9.視点B
***
「やっぱりあの誘拐が効いたよね」
ジルーナは当時を振り返る。
「後から聞いたらさ、攫われた時ミオってさっさとヴァンに助けに来てもらうつもりだったらしいんだよ。でも私がイス持って大暴れしてるのを止めるために咄嗟にあっちの作戦を考えたんだって。それ聞いてやっぱり頼りになるな〜って────」
「あーもう……。若い頃のジルの話は危なっかしくて聞いてられんです……」
「ジルっ……! もう無茶したらダメだからねっ!」
シュリルワとヒューネットに苦言を呈される。ジルーナの「イスぶん投げ事件」は「スパイの家突入事件」や「マフィアのボスをボコボコ事件」と並んで後輩たちの間で語り草になっているらしい。正確には投げていないしボコボコにもしていない。
あとシュリルワが口にした「若い頃」というワードは決して容認できないので後で裏庭だ。今も若いんですけど。
「まあそんなこんなで仲は良かったんだよ。毎日しつこく抱きつかれるくらい。……あのデカい胸を押し当てられるとムキーってなるから逃げてたけどさ」
どうしてどうしてと縋る姿は多少面倒くさかったが、あの大人っぽい見た目のミオが子どもみたいに見えて可愛くもあった。シュリルワが来て以来興味が分散したのか多少解放され、嬉しくもあり寂しくもあったことを覚えている。
「でね、喧嘩のことなんだけど……」
悲劇はヴァンの食事を巡って起こった。家事を教わりにくるのに料理にだけは一切触れない彼女が少し気がかりで、「どんなの作ってるの?」と尋ねた時のこと。
「ミオね、『きのこたっぷりパスタ』っ答えたんだよ」
妻二人が絶句していた。その後キョロキョロしていたイリスに、シュリルワが
「アレルギーなんです」と教えてあげていた。
「それでジルがブチ切れたです?」
「ううん。……何も言わなかった」
そのせいで後にヴァンは倒れ、ミオが怒鳴り込みにやってきた。それが二人の、スナキア家の妻同士の、唯一の大喧嘩となる。
「ど、どうして教えてあげなかったのっ……?」
「……言おうかとも思ったんだけど、色々考えたらね」
脳裏を過ったのは夫のヴァンである。
「私が言う言わない以前に、ヴァンがミオにアレルギーのこと話してないってことでしょ?」
「で、ですね。そもそもあいつから説明しとくべきです」
「多分、ミオが初めてきのこを使った料理を出した時にヴァンは何も言い出せなくて、無理して食べたんだと思うの。それでもうミオの前ではきのこを食べれるって設定で行くことにしたんだろうなって」
「うわ〜っ、ヴァンやりそうだね……っ」
「でしょ? 実際そうだったみたい。だから私の口からバラしちゃうのはどうかなと思ってさ」
夫の姿勢を見抜き、それに寄り添った。もちろん彼が身体を壊してしまうのは心配だったが、
「あの人はきっと、ミオがすごく大事だったの。だからアレルギーのこと言えなかったんだよ。……その気持ちを邪魔しちゃいけないと思ったんだ。体を壊してでも通したい気持ちがあるなら、私もそれについて行く」
イリスが神妙な面持ちで問いかける。
「その『気持ち』って、夫が他の女に向けている『気持ち』でしょ? それを邪魔せず一緒に守ろうとしたの?」
ジルーナが頷くと、イリスは唸った。確かに普通の夫婦ならあり得ない判断だろう。実際、ジルーナもすごく苦しかったし辛かった。それでも全て受け入れる覚悟で彼のプロポーズを受けたのだから、今更曲げない。
「あとね、ミオにとっても自分で気づいた方がいいと思ったんだよ。『他の妻』に指摘されて気づくなんて、普通の夫婦ならあり得ないじゃんか。そういうのなるべく無くしてあげたいと思ったんだ」
一夫多妻という道を選んだのは自分だ。だから自分はともかく、ミオにはできるだけ普通の夫婦のような感覚で暮らして欲しかった。
きっときのこの件だって、二人が普通の夫婦だったら、いつか夫が隠しきれなくなるかミオが気づくかして、謝ったり励ましたり泣いたり笑ったりして、二人だけの思い出になったはずだ。後に笑って思い返せるような、そんな思い出に。
ジルーナはそのストーリーに介入しないようにした。彼女だってヴァンの妻であるにも関わらず、ヴァンのもう一つの夫婦生活のために「部外者」に徹したのだ。
「ジルの考え方はその……すごいと思うですけど……。ミオには伝わらんです。そんなの言われるまで想像つかんです」
