第35話 ヴェレッツァアイが神聖である理由
「これが……まさか薄氷花だと言うのか?」
「そのまさかでございます。もうこの花は、咲かぬまま二十年以上もこのままです」
「咲くことも枯れることもなくか!?」
「その通りでございます」
それは驚きを通り越して、もはや信じられない現実だった。
そもそも球根だったり種だったりすれば、まだ信じられたかもしれない。そうやって越冬したり、何年も芽が出るのを待つことだってあるのが植物だから。
けれど、このままで。
しかも二十年以上も、なんて。
「……あり得ない、とは…言い切れないのが恐ろしいところだな。別の世界の常識など、誰一人知らぬのだから」
「原理は一切分かりません。ですがそれがこの薄氷花という植物なのだと、我々は長い間受け継いできたからこそ知っているのです」
「理解ではなく、目で見て納得するしかないものだと言うのか」
「おそらくは」
確かに英雄様は、この世界の住人ではなかったから。
その英雄様が贈った花が、この世界の常識から外れていたっておかしくはないのかもしれない。
それに……。
「なんとなく……呼ばれているような気がします。この花に」
声があるわけでもないのに、声とは別の形で。
耳で聞き取れるような形ではない、もっと別の部分で。
"咲きたい"と。
言われているような気がした。
「この花を咲かせられるのは、ヴェレッツァアイを持つ王族の方のみです。不思議な事に、同じ王族の方でもヴェレッツァアイを持たない方では花開かせられませんでした」
つまり、既にそれは試されているということで。
王族だからといって、必ずしもヴェレッツァアイを持って生まれてくるわけではないという証明でもあった。
「論より証拠でしょうから、どうぞお持ちください。そして蕾を見つめたまま、咲くようにお命じ下さいませ」
当然のように渡された鉢植えは、想像していたよりも軽くて。
それなのに、まるでそこだけ雪が降ったかのように白い葉と茎を持つ植物は、あまりにも強い存在感を示していた。
「薄氷の英雄様が、初代ヴェレッツァ王に贈られた花それそのものです。その花が"親"となっております」
「親…?」
「この花が開いた十日後に、外の花たちは急激に成長して一斉に咲き誇るのでございます」
「それは、また……」
続く二人の会話を聞きながら、私は言われた通り蕾を見つめる。
と言うよりも、目が離せなかった。
不思議な事に、ようやく咲けると花が喜んでいるように見えて。
だから。
「咲いて」
一言。
たったそれだけで。
「な…!?」
「おぉっ…!!」
ゆっくりと蕾が動いて、中からふわりと柔らかい花びらが顔を出す。
踊るようにくるりと回りながら、私の手の中で開いた花は。
「……殿下の瞳の色に、そっくりですね…」
アイスブルーの六枚の花びらと、その中心に放射線状に伸びる
まるで殿下の瞳の色を、そのまま写し取ったかのようだった。
「その花は英雄様がお作りになられた特別なものだと聞き及んでおります。なので英雄様の瞳の色そのままなのかもしれません」
「瞳の、色……」
「ヴェレッツァアイを殊の外気に入っていた、薄氷の英雄らしい選択だな」
ヴェレッツァアイを美しいと。
殿下が私に言ってくれたように、英雄様も初代ヴェレッツァ王に告げたと聞いた。
だから、残したのは自分の瞳の色をした花だったと。
もしかしたらそれは、英雄様のちょっとした遊び心だったのかもしれない。
「その美しい瞳でしか咲かせることが出来ない花。だからこそ、ヴェレッツァアイは神聖視されているのです」
ヴェレッツァアイが神聖である理由は、この花を咲かせられるから。
英雄様との、確かなつながりがあると。
そう証明することが出来る、唯一無二の瞳だからだった。
「だが、花を咲かせられるという理由であればドゥリチェーラも知っていておかしくないはずだが?」
「いいえ。ヴェレッツァの、しかも王族とこの場所に住む者達しか知り得なかったのは、この花があまりにも特殊すぎるからです」
「枯れない花は、確かに特殊だが……」
「それだけではございません。この薄氷花、薬として様々な効能を持ち合わせておりまして」
