第24話 『死活の境界』

 それは、在りし日の記憶。今や手を伸ばしても届かないモノ。

 心に孤独を抱えた青い髪の少年は、一人剣術と魔法の訓練に打ち込んでいた。

 そんな時、声を掛ける一人の女性。

「精が出るわね。分からないところがあれば、教えてあげようか?」

 少年は影のある表情を明るく変えて、彼女に駆け寄った。

 少年にとっては家族であり、同時に師でもある。

 剣術も魔法も、そして戦術指揮のやり方まで、全て長身のこの女性が授けてくれたものだった。

 同時に、家族の温かみや、人間性も。

 彼女と共に訓練に張り切る少年だが、根を詰め過ぎて体力が尽き、剣の素振りの最中につまずいて転倒してしまう。

「努力はいいけど、無理はよくない。少し休もう」

 少年と同じ青い髪をした女性は、優しくそう言いながら手を差し出す。

 立ち上がろうと手を握り返した瞬間、景色が暗転する。

 これまで彼女と過ごしてきた日々が走馬灯のように次々と蘇り、過ぎ去っていく。

「擦り剥いて血が出ているじゃない。強がってないで、見せてごらん」

「何日も家を空けてすまない。陛下から褒美をたくさん頂いたから、今晩は肉料理にしようか」

「うん、剣も魔法も上手くなった。この調子なら、将来私の副将を任せられるかも知れないね」

 少しずつ遠ざかっていく女性の姿に、少年は必死に手を伸ばして走る。

 だがいくら早く走っても、遠くへ行ってしまう彼女に追いつくことはできなかった。

 そして最後に、一番恐れていた場面が再現される。

 周囲は火の海で、大柄な男の前に女性は膝をついている。

 男の顔はよく見えなかった。

 ただ、身に着けている鎧からアルバトロス帝国の兵士であることだけが伺える。

 その帝国兵は力なく跪く彼女へ向け、情け容赦なく両手剣を振り下ろす。

(やめろ……!)

 成長した少年はそれを止めに入ろうとするが、いくら抵抗しても金縛りのように身体は動かない。

 そうしている間にも、スローモーションで兵士の持つ剣の刃が女性の首に迫る。

(やめろ! やめろ、やめてくれ!!)

 声を出すこともままならず、心の中で叫び続ける少年を他所に、兵士は彼女の首を斬り落とした。

 鮮血が噴き出し、残された胴体がゆっくりと地面に崩れ落ちる。

 女性の骸を前に、ようやく身体が動くようになった少年は駆け寄りながら声のばかりに叫んだ。

「姉さんっ!!」

 ルークが咄嗟に飛び起きると、そこは古い作りながらも清潔な屋内だった。

 最初に感じたのは、柔らかなベッドと毛布の感触。

 それに続いて、やや遅れる形で全身に激痛が走る。

「ルークさん! よかった、目が覚めたんですね!」

 痛みに顔をしかめるルークのすぐ隣から、聞き慣れた声が聞こえる。

 ルークが左を振り向くと、すぐ横のベッドに腰掛けていたキラが目に入った。

「キラさん……? 私は……」

「ずっと意識がなくて、どうなるか私心配で……。それに酷くうなされてて」

 さっきまでの光景は夢だったのだと、ここに来てルークはようやく理解した。

(また、あの夢か……)

 今の状況を理解しようと、ルークは周囲を見渡す。

 眠っている間にかいた大量の汗が全身にへばりつくようで、不快だった。

 キラを挟んでその向こうの窓からは日光が挿し込み、部屋を照らしている。

 窓の外からはのどかな鳥の声が聞こえてきた。

「今、叫び声が聞こえましたが、どうしましたか?」

 窓のある左側とは反対方向、右の壁にあるドアをノックして、一人の男が部屋に入ってきた。

 僧衣を着ていることから、教会の僧侶であることが一目で分かった。

「あ、ルークさんが目を覚ましたんです!」

「ここは?」

 僧侶に尋ねつつベッドから起き上がろうとするルークだったが、僧侶はそれを制止する。

「落ち着いて。酷い傷だから、まだ横になっていた方がいい」

 そう言われてルークが自分の身体に目を落とすと、全身に包帯が巻かれていた。

 恐らくは彼らが治療してくれたのだろう。

 身体中の痛みが示す通り、まだ血の滲んでいる包帯も多く、傷は完治していない。

(そうだ……。私は、ギャング団との戦いに敗れて、あの山から逃げ出して……)

 ひとまず言われた通り横になるルーク。

 僧侶は彼に簡単に事情を説明する。

「君達は三日前に山の麓で発見されて、この修道院に運び込まれたんですよ。そちらの女性はともかく、あなたは重傷でした。治療が間に合ったのは幸運でしたね」

 僧侶の言葉から、あの後何とかギャング団から逃げ切れたことは理解できた。

 恐らく、キラが小柄な身体で自分を引っ張って来てくれたであろうことも。

「私はただの疲れだったから、すぐ気がついたんです。でもルークさんは、三日も意識が戻らなくて……」

 ルークが視線を移すと、キラが心配そうに彼を覗き込んでいた。

「あのー、どうかしました?」

 すると、男の後ろからまた別の僧侶が顔を出した。

 眼鏡をかけた若い男で、青年と言うよりも少年に近い印象だった。

 金髪のおかっぱ頭の上には、僧帽を被っている。

「男性の方も意識が戻りました。……彼が、あなた達を見つけたんですよ」

 説明しながら、彼は若い僧侶と入れ替わるように後ろに下がる。

「私は食事と着替えを持ってくるから、君は男性の包帯を巻き直してあげなさい」

「はい、分かりました!」

 そう答えた若い僧侶は、一度ルークの包帯をほどき、傷口を見ながら傷薬の軟膏を塗った後、時々手間取りながらも包帯を巻き直した。

「それにしても、ずいぶん酷い傷ですねぇ。そちらの女性が言うには、山のギャングに襲われたとか……」

「ええ、まあ」

 本当はほとんどの傷が、大魔法を行使した際の反動でついたものなのだが、ルークはあえて黙っておいた。

(ここは教会の修道院。私が魔法を扱うことを知れば、何をされるか……)

