第25話 『再起』

 凶悪なギャング団の支配する山林から命からがら逃げ延び、修道院で再会を果たして一安心したのも束の間の安息。

 キラ達は再び、ギャング団の襲撃を受けることとなる。

 寝静まっていた深夜に夜襲をかけ、火を放って修道院ごとキラ達を焼き殺す。

 もし出て来たら直接殺す。

 それが彼らの作戦だった。

 もしギルバート達がキラとルークの安否確認を急がず明日に回していたら、この状況に対応できず修道士もろとも二人はギャングに殺されていただろう。

 戦えないキラとカルロ、そしてギャングとの戦いで重傷を負って動けないルークを先に避難させると、残ったギルバート達は仲間と僧侶を逃すための時間稼ぎを始める。

「ワシとエドガーが前に立って奴らを食い止める。ディック、メイの二人は脇を固めてくれ」

 ここは闘気術で全身を硬質化できるギルバートが真っ先に盾となる。

 エドガーもギャングの野営地から回収した盾を構えて並び、長物使いの二人がそのサポートに回る。

「私は二階から魔法で援護するわ」

 前衛の四人が下に降りていったのを確認すると、ソフィアはすぐに窓を開け放って魔導書を開き、呪文を唱え始めた。

「俺は塔から援護する」

 最後にユーリがそう言うと、窓から屋根へと這い出て、そのまま修道院の建物の中で一番高い塔へ登り始める。

 狙撃手にとっては格好の狙撃ポジションだ。

 最前線に躍り出たギルバート、ディック、メイ、エドガーの四人は、ソフィアの展開する魔力の盾をアテにしつつ、襲い来るギャングと激しい戦いを繰り広げていた。

 逃げ惑う僧侶達を後ろに逃がして庇いながら、たった四人で何十人ものギャングを食い止めて迎撃する。

「ディック、あまり前に出過ぎるでないぞ!」

 日頃からつい突出しがちなディックにギルバートが制止をかける。

 敵の猛攻を凌いでいるのは魔法障壁のおかげであり、それより前に出ればたちまち袋叩きにされてしまう。

「あーはいはい、分かってるって!」

 ディックもいつものように敵中に突っ込んでいきたい気持ちを抑え、半透明の光の壁から出ないように注意しつつ、買ったばかりの新品の槍で敵をチクチクとつつく。

「へっ、ケチなチンピラ共め! ジジイの特訓受けた俺が一味違うってことを教えてやるぜ!」

 数日前の敗北の鬱憤を晴らすかのように、ディックが槍を振るう。

 ギルバートの特訓を受けているとは言え、まだ肝心の闘気術などは教えてもらっておらず、今の所は基本的な体力トレーニングだけである。

 だがその地道な積み重ねが、知らず知らずのうちにディックの身に付いていた。

(ふむ、動きは大分よくなってきたな)

