第39話 『エールとワイン』

 クラウスとの対局を終えて執務室に戻ったカイザーは、着任予定の士官を待った。

 しばらくして、ドアがノックされ、一人の女武将が執務室に入ってくる。

 鮮やかな金色の髪を左右で結んだ、20代後半くらいの落ち着いた女性だった。

 軍服と軍帽は白を基調に差し色として真紅が使われ、胸につけた階級章から主将であることが分かる。

「ハルトマン議長殿、『白百合騎士団』新団長ミランダ・ピアース、本日をもって着任致しました」

 毅然とした態度で敬礼し、着任報告を告げるミランダ。

 彼女が率いる『白百合騎士団』とは、この時代には異色の女兵士ばかり集めた騎士団だった。

 騎士団の歴史は古く、およそ200年程前、アルバトロスがまだ中小規模の王国だった時代にまで遡る。

 当時、男衆が出払った後の城を、敵の強襲から女だけで守り抜いたというのが発端である。

 主力部隊の留守を狙って敵は城攻めを行い、城を任されていた女城主は徹底抗戦を決意する。

 武将の妻から、武器を持った経験もないただの侍女まで、総動員で籠城戦を行ったのだ。

 このまま負ければ慰み者にされて殺される。

 後がない女城主率いる女兵士達は、素人に至るまでまさしく必死で戦った。

 城の留守を任されるだけあって、女城主の戦術眼は確かなものだったと言われている。

 一匹の狼に率いられた羊の群れは、時に一頭の羊に率いられた狼の群れを凌駕すると言う。

 この例もまさにそれで、ほとんどが武術の素人でありながらも城の防衛設備をフルに活用し、女だからと侮る敵を見事に退けた。

 その戦果に当時の国王は甚く感心し、彼女らをひとつの騎士団として認める異例の人事を行った。

 それが白百合騎士団の始まりだった。

 だが時代が過ぎると共に白百合騎士団の役割も移ろい、近年は皇族や貴族などへの接待が主な仕事で、後は式典を彩るだけのお飾り部隊と化していた。

 それを良しとせず、実戦にも耐えうる本物の騎士団として認めてもらおうと自身と部下に厳しい鍛錬を課していたのが、帝国時代はまだ副将だったミランダである。

 当時の主将はそんな彼女を嗤い、上層部に媚びを売ることで立場を保っていた。

 だがカイザーの革命成功により、状況は一変する。

 主将だった女武将はこれまでのようにカイザーに色仕掛けで取り入ろうとするが、それがかえってカイザーの逆鱗に触れた。

 彼はすぐにその主将を解雇すると、実直に訓練を重ねていたミランダを次の団長へと任命する。

 正式にその人事が通り、ミランダが騎士団長に着任したのがちょうど今日だったのだ。

「ご苦労。君達の訓練の様子は以前に見せてもらった。あれだけの練度があれば、実戦で十分通用するだろう」

 ミランダは確かに厳しい鍛錬を課したが、自分だけ楽をしようとはせず皆に対して公平で、凛としたその態度から副将だった時期から部下の女兵士達からの人気は高かった。

 彼女が鍛えた女兵士達の動きは統率も取れており、ミランダが主張したように実働部隊として前線に投入できるレベルに達しているとカイザーは判断した。

「ありがとうございます。お役に立てるよう、団員一同、全力を尽くす所存です」

「いい返事だ。我々は常に優秀な人材を求めている。君のこれからの活躍に期待させてもらおう」

 これは世辞ではなく、本心からの言葉だった。

 アルバトロスを取り巻く情勢はまだ不安定で、特に軍は人材不足に悩んでいる状態だ。

 中には女だからと偏見を持つ者も居るが、今はそんなことは言っていられない。

 実力が伴っていれば、男であろうが女であろうが登用する。それがカイザー流だ。

「はっ! では部下の訓練もありますので、これにて失礼致します」

「分かった、下がっていいぞ。……ただ、張り切るのもいいが、無理はしないようにな」

 こういう実直で生真面目なタイプは、頑張り過ぎで倒れてしまうケースも彼は多く見てきた。

