第36話 『ヴェンデッタより愛を込めて 後編』

 ライラに悩み事を打ち明けた帰り道、キラは心配している相手にどう話をしたものかと考えながら、夜の教会の廊下を歩いていた。

 自分達に充てがわれた女性用の寝室の手前まで来たところで、ふとキラの栗色の前髪が風に揺れる。

 見ればロウソクの火も揺らいでいた。

(風? どこか、窓開いてるのかな?)

 肌で感じる空気の感触を頼りに、寝室とは別方向に足を向けるキラ。

 やがて彼女は、階段を登って二階の廊下へと行き当たる。

「あ……。ルークさん」

 そこに居たのは、窓を開けて夜風に当たっていたルークだった。

「キラさん? 寝付けなかったのですか?」

 物憂げに夜空を眺めていたルークは、気配に気づいて振り向いた。

 その表情はお世辞にも元気があるとは言い難く、夜闇もあって死人のように青白く見える。

(二人っきりの今が、チャンスなのかも……)

 そう思ったキラは、生唾を飲み込みながらも意を決して、ルークに声をかけた。

「ルークさん、今お話していいですか?」

「……? ええ、構いません」

 怪訝そうな顔を浮かべるルークの隣に、キラが歩み寄る。

 どう切り出したものかと悩み、しばし沈黙が続いたが、ようやくキラは口を開いた。

「……ルークさん、最近無理してますよね?」

「いえ、私はそんな」

「素人の私でも分かります。今日だってそう……。何だかまるで、自分を犠牲にしようとしているみたいで」

 何故自己犠牲に走るのかはキラにも分からない。

 だからこそ、知りたいと思って声をかけた。

 一方のルークも、上辺だけで取り繕っているのではなく、本気で自分が無理をしているとは自覚していなかった。

 むしろ努力不足で思うように成果を上げられず、もっと身を粉にしなくてはならないと考えていた程だ。

「どうして、そんな風に自分をいじめるんですか? そんなことしていたら、いつか死んじゃうかも知れないんですよ?」

 意外な言葉に、ルークは思わずキラの顔を見つめた。

 その目は至って真剣なものだった。

 そこで彼は不意に過去の記憶が蘇る。

『駄目じゃない、ルーク。こんな無理をしちゃ。訓練だからって、下手をしたら大怪我になっていたかも知れない』

 かつて大切な家族に叱られた時のことを思い出し、ルークは否定しようした言葉を飲み込まざるを得なかった。

(そう言えば、あの訓練の時もそうだった。私は無自覚で、何も分からず心配をかけて……)

 真っ先に浮かんだのは、申し訳無さだった。

「すみません、心配をさせてしまって。これからは、役に立てるよう気をつけます」

 しかしキラは首を横に振った。

「違うんです。私が言いたいのは、そういうことじゃなくって……」

 うまく言い表す言葉を探して、しばし思索を巡らせるキラ。

 彼女が真剣に大切な話をしようとしていることはルークも分かっていたので、敢えて何も言わず言葉を待った。

「私、恐いんです。もしルークさんが無理をし過ぎて、死んでしまったりしたらと思うと、目の前が真っ暗になって」

 最初の頃はただ、血や人の死を目にすることを理由も分からず恐れていたキラだったが、今一番恐ろしいことはルークを喪うことに変わっていた。

 そちらは理由も自分で分かっている。

「そこまで気を揉んで頂く程の人間ではないですよ、私は。安心してください、役目はきちんと果たします」

 ルークは突き放すようにそう言ったが、一度覚悟を決めたキラは引き下がらなかった。

「何で……そんな、自分の価値を決めつけるようなことを言うんですか?」

 心配される程の人間ではない、とルークは自分を断じていた。

 その後に続く『役目は果たす』という言葉の裏には、そのために死んでも構わないという意味も込められている。

「私にとって一番恐ろしいのは、キラさんの役に立てないまま死ぬことです。足手まといとして失望されるくらいならば、あなたのために死ぬのは本望です」

 ルークは自分自身に価値を見出だせないまま、今ここに立っていた。

 役に立ちたいと思いつつ、思ったように成果が出せない。

 期待ばかりさせて、それを裏切りがっかりさせるくらいならば、いっそ命を燃やして最期に貢献したい。

(役に立てないまま生き恥を晒すくらいならば、この命を捨ててでも……)