 魔術師と教会は長らく対立関係にあった。

 教会の僧侶や信者は、害のない魔術師までも『邪悪な魔女』と一方的に敵視し、魔女狩りと呼ばれる虐殺を行ってきた歴史がある。

 時にその殺戮は魔法とは全く無関係の一般人にまで伸び、事実関係などお構いなしに拷問の末最後は火炙りという末路が待っていた。

 そんな教会に対抗すべく、仕方なく魔術師達も自衛を行うようになり、およそ二百年に渡る魔術師と教会との深い溝を作り出した。

 それがルークが教わった歴史である。

 ルークの心配を他所に、包帯を巻き終えた僧侶は椅子に腰掛けて一息つく。

「あなたが見つけてくれたと聞きました。ありがとうございます」

 内心警戒しつつも、その警戒心を悟られぬようにルークは表面上普段どおりを装い、まずは彼に礼を言う。

「いえいえ、困っている人を助けるのも僕達の仕事ですから。でも、最初に見た時は本当に驚きましたよ。血まみれで倒れてるもんだから、てっきり死体だと……」

 苦笑しながら、若い僧侶は僧帽の上から頭をかく。

「手遅れになる前に見つけてもらえて、本当によかったです。私も感謝してます、えーっと……」

「ああ、申し遅れました。僕はこの修道院の見習い僧侶の、ヤン・コヴァチです。ヤンと呼んでください」

 若い僧侶は眼鏡の奥のタレ目を細め、温厚そうな笑みを浮かべてそう名乗った。

「私はキラといいます」

「私はルークです」

 お互いに名前を名乗った直後、ヤンの背後のドアが開いて先程の僧侶が二人分の着替えと食事を運んでくる。

「彼はまだ動ける状態ではないでしょう。ヤン君、彼の着替えを手伝ってあげなさい」

「いえ、一人で大丈夫です」

 そう言ってサイドテーブルに置かれた質素な服に手を伸ばすルークだが、激痛で動きが止まる。

 この程度の動作でさえ、まだ身体が悲鳴をあげるのだ。

「あーあー、無理は駄目ですってば。僕が手伝いますんで、じっとしててください、ほら」

 ここは彼らの言葉に甘える方が賢いと判断したルークは、仕方なくヤンに身を委ねる。

 彼は包帯を巻く時と同じように、滲んだ血と大量の脂汗で汚れた服を脱がせて新しいものを着せた。

「いやぁ、でも最初に傷の手当てを行った時はびっくりしましたよ。てっきり二人共女性だと思っていたら、ルークさん、でしたっけ? は男性だったもので」

「……慣れてます」

 その間、キラは背を向けて窓の外を見ていた。

 ヤンがルークを着替えさせているうちに、もう一人の僧侶は持ってきた温かい食事を並べていく。

 ルーク用の分はベッドに居ながら食べられるようサイドテーブルへ、キラは既に起き上がって動けるため、窓際のテーブルへ。

「では彼女が着替えている間、私達は外に出ていましょう。ヤン君、行きますよ」

「はい」

 ルークの着替えが終わると、二人の僧侶は一度部屋を出て行った。

 今度はルークが背を向けている間に、キラも自分で着替えを済ませる。

「すみません、ルークさん。実はアルベールさんのお薬もあったんですけど……」

 背中越しに、キラはルークが目覚める前のことを話した。

 先に意識を取り戻したキラは、重傷のルークの治療中にアルベールから受け取った薬を取り出し、飲み薬だったので飲ませようとした。

 だが不意に、治療に当たっていたヤンが何の薬かと問うた。

 それにキラは正直に錬金術師が錬成した治療薬だと答えたが、それを聞いたヤンは人が変わったように血相を変えたと言う。

『錬金術は、神の摂理を捻じ曲げる邪悪な外法です!! 錬金術師が作った薬だなんて……毒が入っているに違いないですよ! 今すぐ、全部捨ててください!!』

 わけが分からず、ヤンの剣幕に圧されて取り出した飲み薬は渋々破棄したキラだが、残る薬は持っていないと言って隠し通した。

「それは正しい判断でしたね。教会は、錬金術も敵視していますから」

 教会が敵対しているのは、何も魔術師だけではない。

 物質を変化させる錬金術もまた、神の被造物を作り変えるとして教会では禁忌とされていた。

 魔女狩り程苛烈な締め付けはまだないものの、いつ炎上するか分からない火種として残っているのは事実だ。

「そ、そうだったんですね。私、何も知らないで……」

「修道院でお世話になっている間は、薬のことは隠した方がいいでしょう」

 ルークも、アルベールが調合した治療薬の効き目はよく知っている。

 この先、あれは必要になる場面も出て来るだろう。

 ヤンの言いなりになり、ここで捨てるには惜しい。

「ルークさん、お腹空いてますよね? そのまま寝ててください」

 着替え終えたキラはルークの分の豆入り粥をスプーンで掬い、息を吹きかけて適温に冷ますとルークの口元へ運んだ。

「食事ぐらいは自力でできます」

「さっきもヤンさんに言われたじゃないですか、無理は駄目だって。ルークさん、本当に危なかったんですよ?」

 キラに粥を食べさせてもらいながら、ルークは敗走した後の経緯を簡単に聞いていた。

 リカルドが囮となって残った後、間もなくルークは重傷で意識を失ったのだが、キラはそんな彼を肩に担いで必死に山を降り、何とか麓まで辿り着いたと言う。

 その間にギャングに追い付かれなかったのは、恐らく自ら犠牲になったリカルドのおかげもあるだろう。

「すみません、私のミスです。私がついていながら、キラさんをあんな危険な目に……」

 本来ならば自分が守るべきキラに、逆に助けられたことでルークは自責の念を強めていた。

 あの戦闘で、焦って大魔法を撃たずにもっと冷静にタイミングを見計らっていれば。

 そもそもリカルドの口車などに乗らず、山を迂回する本来のルートを選択していれば。

 ルークの心中で、後悔と自虐が折り重なっていく。

 だがそれは、キラもまた同じだった。

「ルークさんのせいじゃないです。悪いのは、何も出来ない私……。皆が戦って傷ついているのに、私が足を引っ張って……」

 キラもまた、流血への恐怖でパニックになってしまうせいで戦えない自分を、疎ましく思っていた。

 そもそも自分の記憶を探すための旅だと言うのに、その本人が何の役にも立てていないことへのコンプレックスは、ファゴットの街での一件でも感じていた。

 何とかしようとアルベールに教えを請うてはみたものの、結局本番では駄目だった。

「いえ、元々は戦えないキラさんを守るという約束で私が同行したんです。それが約束を果たせず、こんな失態を」

「私がもっとちゃんとしていたら、ルークさんがこんな目に遭う必要もなかったんです。私が皆の役に立てていたら……」

 互いに自分の責任だと主張し合い、話は平行線をたどる。

 その不毛なやり取りを止めたのは、ドアをノックする音だった。

「キラさん、着替えは済みましたか?」

 ドア越しにヤンの声が聞こえてくる。

「はい、もう終わりました」

 キラがそう答えると、ヤンはドアを開けて部屋に入ってきた。

 ルークの食事を助けようと戻って来た彼だったが、キラが一通り食べさせた様子を見て、安心したような表情を浮かべる。

「もうルークさんも食べ終えたんですね。って、キラさんまだ食べてないじゃないですか! 駄目ですって、ちゃんと食べないと! 前にも言いましたよね?」

「前にも?」

 ヤンの言葉が気にかかったルークは、オウム返しに聞き返した。

「そうなんですよ。キラさんは目が覚めた後も食欲がないみたいで、しっかり食べるように何度も言ってるんです」

 説明しながら、ヤンはキラの手を引いて食事が置かれているテーブルの椅子に座らせる。

「お粥なんで美味しくないかも知れませんけど、回復のためにも食べてください! 全部食べ終えるまで、ここで見てますからね!」

 通りでキラを見た時、以前より少しやつれたような印象を受けたのだとルークは内心納得した。

 自分を担いで無理に下山したせいで憔悴しているのかと最初思っていたが、食事が不十分だったのならば頷ける。

「キラさん、ショックを受ける気持ちも分かりますが、今は食べて体力をつけてください」

「はい……。いただきます」

 緩慢な動きながらもキラは粥を食べ始めた。

 味が気に入らないというよりも、何かを思い悩んで食が進まないという様子だった。

 そもそも元気だった頃は、塩漬けの干し肉を『しょっぱい』と驚きながらでも食べていたのだ。

(やはり、敗走して仲間が死んだり、離れ離れになったことが心細いのか……)

