31.二人の妻

「こ、こ、ここがスナキア家本宅……!」


 初めて訪れたヴァンの自宅玄関の前で、ミオは膝を震わせていた。隣に立っているヴァンは笑い、反対の隣にいたイリスは怒っていた。


「こらミオ! しゃんとしなさいよ、みっともない!」

「だ、だってぇ……」


 イリスはミオの肩をバッシバシ叩いた後に表情をころっと謝罪モードに切り替えてヴァンに向ける。


「も、申し訳ありませんヴァン様……。この子普段は冷静なくせに一度パニックになると行き着くとこまで行くんです……」

「ハハ、見覚えありますね」

「ヴァ、ヴァンさん! 給仕のことはもう忘れてって言ったでしょう⁉︎」


 ミオが慌てて抗議する。ヴァンは相変わらず笑ったままだし、イリスはスッと身を引いて「どうぞ仲良く」とばかりに目を瞑った。


 何度かデートを繰り返し、すっかり砕けた仲になったとミオは思う。それが嬉しくて時々ニヤけてしまうけれど、そんな時は決まって彼も同じ顔をしているから、嬉しくてもっとニヤけてしまう。


 入籍を間近に控え、今日はいよいよ大イベントを開催する。第一夫人へのご挨拶である。


「ヴァ、ヴァンさん。ジルーナさんご迷惑じゃなかったかしらぁ……?」

「平気だよ。ジルも君に会いたがってる」

「ほ、本当……?」


 彼女と会うのは同じくヴァンを想う者として差を見せつけられたあの日以来だ。そりゃあ膝も笑うというものだ。あの彼女にどれだけ認められることができたのか、その審判を受けるような気分だ。


「イリスさんにも是非と。あの……、例のイリスさんを脅迫してしまった件で彼女も謝りたいと……」

「フフ、気にしてませんわ。私からも支援団体の活動についてご案内しますね」


 イリスは対照的に平然としていた。大人の余裕というやつなんだろうか。……何だかいつもより機嫌が良さそうな気もする。


 ヴァンが先導し、玄関のドアを開けた。


「あ、いらっしゃいませ!」


 すぐさま飛び込んできたのはジルーナの暖かいお迎えの声と、人を安心させるような柔和な笑顔だった。改めて見るとなんて素敵な女の子なのだろう。彼女と並ぶとなると身震いするほどだ。というか、一応夫が他の女を堂々と連れ込んでいるという状況なんですが、どうしてそんなに快く歓迎できるんですか。


「ウチにお客さんが来るなんて嬉しいね!」

「ハハ、そうだな」


 緊張しきっているミオをよそに、ジルーナは心の底から喜んでいるようだった。さらに────、


「あ、でもウィンザーさんはもうお客さんじゃないですからね? 同じスナキア家の奥さんですから」

「……!」


 全身から力が抜けた。彼女は、────自分を認めてくれた。

 気づけばミオの目からは涙が流れていた。立っていられる気もしなかったので、慌ててイリスの肩にもたれかかった。


「うぅ……あぁん……」

「ちょ、ちょっとミオ! 何泣いてんのよアンタ!」


 イリスから叱責を受けたって涙は止まらない。ミオが必死で支援団体を作ったのはヴァンに愛されるためだけではない。ジルーナに、ヴァンの隣に立つ資格があると認められるためだ。それが今叶った。


「ど、どうしたんですかウィンザーさん⁉︎ あ、そっか、『同じスナキア家の奥さん』って変ですもんね! 普通奥さんは一人なのに、ウチは普通じゃないって思い出させちゃいましたかね……?」


 大慌てするジルーナを見て、このまま泣いちゃおれんとミオは自分を律す。


「ち、違うんですぅ……! 私、嬉しくて……!」

「う、嬉しい? 他にも奥さんがいるって聞いて……?」

「そうじゃなくてぇ……、ジルーナさんに受け入れてもらえたことが……」


 ジルーナはしばらく困ったように目を泳がせた後、言い聞かせるような優しい声音で告げた。


「あの、ウィンザーさん? 受け入れるなんて、当然というか、そんな上から言うつもりはないですよ。……私ウィンザーさんが頑張ってくれなかったらきっともうヴァンに捨てられちゃってたと思うんです。あなたが居てくれてよかった」

