2.ママからのお誘い

 ***


 スナキア家一階、ダイニング。


「お、おっきいおにぎりねぇ……」


 ミオは困惑していた。朝から随分な量を食べることになりそうだ。朝食当番を務めた第六夫人・ヒューネットが事情を説明する。


「あ、それユウノが作ったやつだっ。食べきれそうっ?」

「ユウノちゃん基準なのねぇ。が、頑張らなきゃね」


 第八夫人・ユウノの食べっぷりは物理法則を無視しているかのようである。彼女の真似はできそうにないが、可能な限り食べさせていただこう。


「今日の当番はヒューちゃんとユウノちゃんの二人だったのぉ?」

「うんっ! 頑張ったよっ!」

「フフ、ありがとねぇ♡」


 ミオの正面に座っていた第三夫人・シュリルワが感慨深げに口を開いた。


「ヒューはすっかり頼りになるです。安心してお料理任せられるだけじゃなくて、ユウノへの指導まで……」

「えへへっ! まあねっ!」


 ヒューネットは自慢げに胸を叩いた。彼女もミオと同じく結婚前は家のことなんて何もできなかった子である。先輩たちから習い、今や主婦業が板についてきた。


「ていうかねっ、最近ユウノの成長が目覚ましいんだよっ! 追いつかれないように頑張らなきゃだよっ!」


 一時は「キッチンに入れるのは危険」と評されていたユウノも立派な戦力になりつつあるらしい。第一夫人・ジルーナも思うところがあったようで話に乗る。


「この前『家事の楽しさが分かってきた』って言ってたよ。できることが増えてすっごく嬉しいみたい」

「あらぁ、素敵ねぇ♡ でも当の本人はどこにいるのぉ?」

「一瞬で食べ終わって部屋に戻ったよっ!」

「あー……」


 そこは相変わらずである。顔と同じくらいのサイズのこのおにぎりも、彼女にとっては空気と同じだ。ぜひ「美味しかった」と伝えたいので、後で部屋にご挨拶に行こう。


 ────ふと、ダイニングに携帯の着信音が鳴り響く。


「ん、私だ」


 ジルーナがポケットから携帯を取り出して画面を確認する。そして見る見るうちに目が輝き始めた。


「あっ、ママだ!」


 歓喜の声を上げ、食事なんてそっちのけで携帯を操作し始めた。「ウキウキ」という文字が背後に書かれているかのようだ。


 彼女が「ママ」と呼ぶ人物はイリス・ネイダー・ハーミット。スナキア家を支援する団体のリーダー。ミオの元上司であり、育ての親。そして書面上は戦争孤児のジルーナを引き取った里親ということにもなっている。


「『今日ランチに行かない?』だって! ぜ、絶対行くから家のことお願いね!」


 ジルーナが興奮気味に全員に宣言すると、シュリルワが大慌てでジルーナの腕を掴んだ。


「シュリも行っていいです⁉︎」

「うん、『他のみんなもぜひ』だって」

「やったです〜! シュリはイリスが大好きです〜。イリスがいるとミオが大人しくなるです〜」

「な、何よぉ……!」


 二人とも大はしゃぎだった。イリスは数少ないスナキア家の味方であり、とても頼りになるお姉さんである。結婚初期はお出かけの際にイリスに護衛をしてもらう機会が多かったため、第四夫人のフラムあたりまでは特に彼女に懐いていた。


「ミオも来る?」


 ジルーナに問いかけられ、ミオはふいっと目を逸らす。この流れにイマイチ納得がいかないのだ。


「私はいい! どうして私より先にジルを誘うのよぉ……!」


 付き合いが長いのはこっちの方だ。最初に声をかけてもらわなきゃ拗ねるというもの。


「そうやって拗ねるところが可愛くないからです。ジルはイリスといると超可愛いですよ?」

「ムゥ〜……!」


 そうなのだとしたらより一層今日は遠慮しておこう。そういうとこが面倒臭いと思われたとしてもだ。普段なら気の回るジルーナがフォローしてくれそうなものなのだが、イリスと会える喜びで何もかも吹っ飛んでいるようだ。ミオを無視してこの場にいる面々に尋ねていく。