 思えばここに来るまでピンチはあったものの、敗北して犠牲を払うことになったのは初めての経験だ。

 今までは何だかんだと優秀な仲間が支えてくれて、切り抜けて来られた。

 先の戦闘でリカルドとディンゴが死亡し、逃げるために仕方なかったとは言え他の仲間とも散り散りになってしまった。

 彼らがどうしているのか、ルークにも分からない。

 敵に捕まって殺されたのか、それとも無事なのか。

(情けない上に手負いの私一人だけが護衛では、彼女が心細いのも無理はない)

 ルークは自虐的に今の状況を捉えていた。

 彼女と二人で逃げるにしても、自分ではなく他の仲間であれば。

 例えば年長者で頼りになるギルバートだったり、気を許した友人であるメイだったなら。

 いっそのこと、重傷の自分よりもまだ動けるリカルドがキラを連れ、代わりに自分が囮になっていれば。

 マイナスの思考が脳内を駆け巡り、動くことができず他にやることがないのも相まって、ルークを悩ませた。

「よし、食べ終えましたね。じゃあ、また夜に夕ご飯持ってきますから、身体を休めていてください。夜もちゃんと食べてくださいよ!」

 ルークの心中を知らず、ヤンはそう言いながら食器を片付けて部屋を出て行った。

 修道院の一室に残された二人の間に、気まずい沈黙が流れる。

 この時、キラもルークも両方共、肉体的にではなく精神的に限界を迎えようとしていた。


 一方、ギャング団の追手を振り切り、山に入る前に立ち寄った街まで戻って来たギルバート達は、一度態勢を立て直してからキラ達残りのメンバーの捜索を行っていた。

 まずは街中で聞き込みを行い、それでも情報が得られないので安全確認を慎重に行いつつ、街の周囲へ捜索網を広げる。

 だが何も収穫が得られないまま、2日が経過した。

「まずいわね……。ここまで探して見つからないとなると、ギャングに捕まっている可能性もあるわ」

 夜の宿に集まった仲間を前に、ソフィアはテーブルに広げた地図を見ながら険しい表情を浮かべる。

 地図には捜索を終えた場所に印がつけられており、街の周辺のほとんどは捜索済みであることを示していた。

「まだそう判断するのは早計じゃろう。明日はもう少し捜索範囲を広げて、危険じゃが山の近くまで見てみよう」

 平静を装いつつも焦りを隠せないソフィアに対し、ギルバートは至って冷静だった。

 彼もキラや行方不明の仲間を案じていたが、ここで慌てても何の得もないと経験上よく知っていた。

 行方知れずの仲間の捜索など、この歳になるまでに何度も行ってきたからだ。

「そんなのんびりしてられる場合かよ?! キラちゃんが、あいつらに捕まってるかも知れないんだぜ?!」

 ソフィア以上に焦るディックはギルバートに食って掛かろうとするが、メイがそれを止めた。

「落ち着いて。無事を信じよう」

 こういう状況において、信じるという行為がどれほど無力かはメイもよく知っていた。

 だが今はこうしてなだめる他ない。

「山の麓へは俺が行こう」

 隠密行動に長けたユーリが名乗りを上げる。

 慎重な彼ならば敵に見つからずに捜索が行えるはずだと、仲間達は納得したが、ディックだけはなおも気が収まらないのか声を荒げる。

「そもそもっ! あんたがあの時、バラバラに逃げろなんて言うから! こんなことになったんじゃねぇかよ!!」

 ユーリの胸ぐらに掴みかかるディック。

 彼にしてみれば、ユーリがあんな指示を出さなければ全員一緒に逃げられたはずだと思っていた。

「ちょっと、やめなさい!」

 ソフィアの制止も聞かず、ディックは何も答えないユーリに食って掛かる。

「おい! 何とか言えよ!!」

 ついに勢い余ってユーリの顔を殴り倒したが、それでも彼は抵抗せず、そのまま床に尻もちをついた。

「よさんか! 今は仲間割れしておる時ではないぞ」

 ギルバートが羽交い締めにする形で暴れるディックを抑え込む。

 その間に、ソフィアは殴られてなお無言を貫くユーリに手を差し出した。

「何であいつを庇うんだよ?! だって、あいつのせいで……!」

「全員で固まって逃げれば、そのまま敵に追い付かれてやられていたわ。一人でも生き残る確率を高めるには、ああする他なかったのよ」

 釈明も何もしようとしないユーリに代わり、ソフィアが説明する。

 バラバラの方向に逃げたからこそ、敵は彼らを見失い、戦力を分散して捜索するしかなくなったのだ。

 その間にユーリは彼女の手は取らず、一人で立ち上がる。

「くそっ! こうしてる間にもキラちゃんが殺されてるかも知れないってのに!」

 納得したわけではないが、一応抵抗をやめたディックはギルバートに解放される。

 だがやり場のない怒りをどこへ向けていいのか分からず、拳をテーブルに叩き付けた。

 一番悪いのは無法者のギャング達だろうが、そもそもそんな連中と関わることになったのは、金儲けに目がくらんだリカルド達のせいだ。

 だが圧倒的な戦力差のあるギャング相手に再び勝ち目のない戦いを仕掛けるわけにもいかず、かと言ってリカルド達四人組のうちフランツとディンゴは死亡し、残り二名も行方不明リストの中である。

「ディック、あなたは少し頭を冷やした方がいいわ。武器も失っているし……明日は街で物資の買い出しと聞き込みをしてちょうだい。そうね、メイも一緒にお願いできるかしら」