 カイザーなりの気遣いだが、きちんと意味は汲み取ったのかミランダは敬礼すると執務室を出て行った。

「さて、俺も書類の山と格闘するか……」

 うんざりしながらも新しい国造りを実現すべく、今やるべきことにカイザーは手を付けた。


 ちょうどその頃、今日の話題となったカイザー対クラウスの対局とはまた別の、注目の試合が行われていた。

 今回チェスで対戦したのはクラウスの側近の片割れであるトマス・ファン・ダイクと、カイザーのお抱え軍師であるヴェロニカ・ヨハンソンだった。

 女嫌いのクラウスは絶対に女性とチェスを打とうとしなかったが、トマスには別に抵抗感はない。

 たまたま時間の空いた二人は、何とはなしにチェス盤を挟んで向かい合った。

 トマスの部下の僧兵を含め、何人かのギャラリーに見守られながら、二人の対戦が始まる。

(確かに奇抜な打ち方だ。それにこれは……様子見、なのか?)

 トマスは序盤から困惑した。

 ヴェロニカは従来のセオリーから外れた奇妙な打ち方で既に有名になっており、型に囚われない変幻自在の戦法から『盤上の魔術師』などと呼ばれ、武将達から恐れられていた。

 チェスの打ち方は基本的にパターンが決まっており、相手の動きに対してどう対処するか、という”正解”が概ね決まっていた。

 そのパターンの中から、いかにミスをせず最適解を選び続けられるか、という勝負になりがちだ。

 だが王道とされる戦術にまるで沿わないヴェロニカの打ち方は、そんな型にはまったベテランであればある程に混乱させる。

 何を意図して駒を動かしているのか、全く読めないからだ。

 トマスも『闘将』と名高いだけあって、武勇だけでなく指揮においても優秀な武将だった。

 チェスでもクラウスと何度も接戦を演じ、時に勝利したこともある。

 ヴェロニカの打ち方にペースを乱されながらも、彼女の動きが保守的であることを彼は見抜いていた。

 期待の軍師は根は臆病であると噂で聞いていたトマスは、てっきりヴェロニカが守りに入っているのだと考え、得意の攻め手で畳み掛ける。

 しかし対するヴェロニカは相変わらずジャンクフードを口にしながら、何を考えているか分からない表情のまま、淡々と駒を動かし続ける。

 その様子からは余裕すら感じられた。

 しばし攻勢のトマスが優勢かと思われた中、やがて6~7手先を読んだ彼は、ある事実に気がついた。

(まずい、徐々に追い込まれている?)

 一見攻めに出ているトマスの黒陣営が主導権を握っているかのように見えるが、いつの間にか蜘蛛の巣のように張り巡らされた罠の中へと囲い込まれていた。

(これを、全て計算尽くでやったと言うのか……!)

 最初、無意味な駒の動かし方をして揺さぶりをかけていたのかと思ったトマスだが、それは2手3手先を読むどころか、20手30手先を見越しての布石だった。

 後にトマスは『置き駒』や『追い込み漁』と呼んで自分の戦術へと取り入れるが、長い射程を持つビショップやルークといった駒を先に動かし、ジワジワとその射程内へ追い込む戦法だ。

 優位にあったはずのトマスは一転、立て続けに自軍の駒を失い、劣勢に立たされた。

 もちろんトマスもただやられるだけではない。

 残された駒で反撃を試みるが、尽くがまるで宙を舞う木の葉のようにかわされてしまう。

 まるであしらわれるかのような戦況に、トマスが導き出した答えはひとつ。

(私の癖が、読まれている? たった十数分の間に?)

 トマスの考えを裏付けるように、ヴェロニカは彼の手を次々と潰しては封殺にかかる。

 完全に戦術を先読みされてしまっているのだ。

 これが初の対局であり、それ程時間も経っていないと言うのにヴェロニカはトマスの思考を読み取り、予知でもするかのように先回りする。

 こうなっては、『闘将』トマス・ファン・ダイクもお手上げ状態だった。

(これが『盤上の魔術師』か……! まるで預言者と戦っている気分だ)

