第55話 『天国と地獄』
少し時は遡り、キラがドラグマ魔法大学で記憶を取り戻していた頃。
アルバトロスの首都アディンセルでは表面上は平和な時間が流れていた。
カイザー暗殺未遂事件があったことは公には伏せられ、政府や軍の関係者しか知らない。
事件の調査は行われてはいるが進まず、謎の殺し屋の正体は未だに分からないままだった。
表向きは平和に復興が続く城下町にて、連合国の事実上のナンバー2であるジョイス・カーパー将軍は、休暇を貰ってデートと洒落込んでいた。
相手は以前に暴漢から助けたカタリナという娘である。
控えめに言って可愛らしい顔立ちで、街を歩いていても人目を引く彼女は、ジョイスを将軍だと知らずに親しくしていた。
素人に軍隊の階級章など見分けがつくはずもなく、カタリナの認識としてはジョイスは頭一つ飛び抜けて強い兵隊というくらいのようだ。
ジョイスも別に偉そうに威張ることはせずいつもの調子で接しており、いずれはカイザーの右腕の将軍だと打ち明けるつもりでいたが、今はこのままの関係を続けていようと考えていた。
(そう、いきなり上級将校だとバレれば引かれてしまう……身分を明かすのは、十分な信頼関係が出来上がってからだ。焦るな、今は辛抱強く待つのだ……!)
そんな心中は表には出さず、ジョイスは今この瞬間のデートを存分に楽しんでいた。
今まで女性との付き合いが無かったわけではない彼だが、当時悪名高かった帝国軍人だからと敬遠されてしまったり、軍人でもいいと言ってくれても故郷の田舎へ帰るということで別れたり、酷い時は事故で亡くなってしまったりと、散々な結果だった。
そんなジョイスにようやく訪れた春の兆し。
このチャンスを逃すまいと、彼も必死だった。
カタリナ程器量よしで、性格も穏やか、そして控えめながらも積極的な女性を逃してしまえば、もう次は無いかも知れない。
ジョイスもこの秋に誕生日を迎えて26になり、そろそろ心に決めた相手を見つけたいところだった。
先日はその誕生日をカタリナにも祝って貰い、確実に手応えを感じている彼は、次かその次のデートで本格的に交際を申し込むつもりでいた。
今日のデートはそのための布石としてのワンクッションで、新たに開店したというカフェを訪れて二人でティータイムを過ごし、談笑する。
「兵隊さんのお仕事って、大変そうですよね。どんなことをしたりするんですか?」
「そうですな……確かに大変ですが、やり甲斐はありますぞ。普段は、そう……街の見回りや、城に居る間はデスクワークをしたりしております」
まだ将軍だと明かすには早いと考えるジョイスは、そう言って茶を濁した。
一応、嘘は言っていない。
自ら城下町の様子を見て回ることもあるし、それ以外は本当にデスクワークで書類とにらめっこをする時間が増えた。
それでも訓練から相談相手まで、部下の面倒は欠かさないのがジョイスだったが、部下が居るということを喋ってしまうと階級の話に繋がりそうだったので、控えていた。
「見回りに出て、私みたいなしがない町娘を助けたりしてくださってるんですね。他に何人くらい、助けた子が居るんですか? ふふ……」
そう言って屈託なく笑うカタリナに、ジョイスは見惚れる。
(ああ、癒やされる……。やはりあなたこそが、私の求めていた女性(ひと)! 結婚したい……)
心の中ではとっくに求婚したい欲求が溢れ返っているのだが、ここは焦らないようにとジョイスは自重した。
(そう、まずは恋人になり、そこから信頼関係を更に構築し、身分を明かしてからようやくプロポーズ、これだ! この順序を抜かしてはならん)
今でこそニヤけた顔をした糸目の大男でしかないが、戦場では『鉄壁のジョイス』と敵味方双方から恐れられ、異名通りに辛抱強い堅牢な守りでカイザーから重用される名将。
戦ではなく恋だからと言って、功を焦って事を仕損じるようなそんな失策はしない。
だが楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので、そろそろ職務へ戻らなくてはならない時刻となっていた。
「あ、時間、みたいですね……。私も勤め先の宿に戻らないと」
「そうですな。では、また次の機会にお会いしましょう。今日も楽しい時間でしたぞ」
二人はカフェの席を立ち、ジョイスが奢って代金を支払うと店を出た。
