第46話 変わらないものなんてひとつもなく
仕事終わりに俺は兄貴と居酒屋に来ていた。
「兄貴も仕事が順調そうでよかったよ」
「まぁな。小さい会社だから自分でやらなきゃいけないことが多いけれど、やりがいがあって楽しいよ。依頼主の顔も見えるし」
収入はかなり減ったみたいだけれど、それと引き替えに心の平穏を手に入れられたみたいだ。
大企業をやめて小さな会社に転職するのはかなり勇気がいることだろうけど、少なくとも兄貴は後悔などしていないようだ。
「すごいよな、兄貴は」
「お前の方がすごいよ。文句を言わずいまの会社をしっかり続けているんだから」
「そうかな? どうにかこうにかやってるだけだよ」
「陸は昔から我慢強くて優しい奴だったからな」
尊敬する兄貴に誉められるのは嬉しいし、照れくさかった。
昔一緒にセミ採りをした兄貴とこうして居酒屋で飲む。
なんだか時の流れを感じた。
「なんかこの唐揚げ、パサパサだな」
「チェーン店だからね。玲愛ならもっとジューシーに揚げられるのに」
「おいおい。いきなり惚気るなよ」
「の、惚気てなんかはいないって。そもそも玲愛は同居人だから。彼女とかじゃないし」
嘘は言っていない。
玲愛は俺の恋人ではなく、一緒に暮らしているだけなのだから。
「その後どうだ? 玲愛ちゃんと進展あったのか?」
「だからそういうのじゃないから」
「へぇ。まだなのか。そういうところも我慢強いんだな」
「からかうなよ。別に我慢してるわけじゃないし」
兄貴はニマニマと笑いながら俺の顔を見る。
「玲愛ちゃん、いい子じゃないか。迷うことあるか?」
「あるだろ、そりゃ」
高校生なんだから、という言葉を飲み込む。
どこで誰が聞いているか分からない。
JKとおっさんが同居してるなんて知れたら、即逮捕されるだろう。
兄貴は俺がなにを言いかけてやめたのか理解したように頷く。
「四月までは、だろ?」
「それもそうだけど。問題はそれだけじゃないし」
「他になにが問題なんだ? 別に離婚してすぐに新しい恋人が出来ても問題ないだろ? 離婚の原因は向こうなんだし、陸が気を遣うことなんてない」
「そんなことは別に気にしてないよ」
兄貴に言われるまで俺がつい最近離婚したことすら忘れていた。
「じゃあなにが問題なんだよ?」
「問題って訳じゃないんだけど……」
敢えて目を逸らしてきたことをストレートに訊かれて戸惑う。
でもこんな話が出来るのは兄貴しかいない。
ここはすべて話してしまって楽になろうと思った。
「いまの生活が心地いいんだよ。帰ると玲愛がいて、話をしたりゲームをしたりして、料理が美味しくて、たまに喧嘩してすぐ仲直りして」
「……は? それ、付き合っても別に全部出来るだろ?」
「なんで絶対に成功するという前提で考えるんだよ? ドン引きされて、フラれて、家を出ていくかもしれないだろ」
真面目に答えたのに兄貴は「あははは!」と大声で笑いだした。
「な、なんだよ?」
「フラれるわけないだろ? 玲愛ちゃんはどう見ても陸にベタ惚れしてるって! そんなのも分からないのか? あー、おかしい」
「いや、分かんないだろ。そんなに笑うなって」
「ごめんごめん。ははは」
兄貴はおしぼりで目尻を拭きながらなんとか笑いを堪えようとしていた。
「玲愛は俺のことを好きみたい言ってるけど、なんというか、こっちがちょっとそういう空気になるとすぐに笑いに誤魔化そうとしたり、席を外したりするし」
玲愛の行動を思い出しながらしゃべる。
「からかってるだけとは言わないけれど、そこまで強い気持ちじゃないのかもしれない。表現が大きいだけで本気というわけじゃないというか」
「それは照れ隠しに決まってるだろ」
「そうかな? あれくらいの年代の子の思考回路って俺たちの理解を越えてるよ?」
「陸、お前既婚者だったんだろ? もう少し女心が分かるのかと思ってたけど」
「逆だよ。既婚者だったから、そして離婚したから分からなくなった」
静かに告げると兄貴の顔から笑顔がスッと消えた。
「俺も元嫁の舞衣は俺のことが好きなんだと思っていた。ぶつかることがあっても、わがままのところがあっても、気持ちは通じていると思っていたよ。でも違った」
「それはあの女の場合だろ? 玲愛ちゃんとは違う」
「もちろん舞衣と玲愛が違うのは分かっている。でも勝手に相手の気持ちを分かったようになりたくないんだ。それがあの離婚で学んだ唯一のことだから」
結婚生活があんな風に終わるなんて夢にも思わなかった。
もちろん分かっていたら結婚なんてしなかった。
玲愛は違うと思いたいけれど、それだって分からない。
同居しているのと付き合っているのでは、生活も変わってくる。
「俺はとにかくいまの生活をなに一つ変化させたくないんだ。このまま続いて欲しいと願っている」
「そんなこと不可能だって、陸も分かってるんだろ?」
「ああ……分かってる。この状況をこのまま十年も二十年も続けることは不可能だ。でも出来る限りいまのままで──」
「手遅れになる可能性もあるんだぞ?」
兄貴は静かに、優しく俺の言葉を遮った。
「お前の決心が固まった頃にはもう手遅れという可能性もある。人は待たされると不安になるものだ。恋人同士なら育めるものも、中途半端な距離感では生まれない」
兄貴の言う通りだ。
恋人同士で共に暮らしていたら愛も育まれ、絆も強くなる。
しかしいつまでも中途半端な状態のまま暮らしていれば不満ばかり募る可能性もあるだろう。
「あんまり玲愛ちゃんを待たせるなよ。俺から言えるのはそれだけだ。世間がどう思おうが、俺は陸と玲愛ちゃんを応援してるからな」
「ありがとう」
その一言はなによりも心強かった。
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毎日更新してますが、さすがにちょっと厳しくなってきました!
なんとか休まずに最後まで走り抜けたいとは思ってますが、厳しいときは更新頻度が少し落ちてしまうかもしれません。
でもまだもう少しは大丈夫なんでご安心を!
お兄さんの言葉で少し決心を固め始めた茅野さん。
次回は二人の距離を縮めようと茅野さんが奮闘します!
お楽しみに!
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