27.私のたっての希望

 ミオは気まずそうに、顔の横に流れる髪を指でいじった。


「……これを言うと、怪しく思われるかもしれませんが」


 ミオは前置きして、やがて意を決する。


「私は諜報部の者です」

「え……?」


 裏のない人物だと確信した矢先に。しかも彼女はビースティアである。


「フフ、ファクターだけではなく、幅広い役者が必要なんですよ。あ、正確には『元』ですけどね。この団体は政府の意向と真逆ですから、辞めちゃいました♡」

「え、えぇっと……」


 彼女の回答はヴァンをかえって混乱させた。ミオが諜報員であったことも驚きだが、『諜報員だから』ではこの団体の設立にまで持ち込めた理由の説明にならない。政府を裏切って行動した理由も不明だ。


「私がこんなことをした動機は長くなるので一旦置いておくとして、どうやったかの話をしますね。と言っても、大したことじゃないんです。企業が潜在的にヴァンさんの味方であることや、国内の雰囲気からヴァンさんが指針を変えてしまうのではないかと彼らが心配していることは明白でした。だから巻き込むのは簡単だったんです」

「い、いえ、明白でも簡単でもなさそうですが……」

「フフ、一応政府の人間ですから国内情勢には詳しいですしぃ、さりげなくターゲットに接触して動きをコントロールするのもお手の物ですよ」


 彼女は嬉しそうに頬を緩ませる。「お姉さん結構すごいでしょ♡」という声が聞こえてくるようだった。


「キーマンになりそうな方と接触して、気軽にお話できる関係に持ち込みました。案の定ヴァンさんに否定的な国内情勢を憂いていましたし、せっかく大儲けしているのに法人税をごっそり取られることにもご不満の様子だったので、『ヴァン様にあげちゃえばいいのに♡』って呑気に言ってみたら目を丸くされて」


 スパイとはそんな風に状況を操作するのかと、ヴァンはただただ感心していた。ターゲットはまさか自分が動かされているとはまるで思わないだろう。


「それで大金を出してヴァンさんを雇うってアイディアを引き出したんです。そこからはもう自然に話が転がっていきました。経営者の方々って横の繋がりが強いものですから、あれよあれよと仲間が集まってぇ、それだけ知恵も集まってぇ……、お金の件に関しては正直言って私の発案じゃない部分の方が多いんですよ。私が主導した部分はジルーナさんの保護案の方です。」


 ミオは気恥ずかしそうに襟足を撫でた。いや、充分凄い。有能すぎる。給仕でアタフタしていた人だとは思えない。


「ヴァンさんが一番喜ぶのは奥様を喜ばせることだというのが私たちの共通認識でしたので、私のアイディアは全部叶えてもらいました♡ ま、まあ、そのまま団体内で発起人として祭り上げられて団体の臨時代表にされたのは誤算だったんですけどぉ……」


 挙句団体の名前にまでされてしまったというわけか。まあ実績を考えれば然るべき措置だろう。


「ちなみに、ハーミットさんも?」

「ええ。彼女も諜報員です。沢山助けてもらいました」


 そう言われるとあの日思いっきり脅迫してしまったことがとてつもなく申し訳なかった。後で謝罪の電話を入れておこう。


「……それで、えっと、どうして私がこんなことをしたのかって話を最後にさせていただきます。……はー、ちょっと待ってください」


 彼女はパタパタと手のひらで仰いで熱くなったらしい顔を冷ました。そして自分を勇気づけるように小さく頷く。


「私が……、ヴァンさんのことが好きだから。……その一点につきます」

「!」


 ヴァンは再び、彼女からの告白を受けていた。────今度こそと、ヴァンは思った。これほどヴァンの味方でいてくれている人は、ジルーナ以外では初めてだ。そしてミオはヴァンだけではなくジルーナも大切にしようとしてくれていた。それが何より嬉しかった。


「実は実際にお会いするずっと前から大好きだったんです。言いづらいんですけど、こんなものも持ってましてぇ……」

「こ、これは……!」


 ミオは頬を染めながら、胸ポケットからヴァンのプロマイドを取り出した。そんな物見せられたらこちらも恥ずかしくなる。このグッズが発売されたのはもう何年も前のこと。販売期間も短かった。この人、ガチだ。ヴァンと接触する前から、何ならジルーナと結婚するはるか前からのファンである。


「私はその……子どもの頃から諜報部に所属していたんです。ある作戦でビースティアの子役が必要になったとかで、その後もターゲットを油断させるのに有効だからと便利に使われてまして……」

「そ、そんなことあるんですね。知りませんでした、相変わらずメチャクチャな国だ」


 諜報員は危険な仕事だ。確かにファクターではなく大人でもないのなら油断は誘えるだろうが、子どもにやらせるなんて人道的ではない────と、考えながら気がついた。


「……俺と同じですね」

「そうなんです! も、もちろん規模は全然違いますけどぉ、私も子どもの頃から国のために働かされてまして……。それで勝手にヴァンさんを、な、仲間みたいに思っていたんです」


 彼女は恐縮そうに肩をすぼめた。自分以外にもいたんだなと、ヴァンは不思議な安心感を得た。


「ただただ国の命令に従っていた私が目を覚ましたのは、ヴァンさんの卒業スピーチを聞いた時でした。世界との敵対をやめて、自立した国になろうと……。あれから私この国の軍国主義が嫌になってしまって……、自分が加担してしまっていることも気持ち悪くて仕方なくて……」