「そうだったみたい。ミオからしたら私がいじわるで黙ってたように見えたんだって。そんなの絶対違うんだけど、ミオがすっごい剣幕で捲し立ててきてさ」
「あ、あー……そういやたまに『ミオは怒ると超怖い』っていじってるですね」
多分ミオの全力の怒りを受け止めたことがあるのはジルーナだけだろう。基本的にはいつもニコニコ微笑んでいる優しいお姉さんだ。まあ悪巧みをしてニヤついてるだけのことも多いけど。
「それでね、ミオが言うんだよ。『私のことは嫌いでもいいからヴァンさんのことは大事にして!』って。……私間違ってないつもりだったけど、それにはハッとしちゃって」
二人がどれだけ憎み合うことになっても、『ヴァンを大事にする』という点では一致していてほしいと涙ながらに訴えられた。別に彼女を嫌っていた訳ではなかったから的外れな言葉だったけれど、彼女だって尋常ならざる覚悟でスナキア家に来たのだと思い知らされた一言ではあった。
「こっちの事情も話してさ、分かってくれた感じではあったんだけど……。それでも、どんな事情があってもヴァンが苦しい思いをする選択をしたのは許せないって」
ミオは、ヴァンのために怒ってた。ミオはヴァンのことを何より大切にして、ジルーナはヴァンとミオの関係を大切にしていた。悪意なんてなかったのに、目標が違ったせいですれ違ってしまったのだ。
「な、何か難しいよっ! ジルはどうすれば良かったの……っ?」
「ハハ、そうだね。お互いね、自分は間違ってないって思ってた。でも思ってることをギャーギャー言い合ったらさ、相手の言うことも間違ってないなって二人とも思ったんだよ」
正解が複数存在してしまうことがある。妻が複数いるという特殊な環境だから尚更だ。その難しさを痛感した出来事だった。
「そ、それで結局どうなったです?」
「うーん、どうしようもないねって言うのが結論だっだよ。だから約束したの。どっちも謝らないって。それで、これからもそれぞれ自分が正しいって信じたことを貫こうって」
これはその後、スナキア家の「ヴァンとの向き合い方はそれぞれ」というルールの元になっているのだと、ジルーナは言いながら気がついた。お互いが良い距離感で暮らすための大切な決まりだ。……であれば、喧嘩した甲斐はあったのかもしれない。
────ふと、他の三人が静まりかえっているのに気がついた。
「な、なんか、オチのない話を延々してごめんね」
「い、いや、頭ん中が忙しいだけです。聞けて良かったです……」
「勉強になったよ……っ!」
後輩たちは庇ってくれたが、イリスは依然無言だった。せっかく愛しのママと会えたのに暗い話をしてしまった。
────まあ、でも。今のママには聞いてほしい話だったかも。
「……ママ? 私思うんだけどさ、喧嘩って勝ちと負けを決めるものじゃないんだよ。お互い納得する方法を見つけて、二人とも勝つ方法を探すことなんだと思う。だから……旦那さんと仲良くね?」
イリスはハッと口を両手で押さえる。何なら目に涙が浮かんでいた。
「肝に銘じるわ……! もう、これじゃどっちがママだか!」
本格的に泣き始めてしまったイリスを囲んで、他の三人は賑やかに笑っていた。結局どうして喧嘩したのかも聞いていないけれど、簡単に修復できちゃう小さなことなんだろうと思う。
シュリルワも似たようなことを考えていたらしく、イリスの喧嘩の件はさっさと脇に置き、話題をジルーナとミオの件に戻す。
「ジルとミオはその後すぐ元に戻れたです? シュリが来た時はもうイチャイチャしてたですけど……」
「いやー、直後はギクシャクしたよ。でももうそれどころじゃないねってことが起こって、気づいたら忘れてた」
「な、何かヤバい事件でもあったです?」
関係ないみたいな顔して尋ねるのが可笑しくて、思わず笑みが溢れる。
「ハハ、大事件かもね。……ヴァンがシュリと出会ったの」
「!」
しばらく考えた後、シュリルワがおずおずと口を開く。
「きょ、共通の敵が現れたってことです……? シュ、シュリは敵じゃないですけど……」
先ほど自分が旦那を指して放った「共通の敵」という言葉が自分に刺さっているようだった。
「どっちかって言うと『子はかすがい』の方かな、ハハ」
「こ、子どもでもないです!」
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