第25話 おまじない
いつもの日常だったが今日の俺は落ち着きがない。
なにせ初めてファンと呼ばれる人に呼ばれて会いに行くからだ。
ただ知らない人と会うだけでも緊張するのに、それが自分の小説のファンだとなれば興奮しないわけにはいかない。
一体どんな人なんだろうか。
願わくば優しそうな大人の女性とかだといいが、こればかりはわからない。
期待と不安でぐちゃぐちゃになる俺の心を察してか、今日のエリは一段と優しかった。
「ワクミン、落ち着かないの?」
「うん、放課後のことが気になって」
「そーだよねー、なんか私まで緊張しちゃうもん。だからワクミン、緊張をほぐすおまじないしてあげるね」
昼休みに二人でひと気のない校舎裏で話をしているとエリはがそんなことを言う。
おまじないってなんだろうと思っていると、目を瞑ってほしいと言われたのでそうした。
「目開けちゃダメだよー?」
「う、うん……」
「はい、おてて借りまーす」
「う、うん……」
なんだろう、手相でも見るのかな。
そう思った瞬間に俺の指に激震が走る。
「!?」
「あ、力入れたらダメだよー」
「エリ、これって……」
「だから、おまじない。どーかなー、緊張ほぐれてきたかなー?」
「あ、あ……」
あくまで推測だが、今俺の右手はとんでもないところに当てられている。
もう放課後のことなんて頭から吹っ飛んだ。
代わりにおかしな緊張が押し寄せてきて、ほぐれるどころか俺自身がガチガチになってしまった。
しばらくそんな状況が続いたあと、俺の手はそっと元に戻された。
「はい、どーだった?」
「い、いやさっきのって……」
「ふふっ、ご想像にお任せしまーす」
エリはそう言って先に教室に戻ろうとする。
俺は追いかけながらも自分の右手をじっと見つめてしまう。
少しあたたかくなったその指に残る感触を思い出していると、緊張もなにもないまますぐに放課後になった。
「いよいよだね、どこまでいくの?」
「隣駅で待ち合わせだからバスでいく?」
「そだね、じゃあ早速行ってみよー」
また緊張するかと思ったが、エリを見て昼休みの出来事を思い出すとなぜか緊張より先に変な気分になる。
たしかにおまじないは有効だった。
しかし効果と副作用が強すぎて自分の体をコントロールするのが少し難しかった。
バスに揺られる間、エリは俺に太ももを触っていいからねと言って足を出してきた。
公共の場所でそんなことをするのはとても悪いことをしているような気になる。
もちろん触る俺ではあるが、どこか集中できない。
気がつくとあっという間に隣駅に着いていた。
そして待ち合わせ場所には一人の女性が立っていた。
「あの人、かな……」
「うん、他にそれっぽい人もいないしそうじゃない?聞いてみよっ」
エリはすぐにその女性によっていき話しかけた。
「あの、甘井さんですか?」
「は、はい。えと、和久井さん?」
「あ、私はお付きのもので、和久井君はこっちです」
俺はその女性を見ると、向こうから挨拶してくれた。
「はじめまして、私は甘井和子といいます。こういう仕事をしてるんですが」
そう言って渡された名刺には「出版社」という文字があった。
「え、もしかしてそういう仕事をしてる方ですか?」
「ええ、だから少しお話をと思って。でも立ち話もあれだしそこの喫茶店でも入りましょう」
早速三人で喫茶店に入ると、改めて挨拶をしてから話を始めた。
「私はね、あなたが使ってるサイトとは別の出版社のものなんだけど是非あなたの作品をうちの会社のコンテストに出してほしいと思って」
「え、ほんとうですか?それって……」
「まだ審査を受かるかどうかはわかんないけど、私からは推薦するわ。実際文章はまだまだだけど内容はとってもいいもの。編集すればいい作品になるはずよ」
俺は途中から甘井さんの話があまり入ってこなかった。
自分の作品がスカウトされて、出版社の人に認められて。
そんな夢のような出来事がさも当たり前に今現実で起こっているのだから、俺は夢見心地になっていた。
エリは隣でずっと真剣な表情で話を聞いていた。
そして一通りの説明を終えた甘井さんが俺に言う。
「とりあえず今日からうちのサイトで毎日二話ずつ投稿、できる?」
「え、毎日ですか?まぁ、やれるとは思いますけど」
「私は純粋にあなたのファンとして応援してたわ。でもここからはちょっと仕事も絡むから、コメントなんかも差し控えるけど、ちゃんと見てるから投稿頑張ってね」
「は、はい」
甘井さんとの話は終わった。
結局甘井さんだけに甘い話、なんてものはなくて、力は認めてくれてるけどあとは自力で這い上がってきてね、という感じの内容だった。
それでも出版社の人が認めてくれているというのはモチベーションにするには十分で、俺は甘井さんが出て行った後もしばらく興奮していた。
「ワクミン、すごいじゃん!本当にプロになれるかもね」
「うん、でもまずは毎日二話投稿を頑張らないとだね」
期待に胸を膨らませてエリと帰宅したが、早速大忙しだった。
まずサイトの引っ越し作業が大変で、コピペを繰り返すだけの作業に何時間も費やした。
幸い同時掲載可能なサイトだったので、今まで使っていたところも残すことにした。
そうすると手間も増えるが、今まで見てくれていた人を置いたままどこかに行くことへの抵抗、なんてかっこいいものではないけどそういうのを大事にしたかった。
俺の部屋で作業をしている間、ずっとエリは隣で静かに見守ってくれていた。
時々「ワクミンパソコン詳しいねー」なんて言ってくれるのも励みになって作業を進めていき、夜にようやくひと段落ついた。
「あー、終わったー」
「ワクミンお疲れ様。なんかよくわかんないけど大変そうだね」
「うん、それにこれから小説書くなんて……今日くらい休みたいよ」
「でもせっかくなんだからがんばろっ。私も今日は邪魔したらいけないし遅いから帰るけど、時々起きてるか確認してあげるー」
「うん、ありがとう」
エリとイチャイチャする時間が全くなくて寂しかった、というのが正直なところだ。
でも夢に向かって少しでも前に進んでる今、なんとか頑張ってチャンスを掴みたいい。
だから頑張ろうと奮闘して毎日の投稿を続けた。
エリは家に毎日来てくれて応援してくれる。
夜食を作ってくれたり読んだ感想をくれたりと支えてくれるが、どこかに出かけたりエッチをする時間もないまま一週間が過ぎてようやく日曜日がやってきた。
やっと今日はエリとゆっくりできる、なんて思っていたその矢先に、甘井さんから呼び出されて、また会いにいくことになった。
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