第四章 亡き王国の為のパヴァーヌ編
第51話 『血の記憶』
過酷な旅の末、ようやく目的地の魔法大学に到着し、宝剣を解析して貰えることになったキラ。
ついに剣の謎は暴かれ、そのまま彼女も失っていた記憶を取り戻す。
唖然とする仲間を前に、キラは自分がロイース王国の王女であることを宣言した。
「ま、マジかよ……?!」
ディックを始め、旅の仲間達は驚愕の表情を浮かべながらキラを見つめる。
次の瞬間、まだ記憶が戻った衝撃が残っていたのか、目眩を起こしてよろめくキラ。
阻む結界も無くなった今度こそ、ルークは彼女に駆け寄って支えた。
「キラさん、大丈夫ですか?」
ルーク自身、キラを案じる気持ちが第一だったが、同時に自分も気が気でなかった。
これまでの彼女の振る舞いや仕草から、元は高貴な人物であった可能性も考えていたルークだったが、まさか大国の姫だとまでは思わず、身分の差に少なからず臆していた。
キラも記憶が戻った今、ルークを始めとした仲間を必要とするかも分からない。
内心、彼女の身体を支えようと差し伸べた手を跳ね除けられる覚悟もあった。
「ごめん、ルーク。また心配かけちゃった」
だがそんな彼の不安を打ち消すかのように、キラは以前と変わらぬ、ルークのよく知る笑顔で答える。
「まだ頭の中、混乱してて……目眩もするかも」
「無理はいけません。部屋で休んだ方が」
ルークの言葉に、キラはうなずいた。
心配をかけまいとにこやかな表情を崩さないものの、額には脂汗が浮かんでいる。
これまで失われていた記憶が一気に戻ったショックが、まだ癒えていないのだ。
「記憶や気持ちの整理をする時間も必要だろう。今日は部屋に戻って、ゆっくり休憩するといい」
セルゲイにそう促され、一行は研究室を後にした。
まだ足元がふらつくキラにはルークが肩を貸し、解析が終わった剣は鞘に戻して彼女のベルトに差した。
仲間達と少し距離を開けて後ろを歩きながら、ソフィアはセルゲイに疑問を投げかける。
「何故、王女であるキラが聖剣を持ってアルバトロス領に居たのでしょう? 王国で一体何が……」
「魔法大学には、ロイース王国から出張して来ている魔術師も何人か居てね、定期的に手紙で連絡が来るそうだ。彼らから聞いた話によれば、今のロイースは国王不在で代わりに大臣が統治しているらしい」
セルゲイが言うには、王宮に賊が押し入り王族を皆殺しにし、国王もその時に亡くなったようだ。
王位継承権を持つ王族全てが根絶やしにされたため、次の国王をどうするかという話になり、そこで一気に台頭し実権を掌握したのが一人の大臣だと言う。
「怪しいですね、その大臣……。そもそも、大国の王宮にただの賊が押し入るという時点でおかしいわ。しかも、宝を盗むのではなく王族を根絶やしだなんて」
盗賊と言えば金目当て、真っ先に目指すべきは玉座ではなく宝物庫のはずだ。
それが盗みよりも王族の暗殺、しかもご丁寧に一族郎党皆殺しまで行くとなると王家に相当な恨みを持っていたか、はたまた誰かの差し金かという話になってくる。
仮に盗賊ではなくプロの暗殺者だったとして、王宮側にも訓練された近衛兵が居たはずだ。
厳重な警備を掻い潜って侵入し、王家を根絶やしにするなど、そうそうできるものではない。
内部からの手引きでもない限りは。
「ここだけの話、私も同意見だよ。そのため国外からは『大臣によるクーデターだ』とする見方も多くある。大臣の言う『賊』も、未だに見つかっていないことだからね」
結果を踏まえて誰が一番得をしたかを考えれば、自ずと怪しい人物は絞られる。
だがその第一容疑者である大臣が仕切っている王国内では、クーデター説を口にすることすら禁忌とされ、もはや誰も事件の真相を追求できない状態にあるようだ。
「……キラの置かれている状況は、かなり逼迫しているかも知れませんね」
王族は皆殺しにされ王位継承権を持つ者が絶えたということだが、それならば最後の生き残りであるキラは唯一、玉座を継げる地位に居ることになる。
それはつまり王族に代わって国を牛耳る大臣の政権基盤を覆すものであり、大臣からすれば目の上のたんこぶ。全力で排除せねばならない敵だ。
「私の方でも、ロイース出身の学者達と話し合ってみよう。事と次第では、ここに亡命政権を擁立することも考えねば」
そうやって話しているうち、キラ達は来客用の部屋の前まで来ていた。
「今後のことは慎重に決めるとしよう。リリェホルム君、君も今日は休むといい」
「はい、そうします」
そこでソフィアもセルゲイと別れ、仲間達の列に戻った。
「キラの様子はどう?」
「目眩と疲労感が酷いそうなので、ベッドに寝かせました」
ずっとキラに肩を貸して寄り添っていたルークが、寝室から出てきて答える。
本来なら剣の正体が分かっただけでなく記憶も全て戻ってきたということで、祝いの席のひとつでも開くところだった。
