第22話 波乱のお弁当箱

 朝は玲愛の料理を作る音で目覚める。

 もう慣れてしまった俺の新しい日常だ。


 友だちが泊まりに来た翌日から、また一段と玲愛は料理を気合い入れて作るようになっていた。


「毎朝悪いな。こんなに手の込んだものじゃなくてもいいんだぞ?」

「は? この程度普通だし」

「そうか?」


 今日は和食で焼き魚に大根おろし、卵焼きとなすの煮浸しに味噌汁だ。

『旅館の朝食かよ』といった気合いの入れようだ。


『次のニュースです。昨夜──』


 テレビから流れたニュースに関心が向いたのは、この近くで起きた交通事故だったからだ。

 暴走した車があちこちにぶつかり、電柱に突進したというはた迷惑な内容だ。


「へぇ、物騒だな」

「ヤバイよね」

「逮捕されたのは無職の関根謙弥容疑者二十六歳です」


 顔写真を見て驚いた。


「あ、こいつ元奥さんの不倫相手じゃん!」

「ほんとだ。マジかよ」


 キャスターによるとコイツは危険ドラッグを吸引して運転していたらしい。

 本人と助手席にいた女性は重症だそうだ。


「最悪。マジ、こういう奴って最低だよね」

「ああ……そうだな」

「助手席の女性って……」


 玲愛はどう反応すべきか迷うように俺をチラッと見る。

 同乗者の名前まではニュースでは語られなかった。


「さぁな。舞衣かもしれないし、違う女性なのかもしれない。どちらにせよ俺には関係のない、どうでもいい話だ」

「そっか。そうだよね」


 舞衣が今後どういう人生を送ろうがどうだっていいし、興味がない。

 俺の人生とはもはや無関係だ。




 出社すると営業補佐の古泉さんが俺の机の上の書類を整理してくれていた。


「おはようございます」

「おはよう。朝からごめんね」

「いえ。書類整理も私の仕事ですから」


 元々優しくて気の利く人だったけど、俺が離婚してからは更に親切だ。

 恐らく精神的に凹んでいると思って、励ましてくれているのだろう。

 まあ実際は離婚してからの方が心穏やかな毎日を送っているんだけれど。


「きれいに片付いたよ。ありがとう」

「あ、あと、あの……」

「ん?」

「その、差し出がましいようですが、これを……」


 そういって紙袋を渡してきた。


「なに、これ?」

「お、お弁当です」

「え? 作ってきてくれたの?」

「はい。一人暮らしで栄養偏ってないか、心配で」


 まさか古泉さんも俺が離婚したあとに以前より健康的な食生活を送ってるとは、夢にも思っていないだろう。


「ありがと。でも昼はお客さんのところで食べるのが俺の仕事のひとつだから」

「そ、そうなんですか? すいません。そうとは知らず。じゃあこれは私が夜にでも食べますんで」

「いや、せっかく作ってきてくれたんだからありがたく頂くよ。でも明日からはいいからね」

「はい! ありがとうございます!」


 よほど俺の健康状態を心配してくれているのか、やけに嬉しそうだ。



 本日の配達分を車に乗せ、得意先へと配達を始める。最近は節水できるタイプの蛇口が人気商品だ。

 多くの注文を受けているので生産も追い付かないほどだった。


 午前中に近場の配送を追え、昼食となる。

 車を停めて車中でお弁当を頂く。


「へぇ。古泉さんらしい丁寧なお弁当だな」


 卵焼きや唐揚げのほか、野菜の煮物など栄養バランスを考えたメニューが見映えも美しく詰められていた。


「どれどれ。じゃあ唐揚げから」


 味も悪くはない。

 しかし玲愛に比べると今一つだ。

 玲愛の場合は味付けだけではなく、筋やら余分な脂などをを削いでいる。

 そういった細かな仕込みの差もあるのだろう。




 急な注文などもあり、午後からも慌ただしく働いた。

 遅くなってしまったので会社に戻ったのは八時過ぎになってしまった。

 既に古泉さんは帰宅していた。

 お弁当箱はまた明日返せばいいだろう。

 俺も玲愛を待たせるわけには行かないので早々に帰宅した。


「おかえりー!」

「ごめんな、遅くなって」

「んーん。待つのも妻のつとめです」

「帰ってきて早々疲れるボケをかますな」


 今日のメニューはミラノ風カツレツだった。

 サクッと歯触りもよく、ハーブの香りも強すぎずに絶妙だ。

 こくのあるデミグラスソースもカツレツの旨味を引き出している。


「さすが洋食屋で働こうっていうだけはあるな」

「こんなのまだまだだって。マスターに笑われちゃう」


 相変わらず料理に関してだけは真面目で謙虚なやつだ。


 食後にボーッとスマホを弄っていると、玲愛が俺の前に立った。

 顔を上げると怖い顔で俺を見下ろしていた。


「え? なに?」

「これ、なんなわけ?」

「あっ……」


 玲愛は古泉さんから渡された弁当箱を持って仁王立ちだ。


「えっと、それは職場の女の子がお弁当を作ってきてくれて……」

「茅野さんお客さんのところで食べるからお弁当いらないんでしょ!」

「そうだけど。でも作ってきちゃったものは仕方ないだろ」

「断ればいいじゃん!」

「さすがにせっかく作ってきてくれたのに悪いだろ。もういらないって断っておいたから」

「あっそ」


 玲愛は不服そうにブスッと顔をしかめ、プイッと顔を背ける。


「そんなに怒ることかよ?」

「は? 別に怒ってませんけどー? 好きなものを好きなように食べたら?」

「子どもかよ」

「子どもですけどなにか? てか、いっつも茅野さんはあたしのこと子ども扱いしてるじゃん! 都合のいいときだけ大人と子どもを使い分けないでよね!」


 玲愛さん、ガチギレ。

 これはさすがにちょっと気まずい。


「で、美味しかったの?」

「は?」

「お弁当、あたしの料理とどっちが美味しかったって訊いてるの!」

「そりゃもちろん玲愛の方が美味しいに決まってるだろ」


 素直に伝えると玲愛はにやけそうな顔をなんとか堪えようと必死にしかめ面を保っていた。


「嘘っぽい! 絶対お世辞だし!」

「いや、ほんとだって。ていうより玲愛はそこら辺のレストランより美味しいから」

「ほ、ほんと?」

「もちろん。レストランに詳しい俺が保証する」

「そ、そっか……ふぅん……」


 なんとか少しだけ機嫌を直してくれたみたいだ。

 まったく料理関連は厳しくうるさいやつだ。


「お弁当箱、きちんと洗って返さないとね」

「それは俺が洗うからいいって」

「ダメ。茅野さんの洗いかたって意外と雑だし。会社の人に悪印象与えると良くないでしょ? こーいうのも妻のつとめだし」

「妻のつとめなら玲愛の仕事じゃないだろ」


 俺の声など聞こえないかのように玲愛はお弁当箱を洗う。

 その隣で俺は洗い終わった食器を拭いていた。


 たまに喧嘩して、すぐに仲直りして、毎日を暮らしていく。そんな理想の結婚生活を離婚してから送っている。

 なんだか不思議な話だ。

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