第27話 隣国からの知らせ

「山、ですか?」

「あぁ、そうだ」


 執務の間の僅かな休憩時間。

 その時間に唐突に告げられたのは、予想もしていなかった隣国からの知らせ。


「我がドゥリチェーラ王国との境界となっているそこは、険しく標高も高いので容易に行き来が出来ないようになっている」

「でも、どうして今更…?」


 本来そこは、ヴェレッツァ王国の領地だった場所だと。そう教えてくれたのは、私が無関係ではないからなのだろう。

 けれどまさかその場所を、今更になってドゥリチェーラ王国に譲りたいなんて。

 しかも他国への侵攻を良しとする国が、わざわざ領地を削るような事。


「罠である可能性は大いにある。だが同時に、あの山は特別なのだ」

「特別?」

「英雄が降り立ち、そして元の世界へと戻って行った場所。ドゥリチェーラとヴェレッツァにとって、最も神聖な場所だ」


 それがヴェレッツァ王国の領地だったのは、英雄様がそう決めたから。

 だからドゥリチェーラ王国としてもそこに異論はなく、さらにヴェレッツァ王国がその場所を大切にして来たからこそ、今まで諍い一つ起こらなかったらしい。


 けれど。


「だからこそ、民たちはあの場所がある限りヴェレッツァを忘れない。聖地は常に自分たちの側にあるのだ、と」

「…それ、を……無条件で他国に渡すことで、色々なものを奪おうとしているという事、ですか…?」

「そうだ。心の拠り所も、信仰も、かつての豊かで美しかった国を思い出す事も。全てを奪い去り、なかったことにしようとしている」

「そんな…!!」


 国は滅んでしまったのに、それでもまだ足りないのかと。

 そこまでして何になるのかと。


 今の私には、憤ることしかできないけれど。

 それでもその感情を止める事は出来なくて。


「暴動や反乱が起きる可能性もありますが、あの国は元々好戦的な性質を持っています。知識も経験も持たない民たちでは、すぐに鎮圧されてしまうでしょう」

「むしろそれを理解している民たちから、反乱する気力さえ奪おうという事なのだろうな」


 セルジオ様の言葉に返す殿下の表情は、真剣そのもので。

 二人とも普段の休憩時間とは全く違う、重苦しく鋭い空気を纏っていた。


「不幸中の幸いは、あの場所の本当の意味合いも神聖さも、ドゥリチェーラとヴェレッツァ以外の国が知らない事だろうな」

「知らないと言うべきなのか、覚えていないと言うべきなのか……。ただ忘れてしまった愚か者達ばかりのおかげで、今回は助かりましたね」

「全くだ。隣国だからと話を持ち掛けてきたのだろうが、おかげで本当の意味でかの国の民たちも聖地を失わずに済む」


 ただ、その……。

 だいぶ辛辣な様子は、先ほどの衝撃を一瞬忘れてしまうほどの驚きを伴っていて。


 まさか二人してこんなにも、言葉は比較的上品なのに相手を馬鹿にするような発言をするなんて……。

 予想もしていなかったというか、何というか……。


 もしかしたら普段私がいない時は、こういうことが多いのかもしれないけれど。

 殿下のお仕事そのものに関わってこなかった私としては、標準がどれなのか分からなくて少し戸惑う。


「陛下はその申し入れを受け入れる方針で、議会を開くとの事です」

「だろうな。貴族達も今回ばかりは反対などしないだろう。あの山は我が国にとっても神聖で特別な場所なのだ。ヴェレッツァ王国がなくなった今、無条件で取り戻せるのであればそれに越したことはない」



 ヴェレッツァ王国がなくなった。


 その言葉を聞いて、思わず無意識のうちに目元に手を添える。



 この瞳は、その国の王族の証なのだと。

 言われて簡単に自覚が出てくるわけではないけれど、それでも不思議な気持ちになる。


 かつて殿下に言われた「自分が何者であるかの自覚」という言葉が、今になって重みを増した。


 それは決して不快なわけでも、煩わしいわけでもないけれど。

 同時に私にもやらなければならないことがあるのではないかと、どこかで焦りを感じてしまう。


 本当は、お母様がやり遂げたかった事だったんじゃないか、と。

 そう考えてしまう思考は、止められないから。


「カリーナ」


 二人の会話を聞きながら、私が一人で思考に沈んでいたことに気づいたのか。

 呼びかけられた声に顔を上げれば、今までにないくらい真剣な表情でこちらを見ている殿下と目が合って。


「この件に関して、おそらく君は無関係ではいられない。何より君の性格上、放ってはおけなくなるのは分かっている」

「…………殿下は……本当に、私の事をよくご存じですよね…」


 苦笑してしまったのは、その通りだったから。


 本当に、この人には何でもお見通しなんだな、なんて。

 申し訳ないと思うのと同時に嬉しくなってしまうのは、それだけ私が殿下の事を特別に思っているから。


「当然だ。だが今回に限っては、おそらく陛下も君の行動を止めないだろう。あの場所に住む者達にとって、君という存在は何よりも大きな意味を持つ」

「この瞳も、ですよね?」

「あぁ。だからこそ……君は、どうしたい?」


 問いかけられたそれはきっと、最大限に私の願いを叶えようとしてくれている殿下自身の思いであると共に。


 きっとこの国にとっても、大きな意味合いを持つものなのだろう。



 ドゥリチェーラとヴェレッツァ。


 改めて私は、自分が何も知らない無知な存在なのだと。


 現実を突きつけられたような気がしていた。







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