「ジルーナさん……」


 聞き捨てならないとばかりにヴァンが割って入る。


「人聞き悪いぞジル……! 誰が捨てるか! 俺が捨てられそうになったんだろ!」

「私から言う気なかったもん。ってなると絶対ヴァンが折れるじゃんか。いつもみたいに」

「こればっかりは絶対折れん……!」


 しんみりとした空気が急に賑やかになった。それすらジルーナが意図的に導いた流れのような気がして、さらに頭が下がる思いだ。ミオは気を取り直し、はっきりとした口調で告げた。


「私こそジルーナさんが後押ししてくださらなかったら、その、捨てられるどころか拾ってももらえなくて……」

「……じゃあ、お互い様ってことですかね?」


 不思議な関係だ。お互い相手が居なかったら今の立場はなかった。おかげで複数の妻がいるという難解な状況をすんなり受け止められそうだ。隣でヴァンがぶつぶつと「ミオも若干人聞き悪いぞ」と言っているのが聞こえたが、ちょっと無視させていただいた。


「な、何だか私はお邪魔かしらね……」


 イリスが狼狽していることに他の三人が同時に気付き、慌ててジルーナがダイニングに案内する。テーブルを前にして「妻が二人いる場合の席順は?」という一夫多妻ならではの疑問に直面し、ミオは思わずジルーナに顔を向けた。


「「!」」


 どうやら彼女も同じことを考えていたようで、目が合った。自然と二人揃って笑みをこぼした。


「フフ、今日は私まだご挨拶に来た立場ですからぁ、ジルーナさんがお隣に。こっちはイリスさんもいますから二対二って形でいかがです?」

「そうですね。今回はそうしましょうか」


 ヴァンとジルーナが横に並び、向かい合うようにミオとイリスが着席した。何だか改まって言うのは恥ずかしかったが、大切なご挨拶だからとミオは背筋を伸ばし、そっと口を開く。


「あの、改めまして、私もヴァンさんと結婚させていただくことになりました。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 言い合って互いの目を合わせ、そのまま二人とも固まってしまった。今更言葉にすることなんてないような気がしたのだ。ヴァンを支える仲間であり、共に戦う者。その認識があれば充分だった。


 イリスもミオの育て親として頭を下げていた。


「なかなか厄介な子でして、一度懐に入ったと思ったらめちゃくちゃなこと言い出すと思うんですが……、ぶつのは時々にしてあげてくださいね」

「よ、余計なこと言わないでくださいよぉ……」


 確かにイリスには生意気な口を叩いたりもするが、ジルーナやヴァンにそんなことするはずないじゃないか。


「あ、ウィンザーさん。後でこの家を案内しますね。ウィンザーさんのお部屋も綺麗にしておきましたから」

「……え? 私もここに住んでいいんですか?」

「え? 違うんですか? ちょっと、ヴァン? そんな大事なことも決めてないの?」

「いや、俺もてっきりそうだと思ってたんだが……。せっかく用意してもらう秘密通路や病院のことを考えたらここ以外ないと……」

「……!」


 ミオはあくまでジルーナが正妻で自分は二番目だと思っていた。この本宅はジルーナにこそ相応しい場所で、自分がここにいれば邪魔者になってしまうと。彼も彼女も、後から割って入ってきたような自分を対等に扱ってくれるつもりなのだ。


 また泣きそうだ、と思ったところで、


「ミオ、しゃんとしなさいってば」


 イリスから指導が入る。しかし今度は肩を叩くのではなく背中を撫でてくれた。そして、


「私の話をさせていただいてよろしいでしょうか? 実は、諜報員としてジルーナさんの情報管理体制に少々の不安が……」


 イリスとミオ、二人の最後の作戦に移る。

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