しかし一行が思っていた以上のスケールと油断ならない状況から、すっかりお通夜のような雰囲気が漂う。
「キラちゃん、大丈夫かな……」
いつも騒がしいディックも、心配と緊張が綯い交ぜになってどう表現していいか分からず、口数が一気に減っていた。
「ちゃん呼びなんてしてていいの? 一応お姫様なんでしょ、キラって。あんた、首が飛ぶかも」
そんな中、レアは相変わらずの様子だった。
「げぇっ、それは嫌だな……。って言うかチビ助、お前空気読まねーな」
「あんたがそれ言う?」
言い合いを始めるディックとレアを余所に、ルークはキラを寝かせた寝室のドアを不安そうに見つめていた。
ふと彼が横に目をやると、メイも同じように無言で寝室に目をやっている。
長い前髪のせいで表情は半分隠れているが、恐らく今のルークと同じ面持ちだろう。
「心配なのは分かるが、今はそっとしておいてやるべきじゃろう。キラ自身、まず気持ちの整理をつける時間が必要じゃからのう」
二人の後ろから、ギルバートがそう声をかける。
「……そうですね」
「うん、分かってる」
その間にも、別の席ではソフィアとエドガーは険しい顔で外側から分かるロイース王国の現状を話し合っており、ユーリは我関せずと言った様子で壁にもたれ、ヤンは落ち着きなく部屋の中を歩き回り、カルロはと言うと部屋の隅で縮こまってネズミかあるいは空気のように存在感を薄くしていた。
仲間達は緊張しながらも、それぞれ自分なりのやり方で、キラが起きてくるまでの時間を潰した。
一方、ルークにベッドに寝かされて休むよう言われたキラは、急に戻ってきた記憶が頭の中を駆け巡り、横になっていても落ち着かない状態だった。
普段なら柔らかいベッドに身体を横たえた時点で心地良さに眠気が襲ってくるのだが、今日は考え事が次から次へと浮かんで却って考えが纏まらない。
ただひとつ明確に分かったのは、何故自分が今まで異様なまでに血を恐れていたのか、その理由だった。
(お父様にお母様、お兄様、お姉様達、弟に妹、叔父様や叔母様……皆、殺された……)
特にキラの父親、すなわちロイース国王は彼女の目の前で殺害され、その時に見たおびただしい量の血が目に焼き付いて離れなかった。
家族を失った悲しみ、怒り、そして死への恐怖。
それらが混ざり合い、記憶を失ってなおショッキングな光景としてキラの脳裏に刷り込まれていた。
本来なら家族を殺されたその場で泣いて、喚いて、感情を吐き出したかったが、暗殺者が迫っている状況ではそれも許されず、逃げるしか無い。
そして逃げた先で記憶を失い、原因を忘れてしまった彼女は、血を見る度に沸き起こる感情の元が何なのか、自分自身でも分からなくなっていた。
「うぅ……ぐすっ」
気付けばキラは嗚咽を漏らしていた。
あの時泣くことを許されなかったので、今泣くしかない。
せっかく一人にしておいてくれている、この間に。
仲間の前で泣いても、誰も責めはしないだろう。
だがキラは事件当時に流せなかった涙をまず出し切ってしまいたかった。
これは仲間と共有するものでなく、一人で泣くものだ。
「えぐっ、えぐっ……。お父様……お母様……お兄様……! わ、私……私は……!」
キラは上に兄と姉二人を持つ三女。
王位継承権第一位はもちろん兄であり、四人目の子供であるキラはこれと言って政争を考える必要もなく、のびのびと生きていた。
王族ということで一般人のような自由はなかったものの、次期国王として厳しく育てられた長男に比べれば、比較的気楽な立ち位置だったと自分でも思う。
平民の多くが食うに困る中、何不自由なく育てられてきたキラにとって突然訪れた最大の試練、それがクーデター事件だった。
突然家族を喪ったというだけでも悲しいのに、そこに加えて最後の王族という重責が伸し掛かる。
造反者に乗っ取られた国を取り戻せるのは、もうキラしか居ないのだ。
そのことはキラ自身、父王から聖剣を託された時点で分かっていた。
もう両親も兄弟も親族も、守ってくれる騎士や兵隊も居ない。
一人残された王族として孤独に戦わねばならない。
(一人……? 本当に、私は一人なのかな……)
そこまで考えた時、涙を流しながら閉じた瞼の裏にルークの顔が浮かんだ。
もしかしたらキラよりも美人と言える顔立ちをしていて、だが騎士(ナイト)のように彼女を守ろうと全力を尽くしてくれたルーク。
それこそキラが王女だと分かる前、ただの行き倒れだった頃から彼はそうしてくれた。
そしてルークに続き、ギルバート、ディック、メイ、ソフィア、ユーリ、エドガー、カルロ、ヤン、レア――共に旅をしてきた仲間達が思い浮かぶ。
貴族にして賢者のソフィアを除けば、皆平民であったり傭兵だったり冒険者だったりと、王族とは縁が無いような人物ばかりだが、彼らなら力を貸してくれるという信頼があった。
(ちゃんと事情を説明して、助けてくれるようお願いしなきゃ。私一人じゃ、何もできっこないんだから……!)
