第242話 命令
◆
建物の裏手に出た。
門は見える。閉じている。
そしてその前に、二十人ほどの完全武装した男たちが並んでいた。
「殿下」
そのうちの一人が進み出てきた。
壮年の男で、名前は知らない。武器は立派で、具足も他とは違う。
ただ見た目がいいだけの武器なら良かったが、どう見ても使い込まれたものであり、そして男に馴染んでいた。
「不正を正すために、犠牲になっていただきます」
男が剣を抜く。いやに長い剣だ。その立派な体躯と合わさると、どこか武神のような趣にもなる。
俺は体も華奢で、刀はすでに血で曇り、見劣りすること甚だしい。
しかし見た目で勝敗は決するものでもない。
「タガケ侯爵、こんなところで何をしている」
俺の後ろから、殿下と呼びかけられた彼が、声を発する。
不自然なほど落ち着き払った、状況を把握する気のないような声だった。
二十人はどう見ても並の兵士ではない。タガケ侯爵と呼ばれた男が指揮する、強者なのだろう。
「きみの仕事は冬のために国の各所に手配を出す、冬司だったはずだ。それがなんで武装して、こうしてここにいるのか、是非聞きたい」
「是非もなし。この国を憂えたものが立ち上がっただけのこと」
「きみの私心ではなく?」
年齢を倍以上重ねている男を相手に、彼は全く動じなかった。
これが王者の風格か、と見るものもいただろう。
剣を取らず、言葉だけで相手を威圧する、超常的な人間が、確かにいるのだ。
ただし、どんな人間でも剣で斬られればそれまでのこと。
暴力で原理を適用しようとタガケ侯爵が歩み寄ってくるのに、俺はそっと彼とタカゲ侯爵の間に位置を変えた。
男が足を止め、剣を構え直した。
「見たことのない小僧が、俺を止められるものか」
タカゲ侯爵の言葉に、しかし俺は無言を通した。
俺もまた守るべき彼と同様、落ち着き払っていた。
動揺するような状況ではない。
自然と、感覚は研ぎ澄まされ、全てを思考が把握し始める。
風の流れさえもが見え、月明かりの粒子さえもが見えた。
「国の害毒を今、我が手で除く!」
怒声とともに、タカゲ侯爵が踏み出してくる。
長剣が鋭い弧を描き、俺の首筋へ。
紙一重で避ける。
しかしそれは読まれている。
タカゲ侯爵がさらに前進。狙いは俺じゃない、俺が守っている彼だ。
姿勢を強制的に変更、横合いからタカゲ侯爵にぶつかろうとする。
それも読まれていた。
切っ先が急旋回、俺の胸元をかすめる。回避で足が完全に止まってしまった。
今度こそ、タカゲ侯爵は彼の方へ突進を始めようとして。
短剣がその鼻先を掠める。
俺が投擲した短剣にはほとんど何の意味もない。
あったのは、足をほんの一瞬でも止めさせることだ。
その一瞬さえあれば、こちらは間合いを詰められる。
剣聖府は、剣聖が主体となったある種の道場だが、そこで身につけられること、身につけさせられることは多岐にわたる。
剣術でも、居合や二刀流、槍術、棒術、薙刀まであり、さらに飛刀、礫、弓矢も含まれる。
そして剣術に付随するものとして、体術もあるし、実に奇妙な下半身の動きも含まれていた。
俺とタカゲ侯爵の間には、広い間合いがあったはずだ。
それはタカゲ侯爵が一連の詐術で作り出した、言わば猶予だった。
ただし、俺にとってはそれはほんの些細なことだ。
足が地面を蹴りながら滑る。
横にずれるように、しかしまるで影が動くように、俺の体は間合いを詰めた。
気づいたタカゲ侯爵の本能が、横薙ぎに長剣を振り回した。
尽の顔が脳裏に浮かぶ。
体が自然と動いた。
長剣に刀を当て、修練を積んだ技が長剣に極端な負担をかけ、それには長剣が振るわれる力さえもが負荷として加わる。
一点への力の集中に、長剣が半ばで折れた。
動揺する間も与えなかった。
俺の刀の切っ先が、タカゲ侯爵の額を断ち切った。
血が噴き出し、よろめいた侯爵をもう一撃、袈裟に切り裂く。
具足の一部が弾け飛ぶ中で、彼は力に負けて両膝をついた。
まるで懺悔するような姿勢だった。
「何故だ」
すでに血で真っ赤に染まった顔の中、口が動くと歯が白いがよく見えた。
「何故、私はこのような」
何を言っているか、本人にもわかっていないだろう。
呼吸が弱くなり最後に「うづき」という言葉を口にして、ついにタカゲ侯爵は倒れた。
うづき、卯月、というのは人の名前だったのか。
どういう関係だったのか。
考えることは、許されなかった。
指揮するものを失った二十名が、その仇を討つべき、俺に殺到してきた。
その俺は自分の身を守りながら、今も何事もないように悠然と立っている彼をも守る必要があった。
いや、俺が倒れてもいい。彼が倒れては負けなのだ。
刀が躍動し始める。
まるでそれ自体が意識を持っているように。
俺は俺の意思で剣を振っているとは思えなくなっていた。
刃が意志を持ち、その刃は、一人の男を守ることを俺に命じている。
切る。
切って、切って、切り続けることを、俺は求められている。
音は聞こえなくなり、目は見えなくなり、体は感覚を失い、しかし刀だけは何もかもを把握している。
刀が俺に命じ続ける。
切れ。
全てを、切れ。
これは呪いか、それとも、俺の本質だったのか。
甲高い悲鳴をあげ、武装した男が倒れる。
もう周囲に立っているものはいない。
俺は死体の群れの真ん中に立ち尽くし、ただ俯いていた。
刀を伝う血は、誰の血か。
俺が奪った命は、どんな可能性を秘めていたのか。
俺の前に立った男たちは、何を思ったか。
「見事、としか言いようがないな」
俺のすぐ横に、彼が立った。
「どうやら騒動も、収まってきたようだ」
笛の音が盛んに交わされている。その音の組み合わせは俺にもよくわかる符牒だった。
援軍が来た。反乱は収束に向かってるのだ。
俺は生きている。
彼も生きている。
その代わり、大勢が死んだ。
虚しいと思ったはずが、俺は安堵してもいた。
それなのに、脱力し崩れ落ちそうになるわけでもなく、全身は程よく力み、まだ戦いを欲しているように思えた。
俺は刀を鞘に戻した。
視線を彼に向けて、驚いた。
彼は全く変わっていないのだ。
疲れてもいない、やつれてもいない。傷を負ってもいないし、血に塗れてもいない。
まるでそういう、何ものも、ありとあらゆる全てが及ばない、不可侵な存在であるようにそこに立っていた。
その彼が微笑むのに、俺ははっきり言って、恐怖した。
剣を向けられるよりも、恐ろしかった。
俺は視線を周囲に向けた。
倒れている男たちを見て、何を感じればいいのか。
凡庸で、愚かで、ささやかな男たち。
俺は、どちらの側だろうか?
(続く)
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