第51話

 もぬけの殻となった離れ座敷で月天は秘術の千里眼を使って紫苑の痕跡を探す。


力により周囲の様子を伺うと、どうやら紫苑は母親と一緒に山の上にある神社に向かったようだった。


月天は力を使ったことで他の者たちが気付くのを恐れ、できる限り急いで神社へと向かう。


神社に着くと、紫苑の気配はするが姿が見えない。きっと紫苑の母の術か何かで姿を見えなくしているのだろう。


「紫苑!僕だ、月天だ!君を迎えに来た!」


白桜や鬼の一族の者が気付く前になんとか紫苑を連れてこの里から出たい。


月天は大きな妖狐の姿のまま紫苑の気配がする方へと叫ぶが紫苑を見つけるよりも早く背後に今もっとも会いたくなかった白桜の声が響く。


「……随分と舐めた真似をしてくれる」


普段は人と同じ容姿をしている白桜だが、怒りのせいか瞳は燃えたぎるように爛々と輝き、その額には鬼の角が生えている。


月天は否応なしに白桜とそのままもつれあいになるが、やはり強大な力を得たと言っても経験の差があり徐々に白桜に押されて劣勢になる。


紫苑はどんどん傷ついていく月天を見ていられずに叫ぶが、母によって抱きすくめられて鳥居の奥へと連れられる。


七つ連なる鳥居の一番奥には紫苑の母の術によって開かれた異界への門が開かれている。


紫苑は白桜によって傷つけられ倒れ込んだ月天を見てひたすら神様に願うことしかできなかった。


紫苑の願いは虚しく、母に抱かれたまま紫苑は異界渡りの門へと姿を消す。


紫苑たちが門へ踏み込むと一瞬にして入り口は閉じ後には暗い闇だけが広がっていた。


「嘘……だろ……紫苑……そこにいるんだろう?」


その場に佇む白桜は紫苑が消えたあたりを信じられないという表情でただ見つめる。


白桜がその場から一歩踏み出すと、すかさずそれを邪魔するかのように妖狐の尻尾がすごい速さで白桜の立っていた場所に叩きつけられる。


月天の一撃によって地面が割れ大きな窪みを作るが白桜の姿はなく、一瞬にして月天との距離を詰める。


地面に力なく横たわる月天の側により白桜はとどめを刺そうと手に持った刀を持ち上げるが、その場に駆けつけた当主の側近である蒼紫によって止められる。


「白桜様……この方は妖狐の里の正式な世継ぎです。ここで殺しては妖狐の里と争いが起きます」


白桜はなんとか理性で怒りを押さえつけ側に控えた蒼紫へと命令する。


「蒼紫、こいつに呪詛を……」


蒼紫は驚いた表情を浮かべて白桜を説得しようとするが、白桜の怒りは凄まじく地面に力なく横たわる月天の神通力を封じる呪詛を行うように命令を下す。


蒼紫はこのままでは白桜が月天を殺してしまう可能性が高いと察し、苦渋の思いで月天へと呪詛をかける。


青鬼である蒼紫は鬼の一族の中でも特に呪術に長けており呪詛などの類では一族の中でも抜きん出ている。


そんな蒼紫がかけた呪詛は月天の体を黒い闇のように覆い隠そうとするが、何か結界のようなものが邪魔をして呪詛が定着しない。


なんとか月天の体に呪詛を取り付けることに成功すると、蒼紫は人型に戻った月天の小さな体を抱いて白桜が去った後を追いかけた。




この出来事を機に妖狐の里と鬼の隠れ里の関係は急激に悪化し一触即発の冷戦状態へと入っていく。


紫苑のいない間に当主の座も移り変わり、現在では鬼の当主に紫苑の兄である白桜が、妖狐の当主に月天が収まる事となった。


◇◇◇


 一通り月天から過去のことを聞かされ紫苑はあまりの衝撃に聞いた話のほとんどを受け入れられずにいた。


「そんな……私が鬼の姫?」


話された内容はどれも信じがたいものばかりで紫苑は蒼白な表情のまま頭を抱える。


月天は心配して紫苑に触れようとするが、その手は紫苑の手によって払われる。


「私に触らないでください!」


紫苑は思わず月天の手を強く払いのけてしまう。


慌てて月天の方を見るとひどく傷ついたような悲しげな表情を浮かべて紫苑の方を見る月天の姿があった。


「ご……ごめ……」


そんなつもりはなかったと月天に謝ろうとするが、紫苑に拒絶され強い悲しみと怒りに支配された月天には届かない。


「……紫苑はまた私を独りにするのか?君と別れてから一日たりとも紫苑のことを想わなかったことはない!それなのに、君はまた私の手をとってはくれないのか?」


月天は紫苑に拒絶され今まで我慢していた心の枷が外れたかのように、我を忘れて嫌がる紫苑の両手を捉えて畳の上へと押し倒す。


「やめて!離して!」


紫苑は自分の上に跨る月天を睨みつけながら拒絶の言葉を吐くが、拒絶すればするほど月天の怒りを煽る。


「そうまでして嫌がるのか……。それならば……決めた。お前は死ぬまで私の側から離さぬ。いや、死んでもずっと永劫に私の元に縛りつけよう」


月天は部屋に来たときに見せていた優しい表情を消す。今紫苑を上から見下ろすのは冷徹な妖狐の当主としての顔だ。


月天の手に力が入り紫苑の細い手首に月天の長く鋭い爪が食い込む。


爪の食い込んだ部分から甘い桜の香りをほのかに漂わせる紅血が流れる。


月天はやめてと泣きじゃくる紫苑の手首に顔を寄せて流れる鮮血をぺろりと舐め、そのまま紫苑の細く白い首に噛み付いてやろうかと月天の心に嗜虐的な考えが過ぎる。


月天がさらに力を入れて紫苑の細い手首がミシッと嫌な音を立てると同時に紫苑の胸元から強い光が溢れる。


月天はすぐさま反応し何かの力を避けるように大き後ろに飛び退き紫苑から距離を取る。


紫苑は強い光に包まれ何が何だか状況が分からないままだが、とにかく月天と距離を取れたことに安堵する。


両手で早鐘を刻む心臓のあたりを抑えるとほのかに温かさを感じる。


(そうか……今のは小雪姉さんが持たせてくれた護符の力なんだ!)


万が一の時のためと術具屋の楓に言って作ってもらった特別製の護符を紫苑は念のためと胸元に潜ませていたのだ。


紫苑と少し距離をとりこちらを冷えた瞳で見つめる月天は紫苑の胸元を一瞥すると短く息を吐く。


「護符の力に助けられたな。今日は興が削がれた、分かっているとは思うが変な気は起こさないことだ。紫苑も記憶が戻れば自分が犯した過ちに気付くだろう」


月天はそういうと、その場で懸命に震えを堪えて月天を見つめる紫苑を嘲笑う。


「極夜、後のことは任せる」


月天は紫苑に背を向けたままそう言うと部屋を出ていってしまった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る