「うん、分かった」

 メイは素直に頷いた。

「はぁ? 街での聞き込みなんてもう散々やっただろ! それよりも、やっぱあいつらのアジトに殴り込んで助け出した方が……」

「丸腰で殴り込みか? 今はソフィアの言う通りにするんじゃ」

 指摘された通り、ディックはギャング団との戦闘で槍を折られ、今は武器を何も持っていない。

 無鉄砲な彼でも、丸腰で敵に飛び込めばどうなるかくらいは想像がついた。

「くそっ!」

 誰に向けるでもなく、一人悪態をつくディック。

 この時誰もが、絶望的と思われるこの状況に舌打ちしたい気持ちだった。

 皆、他でもないキラの旅を手伝うために同行して来たのだ。

 そのキラがもし死んでいたとしたら、もうこれ以上旅を続ける理由もなくなる。

「ユーリ、危険だけれど麓の捜索をお願いね。私達は街周辺で、まだ探していない箇所を当たってみるわ」

 ソフィアもまた、内心気が気ではなかった。

 キラも心配だが、エリックも気がかりだ。

 二人共、人類にとって貴重な異能力の持ち主であり、どちらか片方でも失うことは社会全体にとっての損失だと考えていたからだ。

 この日は夜のミーティングで一旦捜索を打ち切り、翌日に持ち越しとなる。

 一人、同じ部屋に居ながらただ黙って他の者の顔色を伺っていたカルロのことは、皆忘れていた。

 翌朝早くにユーリは山の麓へと向かい、ソフィアとギルバートも街の周辺を引き続き捜索する。

 ディックとメイが街に残り、聞き込みを行いつつ切れかけている水や食糧などの物資と、替えの槍を買いに向かう。

 鍛冶屋へ向かう道中で改めて聞き込みを行うも、やはり行方不明の仲間の目撃情報は得られなかった。

 市場で買い物をしているうちに、二人は街の鍛冶屋に到着してしまった。

「ちぇっ、結局収穫ゼロかよ……。やっぱ、新しい武器を買って、それでアジトに殴り込むっきゃねぇな!」

 ディックは無駄に気合を入れてドアをくぐり、その後にメイが続く。

 有名な大手鍛冶屋と言うだけあって、店内は広く、そこに所狭しと日用品の金物から武器まで陳列されていた。

 武器は剣や斧、棍棒といったものから、もちろん槍も並べてある。

「いらっしゃい! 何をお探しかな?」

「槍くれ。一番安いのでいい」

 開口一番のケチな注文に一瞬眉をしかめた店員だったが、すぐに気を取り直して単純な作りの安い槍を持ってきた。

「一番安いのって言えばこの辺だな。銀貨200枚だ」

 柄はおよそ2メートル程、穂先はシンプルな素槍である。

 かつてディックが使っていたものと、そう変わらない作りだった。

 安いだけあり、穂先の金属は安物が使われており、柄に使われている木材も剛性に欠けたグレードの低い物だった。

「うげ、200枚とか結構すんなぁ……。しょうがねぇ、これにする」

 渋々代金を支払ったディックは槍を受け取ってそのまま店を出ようとするが、メイがそれを止めた。

「待って。短剣も見ておいた方がいい」

「はぁ? 短剣なんて、高い割に小さくて大して使えないじゃねぇか」

 値段は主にコストのかかる金属部分で決まる。

 槍の穂先と短剣の金属量は大体同じくらいのもので、値段もそう変わらない。

 その割に短剣は間合いが短く、小型であるが故に破壊力も低い。

 何故必要なのか、ディックには理解できなかった。

「また槍が折れたら困るよ。短剣は保険なの」

 手短に説明しつつ、メイも白い毛皮の上着をめくって予備の短剣を差してある武器ベルトを見せる。

 短剣は小さいが、だからこそ携帯に向いている。

 普段は使わなくとも邪魔にならず、もし主武装(メインアーム)を失った時のバックアップになる。

 ディックは短剣の殺傷力を過小評価していたが、少なくとも素手よりは遥かにマシである。

「……確かに、次に折れた時に困るか。ええい畜生、大散財だ!!」

 結局、ディックはなるべく安い短剣を銀貨250枚で買い、この日だけで450枚もの銀貨を使ったのだった。


 一方、単独で捜索を行っていたユーリは予定通り、例の山の麓近くまで来ていた。

 既に敵のテリトリーに接近しており、ギャング側の捜索隊とぶつかる危険性は十分にある。

 ユーリは慎重に周囲を警戒しながら行動し、やがて運がよかったのか、たった二人で行動している下っ端のギャングを発見した。

 すかさず草むらにしゃがんで身を隠し、気配を殺して様子を窺うユーリ。

 彼の存在を知らない二人組は、悠長に世間話をしていた。

「あいつら、どこへ逃げやがったんだ? ひょっとして、もう街に着いてるとか?」

「一部は重傷なんだ、そう遠くへ行けやしねぇって」

 どうやら、ギャング団も一行の仲間を発見できておらず、探し回っている様子だった。

「で、あいつはいつ頃本部に運ぶんだ?」

「明日の朝一番でだってよ」

 仲間の誰かが捕まっている。そして、まだ殺されてはいない。

 そのことを会話から知ったユーリは、この二人から情報を聞き出すことを決めた。

 潜んでいる草むらをわざと揺すって音を鳴らし、それを餌にギャングをおびき寄せる。

「何だ? 動物か?」

「一応、見とこうぜ」

 警戒しつつ、背の高い草むらに入り込んでくる下っ端二人。

 ユーリが草を揺らした地点へと真っ直ぐに向かって草むらを進むが、既にユーリは初期位置から移動しており、ちょうどギャングの背後に回り込んでいた。

「……っ?!」

 並んで歩く後ろの一人を、右手で口を塞いで声を出せなくするとガントレットをはめた左手で殴って気絶させる。

 倒れた物音で気付かれないよう、草のクッションの上にそっと寝かせた。

「あれ、どこ行ったんだ? おーい、ふざけてんのか?」

 相方が居なくなったことに気付いたギャングは仲間を呼ぶが、代わりに飛んできたのは草むらから飛び出したユーリの左ストレートだった。

「ぶはっ?!」

 二人を生け捕りにしたユーリは、気絶している間に縛り上げたギャングを引きずって、落ち着ける場所へと移動する。

 山の麓からはある程度離れた川辺りまで来ると、水筒に冷たい水を汲んで気絶中のギャングの顔にぶちまけた。

「起きろ」

 自分達の身に何が起こったのか分からず、しばし困惑する下っ端二人。

 だが二人共縛られて身動きが取れず、目の前にはキラ達の仲間の一人である『一匹狼』、否が応にも状況は飲み込めた。

「お、俺達から無事に逃げ切れるだなんて思……むぐ?!」

 精一杯の虚勢を張るギャングだが、ユーリは黙って二人の口にボロ布をねじ込んだ。

 悲鳴を上げて助けを呼ばれないためと、舌を噛んで自害させないためだ。

 二人の口を塞ぐと、今度は両手にそれぞれ投げナイフを持つ。

「時間がない、容赦は無しだ」

 そこから、ユーリの情け無用の尋問が始まった。

 真っ当な人間が見たら目を覆いたくなるような苛烈な拷問の前に、所詮下っ端に過ぎないギャングは折れた。

「ここ、殺したのは、さ、三人だ! 弓使いと、槍使いと、そして甲冑を着た奴!」

 あまりの苦痛と恐怖で二人の身体は小刻みに震え、涙と鼻水を流し失禁しながら、奥歯をガチガチと鳴らしつつ必死に喋る。

 喋らなければ、死よりも辛い苦痛が続くと短時間で教育されたからだ。

「一人は、つつ、捕まえた! た、盾を持ってた奴だ! 装備は売れそうだったし、本人をどうするかはボスに、きき、聞こうってんで、ほ、本部に送る予定なんだよぉ!」

「捕獲したのは一人だけか?」

 威圧感のある声でユーリが改めて尋ねる。

「ひ、一人だ! ほほ、本当だよ! な、なあ?!」

「ああ、一人だけ、一人だけだ!」

 ギャング側が殺害を確認しているのは恐らく、リカルド、フランツ、ディンゴの三人。

 そして捕まったのは、エドガーで間違いないとユーリは判断した。

「お前達も、他は捜索中ということか?」

「そ、そうだよ! 特に北側は、追跡に向かったチーム数十人が一人も帰って来ないって言うんで、重点的に調べてる最中なんだ!」

 この話が本当なら、北側に逃げた誰かが追手を全滅させて逃げ切ったということになる。

 そのせいで、ギャング団は北での捜索に力を入れていたようだ。

(数十人を全滅か。ルークが例の大魔法でも使ったか? あの傷ではもう戦えないとは思うが……)