 素手でギャングを薙ぎ倒しつつ、横目でディックの戦いぶりを見たギルバートは、徐々に成果が出始めていることを実感していた。

 こういう小さな変化は、本人よりも他人が見たほうが分かりやすい。

 一方のメイは注意するまでもなく、慎重に立ち回っていた。

 彼女も同じく、長柄武器のリーチを活かして安全な障壁の内側から敵を叩いていく。

 脇を通って逃げて行く僧侶に当たらないよう注意しながら、斧を振り回すだけでも十分に敵への牽制になっていた。

 ギルバートと肩を並べて最前列で盾を構えるエドガーも、細かい手傷により本調子ではなさそうだったが、何とか敵の攻撃を食い止めつつ槍で反撃を続ける。

 ギャング側も後方から火矢を放つが、その尽くがソフィアの展開した障壁に阻まれ、ギルバート達はおろか建物にすら届かず地に落ちる。

 そのせいで、逃げ道であり最後の砦となっている建物には中々放火できずに、手こずっている状況だった。

 更にソフィアの詠唱が間に合い、乱れ撃つ魔法の矢が火矢を構えるギャングの弓兵に襲いかかる。

 魔法の盾の展開を最優先にしたため援護射撃は遅れてしまったが、時間は前衛の四人がしっかりと稼いでくれた。

 落ち着いて呪文を唱える時間さえ貰えれば、スロースターターなりの火力と防御力を発揮できる。

 彼女は二階から状況を把握しつつ意識を集中し、魔導書の呪文を唱えて杖で魔力を増幅、集束させて魔法の盾を維持しながら援護射撃を続けた。

 そして塔からは、暗闇などものともしない恐るべき精度の弓矢による狙撃が飛んでくる。

 塔の屋根に登ったユーリが遊撃隊として、ギャング達の側面を突く形で攻撃を仕掛けているのだ。

 当然ギャングも塔の狙撃手をどうにかしようと試みるが、近付こうとすれば正確に頭を射抜かれ、火を放とうと火矢を射ると、何とその矢を矢で撃ち落とされる。

 厄介で早く始末したいが、手が付けられない状態だった。

「……何だこのザマは?」

 思いもよらず相手が善戦したことで戦況は膠着した。

 それを快く思わなかったのが、夜襲の指揮を執っていたギャングの若頭である。

 不機嫌そうに眉をしかめた若頭は、攻めあぐねている手下に檄を飛ばす。

「ボサっとしてねぇで、手を動かせ! 周りの建物から燃やすんだよ、それで燃え移ればあいつらは焼け死ぬ!」

 敵が居る建物に直接放火できなくとも、周囲から囲い込むように火を放てばやがては修道院全体が焼け落ちる。

 時間はかかるが、今はこれしかないと彼は判断した。

 部下のならず者達は指示通りに動くが、自分達のテリトリーである霧の森のようにうまく事は運ばず、状況は一向に動かなかった。

 業を煮やした若頭は、とうとう得物である金棒を握って前線に出ることを決意した。

「どいつもこいつも腑抜けかお前ら! 俺が手本を見せてやる、ついて来い!」

 側近の部下を引き連れて、炎上する修道院の敷地に突入する若頭。

 飛んでくる呪文や矢に注意しつつ、残っている建物の前で踏み止まるギルバート達に自ら金棒を振り下ろす。

「うおっ! あっぶねぇ!」

 若頭は真っ先に、四人の中で一番動きの遅いディックに目をつけた。

 しかし、すんでのところでギルバートが彼を障壁内に引っ張り込み、金棒の一撃は半透明に光る盾に弾かれた。

「こいつはワシが相手をする! 三人は周りの敵を頼んだぞ!」

 今までの雑魚とは勝手が違うと即座に見抜いたギルバートは、自ら前に進み出て若頭と対峙する。

 闘気で硬化させた二の腕は、重い金棒の一撃すら受け止めてみせた。

「何だと……?! このジジイ、化け物か?!」

 素手とは思えないあまりに硬い手応えに若頭は困惑するが、意地でも退かずに攻撃を繰り出し続ける。

 反撃として飛んでくる闘気の衝撃波もうまくかわしながら金棒で殴りつけるが、その尽くが鉄のように堅いギルバートの腕に防がれる。

(いいや、人間の腕がこんなに堅いわけがねぇ! ダメージは蓄積してるはずだ……!)