「誰か来れる? フラムは?」

「うーん、わたしは準備に時間かかっちゃうからぁ……」

「ヒューは?」

「行きたいけど……、お邪魔じゃないっ? ヒューはまだあんまりお話したことないのっ」

「あれ? そうだっけ?」


 浮かれ放題のジルーナに、ミオはそっと解説する。


「イリスさんがお子さん産んだのってヒューちゃんがこの家に来るちょっと前だったわよねぇ。あれからあんまり顔出せなくなってるしぃ……」

「あ、そっか。こっちからも誘いづらくなっちゃったもんね……」


 イリスは支援団体の活動を通じて知り合った男性と結ばれ、今や一児の母となっている。ただでさえ多忙を極める生活を送っていたのにさらに忙しくなり、なかなか会える機会がなくなってしまったのだ。


「せっかくだからヒューも来るです。色々お世話になってるからお礼しとくです」

「うんっ! そうするっ!」


 イリスとのランチ組はひとまずジルーナ、シュリルワ、ヒューネットの三人で決定した。「せっかくだから」というならミオも行くべきだと頭では分かっていたが、今回はもう拗ね通すことにした。どうせ支援団体の云々で顔を合わせる機会がある。


「えっと、エルはユウノと予定があるって言ってたから……、ティアにも聞いてみよっか」


 ジルーナが出した名前に、ミオが反応する。


「あ、なんかティアちゃん、ヴァンさんと喧嘩してるみたいよぉ」

「ハハ、こっちにも聞こえてたよ。ヴァンもさっさと食べていなくなっちゃったし」


 妻たちは特に重く受け止めることもなく、「どうぞどうぞ好きにおやりなさい」といった反応だった。八組も夫婦が暮らしていれば喧嘩を目にすることはそれなりの頻度である。いちいち気にしていたらキリがないことを皆知っているのだ。


 ────噂をすれば。当の本人がダイニングにやってきた。


「お、お騒がせしてすみません……」


 気恥ずかしげに髪をいじりながらキティアが呟く。廊下で大声を出せばここにも聞こえるという自覚はあったようだ。


「別に構わんです。誰も気にしてないです」

「うっ……! 本当ドライですよねこういう時。あたしもですけど……」


 いっそ清々しいほど心配していない面々を見て、キティアの声は小さくなる。


「ティア、今日ママとランチに行くんだけど来る?」


 ジルーナが喧嘩の件に一切触れずに問いかけると、キティアは無言で首を横に振った。楽しくお出かけできる気分ではなさそうだ。その反応を見てランチ組の三人は立ち上がり、食器を片付けて自室に向かおうとする。キティアはその光景を見つめながら唖然としていた。


「だ、誰も聞きませんね。『どうしたの?』って……」

「どうせ端から見たらちっちゃなことです。聞いても呆れるだけです」

「そ、その通りなんですけどね……」


 ちょっぴり拗ねながら自分の朝食を取ってきて着席したキティアに、ジルーナがようやくちょっとだけフォローを入れた。


「あの人がティアに何かしたら私も腹立つけどさ。まあ、そっちの夫婦の問題だからね。それで私がヴァンを突っつくとややこしくなっちゃうし、何も知らないでおくよ」

「あー……あたしも絶対そうしますわ……」

「でもあっちに聞きたそうな人がいるよ」


 ジルーナが指差した先には、第四夫人・フラムが座っていた。


「ティアちゃん、あのねぇ、わたし聞くくらいしかできないけど、聞かせてくれる……⁉︎」


 フラムは鬼気迫る表情でキティアに懇願する。心配性でお姉さんのフラムは他の妻たちと違って聞き役を務めることが多かった。特に後輩たちの喧嘩には敏感に反応する。


「フラムさん……好き……!」


 これにはキティアも感激し、今にも喧嘩の詳細を語り始めそうだった。お出かけ組はその気配を察知してそそくさと逃げていく。ミオもさっさと食事を終えてそれに続きたいところだ。しかし、いかんせんおにぎりが大きいのである。

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