第226話 私たちは、自由なのだから
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剣聖府縮小の計画と軍学校創立計画に、私は繊細で、しかしはっきりとした意図を込めた。
軍学校発案者のカプリカニア公爵が歯噛みしたのは間違いない。
特に軍学校に関しては、厳しすぎるほどの管理をする仕組みを組み込んだ。
前提からして、軍学校入学者は平民なら理屈の上では上限なしで入学できるが、貴族家からの入学者は数を制限するようにした。また、運営に必要な拠出金に関しても、貴族家と財閥、それぞれに上限額を設けた。
これらの規則に違反した者への罰則も準備した。
エデルニーア公爵と繰り返し話をしたが、この奇妙な老齢の公爵は、最後にはカプリカニア公爵ではなく、私が構築した計画に賛同した。
「私は法を正しく運用するのが生きがいでね」
公爵はそう言って微笑んだが、自嘲の色ははっきりしていた。
「長く、国で法を作り、それを運用し、違反したものを罰してきた。私自身だけではない。私の父も、祖父もだ。私は決して、法を裏切れないのだよ。国のためでも、帝のためでもなく、自分自身の血が、血脈が、許さないのだ」
ではなぜ、カプリカニア公爵に相乗りする動きを見せたのか、と問いたかったが、それを私は彼には確認しなかった。
正しいことというのは、人の数だけあるだろう。
自分の中にある正誤の感覚が、法と必ずしも一致するとは限らない。
どこかで妥協があるし、また迷う時もあるということか。
軍学校の初代校長は今の皇太子がその役目を負うことになり、これもまた軍学校が、貴族や財閥とは距離を置くという姿勢の表れだった。
この計画がおおよそまとまった時、バッザ公爵は苦笑いしながら「あまり敵を作るようなことをするな」と言ったけれど、結局、私が発案した計画を骨子にして、バッザ公爵の意見として提案したようだ。
円卓評議会の議場へ呼ばれることもなく、私は次に必要な軍学校の運営に必要な人員の選定を始めた。時間を無駄にするようなことはとてもできなかった。
剣聖府から誰かを招きたいとは思っていたが、一番の適役である呂に書状を送ったものの、返事は丁寧な拒絶だった。
その書状には剣聖府を去り、天帝府も離れて故郷で静かに暮らしたい、と書かれていた。
力を持つもの、能力を持つものが、それを眠らせる決断をすることも、よくあることだ。
決して悪いことではない。
私たちは、自由なのだから。
ある夜、ハンヴァード公爵が訪ねてきたが、私はまだ執務室にいて、灯りに照らされた部屋で、役人の名簿を繰っていた。
いきなり扉が開き、「まだ仕事か」と声がして、初めてハンヴァード公爵の来訪に気づいたのだった。
「これは、公爵様、申し訳ございません」
思わず謝罪して頭を下げたけど、何に謝っているか、自分でもわからなかった。
「何も謝る必要はない。お前の書いた絵図面は、円卓評議会を醜い口論の場にしたぞ」
頭を上げると、珍しくハンヴァード公爵は上機嫌そうだ。
「カプリカニアの奴が怒り心頭、怒髪天をつく、という感じだったな。財閥の奴らも、憮然としていたよ。ただし、お前の考えていることはおそらく正しいのだろう。おそらく、という部分を省くことはできないが」
どうやら私の考えたこと、狙ったことを、この公爵は認めてくれたらしい。
「公爵様、話し合いの方は、どうなったのでしょうか?」
「あまりに正論だったのでな、その一点で、誰もが納得せずにはいられなかった。納得した格好をしないと、自分の不誠実や自分の陰謀を、露わにするようなものだからな」
「では、あのままで承認ですか?」
「円卓評議会は賛成多数で可決した。これから帝が承認すれば、いよいよ軍学校が作られることになる。剣聖府は終わりに向かって進み始める」
そうですか、と思わず声が漏れた。
私の仕事は、うまくいったということか。でもハンヴァード公爵の様子からすると、私を憎んでいるもの、恨んでいるものもいるだろう。
もしかしたらそこまで見越して、バッザ公爵は私を公爵領へ向かわせるのかもしれない、とやっと気づいた。
「バッザ公爵はおもしろい女を拾ったものだ。男にもできないことをする」
斜めに立ちながら、ハンヴァード公爵が唇を歪める。何故か、楽しそうだった。
