第243話 夜は過ぎて

     ◆


 剣聖でもある俺の師は、離宮の正門に弟子たちを整列させ、待ち受けていた。

 俺が守り抜いた少年は、その剣聖に「ご苦労様」と親しげに声をかける。

 離宮には態勢を立て直した天帝府守備隊の中でも、信用の置けるものが組織された隊が突入していた。今頃、離宮の隅々まで賊を探して、生き残りを狩り出しているはずだ。

 少年の言葉に、剣聖はわずかに頭を下げた。

「私の弟子は役に立ったようですな」

 顔を上げたその師の顔には、険しい色がある。

 その非難が形を変えた表情を見れば、我が師は状況のことをおよそ把握していることになる。

 しかし少年はそれに取り合わなかった。

「父上はご無事なんだね?」

「はい、陛下はまったくの安全です。禁軍の中でも、無姓の公爵が固めております」

「そうか、彼が動いたか。他の動きは把握している? それとも剣聖府の常で、傍観かい?」

 我が師はじっと少年を見据え、しかし少年は平然と視線を受け止め、首を傾げてみせた。

 これ以上の意地の張り合いは無意味と悟った我が師は、「ハンヴァード公爵が活発ですな」と答えた。その返答は明らかに焦点をずらしていた。我が師による最後の抵抗だったようだ。

 少年は「なら、問題あるまい」と気づかないふりをしてから、ちらりとこちらを見た。

「彼を罰する必要はない。巻き込まれただけだ」

「皇太子殿下を守ったものを、誰が処罰するでしょうか」

「それをあのハンヴァード公爵に言えるかな、剣聖殿」

 壮年の剣士の口をついたのは、ため息だった。

 それから俺が守護した少年は、禁軍の揃いの具足をつけた兵士たちに囲まれ、離れていった。俺には気楽に手などを振っていたが、もう命を狙われないと思うほど、彼も楽観的ではないはずだ。

 危機がすぐそばにあっても普段通りに振る舞える。

 そういうどこか欠陥があるようなものこそが、極端に広く深い、国というものを御せるのかもしれなかった。

 我が師が歩み寄ってくると、俺の体を眺め、最後に腰にある刀を見た。

「見覚えのある刀だ。尽は死んだのか?」

 唸るような師の声に、はい、と俺は答えた。疲れ切っているし、今すぐにでも倒れこみたかった。しかしそれを拒絶してでも答えるべき、問いかけだった。

「お前が切ったのか?」

「はい」

「よく生きていたものだ」

 前触れもなく、力強く腕を叩かれてぐらりと体が傾く。

 足を送ろうとしたが、それだけの動作がもつれて倒れこんだが、我が師が手を伸ばして支えてくれた。

「休め」

 短い言葉が、まるで一つの刃のように俺の意識を断った。

 夢の中で、俺は剣を持っていて、向かい合っているのは、奇妙な存在だった。

 真っ黒い影が形を持ったような姿で、その手には剣を持っている。

 俺の周りには大勢の男や女がいて、全員が剣を持っている。

 そして彼らは一人ずつ、黒い存在に向かって飛び出して行き、そして、切り捨てられる。

 援護して、同時に仕掛けたいと思っても、できない。

 男の一人が目についた。

 尽・トランヴィンスキだった。

 彼はこちらを見ない。

 やめろ。

 死ぬな。

 尽が嬉しそうに笑みを浮かべ、剣を構えて飛び出していく。

 尽!

 黒い剣が剣と一緒に尽を真っ二つに切る。

「尽!」

 声を上げたことに、やっと気づいた。

 どこかで鳥が鳴いている。

 明かりは曖昧だが、はっきりとそこにある。

 窓にはめ込まれたガラスから差し込む光が、部屋を照らし、部屋は俺もよく知っている剣聖府の一室だった。怪我人が運び込まれる部屋で、その中でも重傷のものが運び込まれる部屋だ。

 寝台の上で上体を起こしている自分を、やっと把握し始めた。浅手は無数にあるようだが、激しい痛みはない。指も全部、残っている。剣を交えると、指を落とされるものは多い。

 呼吸を繰り返し、寝台から足を下ろし、靴を履いた。

 立ち上がれそうだ。疲労はもう消えていた。

 扉がいきなり開き、入ってきた顔見知りの医者が俺を見て足を止めた。

 沈黙の後、「どこか具合が悪いところは?」と質問された。俺は立ち上がり、「何も問題はありません」と答えながら全身をもう一度、確認した。

 どこにも違和感はない。

「師匠はどこにいますか?」

 医者は傲岸不遜な患者と思ったのか、嫌そうな顔をしたが、執務室にいることを教えてくれた。

 俺は寝台を離れようとして、剣がないと気づいたが、よく見ると寝台の脇に例の刀が置かれていた。

 刀を手に取り、鞘から抜いてみた。

 刃は脂で濁っている。研ぎに出さなければ、使えないだろう。

 そもそも、これは遺族に返すべきではないか。

 そう思ったが、トランヴィンスキ家は皇太子を狙った逆賊であり、つまり、遺族は程なくこの地上からいなくなる、かもしれない。

 刀を鞘に戻し、腰に吊ろうにも剣帯がない。無理矢理に腰の帯に刀を差し込んだ。

 部屋を出るとき、医者が最後の抵抗のように「粥を運ばせますよ」と言ったが、「どこかで肉でも食べます」と応じておいた。

 廊下に出ると、室内の静けさが嘘のように、慌ただしい空気が俺を出迎えた。

 剣聖の執務室へ向かいながら、知り合いと顔を会わせるたびに情報が入ってきた。

 剣聖の執務室の扉を叩くと、我が師の声が返ってくる。

「瞳・エンダー、入ります」

 俺は扉を開いて室内に入り、書類を認めている我が師のきつすぎるほどにきつい、容赦なく心の内を抉り出そうとするような眼差しを、正面から受け止めた。



(続く)

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