「私も、楽しかったです。都合のいい日が分かったら、宿に来て声をかけてくださいね。誘ってくれるの、待ってますからね?」
今すぐに今後の仕事を休暇にして全部デートに当てたい気持ちを抑えつつ、ジョイスは笑顔のカタリナと別れて城へと戻った。
城内の執務室では大量の書類仕事が彼を待ち伏せしているが、その程度、カタリナという強い味方をつけたジョイスにとって敵ではない。
鼻歌交じりに仕事をテキパキと片付けたジョイスは、仕事終わりに部下の兵士から飲みに誘われた。
クールダウンがてら部下の話も聞いてやろうと考えた彼は、夕暮れの街に再び繰り出す。
今度はカフェではなく、酒場へと。
「ところで隊長、見ましたよ。きれいな女と二人で出掛けてるところ」
酒を飲み交わしている途中、急にそんな話を振られ、ジョイスは思わず咳き込んだ。
「おぉっ! 何があろうと動じなかったジョイス隊長がむせたぞ! これは確定情報に違いない!」
「いやー、おめでとうございます、隊長! ちなみに、どんな女性なんです?」
ジョイスに女ができたと知るや、質問攻めにしてくる兵士達。
「いや、うむ。カタリナ殿という、城下町の宿で給仕をしている女性だ。何でも、田舎から出稼ぎに来ているようでな……」
これまで中々女と縁がなかったジョイスに浮いた話ができたということで、兵士達の飲み会は大盛り上がりを見せる。
「応援してますよ、隊長!」
「俺も俺も! 力になれることがあったら、言ってください!」
日頃の行いもあり、ジョイスは部下から大変慕われていた。
今一緒に飲んでいる兵士達も、皆ジョイスを祝福し、応援してくれる。
こんなに嬉しいことはない。
(嗚呼、将をやってきてよかった……)
ジョイスが感慨に浸っていると、酒場に新しい団体客がやってくる。
城下町の労働者のようで、全員既に出来上がっていてここは二軒目だとひと目で分かった。
最初は関係なくカタリナについての話の続きをしていたジョイス達だったが、酔っ払って大声で話す市民の声が彼らの耳にも入ってきた。
「街の復興は分かるが、水路って何だよ……。地面を固めるのはもうウンザリだ!」
水路を引くのはヴェロニカの出した政策で、開通すれば船を使って陸路よりも早く、かつ大量の物資を行き来させることができるのだが、作っている労働者達はそんなことは知らなかった。
説明されたとしても、今までにない物を作ろうとしているので、うまく伝わっていないのだ。
「こっちは学校? とかいうので時間を取られちまってさぁ。勉強だ勉強だってお上は言うが、それで飯が食えるのかって話だ」
「うちは仕事を手伝わせてた子供を勉強に取られて、手が足りなくててんてこ舞いだぜ。何とかならんのかね、学校とかいうの」
この時代、教育は貴族などの上流階級が有識者を家庭教師に呼んで子供に与えるものだった。
平民は字の読み書きなどもろくに覚えられないまま、ひたすら労働に従事させられるのが常識だ。
従来の君主制ならば民衆は学も無くただ従順に働く、権力者に都合のいい労働力であればよかった。
カイザーは民主制を連合国に布く上で、指導者を選ぶ国民にも知識を身に着けて貰おうと、取り急ぎ無償教育の提供を国策として行った。
しかし学問の何が重要なのかすらよく理解していない、一般市民からの受けは芳しく無かった。
「そもそもよぉ、革命で国が変わったって言っても、何がどう良くなったんだ? 革命のゴタゴタであちこち治安は悪くなってるって話だし、新しいお上はよく分からないことを言い出すしで……本当に大丈夫なのか?」
「それな! 噂じゃ、お上りさんの妙な女が政策に首突っ込んでるって話だぜ」
「議会制とか言われても、いまいちピンとこないよなぁ。皇帝が治めるのと、どう違うんだ?」
次々と飛び出す不平不満の数々に、とうとう聞いていられなくなった兵士の一人が席から立ち上がって文句を言いに行こうとした、その時。
「よせ」
ジョイスはその兵士を止めた。
「何故止めるんです? だって、あいつらは……」
兵士の指差す先では、今でも酔っ払った市民達がカイザーへの不服を大声で言い合っている。
「政府への不満を、大きな声で言える。そういう自由もあるのだ。これは帝国時代ではあり得なかったことだ」
帝国時代のアルバトロスでは、国に対する文句など兵士に聞かれようものなら、すぐに不穏因子と見なされ良くて鞭打ち、悪ければ公開処刑だった。
