4.秘密の気持ち

 ***


 イリスとの密談を終え、ミオは一人で暮らすマンションに帰宅した。


 どっと疲れた。与えられた任務の難しさと異質さに、未だにこれが現実だとは思えない。あのヴァン・スナキアを口説き落とす。彼の妻として一生を過ごす。全くイメージが湧かない。


「あ、そうだ」


 調べたいことがあったのを思い出し、ミオは携帯を取り出した。イリスの推理の中に気になるフレーズがあったのだ。ヴァンの妻最有力候補である彼女は「ラフラス様と共に殺害された使用人の娘」。ラフラス暗殺及び終末の雨の犠牲者は少し調べれば名前が分かる。


 イリスは口を滑らせたのか、それとも「ヒントを与えるからそこから先を自分で調べてみろ」というメッセージだったのか。おそらくは後者だろう。ミオを案じて彼女の名前を明かさなかったイリスが「妻を調べろ」なんて直接言ったりはしない。それでも任務のためにもっと詳しく知る必要があると判断した場合に備えて取っかかりくらいは忍ばせておく。イリスのやりそうなことだ。


「……リネル・ハンゼル・ラクトロス」


 それがラフラスと共に殺された使用人の名前。彼女の父である。


 この国では結婚すると互いの姓を並べる仕組みになっている。片方を主姓とし、子どもはその姓だけを受け継ぐ。ほとんどの場合主姓が先に来ることから、彼女は「ハンゼル」の方を貰っているはずだ。そして現在は結婚しスナキアを主姓としているだろう。「○○・スナキア・ハンゼル」。それが彼女の名前となる。


 ハンゼル姓の人間はこの国では珍しくないが多くもない。住んでいた地域と年齢は判明しているため、本腰を入れて調べればかなり絞れるとは思う。いっそ本人と接触し、ヴァンを落としたコツを聞き出すなんてやり方もある。だが、


「なんか、……凹みそうだわ」


 推理を聞いた印象では自分とは見た目も中身も全く別のタイプ。それに、ヴァンが国中を騒がせてでも結婚したいと思うってことはよほど素敵な女の子だ。「自分じゃヴァン様を落とせない」という現実に直面してしまうだけのような気がする。


 第一、彼女が夫との話を誰かに漏らすとは思えない。結婚していること自体全力で隠すはずだ。情報源としてはアテにできない。リスクを負ってまで彼女を調べる必要もないだろう。


 そうとなればむしろ彼女のことは気にしない方がいい。自分は自分。それを受け入れた上で任務に集中だ。どんなに難しくても、この国の未来のためにやり遂げねば。


 いや、国のためというより────。


 ミオは棚に置いてある写真立てを手に取る。愛おしそうな瞳でしばらく凝視した後、その写真を抱きしめた。


「やっぱり可愛いわぁ、子どもヴァン様……♡」


 その写真は、終末の雨の後一躍ヒーローとなったヴァン人気に目をつけてどこかの企業が発売した、ヴァンのプロマイドである。


「もうグッズ出ないのかしらぁ……。今の精悍なお姿も素敵なのにぃ……」


 どうやらヴァンに無許可で販売されたものらしく、すぐに発売中止となったようだ。わずかな期間で相当数売れたらしいのに続編が出る様子はない。出たら絶対買うのに。


 ────ミオはヴァンの、大ファンだった。


 今日のイリスとの会議で、ミオはヴァンについてどう思うか問われた。回答は困難を極めた。イリスはミオが好きでもない相手と結婚させられることを憂いていたため、「実は大好きなんです」と答えて安心させてあげるのが筋だっただろう。


 だができなかった。恥ずかし過ぎて。


 ミオは生来の天邪鬼である。好きだったものが流行り始めると途端に興味を無くすような、自分でもめんどくせぇ女だなと思うような性格である。実際イリスにもそう思われているだろう。それなのに、ヴァンのファンなどといういかにもミーハーっぽい振る舞いを見せるなんてのは想像しただけで汗をかくくらい恥ずかしいことだった。


 このグッズだって誰にも知られないようにこっそり買ったものだ。本当は他のグッズも売っていたしメチャクチャ欲しかったが、全部買い漁るなんて大好きみたいで恥ずかしくて泣く泣く諦めたという経緯がある。そして今になって他のも買っておけば良かったと後悔しているのだから始末に負えない。


 自分の羞恥心なんて抑え込んでイリスに白状すべきだったと頭では分かっている。だがこっちにも言い分はある。ヴァン結婚後に一部の女性がヴァン・ロスという精神状態に陥ったというニュースを見て、イリスが「呑気なもんね」と冷笑していたのを横で聞いたことがあるのだ。じゃあもう言い出せるはずがないじゃないか。こっちはきっちりヴァン・ロスになっていたというのに。


 ヴァンの結婚はミオにとって色んな意味で衝撃的だった。ヴァン・ロスになったというだけではない。国がヤバいというだけではない。もしかしたらビースティアの自分にもワンチャンあるのではという淡い期待が生まれたのだ。だがその淡さと言ったら希釈に希釈を重ねた超薄味なもので、現実的に考えてそんなこと有り得ないとは思っていた。


 それが今や、政府のお墨付き、バックアップ付きでヴァンの妻を目指している。嫌なはずがない。むしろ大感謝である。


「ヴァン様……年上好きかしらぁ……」


 問題は攻略法がまるで見えないこと。これから接点を作っていくなんてイリスは言っていたが、正直面と向かってまともに喋れる気がしない。絶対ソワソワして変な感じになる。


 ────それでも、何としてでも成功させる。そんな強い意気込みとヴァンの写真を抱いて、ミオは眠りについた。

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