一通り泣いて落ち着いたキラは涙を拭うとベッドから起き上がり、サイドテーブルに置いたベルトを聖剣と一緒に腰に着け、寝室を出た。
「キラさん、もう平気ですか?」
部屋を出ると、ルークが心配そうにキラの顔を覗き込む。
窓の外は既に暗くなっており、仲間達はその間ずっと待っていてくれたのだ。
「ありがとう、ルーク。だいぶ気持ちの整理もついたから……」
そう言うとキラは改めて仲間全員に向き直り、表情を引き締める。
「何があったのか、私の知っている限り全てお話します。聞いてください」
一行はうなずき、キラの前に集まって席につく。
キラはまずどこから切り出したものか考えつつ、ことの経緯を説明し始めた。
「まず、改めて自己紹介させて下さい。私はキラ・サン・ロイース、ロイース王国の第三王女です。以前は王族として、何不自由なく暮らしていました」
ロイースの国王と妃の間に三女として産まれたこと、兄が次期国王であったことを簡単に話すと、キラは記憶を失う直前何があったか、知っている限りを話す。
(キラって一応本名だったんだ……。てっきり、仮名だと思ってた)
名前が首から下げていたロケットに書かれていたことを知らないレアは、そんなことを思っていた。
「ある時、王国の騎士団のひとつが反乱を起こしました。その反乱者達に、両親も兄弟も、全員殺されて……。最期に父は、私に王家の家宝である聖剣を守るように言って逃してくれました」
そして追手の兵士を振り切る際、唯一持っている武器として聖剣を抜いたキラは産まれて初めて聖剣を起動し、その力を解放した。
敵を退けることには成功したがその反動でキラは記憶を失い、道なき道を彷徨ううちに行き倒れとなった。
そんな彼女が辿り着いた先が、国境を越えた先のアルバトロス帝国の首都アディンセルだった。
「この先は、ルークが話してくれた通りです。右も左も分からなくなった私を、ルークが助け出してくれて、この聖剣を手掛かりに記憶を探す旅に出ました」
仲間達が固唾を呑んで見守る中、キラは本題であるこれから先のことを話し始める。
「騎士団に王家抹殺を命じたのは恐らく、ジョルジオ・バルバリーゴという大臣です。反乱を起こしたのは、バルバリーゴ直属の騎士団でした。多分今は、国王不在をいいことに王国を支配していると思います」
その言葉に、ソフィアは納得したようにため息をついた。
「やっぱりね。学長から話を聞いた時から怪しいと思っていたけれど、クーデターという噂は本当のようだわ。あなたの予想通り、大臣は今王国を我が物にしているそうよ」
キラは手を握り締めてしばし俯いたが、決意を固めた表情を浮かべると椅子から立ち上がった。
「私には、王家の生き残りとして、そして聖剣を託された者として、王国を取り戻す責任があります。皆さん、どうか私に……力を貸して下さい!」
そう言ってキラは、一行に深く頭を下げる。
本来であれば、王女が平民に頭を垂れて助けを乞うなど有り得ない光景だった。
協力してやりたいのは山々だったが、話の規模が大き過ぎてどうしたものか、特に傭兵のエドガーは判断しかねていた。
(さて、どうしたものかな……。相手は国を乗っ取った大臣、つまりは権力。俺達の戦力で、軍隊を相手にするわけか)
エドガーも職業上、不利な戦況は何度も経験してきたが、ここまで無茶な仕事は知らなかった。
(いくら正当な王女がこっちに居るとは言え、普通にぶつかってもただの手の込んだ自殺でしかない。今更何をやったところで無意味に思えるが……)