 内心焦る若頭に対し、ギルバートは至って冷静だった。

「敵を全部倒そうと考えなくていい! 避難の時間を稼ぐだけでいいんじゃ!」

 戦いの疲労が溜まってきているディック達に念を押し、無理をしないよう注意するギルバート。

 これは撤退戦であり、戦えない仲間と巻き込まれた僧侶を逃がす間踏み止まればいい。

 避難が完了したことを確認すれば、自分達もさっさと焼け落ちる修道院から脱出してしまえばいいのだ。

「この老いぼれめ、さっさと倒れろってんだ!」

 ギャングの若頭が渾身の一撃を放つ。

 ギルバートは後ろに退くのではなく、逆に前に踏み込んで敵の懐に入り込み、振り下ろす途中の腕を掴まえた。

「今じゃ!」

 ギルバートの合図の直後、動きの止まった若頭の頭目掛けて矢が飛来する。

「しまっ……!」

 気付いて避けようとするも、腕をギルバートに掴まれて避けきれない。

 為す術もなく、若頭は頭部を矢に射抜かれて即死した。

「あ、兄貴ー!」

 その光景を見て明らかに動揺し、連携が乱れるギャング達。

 この期を逃さず、ギルバートは立ちすくむ敵目掛けて拳を突き出し、そこから衝撃波を発して一気に薙ぎ払う。

 指揮官が前線に出ることは士気の高揚に繋がるが、もし倒されてしまえば部隊が総崩れになるというリスクも負っている。

 今の状況がまさにそうだった。

 優勢に立ったことを確認したギルバートは、改めてユーリの居る塔へ目をやる。

 彼は高台から、僧侶達の避難状況を把握してもらう役目も担っていた。

 ユーリはアルバトロス式のハンドシグナルで、撤収するようギルバートに呼びかける。

「よし、避難は終わったようじゃ。ワシらも撤退するぞ!」

「今逃げるのか? ここからじゃねぇのかよ?!」

 せっかく反転攻勢が始まると期待していたディックは異を唱えるが、ギルバートは首を横に振った。

「周りを見てみろ、もうじきここも火に包まれるぞ。焼け死ぬ前に脱出するんじゃ」

 冷静に状況を把握していたメイも、彼の言葉に頷く。

「逃げた方がいい」

「ここに残っても無駄だ。早く脱出するぞ」

 エドガーもそれに続き、ディックは渋々、三人の指示に従うことになった。

 だがディックはふと気になって、ユーリの登った塔に目をやる。

 もう下の階は火が燃え移っており、上まで炎上するのは時間の問題だった。

「お、おい! ユーリの奴、降りられないんじゃないか?!」

 ディックの言葉にギルバートは塔の屋根に立つユーリに『危ない』と手で合図するが、ハンドシグナルで返ってきた答えは『すぐ合流する』だった。

 ユーリを信じることにしたギルバートは、ディックとメイ、そしてエドガーを連れて建物の中を通り、修道院の出口を目指す。

 二階から降りてきたソフィアとも合流するが、思った以上に建物への火の回りが早かった。

「早く出ましょう。火に囲まれたら終わりよ!」

 急いで階段を降りてきたせいで少し息が上がっているが、魔力障壁の維持に加えて散々攻撃の呪文を使ったにも関わらず、ソフィアは消耗した様子を見せなかった。

 この辺りは流石魔術師の最高峰である賢者の称号を持つ人物である。

「そうじゃな。逃げ遅れが居ないかだけ確認しよう」

 外を目指しつつ、途中の部屋をドアを開けて確認して回る一行。

 ギルバート、ソフィア、メイの三人は火傷に注意しつつ手で開けていたが、エドガーやディックは面倒がって足で蹴破っていた。

 そんな中、ディックがドアを蹴破ると甲高い悲鳴が響き渡る。

「ひぃぃぃー! い、命ばかりは勘弁をぉぉぉ!!」

 泣きながら縮み上がっているのは、見覚えのある若い僧侶だった。

「あれ、お前確か……何て言ったっけ?」

「お前さんは、ヤンか! 大丈夫、味方じゃ」

 怯えるヤンを安心させつつギルバートが部屋の中を覗き込むと、奥には何とキラとルーク、そしてカルロがうずくまっていた。

「ああああ! よかった、皆さんと合流できて! 僕達、逃げ遅れてしまって」

 どうやらキラ達とヤンは、ここに取り残されてしまっていたようだ。

 ルークの側にへたり込むキラは、泣きながら彼を庇うように抱えている。

「ど、どうしよう……。ルークさんが……!」

 よく見るとルークは無理に動かされたせいで傷口が開いてしまったのか、服のあちこちに血が滲んでいる。

 この状態の彼を引きずって移動することもままならず、立ち往生していたらしい。

「キラ、もう大丈夫」

「ルーク、ワシの背に掴まれ」

 一番体力のあるギルバートが、ぐったりとしたルークを背負う。

 半分パニックになっているキラはメイが肩を貸し、一行は炎上する修道院から脱出した。

 一方、塔の上でギリギリまで敵を引きつけていたユーリは、下の階が炎上して限界だと判断する。

 彼はポケットからロープを取り出して片方の先端を屋根の出っ張りに引っ掛け、もう片方をまだ火の手の回っていない側に垂らす。

 そしてガントレットをはめた左手でロープを握り、滑るように素早く伝って塔から降りた。

 素手でこれをやってしまうと、手の皮がずり剥けて酷いことになる。

