第241話 生まれた世界が違う
◆
反乱部隊は大概が五人一組になっていた。
離宮に閉じ込められているはずの彼を探すため、ありとあらゆるところを捜索している。
衛兵の死体や、侍従や侍女の死体も無数に、そこここに物のように転がっていた。
無抵抗のものの命さえ奪ったその痕跡は、今の事態が敵にとっても後戻りできないものになっていることを、如実に表していた。
ここで彼を殺すなり捕縛なりして、それでどうなるかはわからない。
あるいは帝も捕縛され、この国は一夜にして全く別の主人を頂点にした国に変貌するのかもしれない。
国というものを俺はよく考えたことがなかった。
過去の偉大なる人たちが作り上げた一つの構造。全てが巡り巡る道筋のようなもの。
生活の基盤でありながら、ある時には生活を滑らかにし、ある時には生活を締め上げるもの。
その一つの巨大な装置のようなものの頂点に立ってみたいという感覚は、理解できなかった。
それは俺が、自分にはその能力がないと思っているからだろうか。
では、自分には国を治める力、器量があると思ったものが、今の事態を招いているのか。
これだけの混乱、これだけの惨劇を現実のものにしてまで、国を統べたいと思うのは、著しい矛盾に思えた。
兵士がまた五人で飛び込んでくる。笛の音が交わされ、それは悲鳴と絶叫、人体が引き裂かれる吐き気を催す音を最後に途絶える。
俺は荒い呼吸を整えようとして失敗し、嘔吐した。もう何度目かもわからない。吐くものなど体の中にはないはずなのに、空っぽのそこから液体が吐き出される。
刀から血を払う力も惜しい。鞘にそのまま納める。まだかろうじて切れるが、すぐに使えなくなるだろう。
しかし刀を捨てる気にはなれなかった。
この刀が折れる頃には、俺の心が折れるだろう。
「大丈夫かい」
彼は平然とした声で言う。俺の背後に、影にように寄り添い、しかし少しも汚れることなく、何も目の当たりにしていないように、平然とそこにいるのだ。
この少年は、俺とは住んでいる世界が違う。
生まれた世界が違う。
「休む?」
問いかけに俺は頷き、壁際まで行って座った。廊下の真ん中に重なる五つの死体から、血だまりができ、ゆっくりとどこかへ流れていく。
俺はじっとそれを見ていた。
掛け声はまだ止まらない。足音もする。
どれだけを切った? どれだけを切ればいい?
考えている暇はない。
考えていたら、心がすり減る。
つい数刻前まで、俺はこんなことを想定していなかった。
俺の剣術は、何のためにあるのかも、考えていなかったかもしれない。
心の奥底で、反乱部隊に襲われているのだ、彼を守るのが自然だ、そう自分に言い聞かせていた。
そのために数え切れない命が消えていった。
俺が消したのだ。
考えないほうがいい。
非情に徹するしかない。
「行こうか」
彼の言葉に俺は立ち上がった。
刀が重い。いや、体が重い。
後方から足音。振り返り、四人が突っ込んでくるのが見える。走りながら二人が笛を吹く。
こちらからも向かっていく。
何をどうしたのか、わからぬうちに、俺は四つの死体を前にしていて、深く息を吐き、吸い込んだ時、その臭気にまた嘔吐した。
よろめきながら、廊下の真ん中に立ち尽くしている彼の横を抜ける。
向かう先は決まっているが、しかし、それは遥かに遠い。
足音と、兵士の殺気立った眼光、怒号、笛。
死を伴う手応えと、相手の死による解放感。
彼が時折、話しかけてくる。
「大丈夫かい?」
「疲れただろう」
「もう少しだ」
「ちょっと休もう」
「そろそろだ」
声は遠い。
人の死の方が、俺に近い。
彼はこの殺戮の最中、殺戮のすぐそばにあっても、どこか遠い。
何が違う?
俺が異常なのか。
問いかけの中でも、刀はその役目を果たし続けた。
目の前に扉がある。錠は破壊されていた。
彼の方を見ると、難しげな顔をしながら、行くしかないね、と呟いた。
俺は刀を抜き身で下げたまま、ゆっくりと扉を押し開く。
明かりに照らされているのは、絢爛豪華な内装と、そして無数の死体だった。
死の気配が立ち込める室内に、俺は足を踏み入れた。彼がゆっくりとついてくる。
倒れている女たちの悲鳴が、今にも聞こえてきそうだった。
しかし彼女たちはもう、声を上げることはない。
悲惨な光景だった。
ここにいたものに、罪はないはずだ。襲った者たちに敵対するわけでもなく、ただここにいて、恐怖に身を寄せ合っていたのだろう。
何がいけなかった?
何を間違った?
奥へ進むと人の気配がした。
兵士が四人、何かを漁っている。戸棚だ。兵士たちの手には、様々な飾り物がある。黄金や白銀、貴石、そういった者で作られた、兵士には不釣り合いなもの。
こちらに気づかない四人は、いっそ哀れだった。
彼らは自分が死ぬということさえ考えぬまま、この世から消えた。
「かわいそうに」
急に声が聞こえ、そちらを見ると彼が倒れている女の一人の頬に手を当てていた。
目は眼球がこぼれそうに見開かれたまま、閉じることはない。
誰が何を負うべきなのか。責任など、誰にも負えない。野望の対価など、誰にも負えない。
人生を、命を負うことなど、やはりできない。
すっと彼の手が女の瞼を閉じさせた。
行くとしよう。
立ち上がりながらそういった彼の声は、やっと怒りらしい怒りを含んでいた。
その声を受けて俺もまたどこかで、ただの剣になろうとしている自分に気づくことができた。
深く息を吐き、細く吸う。
死が体の内側に浸透していくが、心までは犯せない。
俺は剣士で、守護者としてここまで来たのだと、心の一部が主張していた。
俺は先に進んだ。この後宮の裏に、物資搬入用の出入り口がある。
そこが最後の戦場になるかもしれない。
彼が死ななければ、それでいいのだ。
守り抜くこと、自らを犠牲にしても守り抜くことが、俺の今の使命だと、はっきりわかった。
後にどれだけの屍を残すとしても。
(続く)
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