ふと目をやると、同じく黙り込んだユーリと目が合った。
お互い考えていることは同じなようで、無言のまま小さくため息をつく。
沈黙の中、最初に口を開いたのはルークだった。
「……私は、約束を果たします。敵が何者であろうと、キラさんの側で共に戦います。あなたがよければ、ですが」
身分の違いを気にして自信なさげに言うルークだったが、キラはそんな彼の手を取って笑顔を浮かべる。
「ありがとう……私も約束、守るから。よければ、なんて言わないで。ルークは立派なナイトなんだから」
記憶を失ったただの行き倒れの頃と変わらない、無邪気な笑顔だった。
貴人特有の気取った傲慢さは感じられない。
(ああ、あなたは本当に変わらない……。例え女王になるまでの僅かな間だったとしても、許されるのなら、私は……)
戦力を欲している今はともかく、戦いに勝って玉座を取り戻したらルークは邪魔者となるかも知れない。
そのリスクを分かった上で、ルークは彼女の笑みを信じてついて行きたいと思った。
「俺も行くぜ! 大臣だろうが何だろうが、ぶっ飛ばしてやらぁ!」
二番手として、後先考えない男ディックが名乗りを上げる。
「私も戦う。報酬は出世払いでいいよ」
「魔術師も居た方が便利でしょう? 役に立つわ」
メイとソフィアも立ち上がり、キラの周りに集まった。
「ワシも力になろう。せっかく面白くなって来たところじゃ、ここで降りるのは勿体ない」
そう言ったギルバートに続き、意を決したヤンとエドガーも声を上げた。
「ぼ、僕も行きます! 戦いはできませんが、傷の手当てなら任せてください!」
「俺も腹をくくるか。まだ贖罪は終わっていないことだしな」
ほとんどの仲間が無謀とも言える戦いに参加する意思表示をした中、ユーリ、カルロ、レアの三人は黙ったままだった。
(どうせ、俺なんかがついて行っても足手まといだ。軍隊と戦うなんて、想像しただけでブルっちまう……。皆いい奴だし、見捨てたくなんてねぇけど……!)
臆病なカルロは、領主やギャングとは比べ物にならない巨大な敵にすっかり怖気づいていた。
(王国? 大臣? 軍隊? 無理無理無理、絶対無理! ボクらで敵う相手じゃないでしょ、分かれよお前ら! 何でそんな簡単に決められるのよ?!)
恐怖していたのはレアも同じで、愛着のあるパーティに残りたい反面、ここでついて行くのは自殺行為だと考えていた。
自然と残る三人に仲間の視線が集まる中、気まずい沈黙が流れた。
「えっと、お、俺はその……王国とか、戦いとか、そういうの、苦手って言うか……」
顔を背けながら、おずおずとそう言うカルロ。
彼もまた、このパーティに世話になり愛着を持ち始めていた一人でもある。
できるものなら一緒に戦いたいと思ったが、そのためには勇気と力が圧倒的に足りない。
「ボクは……その……」
レアは葛藤から結論が出せず、俯いたまま目を右往左往させていた。
今の仲間にこのままついて行きたい反面、気を急いてパーティに残ると言い出さなくてよかったと、彼女は考える。
まさかキラの記憶次第でここまで状況が急変するとは想像しておらず、もしパーティの仲間になりたいと事前に言っていたら、引っ込みがつかなくなっていたかも知れない。
(ボクが面倒見てやんなきゃ、こいつら全滅コース確定だし……。でもでも、それってつまりついて行ったらボクも死ぬってことで……。あーもうどうしていいか分からん!)
