第十五章 ②


 なにもかも投げ出したくて。

 なにもかも捨て去りたくて。

「……やっぱり、これはまずかったか?」

「とても素敵だと想うよ。この二股野郎」

 レインの冷ややかな返事に、ゼルは眉間に深く皺を寄せた。ここは共同墓地の一角で、フレンジュが眠る場所である。彼女を失って早一か月。身体の傷は完全に癒えたから、今日は墓参りだ。

 問題は、その場所にあった。

 レインが理解不能とばかり小首を傾げる。

「なんで、真正面なんだい?」

 砂利の通路を挟んで、フレンジュとクローゼルの墓が対面していた。ゼルの事情を知っている人間なら、腹を抱えて笑うか今のレインのように微妙な顔をするかのどちらかだ。

「その、離れた墓地に空きがなくてだな。それと、その、あれだ。墓参りを一度に纏められると楽だし」

「いや、女二人が睨み合う図にしか見えないよ?」

「ぐっ」

「それと、片方を見ているときにもう片方に背を向けるとか、なんかもう、男として最低だね」

「や、やめろレイン。俺の心はもう、今にも砕け散る一歩手前だ。ほら、さっさと昼飯にしようぜ」

「君が死んだら、墓なんて用意しないで道に埋めよう。僕が想い出したときに踏んであげるから」

「ぬぐぐぐぐ」

 今、ゼルはクローゼルとフレンジュの墓が均等に視界に入る位置に立っている。なんかもう、色々と申し訳なかった。

「ゼル」

「なんだ、まだ言い足りないのか?」

「馬鹿な気は起こすんじゃないよ」

 ゼルの背骨に力が戻った。レインが、心配そうな目でこちらを見上げる。

 夏は終わり、もうすっかり秋だ。世界は肌寒く、心まで冷えてしまいそうだ。こんな日は珈琲と煙草が恋しい。

「別に。俺はいつも通りだよ」

「それが心配だ。僕は、嵐の前の静けさを感じるよ」

「なんだブルーコート。空の向こうまで見えるのか?」

「少なくとも、君の心情は手に取るように見えるさ」

「男に言われると、寒気しか覚えないな」

 眉間に小さな衝撃。

 レインから拳銃を突きつけられても、ゼルは眉一つ動かさなかった。

「善良な一般市民に銃を向けるとは、ブルーコートらしいな」

「君が善良のカテゴリーに該当するなら、この世界の悪党が四割程度消滅するだろうね。……よく聞け《墓標の黒金》。銀行領と瀟洒会同盟が〝小規模〟な比較的小競り合い的な極普通のなんの変哲もない特に目立った特徴もないどうしようもない接触をおこなった」

「結果は?」

「銀行領は主要施設一つを全壊、四百人以上の重傷者が。瀟洒会同盟は傘下組織の二つが機能不全に陥り、二百人以上が完全に死んだ。その中には赤狐隊も混ざっている」

「赤獅子騎士団の動きは?」

「旧工場地帯に、警護用と評して要塞付きのパトロールさ。あれは、あのまま居座るつもりだね。漁夫の利でも狙うつもりかな」

「愉快だな、絶景だろうな。で、お前は? まさか、上司に尻尾を振って椅子のおねだりじゃねえだろう?」

「気に入らない上司を四人ばかり殺した。自然風な自然死に見せかけて。後三日もあれば、高機動部隊に戻れるね」

「……無理しない程度に頑張れよ」

 なにがあってもコイツだけは敵に回すまいと、ゼルは固く胸に誓った。ベニアヤメとは違った方向の危険度が、レインにはある。

「君、最近はオデイルの店に通っているそうじゃないか。なにが目的だい?」

「少なくとも、レインには迷惑をかけない。大目に見てくれよ」

「そんなことを言っている時点で、もう迷惑をかけているんだけどね」

 呆れてしまうと、レインが鼻を鳴らした。

「ゼル。復讐なんてよすんだ。月並みな台詞だけど、そんなことをしてもフレンジュは戻って来ないし『私のために命懸けで復讐したの? 嬉しい!』なんて言う女じゃないだろう。むしろ、君が平穏に生きることを望んでいただろうに。おい、待てゼル」

 勝手に歩き出したゼルの背中を、レインが慌てて追いかけた。

 ゼルの背が高い分、足も長い。こっちが大股で歩くと、レインは小走りだった。

「惚れた女には聞かせたくなかったのかい?」

「レイン。こいつは復讐じゃない」

 共同墓地から出ると、ゼルは足を止めた。後ろ髪を引かれながらも、振り返るのだけは拒絶する。

 今、この瞬間も、泣きそうだったからだ。

「誰かが、終わらせないといけないんだ」

「……別に、君じゃなくてもいいだろう」

「俺はこの世界で、俺に惚れてくれた女を二回も亡くした。きっと〝そういうこと〟なんだ。女神が俺に戦えと言っている」

「教会を視界に入れるのも嫌だった君がよく言うよ。たとえそれが神の啓示だとしても、そんな惨たらしいことをするのは異教の死天使だろうね」

 レインはあくまで乗り気ではなかった。

 ただ二人共分かっている。もうすぐ、この街に大きな嵐が訪れると。

「ゼル」

「なんだ?」

「死にたくないね」

「……当然だ」

 二度も助けられた命だ。遣いどころを誤るわけにはいかない。たとえ、それら全てがベニアヤメの手の平の上だとしても。むしろ、好都合だ。どこにいるかも分からない遠くの敵ではないのだから。

「この世界には、斬らないといけない奴がいる。それさえ分かれば、十分だ。俺の剣は向こうに届く」

「そのときには、僕も同行しよう。君と一緒に、グチャグチャのミートソースになるのも悪くないだろうね」

「おい、気味の悪いことを言うな。それと、裾を掴むな。上目遣いでこっちを見るな」

「君は、素直じゃないね……そういうところが可愛いんだけど」

 生の玉葱を齧ったようにゼルは顔をしかめた。コイツが全ての元凶だったら、素直に降参しよう。

 ふと、ゼルは空を見上げた。秋の太陽はどこか物悲しい。あれだけ鮮烈だった夏を惜しむかのように。

「寒いな。こういう日は酒を引っかけるに限る」

「じゃあ、ここから近いミドルズかい? それとも、アーベンバッゴ?」

「いや、まずは露店で軽食を買う」

 怪訝そうに眉をひそめるレインへと、ゼルは苦笑した。

「どうしても、顔を見せたいお方がいてね」

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