6.変態の封印、解かれる

 ***


 木々のせせらぎ。鳥や虫の声。森を縫うように届く生温い潮風と、しんと冷えた木陰。


 山道には丸太で作った緩やかな階段が続き、時折沢と並走したり、小さな滝に突き当たったり、あるいは海を一望できる開けた場所に出たりと、自然と次の景色が楽しみになるようなハイキングコースとなっている。


 シュリルワとエルリアの足取りは軽やか。


「お、面白いです……!」

「ヴァン様良いお仕事ですわね……!」


 全て夫のお手製である。ルートの選定、木々の伐採、階段や手すりの設置。何なら道中で見かける植物の前にはご親切に名前や特徴が記載された看板まで立てられていた。実質人手は無限に近いといえどかなりのリサーチと重労働が必要だったはずである。


「あの方のことですから『きっと喜ぶぞぉ!』ってウッキウキで作ってくれたんでしょうね……」

「め、目に浮かぶようです。良い旦那です、本当に……」


 あのツンデレ気味なシュリルワからここまで素直な言葉が聞けて、エルリアはちょっとびっくりした。さすが夫だ。


「エルこっちに来て良かったですね。多分ここが一番力入ってるです」

「え、ええ。これは楽しまなければ損ですわね」


 ────エルリアが海ではなく山を選んだ理由は二つある。


 一つは美容のため。夫が日焼け対策でUVカットバリアを張ってくれてはいるが、海辺というのは他にも肌や髪に悪い要素が多いのだ。露骨に水着を期待していた彼には申し訳ない。でも、後々焼けていないキレイな身体を何にも着ず、見せるどころか<検閲されました>しに行くので勘弁していただきたい。


 本来、このシチュエーションはエルリアにとってチャンスだった。海に来た開放感でちょっぴり大胆な気分になった皆様の水着をあの手この手でひん剥いて<検閲されました>に持ち込むには持ってこいだ。だが、今日はそんな気になれなかった。────なんせ近頃エルリアは性的に満たされまくっているからだ。


 かねてから希望している妻全員参加の<検閲されました>が叶ったわけではない。一人、二人の参加者が見つかったという話でもない。エルリアの本懐は未だ宙ぶらりんのままだ。だが先日夫から提示された代替案「夫の方が増える」が非常に刺激的だった。


 エルリアは別に「大人数」が好きなわけではない。好きな男性がたくさんの女性を侍らせているのを見ると<検閲されました>が<検閲されました>になるだけだ。よって彼の申し出は結構的外れではあったのだが、これはこれで最高。夫をビクンビクンと痙攣させるために身につけてきた数々の技を次々に繰り出していくのは中々の爽快感が伴う。百人組手に挑戦する武道の求道者のような気持ちだ。


 と、いうわけで今日はがっつく必要がなかったのである。「命拾いしましたわね」と心の中でほくそ笑むのみだ。


 そして山を選んだもう一つの理由。それは、シュリルワと二人になりたかったから。


「……ところでシュリルワさん。そろそろ『お話』が溜まっているのでは?」

「!」


 エルリアが質問を放り込むと、シュリルワは驚いて尻尾をピンと立たせた。


「……そ、そりゃ、なくはないですけど……」

「じゃあお聞かせくださいな。わたくしいつも楽しみにしてるんですよ? ……この前のヴァン様とのデートはいかがでした?」


 エルリアがニコリと微笑みかけると、シュリルワは恥ずかしがって縮こまった。


 ────夫とのデート。スナキア家の妻の間では、お互いに詳細を明かさないことが暗黙の了解になっている。夫が別の女性とデートしている話なんて進んで聞かせることではないのだ。誰かが連れて行ってもらった場所が羨ましくて嫉妬してしまう場合もある。


 とはいえ「今更いっか」と思っているメンバーが多いのも事実。「歓迎されないかもしれないから自分のは言わないけど人のを聞くのはOK」くらいの姿勢が標準的。エルリアはそのご多分に漏れず、聞く側になるのは問題ない方。……というより、


わたくしには遠慮なさらずお話してくださいませ……! こ、興奮するので……!」


 夫が他の女性を侍らせてキュンキュンさせた話だ。聞けば聞くほど<検閲されました>になってしまう。何の遠慮もなく浴びせてほしい。


「あ、アンタを興奮させるのもそれはそれで怖いですけど……」

「安心してくださいませ。ほら、今日のわたくしを見てくださいな。大人しくできるようになったのですよ……!」


 シュリルワが「そういえば確かに」と言いたげに目を丸くしていた。


「で、でも……シュリはいっつもアンタの性癖には文句ばっか言ってるです……。こんな時だけ頼るのはなんかズルい気がするです……」

「構いません! 逆に<検閲されました>にお付き合いいただけないならせめてデートのお話くらいしてほしいくらいです!」

「ムゥ……」

「それに、シュリルワさん? ……本当はちょっと話したいんですよね?」

「う、うぅ……!」


 エルリアは知っている。女子というのは「彼にこんなことしてもらったの〜」的な話を誰かにしたくなるものである。自慢だったり惚気だったりになってしまうので遠慮はしつつも、お互い持ちつ持たれつで聞かせ合うものだ。


 だがスナキア家の妻たちはそれができない。どんなに仲が良い友人に対してもヴァン・スナキアと結婚したことは秘密。相手を伏せて喋ったところで「テレポートで海外に連れてってもらって〜」の時点でアウトである。となるとデートの話なんてほぼ丸々カットだ。


 みんな本当は話したい。中でもシュリルワは、案外押せば結構ホイホイ喋ってくれる方だ。多分、彼女は相手がヴァン・スナキアだからとか関係なく恥ずかしくて人に話せないタイプなので、その分溜め込みがちなのだと思う。


「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ聞いてほしいです……」


 シュリルワはついに観念した。


「この前はどちらに行かれたんですか?」

「……美術館です。国内でやってた展示を見落としちゃってたですけど、ヴァンが海外で同じのやってるって気づいてくれて……」

「フフ、お優しいですわね」

「えへへ……。昔にも同じことがあったですから、その時のこと思い出して余計に嬉しかったです。シュリは展示すっごいじっくり見たいんですけど、あいつもそれに合わせてくれて────」


 はにかみながら辿々しく語る彼女は可愛らしくて、思わず笑みが溢れてしまう。そして肝っ玉の強い彼女をここまで愛らしい姿へと変えてしまう夫には興奮を禁じ得ず────。


 ……あれ? やっぱりしたくなってきたなぁ、全員参加のド派手で淫乱な<検閲されました>。男性側が多いのも楽しいけど、それはそれ! これはこれ! 両方楽しめばいいじゃない!


 シュリルワはせっかくの封印をバールでこじ開けていることに気づかず、うっとりとした目で頬を染めていた。

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