 序盤、ヴェロニカが守りに入っていたのは、文字通りの様子見だった。

 その短時間で相手の戦術の癖を読み、分析を終えたら手玉に取るように追い込んでいく。

 連合軍の武将も、これで次々とやられていった。

 中には”変人女”に負けることを嫌い、彼女との対局を敬遠するような者まで現れるくらいだった。

 トマスもその噂は耳に入れていたが、彼もクラウス同様にあくまで重要なのは勝ち負けではないと理解しており、敗北を恐れず『盤上の魔術師』に立ち向かった。

「王手(チェックメイト)です」

「うむむ……。参った!」

 白のクイーン、ビショップ、ルークに完全包囲され、黒のキングは逃げ場を失った。

 トマスは潔く敗北を受け入れる。

「『魔術師』と呼ばれる理由がよく分かった。いや、お見事。私も色々と勉強になった一局だった」

 実際、ヴェロニカの動きから学べるところは多く、勝負に負けはしたが、得るものは大きかったとトマスは満足していた。

「はあ、どうも」

 一方のヴェロニカは特に喜ぶわけでも誇るわけでもなく、相変わらずぼんやりとしたままだった。

 そんな彼女の様子を見て、今度はトマスが察する。

「君は、褒められ慣れていないようだな」

「ええ、まあ……」

 目を逸らして言葉を濁すヴェロニカ。

 どうやら図星だったようだ。

「元居た国では、あまり評価されなかったと見た。まあ、そういうこともある」

 地元での扱いは散々だったのだろうと、トマスは考えた。

 彼もまた、変人ではないが似たような経験があったからだ。

「追々慣れていけばいい。これは世辞ではなく、正直な賛辞だ。君のような優秀な人材が居れば、ハルトマン議長も安心できるだろう。君が味方でいてくれたことを、神に感謝しよう」

 そう言いながら、トマスは両手を合わせず右手だけで拝むようにして一礼する。

 すると彼の部下の僧兵達もまた、同様に倣った。

 これだけならばよかったのだが、ギャラリーに混じっていた武将の一人が、その奇妙な礼に違和感を覚える。

(何だ、あの作法は? 教会の礼とも違うようだが……)

 教会では、両手を合わせて頭を下げて拝む。

 あくまで西方流の会釈なのかとも思ったが、その武将はずっと引っかかりを覚えるのだった。

 一局終えて懐中時計を見たトマスは、勝負に熱を上げて時間を忘れていたことを思い出した。

「すまんな、もう仕事に戻らなければ。また今度、勉強させて貰おう」

「あー、そうですねぇ。私も仕事しないと……。はぁ……」

 眠そうな目でため息をつくと、ヴェロニカものろのろと椅子から立ち上がり、自分のデスクへと戻っていくのだった。

 カイザー対クラウス、そしてトマス対ヴェロニカの対局は、またたく間に城内で今日の話題の勝負となる。

 多忙な間にも切磋琢磨を重ねつつ、彼らの時間は過ぎていくのだった。


 カイザーとクラウスの接戦の裏で、ヴェロニカとトマスも名勝負を演じた。

 話題となったその対局の後、側近のトマスとナスターシャと共に仕事を片付けたクラウスはこのまま城内の部屋に戻るのも難だと、適当に廊下をぶらぶらと歩いている最中だった。

 そんな時、ばったりとカイザーの右腕と名高いジョイスと鉢合わせする。

「これは、カーパー将軍殿。お仕事を終えられた後ですかな?」

 カイザーが議長に就任すると同時に、ジョイスも主将から連合軍の将軍へと昇進していた。

 偉くはなったものの、本人の希望もあって雲の上の人にはならず、末端の兵士達に寄り添う昔のままのやり方を貫いている。

「クラウス殿。議員就任、おめでとうございます。まあ、こちらはそんなところですな」

 ジョイスは将軍だが、議員ではない。

 クラウスは武将であり、議員でもある。

 政治的にはクラウスの地位が上だが、軍隊内ではジョイスの方が上官となる。

 だがその権力を振りかざすようなこともなく、ジョイスは以前通りだった。

 お互い私室は城内にあるので帰ると言っても城の中を移動するだけなのだが、ジョイスもまた、ただ部屋に帰るだけでは物足りないと考えていたようだ。

「どうでしょう、将軍殿。せっかく時間もございますし、どこかへ飲みに行くというのは」

 味方武将と親しくなっておくのは、軍の結束を強める上でも重要だ。

 それにジョイスも一度共に戦った仲、クラウスは酒の席に誘ってみる。

「いいですなぁ。こういう忙しい時こそ、息抜きが必要というものです。それにクラウス殿、まだアディンセルの地理にはお詳しくないでしょう。いい店を知っておりますので、ご紹介しますぞ」