「……」


 響いていた人がいたという事実が震えるほど嬉しかった。彼女は、選挙で簡単に意見を変えた国民たちとは違う。


「直属の上司であるイリスさんに相談してみたんです。もう政府にはついていけないと……。そしたら、彼女も同じ意見でした。諜報部は政府の組織ではありますが、その分この国の汚い部分を間近で見ています。国を維持するために血生臭い仕事をさせられることもありますから、ヴァンさんが訴えた平和な国家像はすごく沁みました」

「なるほど……」


 この国のために働けばこの国が嫌いになる。伝わる範囲は狭いが、首をブンブン縦に振りたくなるようなあるあるだ。


「ご結婚以降にヴァンさんがやっていることの意図は私たちには計りかねますが、考えなしにやっているわけではないと信じていました。だからわからないままでも何かお手伝いできる方法はないか検討しました。それで、二人で作戦を立てたんです。その……私がヴァンさんのお嫁さんになる計画を」

「……ん?」


 急に話が飛んだ気がする。ヴァンの疑問が伝わったようで、ミオは慌てて二の句を継いだ。


「え、えっとぉ、もっと順を追って説明しますね。まずイリスさんが諜報部の偉い人たちに、ヴァンさんと私をくっつけてヴァンさんの秘密を探るという作戦を提案しました。もちろん大歓迎されました。成功すれば政府はヴァン様の怒りを買わずに平和裏に真意を掴めますからぁ」


 諜報部らしい作戦だ。まんまとヴァンは揺れていた。


「でも私たちの真の目的は、ヴァンさん側について二重スパイになることだったんです」

「二重スパイ……?」

「政府がヴァンさんに何かしようと思ったら必ず諜報部の力を使います。だから私たちはヴァンさん側の味方として、諜報部の不穏な動きを察知したらすぐにヴァンさんにお伝えする役を目指したんです」


 ミオは顔を伏せ、照れ臭そうに指をこねた。


「お嫁さんである必要はなかったんですけどぉ、それは私のたっての希望です……」

「……!」


 ああ、ダメだ。頭に浮かんでしまう「可愛い」という言葉をかき消せなくなってきた。


「も、もちろん考えもあったんですよ? 単に『諜報部の者なんで二重スパイにならせてください』って言ってもきっとヴァンさんに信用されないと思ったので、個人的に深い関係になって、スパイであることは隠しながらさりげなくサポートできないかと……」

「なるほど、確かに……」


 彼女の言う通り、ヴァンはきっと警戒するだけだっただろう。実際彼女が諜報員の手先かもしれないからという憶測だけで遠ざけてしまった。


「でも私は恋愛に疎くて、イリスさんにプランを考えてもらったんですけどぉ……、あの、初手で派手に躓いてしまって……」

「ハハ、コーヒーの件ですか」

「あの時は本当にごめんなさい……。自分でも信じられないほどあがってしまってぇ……」

「いいんですよ、本当に」


 これだけ有能な人が、自分と話すのに緊張し過ぎてあれほどジタバタしてしまったと考えると微笑ましくなる。順序は逆だが、その強烈なギャップは何とも愛らしかった。


「で、でも、あれで私嫌われてしまったと思ったので、その後無理矢理にでも会える機会を作るためにあんなに強引な作戦に……」

「ストーカーの件も気にしてませんよ。流れが分かって色々と腑に落ちました」


 毎日そばにいるための策略だったわけか。思えば唐突にミオが尻尾を出す服を着始めたのもヴァンへのアピールだったのだ。


「ですが、その、私の告白は断られてしまったので、二重スパイ計画はその時点で失敗してしまいました。でも、ジルーナさんとお話する機会を得て状況が変わったんです」

「ジルとの話が……? 何を話したんですか?」

「……ジルーナさんが明かしていないなら私が話すのはフェアじゃないですよ。でも少しだけ触れるなら……、ヴァンさんには味方が必要だと訴えていましたよ。おかげで私はこの団体を思いついたんです。二重スパイなんかよりよっぽどお役に立てるでしょう?」


 ジルーナとの対面がきっかけ。一体何を話せばこんな展開になるのか想像がつかない。おそらくだがジルーナ自身もここまで大事になるとは思っていなかっただろう。ミオが想像を超えて尽力してくれたのだ。


「……ここまでの話をどこまで信じていただけるか分かりません。中々信用を得られないのが諜報員ですから。でも、私────」

「信じますよ。……信じさせてください」


 ゴリゴリに国をぶっ潰す計画を用意されれば疑いなんて晴れるに決まっている。彼女は「刺客ではない」ことを示すという悪魔の証明を、圧倒的に「味方である」と示すことで成し遂げたのだ。


 ヴァンに課せられた四つの課題の内未解決なのは、「ジルーナに報告し、許可を得る」だけになった。


「……ウィンザーさん。支援団体の件、一度妻に伝えに戻ってもいいですか? きっとすごく喜ぶと思います」

「ええ、ぜひ!」

「俺はその後またここに戻ってきます。……少し待っていてもらえますか?」


 ミオはハッと目を見開く。次第にその瞳が潤んでいった。朱に染まる顔を両手で覆い、声もなく小さく頷いた。

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