また、そういう”不穏因子”を告発すれば帝国への忠誠を示したと見なされて疑われなくなるため、国民の間で互いを見張る監視社会が出来上がり、隣人であろうと気を許せない世の中が続いた。
今、彼らが酒場で酔った勢いで政府への不満を口にできるのも、革命により自由な国へと生まれ変わったからなのだが、その自由の有り難みを民衆が実感するのはもうしばらく先のことだろう。
「我々は、民の自由を勝ち取るために戦い、そして勝利した。国を批判する自由がある社会……これもまた、ハルトマン議長が目指した国のあり方だ」
そうジョイスに諭された兵士は、大人しく自分の席へと戻った。
「隊長、自分が間違ってました」
「分かってくれればいい。さて、飲み直すか」
気分を切り替えて飲み会の続きに入った頃、団体客の方からもまた別の意見が出てくる。
「いや、悪いことばかりじゃないぞ? 反乱軍と帝国軍のいざこざが無くなった分、争い事は減ったし、交易も盛んになって物の売り買いがしやすくなってきてる」
「経済は上向き? になってるってお上は言ってるが、その分の金はどこに行ってるんだか」
「公共事業に使ってるって聞いたぜ? 街道の整備や、水道の建設だってそのうちだし、ウチはそのおかげで失業せずに済んでる」
長く続いた戦乱は失業者も多く生んでおり、復興のための公共事業は失業者に新しい職を与えるという意味合いもあった。
「ああ、水道のおかげなんだろ、水が贅沢に使えるのって。ウチのカミさん、風呂にハマっちまってよ、もう毎日のように公衆浴場に通ってるぜ」
こういったやり取りを聞いていると、ジョイスも兵士も、自分達のやってきたことは無駄ではなかったと実感できる。
慕ってくれる部下と、やり甲斐のある仕事、そしてトントン拍子の出世に、カタリナという春の兆し。
まさしくジョイスにとって人生は順風満帆だった。
ジョイスが将軍としての人生を謳歌しているその一方、アディンセルから離れた戦地では、ある部隊の兵士達が地獄を見ていた。
ここでは未だに残って活動している帝国軍残党の討伐が行われており、彼らはその最前線に居るのだが、問題は現場を指揮する隊長だった。
「何をしとるんだ! さっさと突撃して敵を蹴散らさんかぁ!」
「し、しかし、今は敵側が優勢です。このまま突撃するのは……」
兵士に無茶な指示を出している隊長は、何と帝国時代から悪名高かったオルソ・ダッツィである。
革命戦で投降した彼は、その後で連合軍の将校にゴマをすって取り入り、何とか前線部隊の隊長という地位を手に入れたのだった。
しかし性格は以前と全く変わっておらず、指揮は無茶苦茶、部下に無理難題を言い、失敗すれば責任は部下に押し付け、成功すればちゃっかり自分一人の手柄にする。
当然、部下からの評判は最低だったが取り入った上官には気に入られており、下っ端の兵士では口答えできないという状況にあった。
「気合だ、気合! 根性を見せんか! 敵を倒すまで帰ってくるなよ! ほら、行け!」
今日もまた劣勢にも関わらず無策な突撃を命じられ、部下達は渋々それに従うしかない。
オルソ自身は当然のように突撃には加わらず、後方から指示を飛ばすだけだった。
これももう、この部隊の兵士にとってはいつもの光景である。
無謀な突撃命令の結果、残党軍にある程度の損害は与えたものの、こちらも多数の負傷者を出してしまい、互いの被害を天秤にかければむしろ自軍の方がダメージを受けていた。
他の部隊のフォローもあって何とかこの戦線は切り抜けられたからよかったものの、総指揮官がオルソだったなら、とっくに全滅している頃だろう。
戦闘後の上官への報告で、オルソはいけしゃあしゃあと自部隊の大損害の原因を部下に押し付けた。
「功を逸った兵士が、私の指揮も聞かずに突出しまして、かなりの被害が出てしまいました! これらは私の監督不行き届きであり、猛省しているところであります!」
嘘八百を並べるオルソの言葉を鵜呑みにした上官は、彼を処罰しようとはしなかった。
「まあ、そう言うな。他の部隊からの報告では、被害が大きかったが敵にも損害を与えたそうじゃないか。命令無視をした兵士には然るべき処分を下すとして、君はよくやってくれた」
「もったいないお言葉、ありがとうございます! 今後は、部下の教育にもより力を入れて統率を高める所存であります!」
こういった行為を繰り返すオルソに、後ろめたさや罪悪感などは微塵もなかった。