レアの脳内では、キラに協力した仲間は勝手に全員死亡確定扱いとなっていた。
「はい、無理はしないでください。今までの旅を手助けしてくれただけでも、十分です。カルロさんにレアちゃん、ありがとうございました」
元より自分のわがままで危険な戦いに巻き込んでいると考えるキラは、二人を責めはしなかった。
不参加を表明したカルロとまだ迷っているレアに頭を下げるキラに続き、ソフィアも口を開く。
「二人は大学に残るといいわ。カルロは送迎の御者として雇用、レアも奨学金諸々の入学手続きは学長に話してあるから」
ソフィアも元々、この二人は安全地帯である魔法大学に到着したら、そこで別れるつもりだった。
少なくとも当面の身の安全と生活の保証はされたわけだが、カルロもレアもここ一番でパーティを抜ける居心地の悪さを感じていた。
迷いが隠せない二人と違い、最後に残ったユーリはきっぱりと言い切る。
「俺は降りる。報酬が割りに合わない」
ユーリにとってはただの仕事、エドガーのように負い目があるわけでもない。
金にならないと思ったら抜ける、それまでのことだった。
キラはその判断を受け入れようとするも、ソフィアが引き止める。
「つまり、報酬次第ということね?」
これから圧倒的不利な戦いに身を投じる上で、暗殺や破壊工作を専門とするユーリの手は必要不可欠と言えることを、彼女はよく理解していた。
何なら王国軍相手にゲリラ戦を挑むこともあるかも知れない中、そういった経験のない人材だけでチームを組むのは危険だ。
「金貨40枚でどうかしら? 前金で10枚、成功報酬で30枚。悪くない額のはずよ」
「そんなに?!」
これには貧乏暮らしのディックが驚いて声を上げる。
銀貨と違い、金貨の価値は非常に高い。
それこそ王侯貴族が高価な物の取り引きに使うコインで、庶民はまずお目にかかる機会すらない。
その金貨を40枚ともなれば、一介の傭兵に支払う報酬としては破格の値段だ。
贅沢をしなければ、これだけで一生食うに困らない額である。
「断る」
だがユーリはそんな好条件を一蹴した。
「なら、金貨をもう10枚追加して……」
「金の問題じゃない」
元々、依頼の期限はキラが無事に旅を終えるまでとのことだったが、ユーリの判断でいつ抜けても構わないという条件だった。
このパーティに情が移らないうちに離れようと思っていた彼にとっては、状況が変わった今こそがいい見切りの付け時というわけだ。
「命あっての物種だからな」
一応、これもユーリの本音だった。
地獄の沙汰も金次第とは言うが、欲をかいて危険な仕事を引き受け、挙げ句死んだ同業者など大勢居る。
あの世に銭は持って行けない。
自分の荷物を持って部屋を出て行こうとするユーリの背中に、ソフィアは最後のカードを切った。
「もし私が死んだら、魔法薬の調合もできなくなるけれど? それでいいのかしら?」
「……それは、困る」
ソフィアは魔法薬が彼の生命維持に欠かせない物であり、かつうかつに世間に出せない秘匿された薬品であることを知っていた。
命綱の薬を調合できるのはソフィアだけ。
彼女はユーリの生命線を握っているのだ。
「困るなら、私とキラの二人を何が何でも守り抜いてちょうだい。これが新しい依頼よ」
背を向けたままうつむくユーリは迷った。
確かにソフィアを失うことになれば痛手だが、何も魔法薬の調合は彼女でなければ不可能というわけでもない。
報酬の一部として受け取った薬はまだ何本か残っており、これをサンプルとして口の堅い魔術師に複製を依頼すれば問題は解決する。
(長居すれば、また昔のように……)
ソフィアを始め、固唾を呑んで見守る仲間の視線が背中に突き刺さる。
彼らを『仲間』と思ったことはない。
それは付き合いの長いソフィアとて同じこと。そのはずだった。
「……金貨55枚で手を打つ」
ため息をつきながらユーリは振り返る。
「契約成立ね。前金は15枚で構わないかしら?」
「ああ」
ユーリはこれから先の戦いに怖じるでもなく、破格の大金に舞い上がるでもなく、いつも通りの淡々とした様子で答えた。
(もし失敗したなら、ソフィアだけ担いで逃げればいい)
彼にとっては魔法薬を調合してくれるソフィアが重要なのであり、キラもロイース王国もさして興味は無かった。
もちろん逃げ出すような事態にならないよう、雇われたからには全力を尽くすつもりではある。
だが世の中常に上手くいくとは限らないものだ。
「いいなぁ。ちょっと貸してくれよ、その金貨」
ユーリの心中を知らず、ディックは口を尖らせる。
真っ先に報酬の話もせず話に乗ったのは彼自身なのだが、そんなことは既に忘れていた。
「あはは……。今は大したお金も持ってないですけど、王国を取り戻すことができたら、ディックさんも含めて皆さんには王宮からお礼をしますから」
なだめるようにキラがそう言うと、飛び上がるような勢いでディックは喜んだ。
「ぃよっしゃ!!」
そして王宮からの礼と聞いて、心が揺らぐ者がもう一人。
(国を取り戻したお礼とか金貨何十枚になるんだろ? もしかしてボク、億万長者ワンチャンある?! いや、でもその前に死んだら意味ないし……)
レアは結局いつまでも悩み続け、頭を抱えながら唸っていた。
To be continued
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