 これは彼の本心からの言葉だったが、キラにはそれを受け入れることは決してできなかった。

「そんな、死ぬだなんて言わないで……! 話してくれませんか、過去に何があったのか。何がルークさんをそうさせるのか」

 彼の過去については、ほとんど何も知らない。

 かつてアディンセルで居候していた頃、家族がおらず一人暮らしだということを聞いたくらいのものだ。

 だがキラには、ある種の確信があった。

 過去の体験が、ルークを死に急がせている。

 それを知らなくては、二人は前に進めないのだ、と。

 ルークは迷った。

 今まで誰にも打ち明けたことのない過去を、キラに話していいものかどうか。

「きっと、とても悲しいことがあったんだと思います。話しづらいかも知れません。でも、だからこそ、私にも共有させて欲しいんです! 一人で抱え込まないで、お願いだから……」

 その言葉に、ルークははっとした。

(『一人で抱え込むな』か……。昔、散々言われたな)

 いつの間にか、大切な人の教えを忘れて、また一人で突き進んでしまった。

 その癖は、少年時代から引きずってきたものだ。

 問題があっても中々周囲に打ち明けられず、一人で抱え込んでいるうちに手に負えない程に膨れ上がってしまう。

 それを見抜いていた大切な家族は、度々ルークを優しく叱ってくれた。

 また同じ間違いを繰り返していたことに気付いたルークは、ぽつりぽつりと、少しずつ昔のことを話し始める。

「……私の家庭は、両親と姉と私の四人家族でした。しかし父は国を裏切り、母を刺殺しました。姉はまだ幼かった私を庇うため、父を拘束して告発しました。父が絞首刑になって以来、姉と二人きりです」

 淡々と述べるルークだが、これだけでも衝撃の過去だった。

 キラは思わず息を呑むが、ルークの話は更に続く。

「ですが、不満はありませんでした。姉は軍人としても、人物としてもとても優れていて……私に、色々なことを教えてくれました。それにも関わらず、私は姉の足元にも及ばない落ちこぼれのままでした。それでは両親も見放すはずです」

 自嘲気味に乾いた笑いを浮かべるルーク。

 彼の劣等感の源は、親の態度が根本にあった。

 ルークの姉は彼の言う通り非常に優秀で、弟であるルークは親をはじめ周囲から常に彼女と比較され、そして価値を貶められてきた。

 それでも姉を恨まなかったのは、唯一彼女だけがルークを見放さず、親身に接してくれたからだった。

 しかし自分を皮肉るような自嘲の笑みも、話の途中で消える。

「そんな姉も、戦争で命を落としました。私を庇うため、不利な戦いを強いられたせいです」

 そう語るルークの表情は、沈痛なものだった。

 自分を蔑んだ両親の死以上に、自分を認めて背中を押し、時に優しく叱ってくれた姉を喪った瞬間が、ルークにとっては衝撃だったのだ。

「そんなことが、あったんですね……」

 一瞬聞いてはいけないことだったかと思ったキラだが、一度固めた決意を再び胸に刻む。

 ここまで来たら後戻りの道はない。

 どこまでも、ルークの悲しみを知り、受け止めなくては。

 そう思い、キラは次の言葉を待った。

「私は……アルバトロス帝国によって、最後の家族まで全て失いました。今でも後悔し切れません。姉が死ぬくらいならば、替わりに私が死ぬべきだった」

 ルークは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 キラも今までに見たことのない表情だった。

(キラさん、あなたには記憶を取り戻して幸せになって欲しい……。だが、私にはその隣に居る資格などない。本来はあの時、死ぬべきだったのだから)

