第246話 力があるという罪

     ◆


 天帝宮とは離れている監獄にある独房で、俺は数日を過ごすことになった。

 地下牢なので、太陽の光は見えないから、数日というのは推測で、体感に過ぎない。食事の時間はわざとずらされているようで、空腹に耐え切れないほどの長い間隔があったかと思うと、すぐに次が出てきたりする。

 飢えさせて何かを引き出そうとしないのはありがたいが、感覚を責めているといえばそう言える。

 取り調べはおそらく一日に一度、一刻ほどで、穏便だった。

 殴られることもないし、打ち据えられることもない。恫喝されることもない。

 淡々と事実を確認しているようだった。

 他に囚われているものと接触する機会は全くない。それが不穏といえば不穏だった。

 不意にハンヴァード公爵がやってきたのは、十回を超える取り調べを経たところで、正直、意外だった。彼がやってくる理由が想像できない。

 ここまでで俺はそれほど憔悴もしていなかったし、そもそも後ろ暗いところはないのだ。

 取調室で卓を挟んだ席にハンヴァード公爵が座る。今は赤い衣ではないが、高級そうな着物を着ていた。

「みすぼらしい格好をしているな」

 まず最初に言われたのはそんな言葉で、挨拶の代わりだと解釈して、「はあ」とだけ答えておいた。

「皇太子殿下を守り抜いたことが、問題になっている」

 いきなりハンヴァード公爵は本題に入った。

「皇太子殿下の評価は高いが、しかし、お前はあまりにもやりすぎた。お前を天帝府においておけば、いずれ人が集まり、殿下が必要以上に力を持つかもしれない」

「殿下はいずれ、帝となられる方です」

「今すぐ帝になるわけではない。そして、どんな人物にも野心があり、野望がある」

 馬鹿な、と危うく口にしそうになった。

 この公爵は、皇太子殿下を、あの少年を知らないのか。

 彼が野心や野望を抱くわけがない。自分の役割を把握する理解力と、徹底する意思力がある。

 まさか、力を持って帝を廃するようなことは、起こるわけがない。

「余計な混乱を今、再び起こすわけにはいかん」

「処断と処罰は行われたはずです」

「それだけでは足りないのだ。今のうちに、摘める限りの芽は摘み、力を奪えるものからは力を奪う。それでこの国は三十年は安泰となる」

 目の前にいる男が言っていることを理解しようとしたが、わかるのは単純なことだけだ。

 俺もまたその芽の一つとみられていて、今まさに詰まれようとしているのだ。

 俺は剣士だった。

 ただの剣士だ。

 技を身につけ、忠義を尽くし、この国をいずれ支える人物を守り抜いた。

 それがいけないことなのか。

 何か間違っていたのか。

 力があるということは、それだけでも罪なのか。

 ハンヴァード公爵は、悠然と言った。

「剣聖府の力は今回は役に立った。現状のまま、帝にのみ忠誠を尽くす組織、修練の場としての組織なら問題ない。しかしお前は、皇太子に近い。そして今、お前の評価は高まっている。現状を乱しているのは、お前自身なのだ、瞳・エンダー」

 どう答えるべきか考えたが、思考は空転した。

 俺の剣は、誰のためにあったのか、それを考えていなかった自分が、恨めしかった。

 俺の剣は俺の剣だが、誰かを守った時、その誰かの剣にもなるのか。

 もはや俺は、俺自身が剣になってしまったのか。

 俺は、俺のはずなのに。

「剣聖府のお前の部屋に、刀があった。トランヴィンスキ侯爵家の紋章が鍔にあしらわれていた。それを理由にお前を処断することとする」

 俺は何も答えなかった。

 ただの一振りの刀で思想を判断するなどという愚かな発想を、目の前にいる壮年の男性が本気でしているわけがない。俺を捕らえ、首をはねるための理由として、ちょうどいいだけだ。

 剣聖が俺に刀を捨てるように言ったのは、そんな理由ではないだろうが、正しい指摘だった。

 俺の未練、心残りが、俺を窮地へ追いやっている。

 自業自得、という言葉は嫌いだが、まさにその通りだった。

「何か言い残すことはあるか?」

 訊ねられて、俺はどうにか思考をまとめた。

「あなたは、誰の味方ですか?」

 とっさに口をついた言葉は、しかし思考とは全く無関係だった。

 ハンヴァード公爵はしかし、平然と、厳然とした表情で言った。

「私は国に味方するつもりだ。それがハンヴァード公爵家の役目だ」

「国?」

「そうだよ。君が皇太子の剣であったように、そう、私は、国のための処刑台になるとしよう」

 ゆっくりとハンヴァード公爵が立ち上がった。

 俺は手錠を椅子に括り付けられているため、立ち上がることもできない。

「剣となった自分を恨め、瞳」

 その言葉を残して、ハンヴァード公爵は取調室を出て行った。

 独房へ戻され、数日を過ごした。食事は出るが、取り調べはなくなった。

 俺への処罰はもう決定した、ということかもしれない。

 俺は牢の中でじっと座っているのはやめ、体を作ることにした。狭い空間でも、体を動かし、力を衰えさせないようにする。

 何日かが過ぎ、人が近づいてくる音がした。

 いよいよ俺も最後かもしれない。

 不思議と後悔はない。

 それよりも、離宮で俺が切り捨てたものたちの無念を、こうして俺も別の形で支払わされていると思っていた。

 彼らの人生を終わらせた責任を、俺が背負うだけのことだ。

 牢の格子の前に灯りを持ったものが立った。地下なので常に薄暗いのだ。小さな灯りの火のゆらめきが、やや眩しい。

「意外に元気そうだな」

 相手の言葉に、俺は目を細めて、しかし息を飲んでいた。

「師匠……」

 俺の目の前に立っているのは、剣聖、閃・ストライムだった。

 動くこともできず、立ったままで彼を見た。彼もやはり立ち尽くしている。

 お互い、言葉はなかった。

 沈黙の中で、火のゆらめきで生まれる影の動きだけが、何かを主張していた。



(続く)

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