 あっという間に難なく地面に降りたユーリは、最後にロープを引っ張って屋根の出っ張りから外し、手早く回収する。

 たかがロープと思われがちだが、一本あるだけで色々と使い道がある道具である。

 ロープを丸めて元のポケットに戻しつつ、ユーリは仲間の待つ修道院の外へと急いだ。


 最後の一人であるユーリが合流し、全身煤だらけになりつつも焼け落ちる修道院から一行は無事逃げ延びた。

 炎に包まれ崩れ行く修道院を目の当たりにし、ヤンは言葉を失っていた。

「ああ……何という、何という……!」

 ヤンは子供の頃にこの修道院に入って以来、街への買い出しや周辺に薬草の採取に向かう程度で、修道院から離れたことは一度もなかった。

 あの修道院こそが、彼にとっての世界の全てだった。

 それが今跡形もなく燃え尽き、途方に暮れたヤンはずり落ちそうな眼鏡を直すことも忘れて、ただ呆然と立ち尽くした。

 放心するヤンを他所に、旅の仲間達はすぐに次の行動について話し合う。

「悠長に構えておったが、まだこの辺りは危険地帯じゃ。留まるべきではなかろう」

 ギルバートの言う通り、ギャングの巣食う山から離れれば安全というわけではなさそうだ。

 修道院が襲われたところを見ると、ギャング団もかなり躍起になっている。

 何せたった数人の旅人風情に顔に泥を塗られたのだ。

 面子を保つためにも、何としてでもキラ達を見つけ出して殺さねば気が済まないのだろう。

 教会の修道院を襲うという強硬手段に出たのも、その現れだ。

 普段なら、教会信者との衝突を避けるために手出しはしないはずである。

 正論なのだが、それに真っ先に異を唱えたのはソフィアだった。

「待ってちょうだい! まだエリックとエレンは行方不明なのよ? 彼らを置いて行けないわ!」

 服の袖で顔についた煤を払いながら、彼女は残る仲間の救出を訴える。

「そ、そうだぜ! このまま尻尾巻いて逃げちまうのかよ?!」

 ディックとしては仲間を見捨てられない一方、やられるばかりな今の状況が腹立たしくて仕方なかった。

「全員死ぬよ」

 踏み留まるべきだと主張する二人に、メイは現実を突きつける。

 あの状況下で、これだけの人数が生存できただけでも奇跡に等しい。

 軍隊の支援も無しにこの手勢だけで仲間の捜索を続ければ、次こそ全滅するかも知れなかった。

「同感だ。街に逃げても同じことだろう」

 ユーリもメイの言葉に頷く。

 修道院をこうも派手に襲撃したくらい必死になっているのなら、街の中にまで追ってきても不思議ではない。

 この周囲一帯がもはや危険地帯なのだ。

(形振り構わず、か……。まったく、リカルドもとんでもない相手に喧嘩を売ろうと考えたものだな。どこへ逃げようが無駄じゃないか)

 ギャング団の想像以上の凶暴さに、エドガーは押し黙ったまま苦い表情を浮かべる。

 事前の下調べが不十分だったと一言で言えば簡単だが、どうやら怒らせてはいけない虎の尾を踏んだようだ。

「ソフィア、ディック、お前さん達の気持ちは分かる。じゃが、キラはどうする? 重傷のルークは?」

 ギルバートはなだめるようにそう言う。

「それは……」

 苦虫を噛み潰したように顔を歪めながら、ソフィアは黙り込んだ。

 自分から旅に誘った手前、エリック達の安全は保証しなければならない身だ。

 味方の裏切りに、圧倒的戦力を有する敵。

 不可抗力とは言え、約束を破る形となってしまった。

(私に選べと言うの……? キラかエリック、どちらの命を取るかを)

 ここに残って捜索を続ければ、奇跡的に助かったキラの命まで奪われてしまうだろう。

 今すぐ逃げればキラが生存できる確率は高まるが、それはエリックを見殺しにするということだ。

 もちろん、エリックがまだ生きている保証はどこにも無い。既に死体かも知れない。

 ギルバートやメイ、ユーリは、生死も定かでない人間を探すために今生きている人間を死なせるなと言いたいのだ。

 押し黙って葛藤するソフィアを尻目に、ユーリは懐中時計を見ながら淡々と言う。

「こうして迷っている時間すら惜しい。最寄りの安全地帯は……」

 あっさりと仲間を見捨てるユーリの態度に、ディックも頭にきた。

「おいっ!!」

 ユーリに掴みかかろうとする彼を、そばに居たメイが押さえた。

「これ以外に無い」

「嘘だろ……」

 メイに押さえつけられたまま、ディックはもがく。

「お、おい! 皆、エリックとエレンを見殺しにするなんて、嘘だよな?! ソフィアからも何か言ってくれよ!」

 彼は今までもパーティの年長組として、こういった話し合いの場をリードしてきたソフィアに助け舟を求めた。

 だがソフィアはうつむいて黙ったまま、口を開こうとはしない。

 彼女は一瞬、キラに視線を向ける。

 キラは今、重傷で動けないルークに付き添っており、話し合いには参加していない。

 もしここにキラが居たなら、エリック達を探すべきだと主張し、仲間を引っ張って行けただろう。

(私には無理よ……! 人を動かす力なんて、本当は無いもの……)