「いえ、私など、微力を尽くしただけのことです」
「元は平民らしいが、何がそこまでお前を駆り立てる?」
話はどうやら、私自身のことに移ったようだ。
ずっと前、瞳と話をした。
私が持っている、この世界への呪詛と、反発、野望、そういうことを一晩かけて、ゆっくりと話した。
その時のことを、何故か今、はっきりと思い出した。
「私は育ての親に捨てられました。少しの銭しかなく、もし、運が味方しなければ今頃は死んでいたでしょう。そうでなければ、どこかで貧しく、物乞いでもしていた可能性もあります」
「育ての親への恨みが、社会への恨みになったか?」
「恨んだこともありました。でも今は、恨みを捨てる立場です。今は、人のために尽くすことが、私の使命だと思っています」
「許せるか? お前の不幸を」
難しい問いかけだった。
自分の身に降りかかった災難を、そんなこともあった、とすべて過去のことにするには、時間がかかる。災難は常に降りかかるということもある。
それでもどこかで、許さないといけないのだろう。
「許したいと思います」
そうか、とハンヴァード公爵は短い言葉で会話を打ち切った。
「剣聖府での手合わせのことは聞いているか?」
どうやらこれが、本題だ。
剣聖府での手合わせ。
瞳と誰かが、剣聖の座をかけてぶつかったことを、私は知っている。
しかし非公開だったし、その後も手合わせに関する情報はほんの少しも耳に入ってこなかった。剣聖府を訪ねる用事もなく、呂の書状にも何も書かれていなかった。
もちろん、瞳が私の前に姿を見せたこともない。
「瞳・エンダーと戦ったのは時子という娘で、これがじゃじゃ馬だ。血筋の裏を行くような娘だよ」
はあ、としか言えなかった。
時子? 聞いたことがない名前だ。血筋?
「どちらの方でしょうか、その時子さんというのは」
「無姓の公爵の娘だ。だから本来は姓はない」
無姓の公爵の娘。
脳裏に、剣聖の追悼会のことが思い浮かんだ。
あの時、透が連れていた女性。名前も名乗らず、口をきかなかったが、そう、彼女は透といたのだから、彼の妹だったのだ。
しかしとても、剣を使うようには見えなかった。
あの女性が、瞳と手合わせをする実力とは。
「どちらが勝ったのですか?」
ハンヴァード公爵は私の言葉に対して、わずかに顔を俯かせた。
「最後まで立っていたのは、瞳だ。しかし今は、意識はない。深手を負って、高熱を発しているそうだ」
「時子さんという方は?」
「右腕が不自由になった。しかし意識はあるし、さっさと自由になろうとしているようだな。ただ大怪我には違いあるまいから、当分は動けまい」
どういう決着だったか、すぐにはわからないけど、とにかく、瞳はまだ生きていることになる。
相手を殺さずに、勝ったのだ。
立派なことをするようになった。
自分が死んでいる、わけじゃないけど、死にかけているんじゃ意味がないけれど。
「剣聖府は今、外部とのつながりを遮断している。次の剣聖をどうするべきか、決めるまでは動くことはあるまいよ。だから蒼華、お前に真実を告げたのは、私の配慮と思っておけ」
「ありがたく存じます」
「あの男は不思議な男だが、お前も十分に不思議だよ、蒼華」
ハンヴァード公爵はそう言うと「ではな」と扉の向こうに消えた。彼は部屋に入るでもなく、ただ突っ立って私に話したのだ。
正式な場ではなく、世間話、文字通りの立ち話という形式だったわけか。
それは、バッザ公爵に余計な質問をするな、剣聖府に問い合わせるな、ということかもしれない。
天帝府にいると、こういう言葉の奥にあるもの、付随するもの、言葉に隠れているものを、読み取らないといけない場面が多い。
一を聞いて十を知る、という素質がなければ、やっていけないのだろう。
私は手元の書類に目を戻した。
瞳のことだ、またどうせ、死なないままで切り抜けるだろう。
夜も更けて、私は書類を片付け、明かりを消した。薄暗い中、奥の私室へ戻り、寝台に腰掛け、思わず深い吐息が漏れた。
そうか。
また、生きているか、死んでいるか、わからないか。
まったく、気を揉ませる奴だ。
(続く)
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