第37話 日常であると言うならば -王弟殿下視点-
「今、何と……?」
緊急の用だと呼び出されて、執務中にも関わらず二人だけの部屋の中。
国王陛下の執務室の中に兄弟二人だけというのは、明らかに非常事態だった。
まさか、その理由が……。
「あの侵略国め、ついに我が国にも目を付けたらしい。王弟妃を人質、あるいは盾にしようと連れ去ったと、密偵に出していた鳥たちが教えてくれた」
「あの国に……よりにもよってカリーナが……!?」
ヴェレッツァを滅ぼしたという、侵略国家アグレシオン。
自ら侵略国を名乗るかの国は、その名の通り周辺諸国を侵略し続けて拡大している。
毎日が戦争。
剣を突きつけるのも、突きつけられるのも日常なのだと。
そう、聞いてはいたけれど。
「ヴェレッツァアイの持ち主だからと、すぐに命まで奪われるわけではなさそうだが……」
「我が国への侵攻の際、どう扱われるかは分からない、と?」
「あぁ」
わざわざ山の上にまで兵を派遣し、カリーナを連れ去ったという事は。
いつからかは定かではないが、そのつもりで準備を進めていたという事だろう。
聖地である山の上には、薄氷花の件もあるため護衛を最小限にしてはいたが。その周囲には、こちらも可能な限り騎士を派遣していた。隣国と接する場所だからと、あの場所を管理する長には既に許可を得て。
にも拘らず聖地に侵入し、更に私の最愛まで奪っていったという事は。少なくとも数名の騎士達は、負傷あるいは命を落としている可能性が高い。
おそらくは奇襲か何かを仕掛けられたのだろうが。
我が国の騎士達のみならず、私の妃にまで危害を加えられて。
本来ならば、今の時点で私が怒り狂っていてもおかしくはなかった。
おかしくはなかったの、だが。
「アルフレッド」
「はい」
珍しく愛称ではなく呼ばれた名に、同じ色の瞳を見返せば。
「あの国に、これ以上ヴェレッツァアイを奪わせるな」
静かに、けれど冷たく憎悪にも似た怒りを映したそれと視線が絡むから。
「ヴェレッツァを再び蹂躙しようなどと、到底許せるものではない」
妙に、頭が冴えて。
妃を連れ去られた私の方が、冷静になってしまう。
「今この時より、軍の指揮権の発動を許可する。場合によってはあの国の王の首を刎ねても構わぬ。最前線にいるはずだ。大敗を教えてやれ」
「陛下……」
「私は動けぬ身だからな。この手で全てを奪ってやりたいと思ったところで、どうしたって叶える事は出来ぬ」
それはきっと、目の前にいる兄上が。
陛下としてではなく、兄上個人としての思いを口にしているからなのだろう。
ヴェレッツァの王子と仲が良かったのだと、聞いてはいたけれど。
珍しく公私を分けられないほど、けれど正気を失わない程度に静かに怒りを表す兄上を目の前にして、私は思う。
本当にヴェレッツァとは、切っても切れぬ不思議な縁で繋がっているのだな、と。
だが、まぁ……。
「このアルフレッド、陛下の命しかとお受けいたします」
私としても、全く怒りを覚えないわけではない。
軍の指揮権を預かる以上、冷静でなければならないのは当然であるし。真っ先に私自身がカリーナの元へ向かう事は出来ないことも理解している。
しかしそれとこれとは、また別の話なのだ。
「あちらからの宣戦布告など、待つ必要もない。あるかどうかも分からぬのだしな」
「ですが、正式な報告がないまま動くことは難しいのではありませんか?」
「要らぬ心配だ。人の足では遅いが、魔術師団に命じて護衛の方に報告用の――」
『陛下!!緊急事態です!!王弟妃殿下が…!!』
説明の途中で、窓をすり抜けて入ってきたソレは。
小鳥の姿をしていながら、明らかに聞き覚えのある男の声で話しかけてくる。
「魔法省の……」
「王弟妃の護衛だ。使うのであればトップでなければ、王族に対して誰も責任は取れぬからな」
ニヤリと珍しく悪い顔で笑っておられるけれど、私は何一つ聞いていませんでしたよ、兄上。
とはいえ、それだけ心配して下さっていたという事で。
そこに関しては素直に感謝しかない。
「これで大義名分が出来た。アルフレッド、軍を率いて妃を取り戻して来い」
「承知いたしました」
これで話は終わりとばかりに、兄上は国王陛下の顔に戻られて。
今しがた入ってきたばかりの小鳥を模した魔法を通じて、何やら話し込み始めていたが。
私は一つ礼をして、その場を辞する。
やるべき事は一つ。
どんな手段を使ってでも、カリーナを無事に取り戻す。
剣を突きつけるのがあちらの日常であると言うならば。
突きつけられる覚悟も、持っているはずだ。
戦うというのは、そういう事だと。
嫌というほど、思い知らせてやらねばなるまい。
「兄上の積年の恨みも、これで晴らすことが出来る」
今もおそらく、兄上の言を受けて動物たちがカリーナを見守っているはずだから。
今日中に元ヴェレッツァ城に乗り込み奪還すれば、おそらく問題はないだろう。
そう、分かっていても。
どこかで急く心だけは、偽りようがなかった。
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