 疑問点はあるが、これで誰が死に、誰が捕まり、誰が行方不明のままなのかがはっきりとした。

「最後の質問だ。その捕虜はどこに? 場所を示せ」

「ぐあぁっ!」

 ギャングの膝に突き刺した投げナイフを引き抜くと、一人の口にくわえさせ、ユーリは周辺の地図を取り出す。

 口のナイフについた血で、印をつけろと言うのだ。

 下っ端は恐怖に震えながら、捜索隊のキャンプのある場所をくわえたナイフで軽く突いた。

 彼の流した血が、山の麓に近い場所に赤黒い点を作る。

「お前にも聞く。ここで間違いないか?」

 確認のため、もう一人にも地図の印を見せて尋ねる。

 ギャングは何度も頷いて答えた。

 こういう時、捕虜が二人居るというのは情報の信憑性を計る上で有利になる。

「聞くべきことは全て聞いた。黙っていいぞ」

 尋問を終えたユーリは、腰の剣を抜いて”後始末”に入る。

 ギャング二人の左胸を剣で突き刺してトドメを刺すと、縛り上げていたロープに重りとなる石を括り付け、死体を川へと沈める。

 もし死体が敵に発見され、この近くで接敵していたと判明する時間を少しでも遅らせるための措置だ。

 死体の処理を済ませたユーリは、改めて地図を見ながら、今まで以上に警戒を強めつつキャンプ地へと足を運んだ。

 潜入前に遠くから様子を伺うと、およそ15人程のならず者達が集まり、野営をしていた。

 敵に発見されないギリギリの距離から、ぐるりと一周するように全方向から見渡すと、木で作られた簡易の檻に囚われている、エドガーと思しき人影を発見する。

 フランツと共に残った後、結局トラバサミを解除できなかったエドガーは、盾となって必死に戦った。

 だが重装歩兵が強いのは軍団で隊列を組んでこそ、たった一人で敵を押し止めようとしても、無理なものは無理だった。

 数の暴力の前に為す術もなく、エドガーは大盾と槍を取り上げられて縛り上げられた。

 ギャング達はトラバサミにかかって動けないフランツも生け捕りにしようとしたが、悪あがきで抵抗したので殺した。

 高く売れそうな甲冑と戦鎚だけを回収し、死体はその場に捨て置かれた。

 そして今、捕らえられたエドガーは縛られた状態で檻に入れられ、ギャング団本部への移送をただじっと待っているだけの身となる。

(人は死ぬ時はあっさりと死ぬ。俺の人生も、所詮ここまでの無意味なものだったか……)

 檻の中で一人、エドガーはため息をつく。

 こうなってはもはや、打つ手もない。

 ただ死を待つだけの己に、虚無感を感じていた、その時だった。

「……エドガーだな? まだ生きているな」

「その声、ユーリか?」

 背後から聞こえる仲間の声に、思わず振り向こうとするエドガーだったが、ユーリはそれを止めた。

「待て、振り向くな。そのまま聞け」

 野営地とは言え、ここは敵のど真ん中。

 不用意に注意を引くようなことをすれば、ユーリごとすぐに発見されてしまうだろう。

 エドガーは言われた通り、そのまま動かずに小さく頷いた。

「後で迎えに来る。出された食事には決して手をつけるな」

 それだけ言い残すと、背後の気配は消え、もう一言も喋ることはなかった。

(食事に手をつけるな? ……まさか)