「薬…?」
「はい。中でも花を丸々一本使って作る薬は、万病に効く夢のような薬なのでございます」
「それは……!!」
「どんな病気であろうとも、たちどころに治してしまう薬。誰もが手に入れようと必死になるとは思いませんか?」
確かに、この花を巡って争いが起きてもおかしくはない。
そのくらい価値があるのは、分かるけれど。
「……それなら、どうして前ドゥリチェーラ国王様に、その薬をお作りにならなかったんですか…?」
「っ…!!」
殿下が驚いた顔をしてこちらを見ている事には気づいていたけれど。
それでもどうしても、これだけは聞いておきたかった。
だって、それが本当なら助けられたはずなのに。
そうしたら、今だってもしかしたら……。
「お作りしたくても、出来なかったのです。あの頃には既に……ヴェレッツァ国内に密偵が侵入し、姫様もドゥリチェーラ王国へと逃げ延びた後の事でしたので……」
「密偵……?ヴェレッツァは、一夜にして滅んだと聞き及んでいるが?」
「攻撃を開始されてから滅ぶまでは、確かに一夜の出来事でございました。ですが……以前から怪しい者達が多く出入りしており、最重要機密である花の事は完全に伏せられていたのです」
王族がこの地に足を運ばなければ咲かない花。
ある意味で、それが仇になってしまった。
「本来であれば、いくつかはもしもの時のためにとお渡ししてあるはずだったのですが……」
「……流行り病か…」
「はい…。当時周辺諸国で病が蔓延し始めておりましたので、そのためにお使いになられてしまっていたのではないかと……」
「そうか……だから我が国では、病が猛威を振るうのが遅かったのか……」
「どのような形かは分かりませんが、薄めて国全体に行き渡るようにされておられたのでしょうね」
つまりそれで、全て使い切ってしまっていたと。
そういう、ことなのかもしれない。
「病の予防にも、なるのか?」
「予防薬として使用したことはございませんので、詳しい事は分かりませんが……。初期の段階で完治させることによって、病が広がるのを抑えておられたのかもしれません」
「なるほど、な」
「そしておそらく、姫様も……」
そう言いながらお爺様がこちらを見たその視線で、気付いてしまった。
そう、母は王族だったのだから。
当然、薬を持っていたはずなのに。
どうしてその本人が、流行り病に倒れてしまったのか。
その理由は、とても簡単で……。
「手持ちの薬を……私も含めて、周囲の人たちに飲ませていたんですね…。しかも、気付かないうちに」
「まず間違いないかと。姫様はお優しい方でしたから」
ふんわりと笑うお爺様の顔は、懐かしむようでありながらとてもやさしくて。
慈しむような、そんな愛情が見えたような気がした。
結局、このことは今後もヴェレッツァアイを持つ人物と、ドゥリチェーラの王族だけの秘密にしていこうと決めて。
私と殿下は、お爺様にお礼を言って宮殿へと戻ることにした。
十日後。
花が咲き誇る時期に、もう一度訪れる事を約束して。
――ちょっとしたあとがき――
イメージが付きづらいかと思いますので、一応補足を。
花そのものは、花弁が六枚のテッセンを想像していただければと思います。
クレマチスの原種の一つで、中国原産の花です。
画像検索したときに、白い花びらに紫の
本来は蔓性なんですが、そこはまぁ存在しない植物なので…(^^;)
ちなみに葉っぱのイメージは、シルバーレースとも呼ばれるダスティミラー。
和名だと
白い上品な色をした葉と茎を持っているんです(^^)
寒さに強くて、霜で枯れる事もない植物。薄氷花を乗せるのにピッタリかな、と思いました。
とはいえ葉っぱの形がというだけで、花を支えるのは一本の茎だけなんですけれどね。タンポポみたいに。
花は結構大きいのに、なぜかそれだけで支えられるという不思議。
多少丈夫な茎とはいえ、自然界だと普通はあり得ない形ですよね。きっと。
なんていう、補足+ちょっとした小話でした(笑)
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