16.ありったけの気持ち

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 護衛開始から一ヶ月が経過。ミオは、もはやこの関係を終わらせなければならないと感じていた。


 ある程度ヴァンと親しくなってきた実感はある。ベランダで少しの間お話をさせてもらえる機会を作れたし、彼は自分の前で「俺」という一人称を使うようになった。あと、たまにミオの尻尾を見ている気もする。


 だが、それ以上の進展はない。さりげなく家の中に招き入れようとしても固辞される。ガードが硬い。もしくは、……ミオに興味がない。それを認めるのは怖かったが、受け入れて次の一手に進まなければ彼を苦しめるばかりだ。存在しない犯人を追うために一体どれ程の負担をかけてしまったのか。


「ヴァンさ〜ん。おはようございます」


 出勤時。いつものようにヴァンに手を振ってご挨拶。そして普段とは違い、ミオはちょいちょいと手を動かしてヴァンを近くに呼んだ。


「どうしました?」


 ヴァンがテレポートでスッと隣に現れて、透明化を解除する。


「あのぉ……流石にもうここまでしていただくのは申し訳なくて……」

「いえ、俺は全然構いませんよ」

「そうは言っても……。多分、犯人はヴァンさんが怖くて諦めたと思うんです。もうきっと、大丈夫ですよ」

「それは……」


 彼を解放してあげなくては。ただ、それではもう会う機会がなくなってしまう。最後にもう一つだけわがままを言わせてもらう。


「もう一週間だけ見守ってもらえませんか? できれば、姿を隠さず隣にいて欲しいんです。ヴァンさんが守ってくれてるんだぞってところを犯人に念押しできたらと……」


 出退勤、またはプライベートの外出時に、常にそばに居てもらう。アピールの機会は激増するだろう。その一週間で最後の勝負を仕掛けるしかない。


「しかし俺がいなくなったらまた犯人が何かしてくるかもしれませんよ?」

「何かあったらまた頼らせてもらいますからぁ」

「それが、実は今ヴァン・ネットワークを休止しているんです。再開するかどうかも不透明で……」

「え?」


 今はやっていない? そんな中でもミオの警護だけは続けてくれていたのか。それってどういう意味なんだろう……。疑問と期待であれこれと頭を悩ませていると、ヴァンは真剣な表情で優しく告げた。


「ウィンザーさん。俺は犯人を捕まえるまでこの事件は終わらないと思っています」

「で、でもぉ……」

「ただ、現状ウィンザーさんにもご負担をかけていますからね。ずっと俺に見られているのは窮屈でしょうし。これじゃどっちがストーカーだか」

「そ、それは全然! おかげですっごく安心してましたよ?」

「そう言っていただけるなら何よりですが……。そうですね、やり方を変えてみましょうか」


 ヴァンは良いことを思いついたとばかりに、まるで日常会話を繰り広げるような軽さで、とんでもない提案をする。


「しらみ潰しで調べましょう。国民全員を」

「……へ?」

「ウィルクトリアの国民は約六百万人。まあ全員を見る必要はないでしょうかね。半分を男性として、そこから年齢や住んでいる地域で絞っていけば、対象者は五十万人程度にはなるはずです。ヴァン・ネットワークに使っていた魔力が余っているので、分身で分担すればすぐに────」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 何てことだ。……ミオは「犯人はいない」と証明するなんて不可能だと思っていた。だって悪魔の証明だ。白いカラスはいないと証明するためにはこの世のカラス全ての色を調べなければならない。だが彼は、全ての人間を調査するという無茶を実現してしまう。


「し、調べるってどうやって……?」

「できれば当日のアリバイを押さえたいですが、一ヶ月経っているので全員は無理でしょうね。まあ透明になって監視したり家に侵入したりすれば否定材料を見つけていけると思うので、少しずつ候補者を絞っていけると思います」

「それって犯罪なんじゃないですか……?」

「俺は何をやっても捕まりませんから。国家反逆罪にも問われませんでしたし」


 そうは言ってもである。あまりに滅茶苦茶だ。いもしない犯人からミオを守るために、とてつもない負担ばかりか無数の罪を犯させてしまう。


 ────これはもう、潮時だ。


「ヴァンさん……、あのねぇ……」


 素直に彼の提案を受け入れれば、まだしばらく彼と一緒に居られるだろう。国の指令で彼に接近している諜報部員としては願ったり叶ったりである。


 それでも、もう白状しなければ。それで嫌われるとしても。一人の女性として、大好きな男性に、これ以上迷惑をかけたくない。そしてこれが彼と話せる最後の機会になるのなら……。伝えなければならない言葉がある。


「ほ、本当にごめんなさい……。わ、私……」


 自然と目に涙がたまる。何をやってるんだ。泣きたいのはあっちの方だ。


「ど、どうしました?」

「私、嘘をついていたんです。ごめんなさい……! ぜ、全部、嘘なんです……! ストーカーなんて始めからいなかったんです!」


 恐る恐るヴァンの顔を覗く。彼は一瞬キョトンとした表情を見せたが、その後あろうことか微笑んだ。


「そうでしたか。……実は何となく、そうなんじゃないかと思っていました」

「え……?」

「自信過剰かもしれませんが、最初に呼ばれた時に捕まえられなかったのが不自然だったので。万が一俺が取り逃がしたのだとしたらしっかり守らなければと思ってましたが、……ウィンザーさんが危険な目に遭っていないというならそれで何よりです」


 ヴァンの暖かい目を見て、ミオは彼の言葉が嘘ではないと確信した。この人は、本気でそう思っているのだ。


「ヴァンさん……。や、優しすぎますよぉ……。これだけ迷惑かけたのに、普通なら思いっきり怒るとこです……」

「怒りませんよ。ただ、こんなことをした理由は気になります」

「……!」


 言わなくては。はた迷惑な行動で振り回しておいてどの口がと思われるだろうけど、せめてありったけを。


「……どうしてもヴァンさんに会いたかったんです。お話がしたくて、一緒に居たくて……。ヴァンさんのことが、…………大好きだから」


 望みなんてないのは理解している。諜報部員として間違っていることも。


「私をヴァンさんのお嫁さんにしてください」


 最後はちゃんとオドオドせずに言えた。泣いているとはいえ、目を見てしっかりと。


 ヴァンは驚いたように目を見開いて、しばらく言葉に詰まった。困っているようで、寂しそうで、悲しそうでもあった。その表情からミオは何も読み取れなかった。


「……俺には大切な妻がいます」


 小さく、それでいて芯のある声で、キッパリと告げた。


「では……お元気で」


 ヴァンは風のように消えていった。一人残されたミオは立ち尽くし、大粒の涙をポロポロと流した。ミオの想いは叶わなかった。分かっていたのに、苦しくて苦しくてたまらなかった。 


 かくしてミオが政府に与えられた任務は、────失敗に終わった。

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