11.彼女だけが
***
砂浜に敷かれたビニールシートの上に、バスケットに入った沢山のサンドイッチが並ぶ。八人の妻と一人の夫で囲み、いただきますとご挨拶。しかし、それ以降は妙な静寂に包まれていた。
妻たちは自分の振る舞いを悔いていた。夫へのお礼は結局決まらず、────というか決める決めない以前に、ただただ猥談で盛り上がっていただけである。せっかくの海や山もほとんど印象に残っていないのではあるまいか。罪悪感で顔を上げられない。だが浮かない顔をしているなんて夫にさらに失礼だ。最低限、様子がおかしいと悟られないようにしなければ。
一方夫も気まずかった。ユウノと過ごした分身と合流して記憶を得てから冷や汗をかきっぱなしだ。 え? 今するか? しかも外で? しかし動揺している姿を妻たちに見せるわけにはいかない。頭を切り替えねば。……などと考えつつも、「飯は外、えっちは家が良かった」というユウノの発言を引きずるあまりランチの場所をビーチと定めてしまった。「じゃあ何で休憩所作ったの?」と尋ねられたらどうしよう。
両者それぞれの事情で緊張感を漂わせる。故に続く無言。その変に重々しい空気を打ち破ったのは、キティアの底抜けに明るい声だった。
「あたしからいいですか⁉︎」
彼女は目を輝かせていた。「から」と言われても何のことやらさっぱりだった他の妻たちはキョトンとして見送るのみだった。そしてキティアに視線を向けられていたヴァンも、母親に悪事がバレたクソガキのようにオロオロしていた。
「ヴァンさん、今日はありがとね」
「え?」
「ヴァンさんのことだから『水着見たから全部OK』って思ってるでしょうけど、それじゃこっちの気が済まないので……、これどうぞ!」
キティアは少しはにかみながら、一冊のアルバムを手渡した。不思議そうに表紙を眺めているヴァンに、
「連れてきてくれたお礼に今日の思い出をアルバムにしてみました!」
キティアは得意げに胸を張る。
「「「⁉︎」」」
妻一同、声にならず。
────キティアは、裏でひっそりと準備を進めていた。
休憩所の窓を増やし、より高い建物にしてもらったのは写真撮影のため。キティアがヴァンから借りた新型カメラはズーム機能も充実しており、この休憩所からバッチリ綺麗に撮れた。買い物と称して国に戻ったのはアルバムや筆記用具の購入と写真の印刷のため。そして他のワガママは準備していることを悟られないようにするための目眩しだったのだ。
「す、すごいな……! いつの間に……!」
パラパラとページをめくるヴァン。キティアは彼の隣に寄り添って中身を共に眺めながら、愛おしそうな目で呟いた。
「フフ、あたしね、あたしたちの、みんなでお出かけしたのに『みんなで一緒のことしようー』ってならない感じすごい好きなんです。それぞれ勝手なことしてる感じがいつものあたしたちらしいなって。その感じがよく出てるでしょ?」
アルバムの中には海を泳ぐジルーナ&ヒューネット、パラソルの下で語り合うミオ&フラム、山の上で手を振るシュリルワ&エルリアの姿が収められていた。確かに楽しみ方はそれぞれに任せるというスナキア家のスタンスがよく現れていた。
「ユウノさんは撮れなかったからヴァンさんが撮ったやつを貼ってくださいね。後半はヴァンさん用に空けておきましたから」
ヴァンも狂ったように写真を撮った。その中でも選りすぐりのものを掲載するスペースが先んじて用意されていた。ヴァンはキティアのこともしつこく撮影していたため、それを合わせれば全員分の姿がこのアルバムに収まることになる。今日一日のスナキア家の思い出をギュッと凝縮した、最高の逸品だ。
「……あたしヴァンさんみたいに大掛かりなことはできないけど、その分手間とアイディアで頑張ろって思ったんです。どうでした?」
「ありがとな。……ああ、本当に嬉しいなこれ。大事にするよ」
「良かったです! また連れてきてくださいね!」
サプライズが大成功したこと、そしてヴァンに喜んでもらえたことが嬉しくて、キティアは手加減なく顔を綻ばせる。天真爛漫なその微笑みは、同じ女性である他の奥様方から見ても抱きしめたいくらい可愛らしかった。……しかし、「あ〜ティアちゃん可愛いわ〜」でこの場が済むはずがなかった。
────どうしよう⁉︎
デートをしていたユウノを除く六名の妻は顔面蒼白だった。なんと一番当てにならないと思っていたキティアが実は抜群の働きをしていたのである。思えば彼女は根が真面目で締めるところはきっちり締める立派な奥様である。そして頭も回る彼女が辿り着いたのは「手間とアイディアでカバーする」というアイディア。ぐうの音も出ないくらいベスト回答じゃないか。
さらに恐ろしいことに、キティアは何の悪意もなくこちらにも話を振る。
「他のグループも何かあるんですよね? 随分熱心に話し込んでましたし!」
「「「……!」」」
話し込んではいましたとも。議題は下ネタだったけども!