 何となく察しのついたエドガーは、黙してその時を待った。

 日が傾くと、野営地のギャング達はすぐに夕食の準備に取り掛かる。

 エドガーにも乾パンと水が出され、縄も解かれて檻の中での自由が保証された。

「最期の晩餐だ、味わって食えよ」

 ニヤニヤと笑いながらそう言うギャングだが、エドガーは一言も喋らず、食糧にも口をつけようとはしなかった。

「何だ、てめぇ? 俺達の飯は食えねぇってか?」

「ムカつくぜ、もう2~3発殴っとこうか?」

「やめとけ、時間の無駄だ。どうせ明日にはくたばるか、奴隷商人に売られるんだ」

 エドガーから興味を無くしたギャング達は、別の話題に切り替える。

「そう言えば、あいつはまだ戻らないのか?」

「まだだな。飯にうるさいあいつが、夕食の時間に帰って来ないなんて、おかしいぞ……」

 疑問符を浮かべつつ、明日の朝に備えて野営料理を平らげるギャング達。

 そこまではよかったのだが、一時間程経過すると異変が起こり始める。

「う……ぐ、が……!」

「か、身体が……動かねぇ……」

 キャンプのあちこちで、ギャング達はひっくり返って動けなくなっていた。

 そして誰も動けない野営地に、ユーリは正面から堂々と入り込んだ。

 檻への道すがら、倒れて立ち上がれないギャングを順番に剣で刺し殺し、始末していく。

 エドガーの予想通り、ユーリは野営地の料理に毒を盛った。

 毒薬と一口に言っても、すぐに効果が現れる即効性のものと、遅れて毒性が出る遅効性とに大きく二分される。

 また、命に関わる猛毒から身体を麻痺させる痺れ薬まで、その毒性も用途に応じて多様だ。

 野営地を手っ取り早く殲滅したいなら、食事に一服盛るのが効果的だ。

 即効性ではすぐに毒入りだと分かってしまうため、遅効性のものを。

 そして致命的な毒にせず麻痺毒にしたのは、万が一エドガーが食べさせられた時に、巻き添えにして死なせないためだ。

「迎えに来たぞ」

 檻の前に立ったユーリは、そう言うと血にまみれた剣で粗末な作りの檻の鍵をこじ開け、エドガーに手を貸して檻から救出した。

「本当に毒を盛るとはな。よく気付かれなかったものだ」

 ギャングも素人ではない。野営料理を作る際は、何か混入されないか周囲に気をつけるものだ。

 それを掻い潜り、痺れ薬を盛ったユーリは、毒入り料理を食べてギャング達が倒れるのを待っていたのだ。

「害虫駆除とそう変わらない」

 そう言いつつユーリは、ギャングがエドガーから取り上げた大盾と槍、ショートソード、そして革鎧を回収し、持ち主の前に並べる。

 ギャングは売却するつもりで、一箇所に纏められていたものだ。

「持ち物はこれで全部か? ならすぐに装備を整えろ。ここを離れるぞ」

 流石に、もう銀貨の入った財布などはギャングが持ち去った後だが、幸いにも装備一式は無事戻ってきた。

 革鎧を着込み、ショートソードを大盾の裏に収めてから、槍と一緒に背中に背負う。

 あちこち負傷はしていたが、戦闘を避けて脱出するだけなら問題なく動ける。

「……いいのか?」

「何がだ?」

 エドガーの問いに、ユーリは興味なさげに聞き返す。

「俺達は……お前を裏切った。仲間を騙し、ギャングの拠点に誘導した。それでも、助けると言うのか?」

 本来平和な道筋だったはずのキラ達の旅は、傭兵五人組の介入によって一時は全滅の危機にまで立たされた。

 リカルドの案に反対の立場だったとは言え、今更そんな言い訳が通るともエドガー自身思っていない。

「…………後ろからついてこい」

 沈黙の後、ユーリは質問には答えずに先導を始める。

 麓から離れ、安全地帯である街に連れ帰るためだ。


 時はしばし遡り、街で装備を整えたディックとメイ。

 槍の他にサブウェポンとして短剣も買ったのだが、彼にとっては手痛い大出費だ。

「短剣なんて、使う日が来るのかホントに?」

 鍛冶屋からの帰り道、ディックは何度も短剣を差した武器ベルトに手をやり、眉をしかめながら首をかしげる。

 別に重くて邪魔なわけではなかったが、どうしても払った銀貨250枚が頭を過る。

「使う時が来ない方がいいよ。でも必要な時、無いよりいいでしょ?」

「まあ、それもそうか……」

 まだ釈然としないものの、無理矢理納得しようとするディック。

 二人は気を取り直して、帰り道でも何か情報が得られないかと聞き込みをしていくことにした。

 既に日も暮れかけており、人通りもまばらになってきている。

 人に尋ねるならこの時間帯が最後のチャンスだ。

 やはりこれといって収穫のないままの二人だったが、ディックは街で見慣れない僧服を着た青年が目に留まり、今まで散々尋ねてきた内容を口にする。

「なあ、そこの眼鏡坊主。背は低めで髪は茶色で短めの超可愛い女の子と、ヒョロくて女にしか見えない青髪の男とか、見なかったか?」

「すみません、背は低めで短めの茶髪の女の子と、細身で一見女性に見える青い髪の青年の二人組、知りませんか?」

 二人は同時に喋り、一瞬顔を見合わせた。

「は?」

「え?」

 二人同時に首を傾げ、二人同時に間の抜けた声を上げた後、ディックは僧侶と思しき青年に掴みかかった。

「おい、その女の子と優男を知ってるのか?! どこで見た! 吐け、この野郎!!」

「落ち着いて」

 メイに制止され、僧侶の首を締める手を離すディック。

 対する僧侶は目を白黒させながら、ずれた眼鏡の位置を直す。

「痛たた……乱暴な人だなぁ。もしかして、ルークさんとキラさんの言っていたお仲間さんですか?」

「ああそうだよ!! 良かった、無事だったんだぁー!」

 一人舞い上がって小躍りするディックを他所に、メイは詳しい話を眼鏡の僧侶から聞き出した。

「詳しく聞かせて」

「3日前、山の麓で倒れていた二人を僕が見つけて、今は郊外の修道院で保護しているんです。キラさんは軽傷なんですが、ルークさんの傷が深くて動けない状態です。二人共、お仲間の人達のことをとても心配していて……」