部下など、所詮は自分が昇進するための踏み台に過ぎない。
負傷しようが、戦死しようが、自分がその責任を追及されなければそれでいい。
かなりの被害を出した討伐隊は、任務を終えて首都アディンセルへと帰還する。
だがオルソの無茶な命令のせいで重傷を追った兵士は少なくなく、数日後に首都に到着するとすぐに城の医務室へと運ばれた。
「まったく、どいつもこいつも根性無しばかりで困る。もっとマシな兵士を補充してくれんもんか……」
自分の指揮の無能さが原因なことを棚に上げて、部下への不満を漏らしながら医務室から出ていくオルソ。
彼の姿が見えなくなったことを確認した兵士の一人は、ここまで運んできた重体の仲間の容態が安定したことを医者に確認すると、走り去っていった。
そのままその兵士は城内を駆け回り、今の状況から自分達を救ってくれるかも知れない人物のアテを探す。
夕暮れ時になり、ようやくその人物を発見した。
他でもない、ジョイスだった。
「カーパー将軍、折り入って相談したいことがあるのですが、今よろしいでしょうか?」
この兵士は、ジョイスとは所属も階級も違う。
接点と言えば同じ連合軍の軍人というくらいのものだが、軍の規模が大きいだけに直に対面するのはこれが初めてだ。
「深刻な要件のようだな。私の執務室で話を聞こう」
兵士の表情をひと目見たジョイスはこの後のスケジュールを一度横に置いて、相談に乗ることにした。
「ありがとうございます、将軍」
所属は違っても、ジョイスの噂は彼の耳にも届いていた。
帝国軍の副将だった時代から部下をとても大切にし、気さくに接してくれる人徳のある指揮官――その評判を信じて藁にもすがる思いで相談したのだが、まず第一歩は掴めた。
ジョイスの執務室に案内され、二人っきりになったところで兵士は本題を話し始める。
「我々の部隊の隊長は、あのオルソ・ダッツィです。ご存知ではありませんか?」
「オルソ・ダッツィ?! ああ、帝国時代から悪評高い男だ。まさか、連合軍でも悪さをしているのか?」
話を分かって貰えそうだと思った兵士は、今までのオルソの暴虐を打ち明けた。
そして最後に無茶な命令のせいで仲間が重体になり、今も医務室で意識不明のままだということも。
「それはいかんな。すぐに証拠を集めて、軍法会議にかけよう。もうしばらくの辛抱だ、その間耐えてくれるな?」
無能な指揮への不信任、上官へ虚偽の報告、隊長から降格させるか軍を追い出すには十分だ。
かつてのオルソの悪評からして、兵士の話は真実に違いないと確信を得ていたジョイスだが、確たる証拠も無しに軍法会議にはかけられない。
そのことは兵士も重々承知で、そこに不服などあるはずもなかった。
「ありがとうございます、こんな下っ端の兵士の相談に耳を傾けて頂いて……」
「何を言う、兵士無くして軍隊は成り立たん。そして本来、我々将は兵を生かすのが仕事だ。決して死なせることではない」
これ以上の犠牲者を出さないためにも、ジョイスはすぐに行動を開始した。
オルソの部下の兵士を一度帰らせた後、彼は自分が指揮する精鋭である護衛部隊の中でも特に腕の立つ兵士を執務室に呼んだ。
「どーも、ジョイス隊長。自分に何かご用っスか?」
重装兵としては身長は中背くらいの男だが、体格はがっちりとしており、よく見ると鍛え込まれていることが分かる。
ジョイスよりも少し若く、砕けた口調で話すこの兵士は、ジョイスが副将だった頃からの右腕だった。
名を、ケーニッヒと言う。
「お前に調べてもらいたい男が居る。あの、オルソ・ダッツィだ」
「うわっ、あいつまだ軍に居たんスか? 絶対悪さしてるっスよね」
オルソの名前を聞いた時点で、ケーニッヒは自分が何をすべきか薄々勘付いていた。
「うむ、かなりの暴虐を働いているらしい。お前には、奴を尾行してその証拠を掴んできて貰いたい。証拠が集まり次第、軍法会議だ」
「了解っス! 今度こそ、あのクソちょび髭野郎を牢獄送りにしてやるっスよ」
新たな任務を受けてジョイスの執務室を出たケーニッヒは、獲物を追うハンターの如く追跡を開始する。
この時まだ誰も、自分達が地獄の釜の蓋をゆっくり開けているとは気付いていなかった。
To be continued
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