第十五章 ①


 軌跡。物体が通った跡のこと。

 斬撃。斬りつける攻撃のこと。

 切断。物質同士が離れること。

「ゼル。お前の攻撃に対抗するため、わっちは七種類の機導式を用意し、すべてを並列で発動させたのだ」

 淡々と、ベニアヤメが言う。

「ならば、これはなんなのだ?」

 ベニアヤメの体重は腕一本分、軽くなった。左肩から先が、両断されたからだ。主を失った腕が袖と一緒に生暖かい液体に濡れたまま床に転がっている。ゼルの一振りが、火竜小唄の刀身が悪へと届いたのだ。

 なのに、斬った本人が一番驚いていた。

「手前こそ、それはいったい、なんだ?」

 ベニアヤメの斬られた肩口から見えるのは、肉でも骨でも血管でもない。大小の歯車に、金属製のワイヤー、クランク、シャフト、油圧ユニット、あきらかに機械用の部品だった。血液の代わりにこぼれるのは、潤滑油か。俺はなにを斬った? 目の錯覚か。違う。これは間違いなくあいつを斬った証だ。

「……それを聞くには、ゼルはあまりにも〝他人〟なのだ。生憎と、乙女の秘密は多い方が魅力的なのだ」

 痛がる素振りも苦しむ様子もない。

 ベニアヤメの注目は別にあった。

「こんどはこっちの質問に答えるのだ。その機操剣、どんな改造をしたのだ? Sカノッソス零式が六つまで起きているのだ。こんな短時間じゃ、ありえないのだ。ダルメルとは、会っていないはずなのだ」

 ゼルは後方へと数歩下がり、機操剣を下段に構え直した。

「お前にとっちゃ、俺がダルメルと接触するのが最大の懸念だっただろう。ダルメルが俺の機操剣を強化することが、最大の問題だっただろう。だからこそ、俺は秘密裏にレインに頼んでいたのさ」

 ゼルの機操剣にはパンチカードが装着されていた。Sカノッソス零式が膨大量の演算を紡ぎ、力の開放を待っている。騎士団との戦いで使用した、とっておきの手だ。

「そのパンチカードは」

「ダルメルが作った演算済みの機導式を保存するためのアイテム、を製造するための機導式が保存されたパンチカードだ。これを使って疑似的にSカノッソス零式を複製し、MアポートンM一八五〇の本当の力を目覚めさせたってことだ。まさか俺が、自分の弱点をいつまでも野晒しにするなんて本気で想っていたのか?」

 短時間でSカノッソス零式を六つまで起動出来たのも、これがあってこそ。ベニアヤメの攻撃を防げたのも、瞬時に鎧を展開出来たからだ。ダルメルには感謝してもしきれない。危険を冒して運んでくれたレインにも。

「もっとも、俺とすれば脳天を狙った攻撃を拳一個分以上〝ズラされた〟方が衝撃的だったよ。やっぱり、一筋縄じゃいかねえようだな。……だったら好都合だ。もっと遊ぼうぜ、コンドーさんよ」

 ゼルは悟られぬように顎へ力を入れた。右足に鈍い痛みが走る。どうやら、傷口が開いてしまったらしい。

 もう、こっちは満足には動けない。なのに、向こうはまだ特級機導式自分だけの工房も使っていない。そもそも、機操剣も持たずしてどうやって攻撃したのか防御したのか。まるで底が見えなかった。分かっていたことだが、やはりベニアヤメは強い。異国の人間がここまで勢力を拡大したのも、実力あってこそ。

 心臓が早鐘を打つ。背中に冷たい汗が滲んだ。少ししか動いていないのに、もう息が苦しかった。

 それでも、退けなかった。

 こっちは惚れた女を失ったんだ。

 そう簡単に、剣を下ろせるかよ。

「ここに、手前の墓標を用意してやるよ」

 機械の身体だろうが、人間の心臓や脳と同じく弱点があるはずだ。刺し違えても、ここで奴を仕留める。

 だが、

「分かったのだ」

 ベニアヤメが、両手を顔の高さまで上げる。

 降参のポーズだった。

「手前、なんのつもりだ?」

「見ての通りなのだ。今回はわっちの負けなのだ。大人しく引き上げるとするのだ。……あーあ。上手くいかないものなのだ」

 心底残念そうにベニアヤメが肩をすくめる。もう戦いが終わったつもりでいる態度に、無性に腹が立ってきた。

「待てよ。俺はまだ、幕を閉じたつもりはねえぞ。一番のメインは、ここからじゃねえか。もっと盛り上がろうぜ」

「冷静になるのだ、ゼル」

 ベニアヤメが残った右手の指を鳴らす。すると、左肩の切断面が蠢いた。内側から機械の触手が伸び、盛り上がり、関節を造り、五指を伸ばす。ゼルが唖然とする十数秒、新しい腕が生えてしまった。皮膚の色も質感も、本物と区別つかない。

「まさか機錬種だっていうのか? 嘘だろ。人間の身体を代行する機導式なんて、見たことも聞いたこともない」

 そもそも、代行なのか? あるいはベニアヤメが機導式〝そのもの〟では――、

「――お前では、まだわっちを〝殺せない〟のだ」

 ベニアヤメが両手を打ち鳴らす。音も気配も殺し、ぬらりと影のごとく赤狐隊が彼女の周囲に集まった。上半身だけを不自然に揺らしながら辺りを眺め『ヌシサマ、マタ、ゼルヲオコラセタ』『サイゴニメンドウミルノワタシタチナノニ』『ニクノウマソウナニオイガスル。タベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイ』などと大きな声で呟いている。

「確かに、フレンジュを撃ったのはわっち側なのだ。けれど、ゼル。わっちを殺せば、この街の均衡は崩れるのだ。レインにオデイル、汝の知り合いまで危険に晒すつもりなのだ? それは、ナンセンスなのだ」

 ゼルは、五指の骨が軋むほど機操剣を強く握った。

 しかし、踏み込めない。

 だが、振り下ろせない。

 復讐を誓いながらも、頭の冷静な部分が待ったをかけた。感情に身を沈められない自分が猛烈に嫌だった。

 怒りが、後悔が、悲しみが胸の中に小規模な嵐を生む。

 ベニアヤメを睨み付ける。

 呪いがあるなら、どうか死んでくれと。

「……手前は、俺になにを求める?」

 気がかりがあった。ベニアヤメは本当に犬が欲しかったのか。こんな回りくどいことをする必要があったのか。それこそ、フレンジュを人質に取る方法もあったのではないか。ならば最初から、別に目的があったのか。

 ベニアヤメが、今度こそ楽しそうに微笑む。

「混沌なのだ」

 人のカタチをした地獄の業火が揺れていた。ああ、しまった。少しは話が分かる奴だからと、失念していた。こいつも悪党なのだ。

「じゃあ、わっちらはそろそろ帰るのだ。ゼル、今度会うときは良い答えが聞けると嬉しいのだ」

 そうして、ベニアヤメは立ち去った。普通にゼルの隣を通りすぎた。

 一瞬、目が合った。

 ゼルは機操剣を床に突き刺した。

 トリガーに指が伸びて、

「……くっ」

 ほんの数センチ、ほんの数キロ、ほんの一瞬。

 なのに、そこには絶対的な埋めようがない溝があった。

「いつか、いつか必ず、殺してやる」

 ベニアヤメが一度だけ振り返る。

 負け犬の遠吠えに聞こえたか。それとも、火竜の宣告に聞こえたか。ゼルからでは表情が見えない。

 一度だけ、返事があった。

「楽しみにしているのだ」

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