子に白桜達の迎えを任せると、釘を刺しておいたせいか大きな問題も起こさずに予定通り桜の間に白桜と蒼紫を通したようだ。


時刻を見るともうすぐ予定の戌の刻を指そうとしている。


気は進まぬが、あの男が紫苑と同じ空間に長々といる方が我慢ならない。月天はさっさと追い払ってしまおうと黒羽織を纏うと桜の間へ向かった。


桜の間へ向かう途中、どうにも嫌な感じが背中を撫でる。

それはひたりひたりと背後に忍び寄り、そっと耳元で不幸を語るようなそんな何とも言えない嫌な感じだ。


自分の術中であるはずの屋敷の中なのにいつの間にかそっくりな物に差し替えられたようなそんな違和感を感じていると、ピシッと一筋月天の頬に赤い線が走る。


それは月天の術が破られた証。


それも昨日かけたばかりの鬼除けの呪いが破られたものだと瞬時に悟り、月天は殺気立ちながら桜の間へ繋がる障子戸を勢いよく開ける。


月天は部屋に入るなり、白桜の姿を見つけると麗しい人姿を消し半獣化し白桜めがけ飛びかかる。


目を血走らせ鋭く立派な牙を唸らせる月天を止めたのは蒼紫だった。


「これは月天様、部屋に入るなり襲いかかるなど獣と見間違えましたぞ」


今にも白桜を引き裂かんとばかりに立てられた爪を二本の小太刀で受け止めつつ、自分の背後にいる白桜の姿を確認する。


地の底から響くような凄まじい唸り声を近くで聞きながらも、当の白桜は他所吹く風と言わんばかりにいつも通りの無表情を崩さない。


月天のあまりの殺気と妖気を感じ、いつの間にか部屋の外には黒子や屋敷の中でも上位のそば仕え達が集まってくる。


月天を案じる声が廊下からかけられるが、それすら鬱陶しく感じ一瞬全ての者を皆殺しにしてしまおうかと思考がよぎる。しかし、月天の中に残ったほんの僅かな理性がそれを止めた。


月天が憎々しげに蒼紫を投げ飛ばすと、蒼紫は勢いを相殺きれず硝子窓を破り中庭に落ちていった。


 目の前で自分の腹心の部下である蒼紫が吹っ飛ばされるのを見たのに白桜は相変わらず何処を見てるのか、何を考えているのか分からない無表情っぷりだ。


月天はあくまで今日の訪問は正式な一族と一族を代表しての訪問である事を思い出し、怒りでなおもぐつぐつと煮え繰り返る気持ちを抑え姿を戻す。


「問題はない。私が呼ぶまで下がれ」


部屋の中から漏れ出す異様な殺気と妖気を心配して集まった一族のものにそう言うと、月天は白桜の正面に憮然とした態度で座る。


「して、これはどう言うことだ?人の屋敷に上がり込んで家探しとは今代の鬼の当主は手癖が悪い」


白桜はようやく動きを見せたかと思うと、今しがた初めて月天の存在に気づいたと言わんばかりに当主らしい完璧な礼をとる。


「今夜はお時間いただき感謝する。てっきり獣が一匹紛れ込んだのかと思っていたらまさか妖狐の当主だったとは……何、私は獣の類が些か苦手でな。この何とも言えぬ鼻につく臭いが……」


涼しい顔でスラスラと嫌味を言う白桜を目にし、月天は逆に段々と冷静さを取り戻す。鬼除けの呪いは破られたようだが、蒼紫も白桜もこの様子では紫苑の元へは辿り着けまい。


しかし、月天の手中とも言えるこの屋敷内でなんの術を使ったのかと思案しつつ白桜の様子を伺っていると視界の端に空間の歪みを捉える。


「他所の屋敷まで来てつまらぬ嫌味を言うなど、よほど鬼の当主は暇と見える。用が無いのであればさっさと失せろ」


月天はそう言い捨てると同時にダンッ!と強く畳に小刀を刺す。


月天が刺した小刀の先には先ほどまでは見えなかった船の形をした一枚の紙が真っ二つになってじゅッっと燃え上がるところだった。


「まこと、獣上がりはせっかちで敵わんな。今晩は不本意ながらも俄での眷属の者の非礼を詫びにこうして品まで携えてきたと言うのに」


「だったらもう済んだな。配下の者を拾ってさっさと屋敷から立ち去るがいい」


月天は今しがた破った術が何か思考を巡らせるが、鬼の一族が使う術と妖狐の一族が使う術はそれぞれ得意分野が異なるためすぐさま思い当たらず苦々しげな表情を浮かべる。


そんな月天の様子をちらりと見て白桜はやれやれとばかりに深いため息をつくとぼそりと独り言を漏らす。


「まったく、このような野蛮な獣のどこがいいのやら……」


月天の耳がピクリと反応し、白桜の胸ぐらを掴もうとするがそれを止めたのは黄金の慌てた声だった。


「我が曼珠の園を統べる御当主様に申し上げます!急ぎお伝えしたいことがございます!」


今晩は白桜が来ることは屋敷の者中知っている。にも関わらずにこうして紫苑付きの黄金が月天を呼びに来ると言うことは何か重大なことが起きたのだろう。


月天が白桜の方を再びちらりと横目で見ると、白桜はいつもの無表情を崩さず月天に言い捨てる。


「早く側に行ってやった方が良いとは思うがな?人の身体は儚く脆い。夢渡りを受ければどうなることか」


「貴様ッ!!!」


月天がこれ以上は我慢ならないとばかりに再び白桜に飛びかかろうとするも、それは部屋に飛び込んできた黄金や屋敷の者達によって止められる。


「月天様!どうか今はご辛抱を!」


屋敷の者達と一緒に姿を現した蒼紫に、白桜は話は済んだと告げ蒼紫を誘い夢幻楼を後にした。


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