 かつてファゴットの乱では、貴族の娘という”身分”で周辺諸侯を説得した彼女だが、今は状況が違う。

 行方不明者の捜索のために仲間に死んでくれと迫ることもできなければ、無法者のギャングと交渉する手札も無い。

 理屈での正解はもう出てしまっている。

 ユーリの言う通り、こうして口論する時間すら危険だ。

 残り僅かな制限時間でいかに命を繋ぐか、それを考えた場合、エリックとエレンは行方不明のまま置き去りにして行く他無い。

 非情だが、生き残った者を新しい死体にしないための次善の策は、逃げの一手だ。

「……一番近い安全地帯は、北の教皇領よ」

 断腸の思いで、ソフィアはエリック達の捜索を諦めた。

 観念したように地図を取り出し、現在地が教皇領との国境線に近いことを指し示す。

「くそっ! こんなのってあるかよ?!」

 最後の味方だったソフィアも逃げる側へと主張を変えた今、ディックにはどうすることもできなかった。

「耐えて」

 彼を押さえるメイは、耳元で静かに、だが強い声で言った。

 これから先、どんな災難とぶつかるか分からない。

 それを逐一嘆いて足を止めていては、旅などしていられないだろう。

 冒険者としてメイは、そんな苦渋の決断を迫られることも少なくなかった。

 見る見る抵抗する力を失うディックを他所に、渋々方針を決めた仲間達は話を続ける。

「……かなり厳しい強行軍になるな」

 ソフィアの地図を覗き込みながら、エドガーがつぶやいた。

 地図によると、補給に立ち寄れそうな村はあと数日は歩かないと無い。

 移動手段の馬車は失ったまま、まだかなり距離のある教皇領を目指すことになる。

 重傷のルークを抱えながら、長距離を自分達の足で歩かなくてはならない。

 更に水や食糧といった物資も、あの騒ぎの中で持ってくる余裕はなく、全部燃えてしまった。

「今はとにかく、ギャングの勢力圏から脱することが先決じゃ」

 ギルバートはそう指摘する。

 話し合うも何も、結論は既にひとつしかない。今はただ逃げるのみ。

 仲間を見捨てる決断に対して、受け止め方は様々だった。

 既に頭を切り替えて割り切っている者も居れば、食い下がっても無意味だと諦めた者も居る。

 本心では反対だがやむを得ず自分を納得させた者、とうに覚悟を決めて来ている者。

 ほとんどのメンバーはやるせない気持ちだったが、悩むことは状況が許さない。

 心だけ置き去りにしたように、移動の準備だけが進んでいく。

 だがここに来て、意識朦朧としていたルークに寄り添っていたキラの様子がおかしい。

 うつむいて座り込んだまま、ソフィアが移動しようと声をかけても動かないのだ。

「大丈夫、キラ? どこか痛むの?」

 ソフィアの呼びかけに、キラは下を向いたまま首を振る。

 あまり猶予はないが、ソフィアは辛抱強くキラの言葉を待った。

「……私のせいなんです」

 腹の底から絞り出すように、小さな声でキラは言った。

「私が、旅に出るなんて言い出したから、ルークさんはこんな……」

 キラの目に映るのは、血だらけで横たわるルーク。

 最初に旅に出たいと言い出したのは、他でもないキラだ。

 失われた記憶を探すため、安全な首都アディンセルから旅立った。

 それが原因で今こうなっているのだと、キラは重い責任を感じていた。

「キラ、あなたのせいではないわ」

 ソフィアはできる限り優しく言葉をかけるも、キラは泣きじゃくり声を荒げた。

「でも! リカルドさんも、フランツさんも、ディンゴさんも! それに、エリックさんとエレンさんだって! 私が巻き込んだせいで……!」

 大人しいキラが、こうも感情を爆発させたのは初のことだった。

 思えば、当初の予想を上回る過酷な旅の中で、負荷はどんどん積み重なっていたのかも知れない。

 それが仲間の死という現実にぶち当たり、とうとう決壊した。

 今までは何とか被害を出さずにやってこれた。

 だがそれは運がよかっただけに過ぎず、一歩間違えば今回のように死人が出て大惨事になっていてもおかしくない、綱渡りだった。

「キラ……」

 号泣するキラを前に、ソフィアは言葉を失った。

「私、いっつも皆に迷惑かけるばかり! そのくせ私は戦えないただのお荷物なんです! そんな私が旅に出ようなんて、それ自体が間違ってたんです!」

 血を見るとパニックになってしまい、戦闘に加われない自分を彼女はずっと疎ましく思っていた。

 その負い目に気付いていながら、寄り添ってやれなかったことをソフィアは悔いた。

 優しく、真面目なキラが守ってもらってばかりの自分に責任を感じないはずはなかったのだ。

(分かっていた、はずなのに……)