 ジョイスは将軍になっても、気さくで将兵との交流を大切にしていた。

 この辺りの感覚も、クラウスに近いものがあった。

「ではお言葉に甘えるとしましょう。トマス、ナーシャ、先に休んでいてくれ」

「クラウス様、お体はよろしいので?」

 それまで黙って付き添ってきたトマスだが、彼を心配して尋ねた。

「よいよい、今日は具合もいいのだ。遅くならぬうちに帰る」

 その答えに納得したのか、トマスとナスターシャの二人は一足先に部屋に帰っていった。

「クラウス殿、どこか具合でも悪くしたので?」

「いやいや、こちらの話でございます。この頃ラスカとアディンセルを行き来したもので、疲れが来ておりまして」

 最初心配したジョイスも、それを聞いて納得した。

「ここから西方までは遠いですからなぁ。ささ、あまり遅くならないうちに街に繰り出すとしましょう」

 ジョイスが案内したのは、城下町にある彼がよく部下の兵士と一緒に飲みに来る行きつけの酒場だった。

 落ち着いた雰囲気の小洒落た店で、初老のマスターがちょっといい酒を振る舞ってくれる。

 ゆったりとくつろぎながら、静かに飲むにはうってつけの場所だ。

「なるほど、こういう店もあるのですか。如何せん、田舎の方では中々見ないもので」

 都会の洒落た酒場を、クラウスはひと目で気に入った。

「地方でも探せばあるものですぞ。さて、私はエール酒にしますが……クラウス殿、お好きなお酒などは?」

「私は葡萄酒を頂きましょう。風味を味わうのが好きなもので」

 二人が注文すると、マスターは手早くジョッキとグラスにそれぞれ酒を出してくれた。

 高級品と言う程贅沢でもないが、かと言ってただ酔えればいいという安酒でもない。

 大人が静かに飲むには、このくらいがちょうどいい。

「ほほぉ、この葡萄酒は香りもよくて、風味や舌触りもまろやかで、何杯でも飲めそうです」

 クラウスは出された葡萄酒を一口で気に入り、マスターに銘柄を尋ねた。

 何でも当たり年のいいワインらしく、ワイン好きの客から好評を貰っているとのことだった。

 後で自室でも飲めるよう、その葡萄酒をボトルごと買うことにしたクラウス。

 一方のジョイスも、エールを一気には飲まず、少しずつ味わって飲んでいた。

「ところで、聞きましたぞ? ハルトマン閣下と、チェスの対局で互角に渡り合ったとか……」

「互角など恐れ多い。私では流石に敵わない、まさに名将の打ち方でした。むしろ、負けたにも関わらず高い評価を頂いて、恐縮しておるところでございます」

 互いにそれぞれ好きな酒を口にしながら、会話を交わすジョイスとクラウス。

「何をおっしゃる、閣下のあの猛攻を耐えたということは、かなり守備に長けた戦術眼をお持ちと見ましたが」

 あの対局は今日の話題として武将達の間で噂になっており、ジョイスの耳にも入っていた。

 かなりいい線まで粘ったということは既に聞いている。

「ははは、結局守り切れず負けてしまいましたが。そう言うカーパー将軍殿こそ、相当防衛戦術に長けておられるとか……」

「お褒めに預かり光栄ですな。ところで、こういう席では名前で呼んで頂いて結構ですぞ。堅苦しいのは無しにしましょう」

 将軍に昇進してから、周囲からは『将軍閣下』とかつてのカイザーと同じように呼ばれるようになったが、ジョイスは未だに慣れなかった。

 どうも余所余所しく感じてしまい、かつての同僚達と距離が空いてしまうように思ったからだ。

 だからこそ他の武将や兵士達には、オフの時くらい気軽に呼び合おうと話していた。

「分かりました、せっかくの酒の席なのです。思えば、ハルトマン閣下救出の際にジョイス殿とは共に戦いましたが、あれ以来しっかりお話する機会がありませんで」

