第86話

 町へと駆け出していき、飾ってあるお店に駆け込んで、絵を売ってくれるように頼んだ。いきなり現れたジゼルに店員は目を白黒させ、買ったばかりで手放したくないと言う。


「倍の値段出すから、お願い!」


「うーん、そう言われてもねえ」


「これは、偽物なのよ!」


 偽物、という言葉に反応し、ジゼルと店主のやり取りに人だかりができて、店の外から大勢がのぞき込んでくる。


 ジゼルはまずいと思いつつも、さらに鬼気迫る形相で事情を伝える。しかし一向に首を縦に振らない店主に苛立って、また来ると言っていったん店を出て次の店へと向かった。


 同じようにジゼルが説明をするが、やはり反応は一緒で、目を白黒させるだけだ。それにジゼルが焦り始めていると、どこからか人々の騒めく声が聞こえてきた。


「――火事だー!」


 店を出て人々が指さす方向に目を向けると、真っ黒な煙が立ち上っている。ゴオゴオと燃え盛りるその場所は、ジゼルがたった今走ってきた方向だった。


「まさか……燃えているのは私の家!?」


 大慌てで人々をかき分けて、ジゼルは今しがた来た道を駆け戻る。脚をもつれさせながらたどり着いた我が家を見て、ジゼルは声を失った。


「こんな……なんで、どうしてこんなことに……!」


 泣きたい気持ちは消えていて、ただただ焦りだけが胸中へと広がっている。


「マチルダ、マチルダ!」


 長年ずっと一緒に居た手伝いの名前を呼ぶが、姿は見えない。そのまま奥まで走っていき、ジゼルは悲鳴を飲み込んだ。


「……家も……アトリエも、蔵も!」


 そこにはすでに火柱に包まれた、ジゼルの家があった。


「水じゃだめだ、油に引火して……!」


 井戸の水を汲んでみたものの、それをどうしていいか分からない。樽一杯だけの水で、その惨状が鎮火できるようには到底思えなかった。さらに悪いことに、ジゼルの家は町はずれにある。消火活動ができる火消したちが、準備を整えてから来るのには時間がかかった。


「どうしよう……」


 呆然としているうちにも、家の柱は真っ黒に焼けこげ、建物が倒壊していく。よく燃えるものに引火した炎の渦の勢いはすさまじく、あっという間にジゼルの全てを灰にした。


 消化活動の隊員が来た時にはすでに家は焼け崩れていて、鎮火したのはいいものの、そこに残っていたのは、ただの家の残骸だった。


 すすだらけになりながらその様子をじっと見ていたジゼルの肩を、ポンと叩いた人がいた。


「こちらの家の方ですよね?」


 振り返って見れば、そこには王宮で以前見かけた顔がある。


「ボラボラ商会の筆頭……」


「いかにも。先ほど燃えた蔵の中身の所有権を持つ者です」


 ボラボラの筆頭は、ぺらりと紙きれを取り出した。ジゼルが受け取って見ると、それは二枚あった。


「こちらは、あの蔵に入っていた作品全て、小さいものから大きいものまで千三百点余りの購入伝票です」


 その一つ一つは書かれていないが、莫大な金額が見えた。もう一枚にジゼルが目を通すと、筆頭は声のトーンを落とした。


「こちらは、あの中のものが全てファミルーの作品であるという、証明書になります」


「な……そんな、あれは全てジェラルドの作品です!」


 筆頭は人差し指を突き出して、左右に振った。


「疑いたくはないですけどねえ。私たちもジェラルドの作品だったら困りますので、念のためにファミルー作品である証明が欲しいと言いました。そして、それに署名をいただいています」


 そこには、マチルダの字で、ジェラルドの名前が書かれている。


「そんな……」


「あ、ちなみに、もし偽物だった場合は、我々が購入した金額の、二倍の金額の賠償金をお支払いいただくことになっています」


「なっ……!」


 ここに書いてありますよ、と筆頭は小さい文字で書かれたそれを指さした。


「まあ、その説明は省きましたけれども、よく読んでからお返事くださいと言ったんですが、すぐに署名してくださったのは、ジェラルドさんの方でしたよね?」


 はめられた、とジゼルは唇を噛んだ。マチルダが読める文字はほんの一部だ。それを逆手にとって、口頭で省いた説明だけをして、署名を手に入れたのだ。


「汚い……こんなやり方!」


「さあ、何のことでしょう?」


 王宮でボラボラ商会に泥を塗ったのを、恨まれていたのだ。ジゼルはそれを思い知らされて、ぎゅっと目をつぶった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る