3.恋心

 ***


「ユウノ! こっち向いてくれ!」


 ヴァン[ユウノ]は決死の形相で懇願する。そして少し先を歩くユウノが立ち止まり、やや渋い顔をこちらに向けた瞬間にシャッターを切った。


「と、撮り過ぎだろさっきから」

「撮りたいんだ! 諦めてくれ!」


 多少疎まれようがヴァンはもう開き直っている。妻の水着姿をじっくり観察するためにやって来たヴァンである。記憶に残すだけでは到底足りず、記録にも残さなくてはならない。わざわざ新しいカメラまで購入し、連写に次ぐ連写。正直あまりセンスはない自覚があるので、質より量で攻める姿勢だ。


「あ、アタシ恥ずかしいんだけど……。こんな格好なのに」

「はっきり言うが、そんな格好だから俺はこんなに張り切ってるんだ!」

「お前もちょっとは恥ずかしがれよ……その姿勢を……」


 何と言われても構うものか。ユウノは動きやすさを優先してか布面積の少ない三角ビキニタイプを選択。引き締まったスレンダーな身体が眩しすぎる。長いストレートヘアーがサラサラと風で乱され背中を直に撫でる。そしてワイルドな彼女をより引き立たせる雄大な大自然が背景。こんなの永久保存版に決まっている。


「ユウノ! 髪をこう、手で払ってくれるか?」

「え? こ、こうか……?」

「う、うおーーー!!」


 ヴァンは咆哮し、シャッター連打する。ここは他の妻たちがいる場所とは島の反対側。小さな島ではあるが、どれだけ叫ぼうが届かない程度の距離は離れている。


「も、もう……! 何がそんなに嬉しいんだよ!」


 顔を真っ赤にして抗議するユウノでもう一枚頂いた。島にいる数人のヴァンの中でも、このヴァン[ユウノ]は一際テンションが高い。単に妻がセクシーな格好をしているからというだけではなく、


「……ユウノ。二人で遊びたいって言ってくれてありがとな」


 妻の中で唯一デートを選んでくれたのが彼女である。他の妻たちは皆妻同士で遊ぶことを優先したので、一抹の寂しさを覚えていたところだ。


 もちろん他の妻たちともラブラブではあるのだが、結婚生活が長くなり良い意味で安定した関係になっている。対するユウノとはまだ新婚。出会ってから数えても数ヶ月しか経っていない。まだまだ恥ずかしいくらいベタベタしていたい時期だ。


 それに、彼女とはまだ二人で出かけた回数が少ない。ヴァンは休日を利用して一人一人とデートしているが、彼女の場合この家に嫁いだ時点ですでに妻が大勢おり、八回に一回しか順番が回ってこないという不遇を味わわせてしまっている。もちろん平日に仕事と並行して分身がデートする形でカバーしまくっているとはいえ、もっと特別な機会を作ってあげたいと思っていたところだ。


「あ、あのさ……、それなんだけど……」

「ん?」


 ユウノは少し緊張気味に、改まって告げる。


「その……アタシ、どうしてもお前に言いたいことがあってさ……。それで今日は二人がいいって……」

「ど、どうしたんだ?」


 ヴァンはやや警戒しながら問いかけた。────不穏だ。ユウノがどこか浮かない顔をしている。ポジティブな話題を出そうとしている表情にはとても見えない。


「こ、ここ座ってくれよ。す、すっごく大事な話なんだ」


 ユウノは砂浜に小さく体育座りして、隣をポンポンと叩いた。ヴァンは誘われるままそこに座る。


「あのさ、アタシたち、スッゲェ勢いで結婚したじゃん?」

「あ、ああ」


 ユウノとは諸事情あってあっという間に入籍する運びとなった。相手のことをしっかり知ったのは結婚してからと言えるくらいだ。


「アタシ勘いいからさ。お前のことよく知らなくても、絶対お前だって思ったんだ。正直恋愛とか結婚とかあんま分かってなかったけど、お前と一緒にいるとスッゲー楽しいし、お前なら間違いないって。けどさ……」


 ────けど、って何だ? 妙に深刻な空気。雲行き怪しくないかこの話? ……ちょっと待ってくれ、これまさか、別れ話か? 結婚してみたらやっぱり違ったってことか?


「ユ、ユウノ! 俺何か至らなかったか⁉︎ あ、いや、そうだよな、さっきの俺相当気持ち悪かったよな⁉︎ な、治す! 変態を治すから!」

「……へ? 何言ってんだ? お前の変態が治るわけねぇだろ?」

「……っ! み、見限らないでくれっ!」

「んん?」


 ユウノは訝しげな表情を見せ、次の瞬間ハッと気がついたように大慌てでヴァンの腕を掴んだ。


「ち、ち、違うぞ! 早とちりすんなって! アタシはお前と一緒がいい! ずっと!」

「そ、そうか……! 良かった……!」


 ヴァンはホッと胸を撫で下ろす。良かった、危うくショック死するところだった。ついでに一国が滅びるところだった。……しかし別れ話ではないのなら、彼女は何を?


「あのな、だから、私恋愛感情とか分かんなかったんだけど、……最近分かってきた気がするんだ」

「……!」

「最初は自覚してなかっただけなのかもしんないけどさ、なんか最近お前のことすっごく好きだって思うんだ! つーかどんどん好きになってってる気がする……! もうどうしていいかわかんないくらい……っ!」

「……っっ!!」


 ヴァンの言語中枢は壊れた。


「今日だってさ、アタシだけ抜け駆けみたいになるかなって思ったけど……、我慢できなくて、二人で居たくて……。ヴァンからしたら今更なのかもしんないけどさ、アタシお前のことスッゲー好きだぜ……!」


 ユウノはヴァンの二の腕にしがみついてギュッと抱きしめる。溢れる気持ちの表現方法がこれしかないとばかりに、強く強く。


 彼女は野生的な勘の鋭さゆえに、自分がいずれ抱くことになる恋心を予感してヴァンと結婚した。そしてその予想が今現実となり、恋心に目覚めたのだ。普段の男勝りで豪快な姿は消え失せ、しおらしくしゅんと萎んで上目遣いを向ける。腕に吹きかかる息だけが熱い。


「ユウノ……!」


 ヴァンは彼女を力一杯抱きしめる。水着を着た者同士。肌が直に触れ合い、体温と鼓動が伝わる。……ダメだ、もう止まれない。ヴァンはユウノを押し倒し、上から覆い被さった。


「……そ、外だぞ? 変態」


 周囲に誰もいやしないとはいえ、ここは野外である。彼女の謗りは当然だ。結局ヴァンは変態を改善するどころかより深みにハマった。


「けど、アタシも同罪だ……」


 突如夕陽が照らしたのかと思うほど朱に染まる頬。あまりの恥ずかしさでうっすら涙が滲んだ瞳。決して離すまいとヴァンの腰のあたりで結ばれた彼女の両手の感触。……それらを以ってヴァンの理性は波の中へと消え去った。

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