第23話

 ――ん? おかしい……


 俺が注意深く奴らの動きを警戒していると、ふとその行軍に違和感を覚えた。


 そう、それはまるでこの牢馬車を包囲しようとしているような動き、合流するのであれば、その必要はないはずだ。


 それにこの馬車。この馬車もそろそろスピードを緩めてもいい頃合いなのだが、その気配が一向に感じられない。


 ――ふむ……


 違和感があるだけでその確証はないだ。ここで動くにはまだ早計というものだろう。もうしばらく様子を見ていよう、そう思っていた時、


「……ろぉっ!」


 突然聞こえたローエル領の騎士たちの荒げる声に、パシッと激しく打つ鞭の音。


 何を叫んでいるのかは激しく回る車輪の音にかき消されてよく聞こえなかったが、俺たちの乗る牢馬車のスピードが数段上がった。


 ――合流するどころか逆にスピードを、これではまるで……逃げているようではないか……


 俺の頭の中にそんな懸念が浮かび上がるが、核心に迫るには情報が少なすぎる。


 ここはまだ成り行きに任せた方がいいだろうと、俺はそのまま状況を見守ることにした。


 ――?


 すると、数秒も経たないうちに牢馬車の後方を走っていたローエル領の騎士一人の気配が離れてから消えた。


 ――落馬した……のか? いや、これは違うな……射殺されたか。なるほど。


 どうやら俺たちは何者かの集団に襲われているらしい。


 さて、このことを彼女にどう伝えようかと迷っていると。俺を抱く彼女の手に、力が入っていることに気がついた。


 ――そうだよな。


 突然牢馬車のスピードが上がったのだ。さすがにこの状況では、彼女も何か異変が起こってことくらいは考えるだろうし、不安を感じていたとしてもおかしくない。


『エリザ。外の様子がおかしいことは、もう分かっているな』


 彼女がゆっくりと頷く。どうにか平静を保とうとしてはいるようだが彼女の顔色は悪い。


無理もない元貴族令嬢であればこのような事態とは無縁の生活を送ってきていたのだ、彼女のことだから最悪な状況でも考えているのかもしれない。


『ローエル領の騎士の一人が射殺された』


「!? どういうことなのですか……」


 彼女の顔が真っ青になったが、それでも外の状況は気になるみたいで俺にそう尋ねてきた。


『まだ、はっきりとは言えないが、ただ、近づいて来た集団に気づいたローエル領の騎士たちはかなり焦っている。

 元々合流する予定だった仲間なら焦る必要なんてないのにな』


「……そう、ですか」


『そうなると可能性としては……』


 俺がその可能性を彼女に伝えようとした、その時――


 ガタガタ。


「きゃっ」


 牢馬車が更に激しく揺れる。この牢馬車で出せる最高スピードと言っても過言ではない。それほど速いが荒い。


 ガタガタガタッ。


 彼女も今は考えることをやめ馬車の振動を必死になって耐えようと、鉄格子に右手を伸ばし掴まった。


「もっとだ! もっとスピードを上げろ、囲まれるぞっ!」


 それでもローエル領の騎士が声を荒げてそう叫ぶ。かなり切羽詰まった状況なのだろう。


 これはいよいよだろうかと、俺も覚悟を決め、いつでも彼女を護れるよう変身解除の体勢をとる。


 ――あれ?


 しかし状況は意外な結果に。この牢馬車の御者、もしくはローエル領の騎士が意外にも優秀だったらしい。

 包囲されつつあった危機的状況を突破していたのだ。


 ――いや、違うな。


 何者か知らぬ集団が、意図してスピードを緩め引き下がったのだ。現に先ほどまでと明らかにスピードが違う。


 ――ちっ、遊んでいやがる、か……


 こちらは馬車なのだ。無理せずとも簡単に追いつける。ではなぜ、慌てるローエル領の騎士たちを見て嘲笑っているのだろうか?

 それならば、あちらの指揮官はよほどいい性格をしているらしい。


「クロー。わたくしはどうしたらいいのかしら?」


 彼女がおろおろしらがら不安そうに俺の顔を覗き込んでくる。気持ちが落ち着かないのだろうが、今の段階で彼女にできることなど何もない。


『落ち着かないのだろうが、今はまだ様子を見る。何、心配するな。何があっても俺が護ってやるさ』


 だから気づいた時にはそんなことを口走っていた。

 契約なんて関係なくそうしてやりたいと心から思ってしまっているのだ。


 彼女がそんな俺をじっと見てくるので俺は意味もなく頭を掻いた。見つめられてなぜか照れくさくなったのだ。悪魔なのに。


「クロー。ありがとう」


 それでも、彼女も少しは元気を取り戻したように見えるので、俺としてもまあよかったってことだろう。


 それからもあの集団はこちらで遊んでいた。


 のらりくらりとこちらの後をついて来ていると思いきや、少しスピードを上げてこちらの騎士たちが慌てる様を見て嘲笑っているのだ。

 

