第54話 涙と笑顔

 玲愛がいると連絡があったのは大きな総合病院だった。

 とっくに面会時間は過ぎている病院のロビーはひっそりと静まり返っている。

 ロビーには入院患者の唯一の楽しみのようなコンビニエンスストアがあり、その前にあるソファーに玲愛が座っていた。


 コンビニの青白い光に照らされた玲愛は放心状態で座っていた。

 とても儚く、強い風が吹いてきただけで崩れそうな印象だった。

 でも怪我をしているとかはなさそうなのでひとまず安心する。


「玲愛……」


 そっと呼びかけると玲愛はゆっくりと顔をこちらに向ける。


「茅野さん……」

「どうした? 何があったんだ?」

「マスター……マスターがっ……」


 玲愛は視線をどこか遠くに向け、ふらつきながら立ち上がる。


「マスターって葉月グリルのマスターさんか?」


 覚束ない足取りで歩き出した玲愛は、脚が絡まり転びかける。


「危ないっ」


 慌てて抱き止めるが、玲愛は何事もなかったように無表情のままだ。

 ただ転びかけた衝撃で目に溜めていた涙が溢れていた。


「マスターが、ガンなんだって」

「えっ?」


 玲愛は俺の胸に顔を押し付けて嗚咽する。


「もういやだよ! なんであたしの大切な人が次々に死んじゃうのっ!」

「落ち着け、玲愛。ガンといっても色々あるだろ? 今は必ずしも死の病じゃない」

「なんで! なんでお母さんの次はマスターなの!? もう嫌! 嫌なの!もう誰もあたしをの前からいなくならないで!」

「玲愛……」


 玲愛は俺の腕の中で怯えるように震えている。

 いつもの元気な玲愛からは想像できないくらい、弱り果てていた。


「あたしの大切な人を奪わないで……お願い……一人は嫌なの。あたしを一人にしないでっ……神様、お願い……お願いしますっ……」

「一人になんてさせない」


 俺は強く玲愛を抱き締める。


「俺がずっといる。いつまでも玲愛のそばにいるから」

「茅野さん……」

「玲愛を一人になんてさせない。ずっと俺がそばにいるから」


 思いの強さを示すため、俺は更に強く玲愛を抱き締めた。


「うん……約束だよ……」

「約束する……」


 玲愛はまだ俺の腕の中でぐすぐすと鼻を鳴らしていたが、感情の爆発は収まってくれたようだった。




 翌日。

 俺は仕事を休み、玲愛と二人で葉月グリルのマスターの入院先へと向かった。

 ちなみに玲愛は昨日奥さんとしか会っていない。

 ガンだと知った奥さんがすぐに玲愛に連絡をくれたそうだ。


 病院なんて久しく来ていなかったから知らなかったが、この病院は面会受付をするとカードキーを渡されて病室まで行くらしい。

 これなら不審者も入れないので安心だ。


 カードキーで入院病棟に入ろうとしたとき、ピタッと玲愛が足を止めた。


「やだ。やっぱ行きたくない」

「大丈夫だよ、玲愛。俺がついてるだろ」

「怖いの。行きたくない」


 手を引いても玲愛は視線を下に向けたまま動こうとしない。

 病に伏せたマスターと会うのが怖いのだろう。

 その姿を見れば現実として受け止めなければならないから。


「玲愛の元気な顔を見ればマスターも元気になるかもよ?」

「そんな子どもを諭すような言い方されても嫌なものは嫌なの」

「子ども騙しの嘘じゃないぞ? ガンというのは笑うとよくなるって研究もされてるんだ」

「えっ!? そうなの!?」

「嘘じゃない。大学や病院が本気で取り組んでいる研究だ。だから玲愛が行ってマスターを笑わせてあげればガンもよくなる可能性がある」

「分かった!じゃあ行く!」


 急に元気になった玲愛を連れてマスターの病室へと向かう。

 マスターはベッドの上で身を起こし、奥さんと会話をしていた。


「マスター、具合はいかがですか?」

「おー、玲愛と茅野さん。来てくれたのか。わざわざ悪いね」

「マスター!」


 玲愛はボロボロ泣きながらマスターに抱きつく。


「おいおい。どうしたんだよ、玲愛。子どもみたいに泣いて」

「だってマスターがガンだなんて! そんなの絶対あり得ないし! 死んじゃやだよ、マスター!」


 マスターと奥さんは目を合わせて声を出さずに笑った。


「おいおい。人を勝手に殺すなよ。俺は死なないよ」

「だって……でもっ……うわぁああん!」

「早期発見だし、手術すれば治るんだから」

「うわぁぁっ……へ? そうなの?」

「ああ。まだ今はほかに転移がないかとか検査中だけど、大丈夫なんじゃないかってお医者さんが言ってた。だから心配するな」


 玲愛はキョトンとした顔になり、でもまたすぐに涙目になる。


「でもテンイの検査してるんでしょ? テンイだったらどうしよう! ヤバいんでしょ、テンイって」


 転移がなんなのかよく分かってないのはイントネーションからも使い方からも明らかだ。


「今は医療が発達してるから心配ないのよ、玲愛ちゃん」

「そうだぞ。俺がハンバーグばっかり焼いてるうちに医学はすごく発展してたみたいだ。俺もガンだと聞いたときは頭がガーンってなったけどな。あはは」

「そうだ! あたしマスターを笑わせに来たんだった。変顔するから見てて」

「変顔?」


 玲愛は左右のほっぺをむにゅって詰まんで全力変顔をする。

 美人台無しの顔に俺たちは笑った。


「が、茅野さんは見ないで! これはマスターにしてあげてるだから!」


 玲愛は俺に背を向けてマスターを笑わせてる。

 動きからして指で豚鼻にしてるんだろう。


 マスターは腹を押さえながら笑っていた。

 悔しい。

 俺も玲愛の変顔が見たいのに。





 ────────────────────



 大切な人を失うという恐怖に怯える玲愛ちゃん。

 ここは茅野さんが大きな心で受け止めてあげないとですね!


 さて病院というのはどれだけ綺麗にしても、便利になっても、やはりどこか陰鬱な空気が漂いますね。

 先日親がとある病気で手術をすることになり付き添いましたが、何か独特の雰囲気でした。

 手術は無事成功して今は元気にしてます。


 やはり健康が一番ですね!


 玲愛ちゃんメモ


 実は変顔が得意な玲愛ちゃん。

 友だちとも変顔で写真を撮ってますが、茅野さんには見せたことがありません。

 最強奥義『タレ目ブタひょっとこ』は見たものを必ず笑わせると恐れられてます。

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