6.ミスだらけの初対面

 ***


 ウィルクトリア国、迎賓館。


 意見交換会とやらがここで行われるのはなかなかに意味深い。本来迎賓館は海外の要人を接遇するための施設である。今やヴァンはウィルクトリアにとって身内ではないというメッセージと取れるし、それでいて気分を害するわけにはいかない絶妙な立ち位置になっていることも示している。


 出席する意義を見出せない会議ではあったが、本来生真面目であるヴァンは開始の十五分前にはきっちり到着し着席していた。さっさと始めてさっさと終わりたいという密かな願望も込められている。だが政府側の出席者はまだ姿を見せておらず、周囲の記者席にもまだ人の姿はまばらだった。


 手持ち無沙汰で待っていると、係員の女性が声をかけてきた。


「あ、あの、ヴァ、ヴァン様……!」

「はい?」

「お、おの、おのみも、あ、あのっ」


 彼女は見ていて可哀想なくらい緊張していた。背が高くスラっとしていて、大人っぽいワンレンのボブも相待っていかにもできるキャリアウーマンといった風貌。初対面なので確かなことは言えないが、普段はこんなにあたふたするタイプの人ではなさそうな気がする。


「お、落ち着いてください」


 一応元・英雄なので人に恐縮されたり緊張されたりは慣れている。しかしここまでは珍しい。


 ヴァンが女性だと判別できたことから、彼女はビースティアである。ヴァンは結婚以降ビースティアフェチであることを公言しているため、危険な変態だと思われている可能性が高い。なんというか、色んな意味で申し訳ない。


「何か御用ですか?」


 少しでも安心させてあげようと精一杯爽やかに微笑みながら尋ねる。


「は、はい! あの、お、お飲み物をご用意してましてぇ……、こ、コーヒーと紅茶どちらがよろしいですか?」

「ありがとうございます。ではホットのコーヒーで。砂糖とミルクは要りません」

「かし、かしこまりましたぁ……!」


 彼女は会釈して踵を返す。


「あ、待ってください」

「えぇ⁉︎」


 ヴァンはその背中に声をかけて呼び止めた。最近ビースティアの女性に会ったとき誰にでも必ず言うことにしている言葉がある。


「もし何か危険なことに巻き込まれたら『助けて』と叫んでください。僕が必ず助けに行きます」


 ラルド・シーカー事件を決して繰り返してはならない。警備網であるヴァン・ネットワークについてこうして周知しておくのも重要だ。


「あ、あ、ありがとうございます……」


 彼女はペコリと頭を下げ、ついでに猫耳の先もしゅんと垂れ下がっていた。ヴァンも軽く会釈を返す。そばにいると怯えさせてしまうようなので、あえてさっさと目線を逸らして「どうぞ、行ってください」の意を示した。


「あの、ヴァン様……?」


 しかし、彼女はその場に止まっていた。モジモジと手をこねて何か言いたげに口をパクパクさせている。


「どうしました?」

「そ、そのぉ……け、……けっ……」

「……」

「け、結婚……し……」

「?」

「結婚………………おめでとうございます……っ!」


 直後、彼女は自分の発言に自分で驚いたかように口を押さえ、大慌てで逃げていった。


「あ、ありがとうございます……」


 ヴァンの返事はもはや届かない。


 ……面食らってしまったが、よくよく考えれば結婚にお祝いの言葉をもらうなんて初めてではないだろうか。フツフツと喜びの気持ちが湧き、思わずニヤけてしまう。国民にとっては大迷惑な結婚ではあるが、理解してくれる人だってこうして存在したのだ。早くジルーナにも教えてあげたいところだ。今自宅の分身に伝えることもできるが、その役目はこっちで引き受けさせてもらおう。


 立ち去っていった彼女は胸にネームプレートを付けていた。ミオ・ウィンザー。コーヒーを届けてもらったらもう会うこともないだろうが、初めて結婚を祝福してくれた人として、ジルーナと一緒に密かに覚えておこう。


 数分後、彼女が戻ってきた。


「あ、あの、ヴァン様……!」

「ありがとうございま────」


 ヴァンは振り返り、コーヒーを受け取ろうと手を伸ばす。しかし、彼女は何も持っていなかった。


「こ、コーヒーと紅茶、どちらでしたっけ……?」


 まるで顔に「死にたい」と書いてあるかのようだった。恥ずかしさと申し訳なさと自分への怒りが混ざり合って顔がしわくちゃである。せっかくの美人なのに。────アレ? ジルーナ以外の女性を「美人」だと思うなんて、いつぶりのことだろう。


「ヴァ、ヴァン様……? 申し訳ございません……!」

「あ、いえいえ! 気にしないでください! コーヒーでお願いします!」


 考え事をしていたせいで変な間ができてしまった。余計なプレッシャーを与えてしまったようで申し訳ない。お互いにペコペコしまくる不思議な時間を過ごした後、彼女はいそいそとコーヒーを取りに行った。


 やがて届いたコーヒーはアイスで、砂糖とミルクが添えられていた。────ヴァンの注文はホットのブラックだ。しかしこうなると何も言えなかった。


 彼女がいずれ片付けに来たときに自分のミスに気づいてショックを受けてしまうかもしれない。ヴァンはやむなく砂糖もミルクも投入。容器はナプキンで包んで持ち帰ることにした。一滴残さず飲めばもう証拠は残らない。あとは彼女が気づかないことを祈るのみ。


 「俺ってそんなに怖いかな」と反省しながら飲んだコーヒーは、普段ジルーナが淹れてくれるものとは違って、それでいてこれも美味しかった。

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