 自分が足を引っ張ったせいで姉は死んだのだと、ルークはその日以来自分を責め続けていた。

 自分が邪魔をしなければ、そもそも自分など存在しなければ、姉はハンディを背負わず全力で戦い、帝国兵など軽く蹴散らしていたに違いない。

 その思いが、いつしか呪縛のように彼を雁字搦めにしていた。

 彼の深い悲しみの原因を知った彼女だが、ひとつだけ訂正しなくてはならない間違いがある。

「ルークさん、それは違います!」

 キラにしては珍しく、きっぱりと否定の言葉を口にする。

「お姉さんが亡くなったのはとても悲しいです。私ももし家族を喪ったら、自分のこと以上に悲しむと思います。でも、ルークさんはお姉さんの替わりではないんです!」

(これも……姉さんがいつも言っていたことだ)

 姉はルークが両親から吹き込まれた通りに、自分と彼女を比較して自らを卑下するルークをいつもたしなめ、励ましてくれた。

『ルークは私の替わりではないし、もちろん私もルークの替わりは務まらないよ。ルークには私にできないことができる』

 いつもそう言っていた。

 キラとこうして話せば話す程、昔のことを思い出す。

 しかも一番大切に思っていた姉にかけてもらった、なのに今まで忘れてしまっていた言葉が、次々とキラの口から出てくる。

「ルークさんの替わりは誰も居ないんです。ルークさんは、ルークさんなんです! だから、『替わりに自分が死ぬべき』だなんて言わないで……!」

 キラは感極まって涙を浮かべていたが、それに気付いた彼女はぐっと堪えて袖で拭った。

 自分が泣いている番ではない、今一番悲しんでいるのは他でもないルークなのだ。

「……本当に、あなたは姉にそっくりな人です」

 ルークは自分を取るに足らない人間だと思い込んでいた。

 だからこそそんな自分を見捨てず、時に励まし、時に叱ってくれる姉の底無しの優しさが、余計に眩しかった。

 彼が何度自虐的になっても、姉は今のキラがそうしたように、優しくたしなめては再び立ち上がって前へ進む力をくれた。

「姉を喪ってから、もう二度とそんな人が現れるとは思っていませんでした。赤の他人の私に、そこまで親身に接してくれる人が居るとは……」

 少し呆気にとられながらも、ルークは徐々に態度を軟化させていった。

 安心感にも似た懐かしさを、これまでになく目の前のキラに感じていたからだ。

 今まで、他人からここまでの親しみと慈愛を感じたことはない。

 何故キラは自分にそこまでしてくれるのか。

 まさに彼にとって唯一の肉親と言えた姉のように、我が事のように親身になって優しく叱ってくれるのか。

 ルークには分からなかった。

 一方のキラは、言うならば今しかないと、顔を真っ赤にしながらも言葉を紡ぐ。

「だって、私にとって……ルークさんは、特別な人、だから……」

「えっ?」

 これはルークにとって、意外な一言だった。

 今まで苦しい旅を一緒に続けてきたが、そんな風に思われているとは微塵も考えなかったからだ。

「ルークさんが特別だから、死んじゃったらどうしようって恐くて、悲しいことを抱え込んでいるなら私にも一緒に背負わせて欲しくて……。それで、失礼かも知れないって思っても、昔のことを聞いたんです」

 気恥ずかしさに先程までと打って変わって視線を右往左往させながらも、キラは本心を告白した。

「私にとって、ルークさんが一番大切なんです。一番に、大切な人なんです! ……ルークさんは、その、私をどう、思っていますか?」

 今度はルークが返答に困った。

 この分野において鈍感な彼はキラに慕情を寄せられているとは思わなかったし、同時にキラを異性として意識したこともなかったからだ。

 キラに全く魅力がないというわけではない。

 ただ、そんな余裕が今までなかっただけだ。

「私、は……」

 キラの気持ちは十分に伝わってきた。

 本気でルークを想い、案じて、寄り添おうとしてくれていることも。

 だからこそ、ここまで親身になってくれているのだ。

 だがルーク自身は、自分にとってキラが何なのか、答えを見出だせずにいた。

(私にとって、キラさんはどういう存在なのだろうか? 今まで考えたこともなかった)

 アルバトロスの首都で行き倒れたキラを救ったのも、容姿は似ていなくともそこに姉の面影を見たせいだ。

 知らず知らずに亡き姉の姿を重ね、だからこそ彼女を守ろうと必死になって戦った。

(彼女は、私にとって姉さんの替わり、なのか……?)