 いつかキラにも限界が来ると頭の片隅では理解しながらも、目的地は目前だからと楽観視していた。

 だが今回の敗北とて、単に表面張力を保っていたグラスに注がれた最後の一滴に過ぎない。

 キラの精神面を支えるつもりでついて来ておきながら、周りの状況の忙しさにかまけて初心を忘れていたことに、ソフィアは思わず唇を噛み締めた。

 ソフィアは戦闘はあまり得意ではないとは言え、それでも魔術師の最高峰。

 降りかかる火の粉を自力で払う力を持ち、それ故に力のない弱者の心は完全には理解できない。

 理解しようと努めていても、この様だ。

 心が折れたキラを無理矢理立たせて歩かせるわけにもいかず、かと言って知った風な口を利くこともできず、ソフィアは言葉に詰まった。

 そんな時、泣きじゃくるキラに呼びかけたのは、地面に横たえられていたルークだった。

「キラさん……自分を責めないでください」

 傷口が開き、激痛に見舞われて意識が遠のきながらも、ルークはしっかりとキラを見上げる。

 それに対し、キラは懺悔するように何度も頭を下げた。

「ごめんなさい、ルークさん。ごめんなさい……!」

 それはルークだけでなく、死んでいったリカルド達への謝罪でもあった。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、キラはソフィアに向けて言った。

「……私、アディンセルに帰ります。私が旅をやめれば、皆さん無事でいられるはずだから……!」

「キラ、それは……」

 彼女らしくもなくソフィアの言葉を遮り、キラは叫ぶ。

「私が記憶を諦めれば、それでよかったんです! 最初からそうしておけば、リカルドさん達も死ななくて済んだのに!」

 激しい後悔の念が、彼女の声にはこもっていた。

「こんな駄目な私が、記憶探しの旅に出ようなんて、そもそも間違ってたんです……!」

「本当に……それでいいんですか?」

 ルークは苦しそうにしながらも、はっきりと異を唱える。

「ここで諦めれば、今までの積み重ねは、全て無駄に終わります。ぐっ……! キラさん、あなたが望むのは、本当にそんな結末ですか?」

 苦しそうに呻きながらも、ルークは肘を支えにして上体を起こす。

 そして強い意志を込めた眼差しで、真っ直ぐにキラを見つめた。

「でも、これ以上旅を続けたら、次はもしかしたらルークさんまで……! 私、そんなの絶対に嫌です!」

 キラが最も案じているのは、ルークの死だった。

 行き倒れだった自分を拾い、帝国から救い出し、最初に旅に同行してくれると言った、彼女にとって一番大切な仲間。

 そのルークが、もしリカルド達のように戦いの中で死んでしまったら。

 それを想像すると、キラは自分の身を引き裂かれるような思いだった。

 今回も紙一重で生き残ったが、今後もずっとそんな幸運が続くとは限らない。

 彼女にとって、ルークが居なくなってしまうことが、一番の恐怖だった。

「……辛いかも知れませんが、逃げないでください、キラさん」

「逃げ……?」

 静かに、だが強い口調でそう言うルークに、キラは一瞬呆気にとられた。

「リカルドさん達は、確かに残念でした……。ですが、キラさんが旅に出なければ、本当に彼らが救われたと思いますか? 人の生き死には、そんな単純なものではありません」

 自分に向けられたものではないと知りつつ、ルークの言葉にソフィアは内心はっとした。

(単純でない……分かっていたつもり、なのだけどね)

