第45話 付加価値
乾さんと俺たちの間に少し考えの隔たりがある。
気まずい空気が流れた。
「出来れば玲愛は顔を出したくないという希望なんです」
「なるほどですね。こういうネット関連のものを書籍化するときはたまに言われることです。皆さん仕事や私生活があるから身バレは困るという理由です」
乾さんは理解があるように頷くが、目が泳いでいた。
「でも本を購入する人はいつも観ているレイアさんがどんな人なのかということも知りたいと思うんです。レイアさんはその容姿も相まって一部ではカリスマ的な人気ですから」
「あたしのことが知りたいんだ? 料理のことじゃなくて……」
玲愛が乾いた笑いを浮かべる。
「もちろん一番はレシピだと思います。まあ表紙についてはおいおい考えていきましょう」
玲愛の態度を見てさすがにまずいと思ったのか、乾さんは表紙の案の資料を引っ込めた。
「今回の本はただのレシピ本じゃなくてもっと実用的なことも視野にいれてるんです。まさに料理に特化したレシピとしての価値です」
「へぇ。具体的にはどんなことですか?」
「弊社の本ではよくやる手法なのですが」
俺が問い掛けたが乾さんは玲愛の方を見て話を続ける。
付き添いの俺に話すより直接玲愛と話したいのだろう。
「これです」
そういって鞄からシリコン製のタッパーのようなものを取り出した。
「これは?」
「はい。電子レンジで煮る、蒸す、炊くなどが出来る調理器具です。これを本と同梱して発売する企画です」
「え? ちょ、待って。あたしこんなの使ったことないんですけど!?」
「これをご存じないですか? とても便利と若い女性を中心に流行り始めているんですよ」
「聞いたことはあるけど……でもあたしのレシピにはこんなもの使わないよ?」
驚きのあまり玲愛は素のしゃべり方に戻っていた。
そういう俺も驚きのあまり一瞬言葉を失っていた。
「実は今回のレシピ本は玲愛さんにこのシリコン調理器具を使ったレシピを紹介していただきたいと思ってるんです」
「は? これを使って作る料理をあたしが考えるってこと?」
「はい。玲愛さんのレシピはみんな本格的で素晴らしいのですが、働く女性が平日に作るのは難しいものが多いです。そこでこれを利用して時短レシピを紹介するという企画です」
「はぁ……なるほど」
玲愛はその調理器具を手に取り、ぷにぷにと弄る。
「そちらはサンプルでして、本に同梱するものはレイアさんオリジナルのデザインにするつもりです」
「普段の玲愛のレシピを本にするわけではないんですね」
「そのままではなく、それを使用して作るというスタンスですね」
若者に人気の便利グッズを、同じく若者に人気の動画配信者が紹介する。
企画としては面白いのだろう。
でも俺の心はあまり愉快ではなかった。
「そっか……コレありきでやるってことなんだよね?」
質問というよりはため息のような声で玲愛が呟く。
昨夜打合せしたとき『本になってバカ売れしたらヤバくない』と笑っていた喜びは、もう微塵も残っていない。
「せっかくのお話ですがお断りします。すいません」
玲愛に変わって俺が答える。
「えっ? えっと……いとこさんじゃなくて玲愛さんとお話してるんですけど?」
乾さんの顔に一瞬苛ついた影が落ちた。
「昨日玲愛と話していたんです。納得がいくないようのものならお受けして、玲愛の考えとそぐわないならお断りしようって」
「分かります。いつもの料理行程と違うと戸惑いますよね。でもあくまでレシピは玲愛さんのものです。その器具を使って時短するというだけですから」
「いや。さっきから分かりますと言ってますけど、すいませんが乾さんはあまり分かってないと思います」
なんでもひとまず肯定する彼の口調がなんだか鼻についた。
「玲愛はフライパンの温度や揚げたあとの余熱など細かいところまで気を配って料理を作ってます。もちろんそれらをしなくても料理はできますが、細かいことの積み重ねで料理は美味しくなるんです」
玲愛は黙って俺の顔を見ていた。
「時間がない人でもささっと作れる料理というのも大切だと思います。でもそれは玲愛が発信してきた内容と違います。今回の企画は玲愛とは合わない。だから辞退させてください」
「そうですか? 玲愛さんもそれでいいんですか?」
「はい。これはあたしがしたいこととは違うんで」
「そうですか。残念です」
時間を取らせてしまったことを謝ってから二人でホテルを出た。
「ごめんな、玲愛。俺が余計なこと言って」
「ううん。茅野さんが断ってくれて助かったし。もう少しであたしがぶちギレるとこだったから」
玲愛はひらひらと手を振りながら笑う。
「いや、そうじゃなくて。はじめから玲愛は断るつもりだっただろ? それなのに俺が編集者と話だけでもしようなんて言ったから」
「べつにー。てかあたしも会って話してみたいって思ったから。むしろついてきてくれてありがとう」
「それにしても改めて考えるとふざけた話だよな。あんな変なもの使ってレシピ考案しろとか」
「いやー、でも勉強になったよ」
玲愛は苦笑いを浮かべる。
「勉強?」
「だってあたしのレベルじゃそのままレシピ本なんて出しても売れないってことでしょ? ギャルが料理するっていうインパクトと、更にいま話題の調理器具をおまけしますっ!って内容じゃなきゃ本は売れないんだから」
「それはやってみないと分からないよ。普通にレシピ本出版しても売れるかもしれないし」
「ううん。向こうはプロだもん。本を売るためにはそこまでしないと無理だって判断したんだよ。あー、あたしもまだまだだなぁー」
玲愛はスッキリとした顔で空を仰ぎ見る。
「玲愛は偉いな」
「なにが?」
「あんな状況でもそうやって学べるんだから。本当に偉いと思うよ」
年齢など関係なく、本心から玲愛を尊敬した。
「ま、あんなシリコンのおもちゃなんてつけなくてもあたしの水着グラビア載せれば軽く100万部は突破すると思うけど」
「せっかく誉めたのに台無しにするな」
玲愛は舌を見せて笑った。
どんなときでも前向きで、笑いを忘れない。
玲愛は本当に素敵な女の子だ。
────────────────────
というわけで残念ながら玲愛のレシピ本は
残念ながらお流れになってしまいましたー
でもそこから学べた玲愛は更に素敵な料理人となるでしょう!
そして遂に本作品がラブコメ月間を獲得しました!
やったー!
皆様の絶え間ない応援のお陰でここまで来ることが出来ました!
本当にありがとうございます!
これからも応援、よろしくお願いいたします!
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