 そんなことを何度か繰り返していたが、突然、後方の集団に動きがあった。


 ヤツらが今までにないスピードで押し迫ってくる。


 開いていた距離が一気に縮まる。油断して遅れたローエル領の騎士が、一人、また一人と落馬してはその気配を消していく。


 射殺されているのだろう。だが鎧を着た騎士を簡単に射殺する弓。ヤツらの所持する武器はかなり性能が高い。ただの騎士集団とは思えない。


 正体が分からないまま、ついにローエル領の騎士が残り四人となった。

 

 だが、その四人の騎士たちの動きはどこかおかしい。騎士たちが一言、二言、語り合ったかと思えば頷く。


「おいっ」


「ああ」


 ――おいおい今頃こっちに来るのかよ!


 俺がそう思った時には、その騎士たちが俺たちの乗る牢馬車に幅を寄せており、御者と馬車馬に向かって斬りつけていた。


 ――くっ、やられた。


 元々、報復の対象者くらいにしか見ていなかった御者を、咄嗟に守ろうとは思えなかった。だから俺は判断が遅れた。


 斬られた御者が御者台から落下すると、馬車馬も崩れるように転倒した。


 ガタンッ!


 御者を失った牢馬車は倒れた馬に乗り上げてバランスを崩し激しく音を立てて横転した。


 一方、斬りつけてきたローエル領の騎士たちは、牢馬車が転倒する様を確認することなく、そのまま牢馬車を追い越して逃げていった。つまり、彼女が狙いだと判断した奴らは彼女を囮りにとして利用したのだ。


 だが、残念ながら俺にはその後を複数の気配が追っていくのを感知した。

 なぜ追いかけていったのか、その予想は簡単につく。口封じってところだろう。


 ――――

 ――


 少し時間は遡る。


 牢馬車が横転する間際、猫型から人型に瞬時に戻った俺は彼女を抱き抱えていた。衝撃に備えるためだ。


「クロぉ……」


「エリザ黙ってろ! 舌を噛む」


 戸惑う彼女の声が聞こえてくるが、それをすぐに制して障壁の魔法を展開する。


「障壁っ!」


 その瞬間に激しい音を立てて横転した牢馬車が地を削り滑っていく。


 ガガガガガァァァァ……


 程なくして、激しい音を立てて滑っていた牢馬車がピタリと止まるが、俺の周囲はまったくの無傷だ。魔法のおかげだ。


「エリザ、もう大丈夫だ」


 ――ふぅ。咄嗟に俺の周囲のみ障壁を展開したが、正解だな。


 横転してこの馬車自体が無傷だと不審に思うだろうと思った俺の判断だ。


「アイツら、ローエル領の騎士が御者と馬車馬を斬り殺したんだ。

 この馬車を囮にして逃げようとしたんだろうが、まあ、まず無理だろな。複数の気配がその後を追っていったからな」


「……そ、そう」


 知りたいだろうと思い状況を説明してやったのだが、彼女の様子が少しおかしい。俺と顔を合わせようとしてくれない。


「まあ、俺たちの馬車は横転してしまったが、大したことなかったな」


「え、ええ」


 ――?


 そこで初めて俺は、腕の中にいる彼女が、胸に手を当てたまま俯いていることに気がついた。しかもその手は少し震えている。


 ――怖かったってこと、か……ちっ。


「悪かったな。急だったから心の準備をさせてやる余裕がなかった」


 俺だって悪魔だが謝罪はできる。それから抱き抱えていた彼女を下ろそうとしたのだが、首を振った彼女が俺に抱きつき離れたくないと言う。


「お願いクロー」


「ま、まだ怖いのか?」


 おっぱいが当たって気持ちいいって違う。彼女は今怖くて俺に抱きついているのだ。ここは紳士に振る舞うべきだろ。


「よっ、こんなもんか」


 彼女の柔らかさを感じ取れなくなり非常に残念だが、俺は離れない彼女を抱いたままローエル領の騎士の鎧を真似て身に纏った。


 この程度のことは、悪魔なら誰しも魔力で簡単に模することができる。


 ただ、こうでもしないと外にはすでにこの牢馬車を取り囲む複数の気配がある。俺はローエル領の騎士だと勘違いさせたほうが自然だと思ったのだ。


「エリザ、ここから出るぞ」


 この場に止まっていたところで状況が変わるわけない。

 ならばこちらから相手の顔を拝んでやろうと思ったのだ。


 抱えた彼女も頷いてくれる。俺は牢馬車のドアのある壁を軽く蹴った。


 ダンッ!


 かなり手加減したので壁が遠くまで吹き飛ぶようなことはないが、それでも壁が外れてバタンと倒れる。

 すると視界が広がり外の様子が一目で分かるようになった。


「ほう」


 気配で察知していた通り、俺たちはすでに黒い騎士の集団に取り囲まれていた。

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