 彼女達がファゴットの乱に介入していなければ、エリックを旅に誘ったりしなければ――。

 次々と思い浮かぶ『もしも』は、所詮妄想でしかない。

 目の前で起こっていること、起こってしまった出来事こそが、自分達に突きつけられた逃れようのない現実。

 受け入れがたくとも、飲み込んで前に進まなければいけない。

 そんなソフィアを他所に、苦しそうに息をつきながらも、ルークははっきりと言葉を続ける。

「私も、かつて大切な人を亡くしました。その喪失感に囚われて……私の時間は、そこで止まっていた。それを動かしてくれたのは、あなたなんです、キラさん」

「私……が……?」

「あなたと出会えたから、私は変われた。大切な家族の死を受け入れられた。人の死を受け入れるのは……簡単なことではありません」

 経験があったからこそ、言えることもあった。

 ルークは言葉を続ける。

「ですが、ここで逃げたら、例え首都に戻って平和に暮らしたとしても、ずっとそれに囚われたままです」

 ルークの話に、キラは息を呑んだ。

 その様子を見ながら、ルークは今自分が感じていること、伝えたいことをありのまま言葉にしていく。

「本当に彼らの死を悼むなら、先へ進むべきです。例え困難な道のりだったとしても、この先には大きな何かが待っている」

 ルークにとっては、旅に出る前から持っていた予感だった。

「キラさんが何者なのか、私も知りませんが、あなたは何かを成し遂げる人だという確信があります。辛いでしょうが、逃げずに……受け止めてください」

 キラは旅をやめることで、仲間の死から逃げようとしていたことに気付かされた。

 重く伸し掛かる現実から逃げ、安易な方向へ逃れようとしていたことに。

 それと同時に、今ここで逃げればルークの言う通り、今までの全てが無駄になってしまうことにも。

 自分が辛いからと逃げ出すことは簡単だが、これまで全力で手助けしてくれたルーク達仲間の想いを、そして死んでいったリカルド達までも裏切ることになる。

「キラさん、初心を思い出してください。あなたが本当に望むことは……何ですか?」

「私は……」

 いつしか、キラの涙は止まっていた。

 そして心折れて虚ろだった瞳には、徐々に意志の光が戻ってきていた。

「あなたは一人ではないわ。頼りないかも知れないけれど、私も居る。あなたにできないことは私達がやる、だからあなたにしかできないことをやってちょうだい」

 それまで黙っていたソフィアも、キラの肩に手を置いてうなずいて見せる。

「私も、最後まで一緒だから」

 ソフィアの反対側から、メイも声を連ねる。

 キラが振り向くと、長い前髪の奥には決意を秘めた瞳がじっと彼女を見つめていた。

「ワシも、お前さんの”物語”の結末が見てみたい。そうじゃ、これはお前さんの”物語”なんじゃ。どうするかは、お前さん次第じゃ」

「俺も付き合うぜ。ここで抜けるってのも、馬鹿みたいだしな……」

 ルークを挟んで正面からは、ギルバートとディックが肩を並べて立っていた。

「人の死をいくら悔やんでも、無意味だ。俺が言えた口ではないが、先を見るべきだろう。償いとして、俺も最後まで護衛につく」

 そしてギルバートとディックの横に、エドガーも加わる。

「皆さん……」

 全員、一様に悲壮感ではなく希望を抱いていた。

 今のキラにとっては眩しく見えるほどに。

 同時に、そんな彼らの期待に応えなければという想いが、キラの中で沸き起こっていた。

(ここで逃げたら、皆を裏切ってしまう……。辛くても、悲しくても、ここで逃げたらお終い。だったら……!)

 決心のついたキラは、顔を上げて仲間達の顔を見回す。

「ごめんなさい、弱音なんて吐いて。私、もっとしっかりします。だから……これからも、よろしくお願いします!」

 改めて、キラは仲間に深々と頭を下げた。

 戦力にならないかも知れない、頼りないかも知れない、時に弱い心が折れるかも知れない。

 それでも見守ってくれる仲間がいる限り、前を向いて進み続けようとキラは決めた。

 最初に旅に出たいと言い出した時、ここまで大事になるとは思ってもみなかった。

 だからこそ、もう一度決意を新たに、再出発することを固く決意する。

「決まりね。さあ、そうと決まれば移動しましょう。体力的に辛いと思うけれど、次の村に着くまでの辛抱よ」

 ソフィアがそっと手を差し出す。

「はい、ソフィさん」

 キラは頷き、その手を取った。

(エリックとエレンを見捨てることになったのは、旅に誘った私の責任でもある。だからこそ、この子は……キラだけは、守り通して見せる)

