水もしたたるツンデレ王子




 怒った令嬢達に水を掛けられたと思ったら、目の前にびしょ濡れの王子殿下が立っていた。


「えっと……キール殿下? 何故びしょ濡れに」


 驚きすぎて、そんな言葉しかアンナは出てこなかった。

 水をかけた令嬢達も驚きのあまり顔面蒼白で、なんで、どうしてとパニックになっている。


「……たまたま通りがかっただけ」


 キール殿下は、水を払いながらぶっきらぼうに言う。


 もしそれが本当なら、ちゃんと前を見て歩いた方が良い。でも、そんなわけがないだろう。


「キール殿下! 大変申し訳ありません」


 シルク嬢が我に返ったのか、慌てて謝りだした。


「びしょ濡れなんだけど、どうしてくれるのコレ」


 いかにも不機嫌そうな口調で、シルク嬢に言う殿下。

 なんか、威圧のオーラさえ出ているような気がする。


「あの、その……」


 シルク嬢は何も答えられずに口ごもった。


「伯爵家の御令嬢って他人に水掛けるのが趣味なわけ? あんま良い趣味とは思えないけど」


 水に濡れた髪をかき上げながら、キール殿下はじろりとシルク嬢を睨んだ。


 や、やばーい。

 イケメンから水がしたたってる!

 濡れた髪が頬にはりつきイケナイ雰囲気が漂ってるし、服も濡れた部分の肌がうっすら透けて見えてエロい。細身に見えて意外と筋肉ついてるとか本当にヤバい!

 年下男子の可愛らしさばかり感じてたけど、今は色気が半端ない。

 なにこのギャップ!

 お姉さん、鼻血出そう(令嬢の意地で出さないけどね)


「ち、ちがい、ますわ。そ、そこの植木に水をあげようとしていただけです」


 お、おう。

 シルク嬢がかなり苦しい言い訳を繰り出したぞ。


「本当に? まぁ今回はそういうことでもいいけど。ただし次はないから」


 キール殿下が言い切る。


 年下の水に濡れた色っぽいイケメンが、自分を守ってくれている。

 なにこの状況。前世の杏奈だったら、間違いなく惚れてしまう。ダメよ、これはトラップなんだから。心を動かされたら負け。自分を強く保つのよ、アンナ。

 そう自分に言い聞かせるアンナだった。


「キール殿下、そのようにかばうなど、やはりアンナ・ベルニエと特別な仲なのですか」


 黙り込んでしまったシルク嬢に代わり、取り巻きの一人が口を開いた。


「アンナ先輩は二学年の主席として、後輩の面倒を見てくれているだけ。このことにもし文句があるようなら、貴女方が勉学に励み主席を取ったら良い」


 キール殿下って、以外と頭の回転も早いのねとアンナは驚く。

 この場合、下手に何か言うより「主席だから」と動かせない事実を根拠にした方がいい。やはり地頭は良い、やれば出来る人なのだ。なのに、何故勉強しようとしないのだろうか。


「アンナ先輩、制服が濡れてる。早く着替えた方が良い。行こう」


 アンナがあれこれ考えていると、キール殿下がスタスタと歩き出していた。


「では皆様、ごきげんよう。植木へお水をあげる際は、バケツはお止めになった方がよろしいですわ。辺りへの飛び散りが激しいですので、また殿下に掛かってしまうかもしれませんよ」


 これ幸いにと、アンナは令嬢達に嫌味を言い残し、キール殿下を追いかけるのだった。





 キール殿下に追いつくと、アンナは隣を歩く。すると、殿下が足を止めた。


「すまない」


 殿下が小さな声で謝ってきた。


「何故キール殿下が謝るのですか? わたくしが助けていただいた側ですのに」


「違う、俺のせいであんなことになったんだ。アンナは校長の命令で仕方なく俺に構っていただけなのに」


「だから、私の代わりに水を被ってくれたのですか?」


「そうだけど……結局アンナも濡れちゃったから、あんまり意味なかったな」


 眉をハの字に下げた殿下。しょぼん、という効果音が聞こえてきそうな顔だ。


「ふふ、でも嬉しいですわ。殿下がわたくしの名前を覚えてくださっていたことが」


 そう、殿下は普通に名前を呼んでくれているのだ。


「べ、べつに、これくらいは当然の嗜みだ。あんただから特別に覚えたわけじゃない」


 キール殿下は顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。


 ツンデレ来たよ!

 うんうん、年下イケメンのツンデレ、可愛いね。


 アンナはヨシヨシとしたくなっちゃうのを、ぐっと精神力で押しとどめる。


「ところで、殿下。どうしてあのような場所にいらっしゃったのですか? 図書準備室から方向がずれておりますが」


「アンナが……、いなかったから」


 ん? もしや、時間を過ぎても姿を現さないから、心配して探してくれたってこと?


 ツンデレに、ブーストが掛かったぁ!!


「逸材ですわ」


 もう、認めよう。今までのなかでは、断トツの逸材だと。手の掛かる、でもひねくれているわけでもない、年下のイケメン。

 そうだ。アイドルだと思えばいいのだ。アイドルとは、手の届かない偶像。一方的に愛でるだけ。双方向ではない関係だからこそ、傷付けられることもない。なんて素晴らしい関係だろう。


「逸材?」


「いえ、こちらの話です。頭の中の整理が出来ただけです」


 頭の中の整理の結果、キール殿下は手の掛かる弟的キャラのイケメンアイドルと決定いたしました。


「ふーん。アンナってちょっと変わってるよな」


「そうでしょうか」


 前世の記憶がある以外は、至って普通のつもりだが。

(ここにクロがいたら、盛大に違うと叫ぶに違いない)


「その辺の令嬢みたいに、すり寄ってこない」


「そうですわね。自分を常に律するように生きていますので」


 神様ボーナスのせいで、イケメンがとにかくアンナには寄ってくる。でもイケメンに惑わされては、思い描く未来は得られない。だからこそ、アンナはイケメンにはしゃぎそうになる自分の心を、いつも必死に押さえ込んでいるのだ。

 実際のところ、キール殿下にはかなり揺さぶられてしまったが、アイドル(偶像)だと思えば良いのだと気が付いたのでもう大丈夫。


「それより殿下、そろそろ何故お勉強から逃げるのか、理由をお聞かせいただけませんか?」


 ここがクリアできないと、勉強を教えることが出来ない。教えることが出来ないと殿下は留年する。留年してしまったら大聖女様への推薦状は貰えない。


「それは……」


 キール殿下は口ごもってしまった。


「ここは国聖学園、学びの場です。学生の本分をこの国の王子であるキール殿下が、おろそかにして良いのですか」


「それは分かってる。でも……」


 立場があるとはいえ16歳の男の子だ。いや、逆に立場があるからこそ何か悩みがあるのかもしれない。


「もしや重圧、ですか? 王子だと期待されるのに嫌気がさしたとか」


「そうじゃない」


 違うのか。

 まあ、確かにプレッシャーに押しつぶされる繊細なタイプには思えないが。


「なら、ひとまず理由は問いません。その代わり、わたくしと勝負いたしましょう」


「勝負?」


「はい。わたくしが勝ったら、お勉強してください」


 アンナは微笑みを浮かべるのだった。

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