 ここに来て、ルークは自分が姉の面影ばかり追い求めて、キラ自身を見ていなかったのではないかと思い至る。

 キラを通して姉を見ていたからこそ、キラ本人が自分にとってどんな人間なのか、よく分からないままここまで来てしまった。

(だが、本当にそれだけなのか? 私は、姉さんのことを抜きにして、キラさんをどう思っているんだ?)

 うつむいたまま、ルークは考え込む。

 キラはそんな彼を、じっと見守りながら答えを待っていた。

 しばしの沈黙の後、ルークは顔を上げて口を開いた。

「……まず、あなたに謝らなければなりません」

「え……?」

 意外な言葉に、今度はキラがぽかんと口を開ける。

「私はずっと、キラさんを姉の替わりとして見ていました。あなた自身を見ていたわけではなかった……。ですが、それはとても失礼なことだったと、今になってようやく分かりました」

 ルークはしっかりとキラの目を見て話し、深々と頭を下げた。

「そ、そんな! 私は……」

 キラは恐縮してしまうが、ルークは自分の想いを綴った。

 思い切って告白してくれた、キラに報いるためにも。

「キラさんがさっき言ってくれた、『私に替わりはいない』という言葉、それはキラさんにも当てはまります。あなたは私の姉とは違う人です。いつまでも姉の姿をキラさんに見出すのは、もうやめにします」

「ルークさん……」

 少なくとも、姉ではなく今度こそ自分自身を見てくれた。

 そのことが、キラにとってはまず最初の一歩のように感じられ、少し嬉しい気分だった。

「私はまだ未熟者です。あなたを守ると言いながら守り切れず、姉の教えを忘れて一人で突っ走ってしまう、愚かな男です……」

 そう言いながらも、さっきのように自分を嘲るような意味合いは感じられない。

 自傷行為のような言葉ではないと判断したキラは、話の腰を折らず続きを待った。

「ですが、そんな私を叱ってくれる人がいる。心から心配してくれる人がいる。愛情を向けてくれる人がいる。……どれも、もう二度と手に入らないと諦めていました。そんな幸せはもう、来ないのだと……」