「あれ? みなさんどうしました?」
「…………」
「あ、もしかしてここじゃ出せないものですか⁉︎ そりゃそうですよね、帰ってから準備ですよね普通は。ごめんなさい、あたしだけ先走っちゃって」
「…………」
「……あれ? 違うな、この空気」
キティアは疑うような眼差しを他の妻たちに向けた。皆一斉に冷や汗をかき、露骨に目を泳がせていた。共に暮らしている家族なら、様子がおかしいことにはすぐ気がつく。
「ひょっとして何も考えてなかったんですか……?」
キティアは信じられないとばかりに口をあんぐりと開く。他の面々は小さく頷くしかできなかった。
「な、何してるんですか! あたしてっきりそれぞれのグループで動いてるもんだと思って……、そんでどこもあたしのこと誘ってくれないからこっちはこっちでやってやるって思って頑張ったのに……!」
「「「ごめんなさい……!」」」
これには平謝りするしかない。先輩も後輩も関係なく揃いも揃って縮こまった。他の妻たちがまともに動かなかったことは、単にヴァンへのお礼が用意できないだけではなく、キティアに「除け者にされた」と感じさせてしまうことにも繋がっていたらしい。
「じゃ、じゃああの真剣そうな会議は何だったんですか⁉︎ 何話してたんですか⁉︎ ビーチ組は⁉︎」
「し、下ネタ喋ってたのぉ……」
「はぁ⁉︎ 山組は⁉︎」
「下ネタです……」
「何考えてんですか! 海組は⁉︎」
「下ネタだよ……!」
「ジルさんまで⁉︎ ちょっと! いい加減にしてくださいよ!」
キティアはいよいよ本腰を入れてお説教モードに入る。頑張っていたのは自分だけだったばかりか、他の奴らは下品な話に花を咲かせていたのである。憤るのも当然だった。
「海に来て大胆な気分になってたのか知りませんが、わざわざここで話すようなことですか⁉︎」
仰る通りである。
「最悪お礼のことは置いておくとしても、連れてきてもらったなら精一杯楽しむ! それがこっち側の礼儀でしょうが!」
正論である。
「まったくもうっ! 皆さん自分のことをお姫様か何かだと思ってません?」
「「「「くっ……!」」」
普段なら「お前が言うな」と返してやりたいところだ。だが今日ばっかりは何も言い返せない。
「ま、まあまあティア、俺は別に……」
ガッツリ叱られている妻たちをヴァンがフォローする。ここでは到底口には出せないが、ヴァンもヴァンで海なんてそっちのけで外でするという暴挙に走った罪悪感を抱えていた。下ネタを喋っていたくらい可愛いものである。何ならどんな話だったのか教えて欲しいくらいだ。
「もう、ヴァンさんはたかだか水着を見れるからってだけでこんなに頑張ってくれたのに……」
「い、いや、それで本当に充分なんだけどな俺は。勝手に張り切っただけだし……」
「ハァ〜、えっちな旦那で良かったですねぇ」
キティアはイマイチ納得いかないようで眉を寄せながらため息を漏らし、爆弾を投下する。
「じゃあみなさんは身体で払ったらどうですか? エルさん、チャンスですよ」
「「「⁉︎」」」
「チャンスですわね……!」
途端に最高潮まで高まるエルリア。不甲斐なさを露呈して挽回を図りたい他の妻たち。この流れ、なし崩しが充分あり得る。実際もはやそうするしかないかと観念して目を瞑る者、水着の金具に手をかける者まで現れた。夫も夫でそんな光景を目の当たりにしてはどこまで理性を保てるか分からない。
そんな中彼らを我に帰らせたのは、ユウノの何故か切実な叫びだった。
「ただでさえヤバいのに、そ、外でする気かよ⁉︎」
(第12話・完)
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