 事情を把握したメイはディックを引っ張りながら、ヤンと名乗る僧侶を他の仲間の待つ宿まで案内することにした。

 少し時を遡り、街の宿では既にディックとメイを除く仲間達が集まっていた。

 ユーリが救出してきたエドガーも加わり、応急処置も済ませて二人の帰りを待つ。

「二人共、遅いわね……」

 ソフィアは窓から外を見やる。

 既に日は落ちており、街の夜景が広がっている。

「こうしていても始まらん。待ちながら捜索の成果を報告し合うとしよう」

 ギルバートの言葉にユーリも頷く。

 まずギルバートとソフィアの二人が街の周囲を更に範囲を広げて捜索した結果だが、残念ながら今回も成果は得られなかった。

「ユーリ、あなたはどう? エドガー以外の仲間の情報は、何か得られたかしら?」

「ああ、一通りは確認した」

 ユーリは、捕らえた二人の下っ端から聞き出した情報を仲間に伝えた。

 ギャングが殺害したのは三人、捕まっていたエドガーは救出に成功、残る行方不明者はギャングも見失っており、お互い捜索中だ。

「少なくとも、捕まっていないのは朗報ね。敵より先にキラ達を見つけて、教皇領に逃げ込めば私達の勝ちだわ」

「山を跨いだ北側でも捜索する必要がある。北側を追跡していたギャング数十人が、全滅したと奴らは言っていた」

 再びギャングと交戦する危険を考え、山の近くやその向こう側まではまだ捜索していない。

 だがあの状況でバラバラに逃げた結果、山の北側にキラ達が向かった可能性もあるだろう。

 数十人の敵を全滅させたとなればかなりの腕前、ルークがついていることも考えられる。

 ギルバートとソフィアはそれで納得したが、一人だけその報告で狼狽える影があった。

 部屋の隅で今まで黙っていた、カルロである。

「そんな、リカルド達が……三人共死んじまったなんて……!」

 カルロにしてみれば、今まで自分を保護してくれていた仲間であり生命線。

 その三人が死亡したと聞いて、カルロは頭を抱えて震えた。

 この空気のような小男をどうするかも考えなければならないが、まず優先すべきは残る消息不明の仲間を見つけ出すことだ。

「危険じゃが、北側を探してみるとするかのう。ところで、尋問したギャングはどうしたんじゃ?」

「始末して川に沈めたが」

 ユーリは当然のことのように即答した。

 生きて帰せば、こちら側も仲間とはぐれて付近を捜索していることが敵に分かってしまう。

 時間の問題ではあるが、今は少しでも時間稼ぎをしておきたかった。

 彼の行動に若干引いた仲間達だが、すぐに気を取り直してミーティングを再開した。

「エドガー、あなたは捕まっている間に何か聞いていないかしら?」

 ソフィアが、それまで黙って聞いていたエドガーに話を振る。

「すまん、あまり使えそうな話は聞けなかった」

 捕虜だからと、敵の目の前でペラペラと重要な情報を話すのは素人だ。

 それが分かっていたので、ソフィアもエドガーからの情報はあまり期待してはいなかった。

「さて、ワシらをギャングの拠点に誘い込んだ件についてじゃが……」

「ああ、どんな罰でも受ける覚悟だ」

 今更釈明など無意味だと、エドガーもよく知っていた。

 リカルドチームの最後の生き残りとして、責任は取らなくてはいけない。

 例えリーダーの方針に反対の身であったとしても、だ。

「そうね、あなたにはキラ達を危険に晒した責任があるわ。その償いとして、キラの護衛としてついてもらうことにするけれど、いいかしら?」

 これには、エドガーも意外な表情を浮かべる。

「俺に罰を与えないのか? その権利がお前達にはあるだろう」

「仲間内でそんなことをしても無駄じゃ。もし責任を取るつもりが少しでもあるなら、キラのこれからの旅を手助けしてやってはくれんか」

 まだ許したわけではないが、これからも仲間としてパーティに受け入れ、キラの護衛として一定の信用は置いてくれるということだ。

 やらかした事の大きさを思えば、破格の待遇だった。

 エドガー自身、救出された後でリンチにされるくらいは覚悟していたからだ。

「寛大な措置に感謝する。これからは、お前達の盾となって罪を償っていく」

「決まりね。まずは、まだ見つかっていないキラ達の捜索に手を貸してもらうわよ」

 するとそこへ、慌ただしい足音と共に旅の仲間でも一番騒々しい男、ディックが駆け戻ってきた。

「おーい皆ぁ! キラちゃんとルークを知ってるっていうガキが居たんで連れてきたぜ!」

 4人が一斉に部屋の入り口を振り向くと、ディックとメイの他にもう一人、教会の僧侶と思われる若い男が立っていた。

 途中から強引に引っ張って来られたのか、頭の僧帽と眼鏡は落ちかかっている。

「ガキって言わないでくださいよ! これでも僕は既に元服してるんですからね?!」

 元服とは成人することであり、平均寿命が50前後と短いこの時代では16歳で大人と認められる。

 この僧侶は今年で17、元服からおよそ1年目である。

 乱暴なディックとはどうも反りが合わなかったが、話の分かりそうな他の仲間達を見て、彼は気を取り直して話し始めた。

「皆さんが、ルークさんとキラさんのお仲間で間違いないんですよね? 二人共、心配していましたよ」

 帽子と眼鏡を直しながら、金髪の青年はメイに話したことと同じ内容を4人にも聞かせた。

「不幸中の幸いと言うべきか、ともかく二人は無事なようで何よりじゃわい」

 ギルバートもソフィアも、この報告にほっと胸を撫で下ろした。

 ユーリの持ち帰った情報では、まだギャングに捕まっていないことだけは分かったが、無事だとまでは断定できなかったからだ。

「他には見ていないかしら? 黒髪の中背くらいの若い青年と、同じくらいの年頃の茶髪を後ろで結った女性は?」

「あぁ、キラさんにも同じこと聞かれましたけど、僕はその二人は見てないですね」

 残念ながら、エリックとエレンは修道院で保護されてはいないらしい。

 まだ行方不明のままだ。

「僕は買い出しで街に来ていた途中なんですが、もう遅いですし急いで帰らないと……。皆さんも一緒にどうですか?」

「そうじゃな、急ぎ二人の無事を確認するとしようかのう」

 ギルバートに続き、ソフィアも頷いて同意する。

「ええ、修道院まで案内してちょうだい」

 若い僧侶には仲間が無事だという報告だけ持ち帰ってもらい、出向くのは明日にするという手もあったが、ソフィアもキラが本当に無事でいるのかどうか早く確かめたかった。

「ま、待ってくれよぉ!」

 それまで部屋の隅で震えていたカルロも、すがるように一行の後についてきた。

 ヤンと名乗る僧侶に案内され、ギルバート達7人は月明かりの中、修道院を目指して走る。


 ディックに捕まったことで遅れてしまい、ヤンがキラの仲間を連れて修道院に到着したのは夜も更けてからだった。

 保護されているキラ達の仲間ということで、他の僧侶も手厚く迎え入れてくれる。

「お仲間さん達が見つかって本当によかった。ヤン君、よく見つけましたね」

「これも主のお導きですね」

 石造りの建物の中を、僧侶の後に続いて進むギルバート達。

 案内された先の部屋で、ついに離れ離れになっていた仲間は合流する。

「あっ! 皆さん、無事だったんですね!」

 最初に仲間の顔を見たキラは、ほっと安堵の表情を浮かべた。

「ええ、こっちは大丈夫よ。それよりルークの容態は……むぎゅ?!」

 するとソフィアを押し退け、ディックが前に飛び出す。

 狭い部屋の中でのこと、ソフィアは壁に押し付けられた。

「うおおおー! キラちゃん、ほんとに無事だったんだな!」

 そのままの勢いでキラに抱きつこうとするディックだが、それはさらりと身をかわされてしまい、部屋の奥のテーブルに激突した。

 ヤンの話通り、キラは軽傷で大事無いと判断したギルバートは、その間に重傷と聞かされていたルークの様子を見る。

「ルーク、傷の具合はどうじゃ?」

「大丈夫です、何とか……」

 気丈に振る舞うルークだったが、彼の手当てなどを行ってきたヤンが口を挟む。

「いいえ、全然大丈夫じゃありません! 今無理して動いたら、また傷口が開いて寝たきりに戻りますよ。強がらずに、ありのままをお仲間に話してください」

 ギルバートの目にも、ルークの状態はよくなさそうに見えた。

 全身に巻かれた包帯はまだあちこちに血が滲んでおり、表情は横になっていても辛そうだ。

「今は無理をするでない。時に身体を休めるのも、戦士には大切なことじゃ」

「そうね。何とか合流もできたことだし、あなたは治療に専念してちょうだい。回復を待って先に進みましょう」

 ギルバートとソフィアの言葉に、ルークは苦々しい表情でうなずいた。

(私が足を引っ張ってしまうとは……。我ながら不甲斐ない)

 一方、再会したキラとメイは互いの無事を喜び合っていた。

「怪我はないみたいだね。よかった」

「うん、私の方は大丈夫。心配かけてごめんね、メイ」

 塞ぎ込んだ様子だったキラも、この時ばかりは自然な笑顔を見せる。

「お、俺のことは……?」

 ハグをかわされて部屋の奥のテーブルに激突したディックが、恨めしそうな声をあげる。

 そんな一行の様子を、部屋の入り口からユーリとカルロ、エドガーの三人は一歩距離を置いて見ていた。

 再会を喜んだ後、ルークを寝かせたままキラ達は同じ部屋で現状の共有と整理のために話し合う。

 ギルバート達の方はここ3日の調査で、リカルド達三人組が死亡したこと、捕まっていたエドガーの救出に成功したこと、そしてまだエリックとエレンの二人が行方不明であることを話した。