 ルークは穏やかな笑みを浮かべていた。

 この間の深刻に思い詰めた暗い表情から、随分と明るい顔になった。

 その様子を見たキラは、もう一歩踏み出してルークと距離を詰め、両手で彼の右手を取る。

「私も、守ってもらうばかりの弱い人間です。記憶だってありません。でも、もしルークさんが許してくれるなら……ずっと、一緒に居させて欲しいです……!」

 想いを込めて握り締められる小さな手を、ルークも握り返す。

「こちらこそ、こんな私でよければ、これからも見守ってください。今は頼りないかも知れませんが、あなたを守るためならば、私は強くなれる。そんな気がします」

 かつては姉に並び、ゆくゆくは姉を守れる男になろうと邁進した時期もあった。

 その姉が戦火で亡くなり、ルークは生きる意味を奪われた。

 彼に残されたのは、祖国を焼け野原にしたアルバトロス帝国への復讐のみ。

 カイザーの革命に便乗する形で復讐を成し遂げた今、ルークにとって生きる意味は、姉の面影を重ねるキラを守ることに変わっていた。

 だがそれは間違っていたのだと気付き、ルークは改めて生きるための目標を設定し直す。

 今度こそ、他の誰でもないキラ自身を守るため、強くなる。

 いつまでも姉の死を引きずっていた心の弱さとも向き合い、いずれ決着をつけようと、ルークは心に誓った。

「じゃあ……約束、しませんか? これからも二人で生きて、一緒に幸せを掴むって」

 二人で生きる。

 その言葉に込められた意味の重みが、今のルークにとっては心地よかった。

 まず両親を喪い、やがて姉とも死別して天涯孤独となってから、ずっと独りで生きてきた。

 孤独は心に重く伸し掛かり、知らず知らずのうちに精神を削り取っていった。

 だがいざ自分の殻から一歩出てみれば、今の自分はこんなにも恵まれているのだと、ルークは初めて気付いた。

 二人三脚で歩いていける人が居て、信頼できる仲間達も居る。

 もう孤独だった時とは全てが違うのだ。

「はい、誓います。この先何があろうと、あなたが何者であったとしても、常にあなたと共にあり、あなたを守り続けます」

 ルークは握り返す右手に左手も添え、互いに両手を握り合う。

 キラと共にある、すなわち、生きて添い遂げるというルークなりの宣言だった。

 ただの口約束かも知れない。

 だがこの誓いは、ルークにとって大きな意味を持つものだった。

 新たな生きる意味、目標、それを守り通す覚悟。

 全てがここに詰まっていた。

 窓から差し込む月明かりの中、二人はそっと手を離すと、自然と互いに寄り添って抱擁を交わす。

 悲しみを分かち合い、その上で二人一緒に未来へ向けて前進する意志を確かめ合うように。

 この瞬間には、互いに言葉は不要だった。

 しばし二人はそうしていたが、やがてどちらからともなく抱き締める手を離して、密着した状態から一歩下がる。

 恥ずかしさと、ようやく想いを遂げられた高揚感から、キラは耳まで真っ赤になりながらも、上目遣いにルークを見つめる。

「あの、失礼かも知れないけどルークさんのこと、これからは『ルーク』って名前で呼んでもいい……かな?」

「ええ、構いませんよ」

 可愛らしい最初の”お願い”を、微笑みながら聞き入れるルーク。

「えっと、じゃあ、ルーク……。私にも、敬語使わなくていい、よ……? もうお互い遠慮することもない……よね?」

「私はこれが素なので。ですが、いずれは」

 憑き物が落ちたような穏やかな表情のルークを見て、キラはもう大丈夫なのだと確信を得た。

「生き残ろうね、ルーク。これからもずっと、二人で、一緒に……!」

「はい。自分の命を粗末に扱うのは、もうやめにします」

 家族を全て失ってから今まで、自分一人の命などいくらでも雑に扱えると思ってきた。

 だが再び、ルーク一人の命というわけではなくなった。

 この瞬間から考えを改めたルークは、如何にして生きるか、ということを考え始める。

 他でもない、キラと添い遂げるためには、自分も生きて共に有らなくてはならないからだ。

「さあ、もう遅いです。お互い、寝室に戻って寝ましょう」

「うん、おやすみなさい」

 二階の窓を閉めて階段を降り、寝室の前まで来たところで、キラは不意にルークの頬に口づける。

 そのまま気恥ずかしくなって、キラは女性用の寝室へと逃げ込むように入っていった。

 彼は一瞬固まりながらも、柔らかな唇の感触がまだ頬に残っている。

(新たな”生きる意味”……神がいるかどうか、私には分からない。だが何かの巡り合わせで、もう一度チャンスを貰うことができた。今度こそ、守り抜いて見せる)

 明日以降の戦いに備えるためにも、ルークも男性用寝室へと戻っていった。

 休める時に休み、体力を温存する。

 これもまた、姉からの教えだった。


 翌朝、しっかりと熟睡して身体を休めたルークは、司祭の出してくれた朝食を摂りながら、他の仲間達と打ち合わせをしていた。

 聖騎士御用達のこの教会は確かに安全地帯だが、はっきりとした目的地がある一行は、いつまでもここに逃げ込んだまま足を止めるわけにはいかない。

 ならば、ライラの治療のおかげで全員傷も引きずっていない今、すぐにでも出発すべきだろうとルークは提案する。

「そうじゃな、敵もまだ他に仲間がおるかも知れんし、ここに立て籠もっている間に手勢を呼び集められて包囲される可能性もある。敵が態勢を立て直す前に、聖都を脱出すべきじゃろう」

