第76話

 急きょ、自宅のアトリエに帰ると言い出したジゼルを止める者はいない。ローガンは後から行くと言って、残っているという仕事を片付けてからジゼルを追うことにした。


 昼間だし男装しているから大丈夫とローガンが言った通り、前回、町に出た時のように、誰かに襲われるという事もなく、すんなりと家へ帰ることができた。


 突然帰宅したジゼルに、最初は戸惑いの色を見せたマチルダだったが、すぐさま食事を増やすから買い出しに行くよと家を出て行った。


「じゃあ、私はとにかく洗いざらい記憶を……」


 出し切ろう、とジゼルは大量の紙に大量の木炭で絵を描き始めた。それは、マチルダが怒りながらご飯だよと呼ぶまで続き、見ればとっくに暗くなっていた。


「まったく、集中すると何にも聞こえなくなるんだから。今度返事しなかったら、耳元でラッパ吹いてやるからね!」


「あはは、ごめんごめん」


 怒ってはいるが、美味しい料理をきっちり二人分作って出してくれたマチルダに感謝を伝える。二人で他愛のない会話をして食べ終わったころに、そういえばとジゼルは切り出した。


「マチルダ、ボラボラ商会に顔出してなかった?」


「ボラボラのところに? なんでだい?」


「そうだよね、マチルダが行く理由ないし……他人の空似かな、やっぱり」


「そういうジゼルも、あのあたり行ったのかい? ボラボラは苦手だろう?」


「うん、でも今は時期じゃないお花が欲しくて。結局、港の近くのお花屋さんで手に入ったんだよね」


 なるほどね、とマチルダは相槌を打った。


「あんたも花なんて人に贈るんだね」


「うん……まあ、死んじゃった人にだけれど」


「そうだったのかい。よく選ぶんだよ。中には、きれいだけど餞には向かない、とんでもない花言葉の花だってあるからね」


「――花言葉?」


 そうだよ、とマチルダが言った後、ジゼルの脳内で何かが弾けた。


「ちょっと、アトリエこもるから!」


「はあ、まだ話の途中だよ……ってもういない」


 マチルダはため息をはいて、ジゼルが飲み干して置いて行ったカップを手に取った。


「やれやれだよ、あの子は」


 マチルダのため息もつぶやきも、誰にも聞こえないまま夜の闇へと溶けた。



 ***



「そうだ、花言葉!」


 ジゼルは昔読んだ花言葉の事典を思い出しながら、それを鮮明に絵に描く。脳内で記憶の本のページをぺらぺらとめくっていき、そしてその中から欲しい情報を思い出す。


「思い出せ、頑張れ自分……!」


 文字として認識すると記憶に残らないが、それを文字ではなくて図形として認識すれば、ジゼルの脳は勝手に全てを覚えてくれる。


 ジゼルは記憶の本に描かれていた花のところを見る。


 美しい絵とどういった種類か、何月に咲いて、何月に種まきか。その情報の後に、その花の花言葉がかかれていた。


「これだ!」


 ジゼルはそれをさらさらと紙へと吐き出す。


「花言葉は……“母の愛”。あのお花は……」


 ジゼルが腕を組んでいると、コンコンと窓がノックされた。見れば、そこにはローガンが立っていて、すでに部屋の中へと入ってきていた。

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