「確かに。あの時はバタバタしていたものですからな……」

『あの時』とは、カイザーが訪れた街で帝国軍残党に襲撃され、ジョイス率いる護衛部隊と共に砦に籠城していた時のことだ。

 クラウスは連合軍部隊に加わり、カイザー救出に貢献した。

 あれから、いつの間にやらかなり時が経っていた。

「籠城中は実を言うと心細い状態でしてな。救援が来るはずと信じて待っておりましたが、あの時は本当に助かりましたぞ」

「当時はまだ正式に加盟する前でしたが、見過ごせぬと加勢に加わりまして。無事にハルトマン閣下とジョイス殿を救出できて何よりでございます」

 砦から外の様子を虎視眈々と伺っていたジョイスも、見知らぬ黒ずくめの軍団が帝国軍と戦っているのを見て、一瞬驚いたものだった。

「今までは私が軍の盾となってきたのですが、どうやらクラウス殿も相当に守備が固いご様子。盾が二枚になる日も遠くないでしょうな」

「流石に、新入りの私がそこまで重鎮にはなれますまいて」

 笑いつつ、クラウスはジョイス個人の武勇について触れる。

「そう言えば、ジョイス殿の戦いぶりは実にあっぱれでございました。まさか素手で敵を薙ぎ払うとは。攻撃が全く通らないのは、魔法でも習得なさっておられるので?」

 弓も槍も通さず、文字通り自分自身が盾となって味方を守る猛将ジョイス。

 その屈強さが、クラウスには羨ましく感じられた。

「いや、あれは闘気術という格闘術の一種です。師から教わったものですが、その師も元は異国の武芸者から習ったと言っておりましたな……。少なくとも、マイナーなのは確かでしょう」

「ははは、あれだけ強力な武術を使いこなせる達人が何人も居ては、各国のパワーバランスは崩壊します。まこと、ジョイス殿が味方で助かりました」

 当時の暴れっぷりを見て、クラウスはこの人物だけは絶対に敵に回したくないと考えていた。

 槍による攻撃も全く歯が立たないのでは、クラウスに為す術がないからだ。

「そう言うクラウス殿も、かなりの槍の使い手と見ましたぞ。十文字槍は便利ですが、習熟するのはかなり大変だと聞いております」

「おっしゃる通り、十文字槍を極める道はまだまだ途中でございます。もう何十年と使ってきていますが、未だに奥の深さを痛感します」

 完成された武将のように思われるクラウスだが、そんな彼も今でも修練は欠かさない。

 更なる高みがあると、戦いの中で何度も感じてきたからだ。

 今の自分がベストだと思い、歩みを止めてしまうのは三流だと言う。

 本当の達人は、どこまで行ってもより上を目指そうとし続ける。

 だからこそ、達人を達人たらしめるのだ。

「しかし、守ることが得意な者同士がこうして集まるとは、何とも奇遇なものです。これも縁なのでしょうか」

 クラウスからすれば、ジョイスは確かに軍の上官ではあるが、こうして話してみれば評判通り親しみを持てる人物だと思った。

 彼にとって、いい縁なのは間違いないだろう。

「確かに。一口に守ると言っても、よく臆病風に吹かれたと勘違いされることもありましてな」

「分かります、ジョイス殿。非常に分かります。守勢に入ると逃げ腰だの何だのと、味方から非難されることも少なくない。私に言わせれば、戦いはまず守りが基本にあると思うのですが」

 倒れないよう守っている間、例え反撃の隙がなかったとしても敵軍を足止めすることができる。

 その間に友軍が側面に回り込むなどして、連携して敵に当たればいい。

 ただ敵を食い止める守備の役目は地味になりがちで、度々クラウスが『いぶし銀』と呼ばれる由来はそういった事情もあった。

「その点、ハルトマン閣下は守備が得意な将の扱いをよく心得ておられますな。議長の采配で、私もよく要所の防衛などに宛てて頂きました。おかげで色々と戦果をあげられたものです」