「私も賛成ね。時間が解決してくれない以上、いつまでもここに匿ってもらっていても、埒が明かないわ」

 ルークと同じく早起きしていたギルバートとソフィアは、彼に賛同した。

「うーん……けど、対策ってあるんですか?」

 規則正しい生活を心がけているヤンも既に起きていた。

 彼の言葉ももっともで、右も左も僧侶だらけの聖都ヴェンデッタは、魔女狩りの僧兵達にとって格好の隠れ蓑。

 完全に立地条件は敵に味方している。

 通行人に紛れて悟られぬうちに包囲する戦法で、一度はかなり危険な状態にまで追い込まれた。

 街を脱出する時も、魔女狩り達は必ず仕掛けてくるだろう。

「……いくつか、考えがあります」

 そう言って、ルークは起床してからずっと考えていた策を仲間に話す。

 ギルバート、ソフィア、ヤンの他に、会話には混ざっていないがユーリとエドガー、カルロも既に起きて朝食の最中だ。

 ライラはもう朝食も済ませており、近眼のヤンのために朝一番で新しい眼鏡を新調してくれていた。

 ルークが話している間に、新品の眼鏡を受け取るヤン。

「いやぁ、何から何まですいません、ライラ様。これがないと、全然見えなくて……」

 ヤンは指で眼鏡の位置を調整するが、度も程よく合っており、これで問題なさそうだ。

「度はちゃんと合っているようですね。ところでヤン・コヴァチ、あなたは元居た修道院を焼かれて、聖都まで避難してきたのでしたわよね?」

「あぁ、そのことなんですが……」

 ヤンは自分の考えを口にする。

「昨日の一件もあって、これからどうするか、昨夜ずっと悩みました。実物の魔女狩りをこの目で見たら、今まで信じてきた教会の正義が、何だか崩れていくようで」

 彼はずっと、聖書の内容を鵜呑みにして、それが絶対に正しいと信じて生きてきた。

 一時的とは言え、敵視する魔術師と一緒に行動したというだけでも衝撃だったのに、それに加えて卑劣な魔女狩りの暴挙を見て、ヤンの価値観は揺らいだ。

 昨日、落ち込むヤンにライラは『研鑽を積みなさい』と助言した。

 彼なりにどう経験を重ね、改めて聖書と向き合うのか。

 それを考えた末、ヤンは結論を出す。

「僕は、これからも彼らについていこうと思います。これまで何も知らずに『魔女』と蔑んできた魔術師の人も居ますし、他にも個性的な人達が居ます。彼らと共に旅をすれば、僕も色々な経験ができるんではないかと……」

 それを聞き、ライラは満足そうにうなずいた。

「よい心がけですわ。彼らと苦楽を共にし、様々なものを見て、体験して、それからもう一度、このヴェンデッタへ戻っていらっしゃい。その頃には、あなたも立派な僧となっているでしょう」

「はい! 頑張ります!」

 それからしばらくして、キラとメイも寝室から出て来た。

「お、おはよう、ルーク」

 恥ずかしそうに頬を染めながらも、親しみを込めて朝の挨拶をするキラ。

「おはようございます」

 ルークはいつも通りのようでいて、その表情からは二人の距離感が縮んだことが伺える。

 昨夜どんなやり取りがあったかは把握していないが、ようやく二人の仲が進展したのだと分かり、ギルバートとソフィアは意味深に笑い合った。

「ようやく垢抜けたみたいね。ルークがすっきり立ち直っていたのは、このおかげかしら……」

「ルークにはワシから指摘しようかと思っておったが、要らぬ老婆心だったようじゃな。二人共清々しい顔をしておる」

 小声で話しながら、ようやく成立した若いカップルを見守るギルバートとソフィア。

 彼ら年長組のメンバーからしてみれば、いつになればお互い一線を越えてくっつくのか、もどかしくすらあった。

 命がけの危険な旅は、仲間同士の連携が必要不可欠になる。

 そんな中、連帯感がやがて慕情に変わり、恋愛関係に発展することも珍しくはなかった。

 ギルバートはそんな過去の仲間の関係性を思い出しながら、キラとルークが末永く二人で支え合うことを願うのだった。

 二人とは少し離れた場所から、キラとルークを見守るのはエドガー。

 彼もまた、あの二人の関係性には薄々気付いていた。

(娘が生きていれば、今頃男の一人くらい連れてきただろうな……。いや、よそう。今は目の前のことに集中すべきだ)