 勇気づけるように笑みを浮かべるソフィアの胸中が複雑なことは、この時キラもよく知らなかった。

 そして何とか上体を起こしたはいいが、そこから動けないルークをギルバートが背負う。

「痛むかのう? 数日我慢してくれ」

「いえ、見た目は酷いですがもう大丈夫です。建物の中で、ヤンさんが治療してくれたので」

 確かにルークの服にはあちこち血が滲んでいたが、それ以上の出血はない様子だった。

 ここに来てようやく、一行は呆けていたヤンのことを忘れていたことを思い出す。

「世話になったようじゃな、ヤン。お前さんはどうする、一緒に教皇領へ向かうかのう?」

 ギルバートに声をかけられ、それまで放心していたヤンはびくりと身体を震わせた。

「ひぃっ?! ……そ、そうですね、修道院も燃えてしまいましたし、僕も行き場所が……」

 他の僧侶は先に逃げて、南の街か教皇領へ向かっただろう。

 逃げ遅れたヤンだけ残された形だが、幸いにもキラ達と当面の行き先は同じだ。

 申し訳無さそうに僧帽をかくヤンの前に、キラは歩み出ると頭を下げて言った。

「お願いしますヤンさん、一緒に教皇領まで来てください。ルークさんの治療ができるのは、ヤンさんだけなんです」

 こうやって頼られると、ヤンとしてもパーティに加わる口実が立つ。

 最初意外そうに目を見開いたヤンだが、すぐに僧侶としての役目を思い出した彼は、眼鏡の位置を直すとはっきりと宣言する。

「はい! そういうことでしたら、僕にお任せを! ルークさんは、僕が責任を持って治療しますので!」

 その一方で、話題の輪に加わらず外野から静観していたユーリに、ソフィアは契約の継続を告げていた。

「ということだから、これからも護衛を頼むわね。来月分の報酬は……教皇領に入ってからでいいかしら? 銀行でお金を下ろして来ないと手持ちがないのよ」

「わかった」

 相変わらず何を考えているか分からないユーリは、ただ一言そう答えた。

 霧の森からの敗走、そして修道院からの脱出と騒動が続いたせいで、工房から持ち出してきた路銀がかなり減ってしまった。

 急いで逃げる際、重い財布を落としても拾っている猶予がなかったせいだ。

 とは言えソフィアも仮にも貴族の娘。

 大きな街で銀行に行けば、大量の預金を引き出せる。

 ユーリへ支払う報酬は、それで賄えると計画していた。

 これから先、時に冷徹な判断を下せる人材が居なければ立ち行かない。

 一行が結束を強めて新たな一歩を踏み出そうという時、それまで黙っていた人物が情けない声をあげる。

「ま、待ってくれよぉ! お、俺はどうなっちまうんだよ?!」

 キラ達に縋り付くように涙声で叫ぶのは、存在感の薄さから忘れられていたカルロだった。

「もうリカルドも居ねぇし、俺一人じゃどうにもなんねぇって! 頼むよぉ、俺を置いていかないでくれぇ!」

 リカルドの話によれば、彼はお尋ね者らしい。

 何をしでかしたかは知らないが、ずっとリカルド達にくっついて逃避行を続けていたのだろう。

 だが、もうあの三人は居ない。

 となれば、後はキラ達にすがるしか道はなかった。

「どうする、こいつ? 本当に連れて行くのか?」

 そのあまりにも情けない姿にため息を漏らしながら、ディックは一応年上にも関わらず厄介者でも見るような目をカルロに向ける。

 事実、カルロは臆病で戦闘の心得もない。

 フランツも『役立たず』だと吐き捨てていたが、この小太りの中年男が何かの役に立つとはとても思えなかった。

 かと言って、この乱世を一人で渡り歩いていく強かさがあるともとても思えない。

「戦えないのは、私も同じです。一緒に行きましょう、カルロさん」

 迷いを振り切ったキラは、泣き腫らした目を拭いながらも、カルロに手を差し伸べた。

 戦いで役に立てないのは自分も同じ、ならば二人で自分達にできることを探していこうと、カルロを改めてパーティに受け入れた。

「あ、ありがとう嬢ちゃん……っ! 俺、雑用とか色々頑張るから! 見捨てないでくれぇ!」

 カルロは泣きながらキラの手を取った。

 思えばこの時から、カルロの人生は変わり始めたのだった。

「では、そろそろ行くとしようかのう。ちょうど日の出じゃ」

 先頭に立つギルバートの言う通り、山間から朝日を顔を覗かせる。

 混沌と絶望の夜が明け、希望の光が地平線を照らし出す。

 それはまるで、決意を新たに前に進みだしたキラ達を祝福するように。

「はい、行きましょう!」

 その光明は、確かにキラの行く手を明るく照らしていた。


To be continued

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