 ジョイスの戦勲も本人だけの力ではなく、それを活かしてくれる上官あってのものだ。

 彼はそのことをよく知っていた。

「なるほど。閣下が対局の後で私の守りの固さを高く評価してくださったのは、そういう理由もあるのですか」

「帝国軍時代は、ハルトマン閣下が攻めに出て、副将の私が守りを担当しておりましたからな。攻めることだけでなく、守ることも同じくらい重要だと考えてくださっているようですぞ」

 今となっては、副将をやっていた時代ももう懐かしい思い出だ。

 ジョイスも今や副将という立場から独立し、主将として自分の部隊を持ち、とうとう将軍にまで上り詰めた。

 地位という面では、これ以上望むべくもないだろう。

「バランスの取れた、良いコンビなのでしょう。ジョイス殿が、閣下の右腕と呼ばれる理由が大体分かってきました」

 そうして会話が進むうち、女絡みの話題となる。

「しかし、そろそろ私もいい相手を見つけて、落ち着くべきかとは思うのですが……。中々うまくはいかないものですなぁ」

 女好きのジョイスならば当然の流れだった。

 実際、彼も相手を探してはいるのだが、いい縁に恵まれず困り果てている状態だ。

「こう忙しいと出会いも少ないですし、かと言って職場恋愛というのも、こういう身分になると難しいものでして」

 ここに来て初めて、クラウスは渋い表情を見せる。

「そこまでして探すものでもないでしょう、女など」

「おや、クラウス殿は女性はお嫌いですかな?」

 ジョイスはまだ、彼が女嫌いであるということを知らなかった。

 つい話題を振ってしまったのも、それ故だ。

 難しい顔のまま、クラウスはグラスの葡萄酒を一口あおるとため息をついた。

「確かに、正直なところ苦手です。……女というやつは、男を裏切るために存在しているような生き物ですから」

 そう言うクラウスの表情は、嫌悪感を表に出しつつも、その裏に沈痛な面持ちを抱えているようだった。

「……なるほど、敢えて事情は聞きますまい」

 今はまだ深く立ち入るべき時でないと判断したジョイスは、話題を変えることにした。

「いや、気が回らず申し訳ない。話を変えましょう。こういう席は、楽しい話をしてこそです」

「私こそすみません。そう言えば……」

 一度は暗い雰囲気になったものの、それからしばらくの間、二人は雑談に花を咲かせた。

「……さて、もう日も落ちて来ましたな。明日の仕事もありますし、早めに帰りましょうか」

 ジョイスにそう言われてクラウスも懐中時計を確認すると、確かにいい時間だった。

「おっと、つい話し込んでしまいました。こういう席は悪くないものでございます。またご一緒させて頂いても?」

「歓迎しますぞ。では最後に……連合国の平和のために!」

 そう言ってジョイスが残り僅かのジョッキを掲げる。

 それに合わせて、クラウスもほとんど飲んだ葡萄酒のグラスを掲げた。

「平和のために!」

 ジョイスとクラウスはそう宣言すると残りの酒を一気に飲み干し、今日の飲み会はお開きとなる。

 二人で会計を済ませると、店を出た。

 クラウスは帰り道はもう分かると言うので、店の外で別れたジョイスはしばし夕暮れ時の風に当たりながら街の見回りに出ることにした。

(首都の復興も大分進んできたな。これも、ヴェロニカ殿のおかげか)

 一度は革命戦によって、建物が壊れるなど打撃を受けたアディンセル。

 今では建物の再建も進み、元よりも更に発展を遂げている。

 ヴェロニカの提案した水道工事の賜物でもあった。

 以前、集結した帝国軍残党により首都の平穏が脅かされたこともあったが、あの時も味方と上手くやってきた。

 カイザー達と協力して守った街を見渡して満足気にしていたジョイスだったが、女性の悲鳴を耳にして咄嗟に振り返る。

「兵隊さん、助けてください!」

 足をもつれさせながら必死に走ってきたのは、20歳前後と見られる若い娘だった。

 平和になったはずの首都で何か問題が起きたのだと、ジョイスは程よく回っていた酔いを頭から振り払い、仕事に移る。


To be continued

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