 エドガーの考える通り、これから魔女狩りを突破しようというところだ。

 気を散らしているわけにはいかない。

「キラさん。ついさっき、朝食を頂いたらこの街を脱出しようと話し合っていたところです。強行突破になりますが、構いませんか?」

 彼女が起きてくるまでの間に、大体の話は纏まった。

 後はパーティの中心に居るキラの承諾次第だ。

「うん、ルークを信じてる」

 キラは即答でうなずく。

「戦いは避けられないでしょう。そうなったら目をつぶって、しばし我慢してください」

 血を見ることを恐れるキラにとっては、辛い時間を過ごさせることになる。

 キラの前だからと手加減していられる相手でもなく、やむを得ず全力で戦うことになるだろう。

「足を引っ張らないようにするから……私のことは、気にしないで」

 恐いものは恐いが、戦闘に参加するメンバーはそれ以上に恐い思いをしながら、他でもない自分自身の恐怖と戦っている。

 それが分かっているからこそ、キラは自分も気を強く持とうと思っていた。

 ルークも過去の心の傷をさらけ出し、痛みを共有してくれた。

 自分もいつまでも、失った記憶の中の恐怖に怯えているばかりではいられないと、彼女を奮起させる。

「そろそろ、ディックとレアを起こしてくるね」

 そう言ってメイは、まだ寝坊しているディックとレアを叩き起こしに寝室へ戻っていった。

 行動を起こすと決めたなら、早い方がいい。

 足並みを揃えるためにも、二人には早めに起床して朝食で体力をつけてもらわないと困る。

「ふぁ~、おはよお……」

 まだ寝足りないといった様子で、メイに連れられてのろのろとディックがやってくる。

「……おはよ」

 レアも寝起きということもあるが、かなり機嫌が悪そうだった。

 昨夜、あれこれと考え込んでしまってよく眠れなかったせいもある。

「今日中に、ヴェンデッタを脱出します。そのためにもまず、宿へディックさんの装備を回収に向かいます。いいですね?」

「あ、そうだった! 装備を取り返さないと、俺の財布がカラになっちまう!」

 せっかちな彼のこと、分かりやすい目標が見つかると行動が早い。

 一気に朝食のパンとスープを口に押し込むと、水で流し込んでまとめて飲み込む。

「さて、もう準備はよろしくて? 気休めでしょうけれど、街の出口まで私も随伴致しますわ」

 ライラは既に出発の準備を終えていた。

 出会った初日のように、得物のモールを背に担ぎ、いつでも戦えるよう臨戦態勢を整えている。

「ありがたい申し出です。今回ばかりは、お言葉に甘えさせて頂きます」

 ルークも普段なら遠慮するところだが、今回は苦しい戦いになる。

 彼女の実力は昨日の時点で立証済みだ。

 ヴェンデッタを出るまでとは言え、加勢してくれるのはありがたい。

「待ってください! 僕も行きます!」

 ライラに続き、ヤンも声を上げる。

「あ、ヤンさんも街を出るまで護衛してくれるんですか? ありがとうございます」

「いえ、そうではなくて……」

 キラを始め、一行はヤンはようやく辿り着いたこの聖都に留まるものとばかり思っていた。

 だがヤンは先程ライラに打ち明けた考えをキラ達に話し、これから先の旅にも連れて行って欲しいと頼んだ。

「ただ守ってもらうだけでは申し訳ないですし、僕なりの方法で皆さんのお役に立ちたいと思います。治療ならお任せください!」

 ライラ程上位の治療術はまだ習得していないが、独自に学んだ薬学との組み合わせにはヤンも自信があった。

「確かに、治療に長けた人材は居ると安心感が増すものじゃ。ワシは賛成するが、どうじゃ?」

 ギルバートの言葉に、キラもうなずく。

「はい、もちろんいいですよ。一緒に行きましょう!」

 これまでと変わらず、仲間は改めてヤンのことを受け入れてくれた。

 一度はルークやソフィアに対して『邪悪な魔女』と失礼な言動を取ったにも関わらず、彼らは嫌な顔ひとつ見せなかった。

「よろしくお願いします!」

 深々と一行に頭を下げると、ヤンは駆け出して後をついていった。


To be continued

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