 キラもまた、ルークが深手を負ってしばらくは動けないということを、実際に治療に当たったヤンも交えて説明する。

「リカルドさんとディンゴさんだけじゃなく、フランツさんまで……。それに、エリックさんとエレンさんも心配です」

 今回の厄介事を持ち込んだのは他でもないリカルド達なのだが、それはそれとしてキラは三人の死を悼んだ。

 彼らはキラ達を利用するつもりだったのだろうが、キラにとっては短い間でも一緒に旅をした仲間だったのだ。

「エドガーさんだけでも助かって、本当によかったです」

 言いながらキラに真っ直ぐに見つめられたエドガーは、立場的にもバツが悪く黙り込んだ。

 本来ならキラを利用しようとして失敗し、こんな状況に追い込んだ傭兵隊のメンバーだと言うのに、罵詈雑言を浴びせるどころか非難すらしようとしない。

 その底抜けの人の良さが、今のエドガーにとっては辛かった。

 こんなお人好しを、むしろお人好しだからこそ、自分達は騙して利用しようとしたのだ。

 いっそのこと、責任を追及して罵倒し、パーティから追い出してくれた方がどれだけ気が楽だったかと、エドガーは内心考えていた。

(確かに、リカルドさんは私達を利用するつもりだった。だが、ディンゴさんの最期の言葉は……彼だけは、私に恩を感じて助けになろうとしてくれていた)

 ルークも横になったまま、死んだ三人に思いを馳せる。

 この状況の元凶は彼らだが、思い返せば悪人でもなかったように思う。

 少なくとも、三人の中でディンゴだけは義理堅い男だった。

「せっかく皆さん合流できたことですし、今夜からこの修道院に泊まられてはどうですか? ここを拠点に探せば、もっと効率もよくなると思いますよ」

 ヤンの提案に、ギルバートとソフィアもうなずいた。

「そうじゃな、今は彼らの厚意に甘えるべきじゃろう。ルークの回復を待つ間、山の北側も視野に入れて捜索するとしよう」

 ルークも今の状態では修道院から動けないため、街と行き来するよりも全員で修道院に厄介になってしまった方が都合がいい。

 立地条件としても、この修道院は山を東側に迂回する街道沿いに位置しており、危険な山を避けて南の街の反対側の北側を捜索するのに向いている。

「もちろん、無償でとは言わないわ。私達の宿泊費と、キラとルークの治療費、諸々は修道院への寄付金という形で払わせてもらうつもりよ」

 そのためのパーティ共有の財布である。

 他にも、エリック達を発見しルークの傷が治ったら、本来の目的地であるドラグマを目指すための足である馬車も調達しなくてはならない。

 ソフィアが工房の貯金を持ってきてくれていたおかげで、それらの資金に困ることはなさそうだった。

「いやぁ、ありがたいことです。皆さんに主のご加護がありますように」

 そう言って、ヤンは指先で目の前に聖印を刻んだ。

 正直なところ、彼らの生活はあまり裕福ではない。

 キラ達に出していた療養食が豆粥だったように、ヤン達僧侶も質素な食事で日々暮らしていた。

「じゃあ、僕は皆さんの分の部屋を用意して来ますね。こうして無事合流できたのも、主の思し召しでしょう。残りのお仲間さんも、きっと見つかりますよ」

 ヤンは人数分の寝床をいくつかの部屋に分割して用意し、夕食を運んだ。

 宿の食事に比べると修道院の料理は簡素で、ついでに酒は出なかったが、心配していた仲間と合流できたというだけでもキラ達は満足だった。

 明日からは残るエリックとエレンを見つけ、リカルド達を弔ってから再出発する。

 そんな風に考えていた。

 だが一行が修道院のベッドで眠りに就いた深夜、事態は急変する。

 最初に異変に気付いたのは、どんな時と場所でも警戒心を欠かさないユーリだった。

「起きろ、焦げ臭い」

「ん~、何だよこんな夜中に……」

 危険を感じた彼は、同室だったディックとカルロ、そしてギルバートを起こす。

 既にユーリ自身は臨戦態勢に入っていた。

「確かに。これは何の臭いじゃ?」

 目覚めたギルバートも、すぐに危機を察知する。

 何が起こっているのかはまだ分からないが、驚異がすぐそこまで迫ってきていることは長年の勘で理解した。

 すると、修道院の塔の鐘が鳴り出す。

 時間を知らせるものではなく、危険を知らせる意味での警鐘だ。

 そして同時に、寝静まっていた修道院の中も騒がしくなっていく。

「見ろ、火事だ」

 窓から外を見ていたユーリが、修道院の一角から火の手が上がっているのを発見した。

 曇り空で月明かりもほとんど届かない闇夜の中で、炎の光が怪しく輝いている。

「火事ぃ?! 何てこった、早く水を……」

「「待て」」

 慌てて部屋を出ようとするディックだが、それをギルバートとユーリが同時に止めた。

 窓越しには火事の炎だけでなく、火矢や松明を持った何者かの人影が見えていた。

 これは事故ではなく、人為的な放火だ。

「まさか……」

 その様子を見ていたギルバートは、思わず顔をしかめる。

「ああ、ギャング共だ。ディック、カルロ、武器を持て」

 そう言うユーリは既に弓矢を構えていた。

 ディックは急いで鉄の胸当てを着込むと、新調したばかりの素槍を手に取る。

 カルロも唯一の武器であるメイスを握り締め、及び腰になりながら震えていた。

 その間にも、修道院を襲撃したギャング達は建物に火を放って回る。

 火事に驚いて出て来た僧侶達は、次々と敵の餌食となっていった。

「ここを脱出するぞ」

 幸い、まだキラ達が宿泊している建物まで火の手は回ってきていない。

 逃げるのならば今のうちだ。

「た、大変です! 火事です、皆さん逃げてください!」

 ドアを開けて部屋に飛び込んできたのは、修道院の僧侶の一人だった。

 その後ろには、彼が起こしてきたキラ達仲間の姿も見える。

「お前さん達は先に逃げろ。この火事はギャング共の放火じゃ!」

「そ、そんな……!」

 ギルバートの言葉を聞いたキラは霧の森での恐怖が蘇り、青ざめる。

「大丈夫よ、キラ。ここは奴らのテリトリーではないわ。互角に戦えるはずよ」

 ルークが重傷で戦えないとは言え、霧の立ち込めるあの山林とは場所の条件が異なる。

 替わりに夜闇が視界を奪うが、それは敵が放火したことであちこちで燃える炎が照明代わりとなり、濃霧ほどの驚異にはなりえない。

「ワシらが盾となって時間を稼ぐ。その間に、キラとルークを連れて逃げるんじゃ」

「で、ですが……」

 突然のことに困惑する僧侶に、ギルバートは続ける。

「他の修道士も連れて、早く!仲間のこと、頼んだぞ!」

「は、はい! キラさん、こっちへ!」

 僧侶はろくに動けないルークを肩に担ぎ、キラを連れて他の僧侶と共に逃げ道へと急ぐ。

「ひぃぃ! 待ってくれぇ、俺も逃げるよ!」

 その後に、カルロも泣きながら続く。

 キラは避難しつつ、自分が戦えないことに引け目を感じていた。

 同時に、霧の森で仲間を失った経験から、修道院に残るギルバート達を案じて振り返る。

「急いで下さい! 逃げ遅れますよ!」

 先導する僧侶に言われ、キラは後ろ髪を引かれながらも走った。

(メイ、ソフィさん、ギルバートさん……無事でいて……!)

 断腸の思いで仲間を残し逃げるキラ。

 束の間の平穏は一瞬で崩され、再び過酷な逃避行が幕を開ける。


To be continued

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